そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)3.8 < chapter.5 >
屋敷の捜索を一通り済ませたころだった。
俺とアズールの耳に、ガラスの割れる音が飛び込んできた。
「……なんだ?」
「下から、でしたよね……?」
この時、俺たちは屋上にいた。一階から三階には合計十六名の『犠牲者』がいたが、その中に屋敷の主は居なかった。家族構成は父、母、息子のはずだが、三人の姿はどこにもない。はじめから留守だったのか、それともどこかに隠れているのか、それすらも分からない状況だ。すべての部屋のクローゼットや道具入れを開けて回り、最後に屋上を調べていた。
謎の物音の正体を突き止めるべく、俺たちは階段室に入り、下の階からは死角になる壁際に身を寄せる。
真下の吹き抜けホールに異常はない。ガラスが割れたのは、どこか別の部屋である。
息をひそめて様子を窺っていると、嗅ぎ慣れた臭いが漂い始めた。
木材や布類が焼けるきな臭さ。
どうやら、下階に放火されたようだ。
「……どういうつもりだ? いまさら口封じも証拠隠滅もできないのに……」
「離れのほうに隠れていたんでしょうか?」
「だろうな。とりあえず、火を消しに行こう。ガラスが割れた音がしたんだから、きっと外から火炎瓶か何かを投げ込まれたんだろうが……」
そう言いながら、階段を降り始めたときだ。
背後で何か、重いものが床に落ちる音がした。
「何の……うっ!?」
振り向いた瞬間、何かに頬を殴られた。
衝撃で階段を転げ落ち、俺の身体は踊り場の床に叩きつけられた。
次の攻撃を避けられたのは、ただ運が良かったからだろう。わけもわからず反射的に使った《疾風》の魔法は、敵の攻撃の軌道を逸らすことに成功した。全体重をかけたスタンピングが、顔の二センチ先の床に炸裂する。
ほんの一瞬生まれた離脱のチャンス。俺は自分の体に向けて《衝撃波》を放ち、倒れた姿勢のまま真横に移動する。そして壁に叩きつけられる直前、踊り場の床をトンと突き、勢いを殺さぬまま、壁面を転がりながら上っていく。
常識的にあり得ないこの挙動に、敵の反応は遅れた。
身体が上昇から落下に転じる瞬間、俺は壁を蹴って反撃を試みる。
「《裂開》!!」
指先に風の刃を纏い、引っ掻くように斬りつけた。だが、この攻撃は通らない。爪は敵の身体の数センチ手前で、見えない鎧に弾かれる。あらかじめ《銀の鎧》を使用していたらしい。
互いに飛び退き、間合いを取る。
俺はここで、ようやく敵の顔を見た。
「……グラスファイア……!」
目深に被ったフードの下から、ピアスだらけの白い顔が覗いている。情報部のファイルに何十枚、何百枚と収められている顔だ。見間違えようがない。
グラスファイアは何も言わず、スッと構えて指先だけをわずかに動かした。
来いよ。
ニヤリと笑うその顔に、俺は妙な既視感を覚えた。
俺はこの男を知っている。
情報を調べた、という意味ではない。俺はこの男と、以前もこうして対峙していた。その日、その時の戦いの記憶がまざまざと蘇る。俺とグラスファイアはまったく互角で、埒の開かない戦いを一時間近く繰り広げ、それから――。
「……貴様は、何だ?」
自分の口が発した言葉に、俺は内心、首をひねっていた。
何を聞いているのだろう。
何を聞き出したいのだろう。
自分とこの男は今日が『初対面』のはずなのに、なぜ、『以前の記憶』などというありえないものが存在するのだろう。
得体の知れない焦燥に、全身から汗が噴き出す。
グラスファイアはそんな俺を見て、訝るような顔をする。
「なんだ? お前、リセット前の記憶がないのか……?」
「……リセット……?」
「とぼけているのか? それとも、本当に分かっていないのか?」
「……全身氷漬けで運河に落とされたような気がするんだが……?」
「それは最初にやり合ったときだぜ?」
「最初……とは? 俺たちは、以前どこかで顔を合わせたことが……?」
