そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)3.8 < chapter.1 >
その小包が届いたのは、五月一日のことだった。
「俺宛ての……なんですって?」
内線端末越しに聞かされた単語があまりに突飛すぎて、思わず聞き返す。
上司は俺の反応を予想していたのか、いつも通りの淡々とした口調で、小包の荷札に書かれた品名を読み上げた。
「新薬の商品サンプル、商談会会場までの地図、ご案内パンフレット……と、書かれているが?」
「荷札の品名欄に?」
「黒の油性ボールペンでハッキリとな」
「本当に『新薬の商品サンプル』が?」
「エックス線検査と呪詛検査の結果を見る限りではそのようだ。これから開封作業を開始するのだが、君も立ち会うかね?」
「もちろんです。すぐ行きます」
通常の郵便物であれば、本部庁舎の検閲室を経由してこちらに運ばれてくる。しかし、この小包が検閲室で開封されることは無かった。その理由は、品名欄の怪しげな表記ばかりではない。
差出人、グレンデル・グラスファイア。
中央エリアで最大勢力を誇る三大マフィアの一つ、エランドファミリーの若頭である。
マフィアの若頭から情報部員宛てに『新薬の商品サンプル』が送られる。それも普通郵便で、地域の小規模郵便局の消印が押された状態で、だ。
開封前におこなわれた指紋や微物、筆跡の鑑定結果によると、これをパッキングし、郵便局に持ち込んだのはグラスファイア本人のようだ。既に担当した郵便局員の確認も取れている。窓口対応した局員は、『顔中にピアスをつけた男が一人で来局した』と証言した。
情報部長官の姪を拉致・監禁中のあの男が、俺宛てに何を送りつけてきたというのか。嫌な予感しかないこの状況に、どうしようもなく吐き気が込み上げる。
階段を駆け下り、厳重なセキュリティーチェックを越えて地下の『気密室』に入る。ここは危険な呪物や正体不明の構造物を解体する際に使用される部屋である。
室内には五人の男がいた。
情報部長官、セルリアン。
呪術の専門家、タトラ老師。
コード・ブルー暫定リーダー、ピーコック。
コード・バイオレットからエランドファミリー担当、ヘリオトロープ。
コード・レッド総指揮官、アガット。
青は貴族案件、紫は違法薬物および違法呪物、赤は反政府勢力を担当している。
パーティードラッグは貴族とマフィアが手を組んで売りさばくケースが多く、この三部署は常に連携して動いている。俺がグラスファイアに目をつけられていることも、彼らは十分承知しているはずだ。
だが、しかし。
「まさかとは思うが、君、マフィアに買収されていたりしないだろうねぇ?」
わざわざこれを言うのがアガットという男だ。この質問に対して表情を変えても、変えなくても、結果は同じである。
「買収されていたら、もっといい暮らしをしていますよ」
この男に好かれるのも嫌われるのも面倒なので、ただ事実を述べる。
アガットは俺の反応に、不満げに鼻を鳴らした。けれどもそれ以上のことは無い。この場にセルリアンがいるからだ。
セルリアンは表情を変えずに言う。
「挨拶は済んだかね? では、始めようか」
セルリアンの目配せでタトラ老師とピーコックが動く。老師は呪詛、幻覚、攻撃魔法などを防御する特殊結界を構築し、ピーコックは軽作業用のゴーレムを起動させた。
結界の中には小包とゴーレムのみ。一通りの検査は行われているが、念には念を入れ、ゴーレムは慎重に開封作業を行う。
荷札を取り外し、その下の麻紐をほどく。茶色の梱包用紙を広げ、段ボール箱に貼られた紙テープを剥がし――。
そっと開けられた小さな段ボール箱。ゴーレムはその中身を、一つ一つ、床の上に並べていく。
ラップフィルムで包まれた錠剤が五粒。
市販の地図をコピーした紙が一枚。
薬の成分や入り数、価格、最小発注ロットが記されたパンフレットが一冊。
ピーコックはゴーレムを操作し、パンフレットのページをゆっくりとめくらせる。
表紙から裏表紙まですべてのページを確認していくと、あることが分かった。
「……エランドファミリーの取引じゃあなさそうですね。これには見覚えがある」
ヘリオトロープが指し示したのは、三ページ目に掲載された、可愛らしい絵柄のアロマキャンドルだった。ポップなカトゥーンアート風の絵は薔薇、百合、桃の三種があり、キャンドルに点火すると、それぞれの花の香りがするとの注釈がある。女性向けのファンシーグッズとしてはありがちなデザインだが、ヘリオトロープは吐き捨てるように言った。
「グリムスファミリー傘下の娼館で使っている魔法薬ですね。これを嗅ぐと、男も女も狂ったように発情します」
「こんなパンフレットがあるということは、合法かね?」
アガットの問いに、ヘリオトロープは大げさに肩をすくめる。
「あなたがそれを聞きますか?」
「ま、当然合法なのだろうね。検査機関に提出する分だけは」
そういうことです、とでも言うように、ヘリオトロープはわざとらしく二回頷いた。
