大波 小波 5
お母さんは偉い!
つまりは、私を生んでくれたお母さんは偉い!
育ててくれたおばあちゃんも偉い!
ジゼルも偉い!
昼夜を問わず、数時間おきに訪れる授乳タイム。
ウンチやおしっこのお世話。
蔑ろにすれば、すぐに肌荒れや爛れてしまうから、しっかり丁寧にしなくては。
でも、赤ちゃんはそれだけじゃ無いんだよ、
大きな声で鳴いているから、
おっぱいかな?そう思っても飲まない。
おしめかなと確かめても、汚れていない。
「一体どうして泣いているの?」
そう思って、私も泣きたくなる事が何回も有った。
でも、まいっている私をジゼルや、コリアンヌさんが助けてくれる。
そうして、周りの人に支えられながら、赤ちゃんも私も成長していった。
この子は時々体調を崩したけれど、
「赤ちゃんにはよくある事よ。」
そう言って、途方に暮れる私を、ジゼルは優しく慰めてくれる。
赤ちゃんの名前はデーヴィット。
ジゼルに名付け親になってもらった。
「こんなおばあちゃんが付けてもいいの?」
そう遠慮がちに言うけれど、
でも私は、ジゼルに付けてもらいたかったの。
ジゼル曰く、愛される者という意味だそうです。
デーヴィット、皆に愛され、強く生きて行ってね。
デーヴィットのお世話に追われながらも、私も徐々に調子を取り戻し、
やがて、子供を見ながら、ある程度の仕事ができるようになった。
そして初めてジゼル達にパンを焼いた。
此処しばらく、その作業から離れていたけれど、コツは忘れていなかった。
「とっても美味しいわ。
私はこのカスタードクリームを挟んだものが好き。」
ジゼルはとても喜んでくれた。
「奥様、それもおいしいですが、
こちらの物も食べてみて下さい。
パンに練り込まれたドライフルーツとラム酒のバランスがとてもよく、絶品です。」
流石コリアンヌさん。
ポイントをちゃんと突いて来る。
たまたま帰っていた大叔父様もほめてくれた。
「いやあ、このチーズの入ったブレットはすごくいい。
微かな甘みと、チーズの塩気が実に絶妙だ。
マリーベル、今度これを職場で焼いてもいいだろうか。」
職場って、お城ですよね。
そんな恐れ多い。
でも、喜んでいただけるのなら、ぜひ焼いて下さい。
デーヴィットも元気に育っている。
寝返りが打てるようになったと思ったら、
はいはいが出来るようになり、
やがて立てる様になったと思ったら、すぐ伝い歩きが出来るようになった。
今はよちよちと歩き回り、何もない所でストンとしりもちをついたり、
ぱたんと倒れたり、
ハラハラしっぱなしで目を放していられない。
それも成長の一つですよ。
そう笑いながら言うジゼルは大物だと思う。
「ねえジゼル、デーヴィットも前ほど手がかからなくなったから、
何か仕事をしたいのだけど。」
そう私は言った。
「そうねぇ、まあ、約束だから仕方ないけど、でもまだまだこの子から目を放す事は出来ないわね。
となると、一緒に居ても大丈夫な仕事ね。」
そう言って、ジゼルが私に命じた仕事は、
デーヴィットと一緒に買い物に行く事だった。
買い物籠を片手に、デーヴィットと手を繋ぎ、のんびりと店まで二人で歩く。
「でも、これってお散歩だよね。」
くすくすと笑いながらそう言った。
相変わらずジゼルは過保護だ。
まあ、お言葉に甘えて、私たちは時間制限無しの買い物に勤しむ。
公園まで足を延ばし、
木陰で出店のジュースを飲みながら、
トコトコと鳩を追う息子の姿を見つめている。
あれから3年近くになるわ。
今頃おじさまはどうしているかしら。
まだ私の事を思ってくれているのかしら、
いいえ、私の事はもう忘れてしまったかもしれない。
もしかしたら、私よりもふさわしいお妃さまが出来たかも。
そう思うと、何故かしら心が沈む。
しかし、それは私がそう望み、置いて来てしまったのだから、
今更後悔する資格など私には無い。
「そうよ、後悔などしてはいけないの、みんな私が決めた事なんだから。
さ、ジゼルが心配するから、そろそろ帰らなくちゃ。」
私は籠を腕に掛け、デーヴィットを抱き上げた。
「まあデーヴィッド、あなた、また大きくなったのではなくて?」
するとデーヴィットはニコニコ笑いながら、
なったー、とまだ少し覚束無いお口で返事をしてくれる。
それから私は、昨日より少し重くなった我が子を抱っこし、
ジゼルの屋敷へと歩き出した。
道は、午後の買い物客や、往来する馬車で慌しい。
荷馬車、乗合馬車、貴族の馬車。
上る物や下る物、全てが忙しそうに過ぎていく。
やがて黒塗りの立派な馬車が通り過ぎて行った。
まずい!
見覚えの有る紋章が描かれていたその馬車とすれ違い、
私はとっさに歩みを速める。
最近は安心しきって、変装することを止めていたのだ。
早く、早く安心できる巣箱に帰らなくては。
私は大事な子供を抱いたまま走り出す。
しかし、私の逃亡はその場で終わりを告げた。
いきなり後ろから力強い腕に抱きしめられた。
「マリーベル、マリーベル………。」
震える声で、何度もそう呼ばれた。
「ごめんなさい、おじ様…………。」
私は、そう返す事しかできなかった。




