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そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)3.8 < chapter.3 >

 問題の小包が届いた翌々日、『商談会』の日がやってきた。

 コード・レッドはこの取引現場を押さえて、グリムスファミリーの薬物売買ルートを大元で断つつもりでいた。なぜなら、あの錠剤にはそれだけの影響力があるからだ。

 薬の主成分はゾンビパウダー。これはテトロドトキシンをはじめとする数種の毒物からなる魔法薬で、服用した人間の脳にダメージを与え、思考能力と感情の起伏の乏しい『ゾンビのような状態』を作り出す。

 鬱状態の人間が服用すれば、それまで心に立ち込めていた悩みや苦しみが綺麗さっぱり消えてしまったように思えるらしい。また、暴力的な人間が服用すれば、キレやすい性格や暴力的な行動が改善したように見えるという。そのため、周囲の人間から『表情が穏やかになった』『いい人になった』『人当たりが良くなった』と、間違った評価を下されることが多い。

 引きこもりや家庭内暴力を誰にも相談できない者、相談しても解決できなかった者が、藁をもすがる思いでマフィアの売りさばく違法薬物に手を出してしまうことはよくある。だが、ゾンビパウダーは何を間違っても『心の病の治療薬』ではない。

 ゾンビパウダーには中毒性がある。薬が切れると酷い絶望感や焦燥感、悲壮感に苛まれ、楽になるために次の薬を欲しがるようになるのだ。

 これが正規の薬局で処方される向精神薬なら、多少の副作用はあっても、脳機能に壊滅的なダメージを与える成分は含まれていない。だが、ゾンビパウダーに含まれる成分はそのすべてが『猛毒』である。飲めば飲むほど脳は破壊され、記憶も人格も失われていく。それでも薬を与えなければ、その人間はひどく苦しみ、自殺すら試みる。一度ゾンビパウダーを与えてしまったら、もうあとには引けない。その人間が完全な廃人と化すまで、家族はせっせと薬を与え続けることになるのだ。

 コード・レッドが一斉摘発に踏み切った最大の理由は、この『家族が薬を与える』という点にある。他のドラッグは自分で楽しむために購入するが、ゾンビパウダーは心の病に苦しむ人を治療したい一心で、家族が購入・投与し続けてしまうケースが後を絶たない。効き目を強めた『新薬』が広く出回る前に食い止めなければ、この先何百人、何千人という犠牲者が出てしまうだろう。


 だが、しかし――だ。


 問題の錠剤を送りつけてきたのはエランドファミリーの若頭、グレンデル・グラスファイアである。対立するグリムスファミリーの情報を騎士団に垂れ込み、その取引を潰させて、その後に何もしないとは思えない。

 成分を分析し、エランドファミリーでも同じものを作っているかもしれない。だとしたら、騎士団が摘発した後の当該エリアはエランドファミリーの独壇場と化す。

 そこまで準備が整っていないとしても、自ら手を汚すことなく、対立相手の収入源を断つことには成功するのだ。グラスファイアは何もせず、ただで美味い汁を吸うことになる。

 現在午後二時二十四分。取引の時間まであと六分だ。

コード・ブルーには本部待機が言い渡されているのだが、じっとしているだけでも、胃のあたりがキリキリ痛んで仕方がない。

 そんな俺の顔を覗き込みながら、アズールは遠慮がちにコーヒーカップを置く。

「先輩、大丈夫ですか? お腹痛いなら、白湯か薬草茶にしてきますけど……」

「いや、大丈夫。いただきます」

「あんまり無理しないでくださいね? 僕らもいるんですから。一人で抱え込まないで」

「ありがとう。本気でヤバそうな時には頼らせてもらうよ」

「はい。いつでもどうぞ」

 柔らかく微笑み、アズールは給湯室のほうへ消えていった。

 殺伐とした情報部内で、なぜか『癒し系キャラ』を堅持し続けているアズール。たいていの騎士団員は特務昇進までの熾烈な競争で心をすり減らし、表情と感情を失う。俺とナイルも特務入隊で再会を果たしたとき、互いの変わり果てた顔つきに愕然としたものだ。だがアズールは、幼少期から一度もキャラがぶれていないらしい。

 淹れたてのコーヒーを口に含み、程よい酸味と香ばしさに浸る。


 絶対にブレない人間。


 そんなもの、本当は存在しないのだろう。だが少なくとも、他人目線で『限りなくそれに近い人間』は実在する。

 まず思いつくのがピーコックだ。あいつのニヤけた笑いは、自分のペースを保つための演技である。演技であることは誰もが気付いているのだが、あいつの演技は徹底していて、仲間の前でも『素の表情』を見せることが無い。あえて弱音を吐いてみせるときも、どこかふざけた余裕を漂わせている。人前で見せるキャラクターが『ひとつの綻びも無い疑似人格』なら、それはもう、絶対にブレない人間と言い切れるのかもしれない。

 次に思い浮かぶのはラピスラズリ。馬鹿な言動、飛び出す下ネタ、止まらない悪ノリ。一貫してブレていない。一事が万事、あの調子である。学生時代から現在に至るまで、油断しているとすぐにパンツの中身を「コンニチハ!」させてしまう問題児のままだ。実は何かを隠しているのかもしれないが、俺の知らない一面があるとは思えない。

 最後に思い出すのは、忌々しいことにこの状況の発生源、グレンデル・グラスファイアだ。キアの件以降、グレンデル・グラスファイアという人間についてありったけの資料を読み込んだ。その結果として抱いた印象は、直接言葉を交わしたあの瞬間と、まったく同じものだった。


 狂気の天才。


 それ以外に、あの男を形容する言葉はない。

 グラスファイアの来歴は複雑である。彼はマフィアの構成員としては非常に珍しく、身元がハッキリしている。生まれた病院のカルテや、母親の通院歴までしっかり残されているのだ。

 しかし彼の場合、その記録にはもはや何の意味もない。グラスファイアの生まれた町は、地震に伴う大規模崩落で山ごと消えてなくなった。病院のカルテは遺体の身元を調べるために掘り起こされたもので、そこに記載されている人間は、グラスファイアと妹以外、全員死亡している。

 グラスファイアと妹は地震が起こったその日、その時間、隣の山に野草を採りに行っていた。揺れを感じて家に帰ろうとしたら、目の前で山ごと町が――という状況であったらしい。

 彼らはほんの一瞬で家も家族も、生まれ育った町も、何もかもを失った。そのショックからか、まだ小学生だった兄妹は心を病み、王立病院の特別看護病棟に入れられた。特別看護病棟は心や認知機能に問題を抱える患者の入院施設だが、彼らはここで、更なる不幸に見舞われる。


 認知症の老人が、兄妹を連れて脱走してしまったのだ。


 老人は翌日には発見、保護されたが、幼い兄妹は見つからず。大規模崩落の生存者として全国の注目を集めていただけに、兄妹の捜索は国を挙げて行われた。けれども、何日経っても見つからない。それどころか、子供を連れた老人の姿を目撃した者すら現れなかった。

 それらしい情報がひとつも出て来ないまま、一カ月後、捜索は打ち切られた。

 二人の生存が確認されるのは、それから六年後のことである。

 西部のとある田舎町から、『グレンデル・メイヤーズ』という少年が入学願書を投函した。王立高校の入学に中学校の卒業証書は必要ない。入試で中学校卒業相当の学力を示せば、私塾や通信教育、独学で学習した子供でも入学が認められる。入学願書は当然受理され、『グレンデル・メイヤーズ』はその他大勢と同じように試験を受け、見事合格。そして入学前におこなわれた健康診断で、あってはならない結果が出てしまった。


 グレンデル・メイヤーズの血液型はB型。

 通常、ネコ科種族の血液にはA型遺伝子が含まれる。しかし、彼にはそれが無かった。A型遺伝子を一切含まない生粋のB型血液を持つ遺伝集団は、ネーディルランド全土でたったひとつ。それは大規模崩落で消滅した、あの町の住人たちである。

 その上、彼の血液はRH-。超希少遺伝集団の中でも、特に珍しい血液をもつ人間だったのだ。


 グレンデルという名前、他に類を見ない特異な血液、年齢、そもそも絶対数の少ないユキヒョウ族、王立病院に残された医療記録とピッタリ一致する身体的特徴などなど。

 ありとあらゆる情報が、彼が『グレンデル・メイヤーズ』ではなく、行方不明になった兄妹の片割れ、『グレンデル・グラスファイア』であると示していた。

 当然、騎士団は兄妹の保護のために動いた。そして彼らの『保護者』として登録されていた女を逮捕しようとしたのだが、女は家にはいなかった。もう何年も前に男と蒸発してしまい、残された兄妹は近隣住民の援助を受けながら、自分たちだけで生活していたのだという。