これはマフィアお得意の手口である。国の検査機関に提出する分、店頭に並べて一般販売する分だけは、法に則った原料で『まともな製品』を作っている。しかし同時に、全く同じ見た目で非合法の魔法薬を練り込んだ『裏向け商品』も作っているのだ。
マフィアの下部組織が経営するアダルトグッズショップ、アロマショップ、アクセサリーショップなどで、ある特定の行動をしてみせる。すると店の奥に誘導され、『本物』を購入するためのチケットを手渡される。それを持って指定されたクラブやプールバーに行けば、目当ての商品を持った売人に接触できる仕組みだ。
渡されるチケットはごく普通のショップ名刺である。取引場所や時間、価格については店員から口頭で教えられるため、いくらショップに強制捜査をかけても何も出て来ない。店員は毎日変わる取引場所やレートを人づてに知らされる下っ端構成員なので、逮捕したところで何の情報も引き出せない。非合法ドラッグの売人を摘発するのは、非常に難しいことなのだ。
パンフレットの記載内容に不審な点はない。アロマキャンドル、美容クリーム、貧血に効くサプリメント、爪を傷めないトリートメントマニキュアなどが記載された、ごく普通の『女性向け商品のご案内』である。ただし、情報部目線では違うモノが見えている。
俺はピーコックの肩越しに、パンフレットの紙面を覗き込む。
「この『商品番号』の部分が裏商品の参考価格か?」
「だろうね。A10-05-0037は『十錠』で『五万』じゃないかなぁ?」
「頭のAと末尾の0037は、そのまま商品番号……?」
「ぽいよね? 似たような商品はどれも頭の記号と番号が繋がっているし……在庫管理用の通し番号ってところじゃないかな?」
「と、なると、このキャンドルはL01-17-0008だから……」
「蝋燭一本で十七万!? そんなもん買うかぁ!?」
思わず本音を溢したピーコックに、すかさずアガットが絡んでくる。
「いやぁ? 妥当な価格だと思うがねえ? その気の無い女を無理矢理発情させるためのグッズだろう? 売れっ子の女優や歌手を使い勝手のいい手駒にできるなら、十七万くらい喜んで出すと思うのだがねぇ~? ま、コード・ブルーは担当が違うから、知らなくても仕方がないなぁ~」
反政府勢力の動向についてはコード・レッドのほうが詳しい。一般感覚ではありえない価格の商品でも、需要のあるところにはきっちり売れるのだ。それは俺たちにも分かるのだが、だからといって、どうしていちいち上から目線で絡んでくるのか。
ピーコックは面倒くさそうに応じる。
「ご教示ありがとうございます。生憎、こちらが口説いてその気にならない女性がいなかったもので。己の経験不足を恥じ入る次第でございます」
清々しいまでのクソコメントをぶちかますピーコックの隣で、俺は真顔を保つのに苦労した。
コードネームそっくりのどす黒い赤色と化したアガットの顔には幾筋もの血管が浮き出ていたが、そんなことより、アガットの死角で『あっかんべー、お尻ペーンペーン♪』をやっているゴーレムのほうが気になった。自分に視線を向けさせておいて、死角で何をやっているのだ、この男は。同僚の表情筋の限界を試す行為はご遠慮願いたい。
セルリアンとヘリオトロープはこちらのやり取りが聞こえていない体で、ラップフィルムに包まれた錠剤と、掲載されたサプリメントとの照らし合わせを始めていた。
新商品という割には、これと同じ錠剤は通し番号の古い物のようだった。A10-05-0003という商品は、パンフレットによれば『心を落ち着けるリラックスサプリ』だそうだ。
「蝋燭のほうは、パンフレットの記載通り『二人の気分を高めるアロマ』なんだな?」
「ええ。狂ったように発情して、隠しカメラを気にする余裕もなく本番に突入します。局部丸出し映像をネタに、後で脅迫されるアレですよ」
「ということは、他のサプリメントも記載通りの効果かな?」
「新薬というからには、これまで以上に効果を高めた、ということだと思いますが」
「心を落ち着けるリラックスサプリ……の、非合法版? どんな効果だ……?」
「多幸感が得られるマリファナ系か、意識レベルが低下するゾンビパウダー系か……」
「睡眠薬系のレイプドラッグの可能性もある。タトラ老師? この小包、呪詛の危険は?」
「まったく無い。間違いなく断言できる。これには何の気配も感じられん。ピーコック、おぬしのほうはどうじゃ?」
「化学毒も非検出です。素手で触っても何の問題もない、フツーのラップと紙ですよ」
「それなら結界を解除するぞ? いいかの、セルリアン?」
「はい。お願いします」
グラスファイアが何を思って『別のファミリーの新薬』を送りつけてきたのか、それは定かでない。けれども、まずはこの錠剤の成分分析だ。これがどういうモノなのかが分からなければ、この先の方針を決めることはできないだろう。
錠剤は化学分析・魔法鑑定を専門とする研究セクションへ送られた。