「はあっ!? マ・ジ・か・よ~。なんでだ? 前回までは毎回ちゃんと記憶があって……ウワァ、面倒クセェ~……」
グラスファイアは大げさに溜息を吐き、それから一瞬で気配を変えた。
「まあいいや。どうせ殺すんだし」
「っ!!」
ノーモーションで発射された《氷の矢》。わずか三メートルほどの距離では、回避も防御も間に合わなかった。
全弾命中。全身に激しい痛みが走る。
こちらも《銀の鎧》を展開中だが、防ぎきれるダメージにも限界がある。三本の矢が《銀の鎧》を貫通し、左太腿、左脇腹、右肩に突き刺さる。
「――――――ッ!!」
上げたはずの悲鳴は声にはならず、空気が喉を通過する、かすれた音だけがこぼれた。
背後の壁に張り付くように寄りかかり、どうにか自力で立ってはいるが――。
「『この世界』でやれそうなことはやり尽くした。お前を殺して、『次の世界』を始めさせてもらうぜ。なあ、シアン?」
グラスファイアは訳の分からないことを言いながら、氷を纏った拳で俺を殴る。
「けどまあ、死ぬ前に、今度こそ種明かししてくれるよなぁ……?」
何発も、何十発も、防壁を張る間もなく連続して打ち込まれる。俺はサンドバッグのように殴られながら、それでも倒れることはできなかった。
いつの間にか、両肩と壁とが氷で固定されていたのだ。
「なあ! おい! 誰だ!? 答えろ! 誰が時間を巻き戻している!? ピーコックか!? ターコイズか!? それともラピスラズリか!? 『リセットボタン』はどいつが持ってんだ!?」
タコ殴りにされ、意識は朦朧としている。そうでなくても、この男の言っていることは意味が分からない。時間を巻き戻すだとか、『リセットボタン』だとか、いったい何の話をしているのか――。
「……何のことだか、分からないな……」
「ああっ!? んなワケねえだろ!? あの三人なんだよ! どうしてもぶち殺せねえ! あの三人だけが、必ず最後まで残ってんだ! 誰だか答えろ! どうせ一番強えヤツが持ってんだろ!? 誰が強い!? あの三人の中で、誰が一番強いんだ!?」
顔面を殴られ続けているせいか、耳から流れ込んでくる怒声はひとつながりのノイズにしか聞こえない。けれどもどういうわけか、最後の問いにはハッキリと答えることができた。
「……みんな最強だ。それぞれ、方向性は違うがな……」
「は?」
なんだって? とでも言いたげな顔のまま、グラスファイアは階下に叩き落とされた。
グラスファイアの背後から不意打ちを食らわせたのは、我らがコード・ブルーの暫定リーダー、ピーコックである。
「畜生! いつの間に……っと!?」
階下に落とされたグラスファイアに、ラピスラズリとターコイズが襲い掛かる。
「てめえの相手は俺たちだぜ!」
「誰が強いか、自分の身体で確かめてみるんだな!」
二人がグラスファイアの相手をする間に、ピーコックは俺の身体を壁から剥がし、ヒョイと担ぎ上げた。
「間に合ってよかった。コード・レッドの連中がなかなか待機状態解除してくれなくてね」
そう言いながら階段を上るが、屋上階段室にアズールはいない。グラスファイアに襲撃されて床に倒れた姿を、一瞬だけ目にしたのだが――。
「アズールは?」
「大丈夫、死んではいないよ。サクソンが連れ出してくれた」
「そうか。それならよかっ……」
「ナイル! 受け取れ!」
まだ俺が話している途中だというのに、ピーコックは俺を屋上から放り投げた。
バルーンタイプのゴーレムに受け止められ、ダメージは無い。だが、しかし。
「ぬ……ぐ、あああぁぁぁ~……」
こちらは体に三か所も穴をあけられているのだ。もう少し、丁寧に取り扱ってもらいたいものである。
痛みに悶える俺を、ナイルのゴーレムが担ぎ出す。そして俺はコバルトの馬車に積み込まれ、現場を後にした。
だからここから先の出来事は、後で記録映像を見て知った。
俺に喧嘩を売ってきた男は、どうやらただのマフィアではなかったらしい。