 何もかもメチャクチャな環境で、いつ、どのように中学校卒業レベルの学力を身に着けたのかは分からない。けれどもグラスファイアはそれから三年間、ごく普通の少年として、中央の王立高校に通っていた。

 彼が王立高校の『何科』に通学していたかというと、忌々しいことに、騎士団員養成科である。そう、つまりグラスファイアは、俺たちの『後輩』なのだ。

 騎士団員養成科は、学費も食費も制服代も、寮の家賃もかからない。騎士団入団を条件に、完全無料で人材育成を行っているわけだ。

 中途退学や別団体への就職が決定した場合は、それまでの諸費用をまとめて請求される。生徒の身分や校内施設の利用状況によって請求される金額は異なるようだが、どんなに安くても五百万から。身寄りのないグラスファイアにそんな大金は払えない。彼は卒業と同時に入団し、どこかの支部に配属されるものと思われていた。


 だが、しかし。


 グラスファイアはその年の首席卒業生でありながら、騎士団には入団しなかった。そしてなんと、エランドファミリーが経営する建設会社に、幹部待遇で就職してしまったのだ。

 全寮制の騎士団員養成科で、彼はいつ、どのようにしてドン・エランドと繋がりを持ったのか。

 なぜドン・エランドが学費の支払いを肩代わりしたのか。

 そもそも入学時から、騎士団に入団する気はあったのか。

 すべての謎に明確な答えは示されていない。騎士団はあの震災から現在に至るまで、『グレンデル・グラスファイア』という名の男に振り回され続けている。


 絶対にブレない人間。


 そんなものはいない。

 いないはずだと思いたい。

 けれども、グラスファイアについて調べていくほど、彼が限りなく『それ』に近い存在であると認めざるを得ない。

 なぜなら、彼の妹は――。

「シアン! 出動命令だ!」

 ピーコックの声に、ハッと顔を上げる。

 ネコ科特有の足さばきで、軽やかに、音もなくこちらに歩み寄るピーコック。その表情と声色から、俺はてっきり、コード・レッドがやられたものだと思った。しかし、すぐにそうではないとすぐに気付く。

 ピーコックの手から俺の手へと受け渡された物は、特務部隊の任務指示書だった。

「このタイミングで別件だと?」

「ホント、やらかしてくれるよねぇ、あいつら」

「現場は……いや、待て? これは本当に『別件』か?」

「別件だよ。少なくとも、特務部隊が出動した時点では『別件』だった。本当はナイルをつけたいところだけど、今は温存しておきたい。誰を連れていく?」

「ナイルがダメならお前が欲しい」

「残念。せっかくのご指名だけど、俺は同伴不可。これでも一応『暫定リーダー』だからね?」

「それなら、そうだな……」

 俺は五秒ほど考え、一番無難な隊員の名前を挙げる。

「アズールをもらう」

「え……うちのコーヒー係、連れてっちゃうの……?」

「コーヒーくらい自分で淹れろよ」

「本部待機の唯一の楽しみを……」

「あいつくらい動じない男じゃなきゃあ、こんな任務はこなせないだろう?」

「ラピでいいじゃん?」

「あいつと一緒にこっそり動けると思うのか?」

「思わなくもないような雰囲気くらいならある」

「無いってことだな?」

「うん。まあいいや。必要そうなモノはなんだって持ってっていいよ。こっちで適当に処理しとく」

「ああ、頼んだ。行ってくる」

「お土産よろしくねー」

 この場合の『土産』とは、任務達成の報告だろう。俺はそう判断し、軽く手を振ってオフィスを後にした。

 そして武器庫に向かう途中で、微妙な違和感を覚える。

「……ん?」

 コートのポケットが重い。

 まさかと思って手を突っ込むと、いつの間に入れられたのか、『お土産代』と表書きされた封筒が突っ込まれていた。封筒の裏面には『イチゴ味でよろしく』と、味の指定まで書かれている。

 だが、しかし。

「これは……『何』のイチゴ味を買って来ればいいんだ……?」

 現地の土産物屋にイチゴ味の商品が二種以上あったら、一番不味そうな安物を買って来てやろう。俺はそう心に決め、出発の準備を急いだ。


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