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逃走

それからの私は、

とてもラッキーだったと言えよう。


まずおじさまには、明日の支度で忙しいと、前の晩にお帰り願った。


「当日中にキルラルに着きたいので明日の10時頃の馬車でここを立つつもりです。」


そう伝えた。


それから手紙をしたためる。常連のコーラルさんへ。

そして決行の日の朝早く、籠にパンを詰め彼女のお宅にお邪魔した。


「あら、マリーベル。

今日からお休みじゃ無かったのかい?」


「ええ、お休みです。

でも、いつもの癖でパンを焼いてしまったので、

良かったら食べてもらおうと思って持ってきたの。」


「そりゃ、得したね。

今日からしばらくは、マリーベルのパンが食べれないと思っていたから嬉しいよ。

今お財布を持ってくるから待って…。」


「あっ、いいのいいの。

私が勝手に焼いたんだから、

これはいつもお世話になっているコーラルさんへのプレゼント。」


こんな物でごめんなさい。

今までありがとうございました。


「おや、そうかい悪いねえ。

ありがたくいただいとくよ。」


「それとこれは私からのラブレター。

ただ、これには魔法が掛かっていて、

一人でこっそり読まなければいけないの。」


私はバスケットに掛けてある布巾を捲り、中に忍ばせた手紙をさりげなく見せる。


「まあ、それはそれは。」


「ふふ、でも冗談抜きに、これは一人で読んでね。

それから読んだ後はこれは燃やして。

必ず。

お願いできる?」


私の真剣な顔に、何かを察したのだろう。

コーラルさんは私を見つめ、深く頷いた。


「任しておきな。

私は絶対に、マリーベルの味方だからね。」


コーラルさんも、薄々何かを感じていたのだろう。

そして私はバスケットを彼女に渡す。

それからコーラルさんをそっと抱きしめると、

小さな声で、ありがとうとつぶやいた。


「体に気を付けるんだよ。」


コーラルさんも小さな声で返してくれた。


軽く手を振りながら、彼女の家を後にする。


「賽は投げられた……か。」


もう後戻りはできない。

前に進むだけ。


それから私は、朝一番の馬車の出発時間に合わせて、小さな鞄を抱え裏口からコッソリ外に出て鍵をかける。

おばあちゃん、お店を続けられなくてごめんね。

そう心の中で謝ってから、歩き出す。

どうか兵隊さんに見つかりませんように。

そう祈りながら、停車場に急ぐ。


それから、発車間際のキルラル方面行きの馬車に飛び乗った。


「出発に間に合って良かったねえ、お嬢さん。」


御者のおじさんが笑いながらそう言った。


「ええ、本当に。危うく乗り遅れるとこだったわ。

夜更かしはする物じゃ無いわね。」


「まったくだ。」


そう言って笑い合った。


この馬車は長距離用に箱型になっているから、

ちゃんと窓にはガラスがはめ込まれている。

だからこそ、外からは中の様子があまり見えない。

始発のお客は中年の夫婦と私だけ。

取り合えず、ゆったりと行けそうだ。

私は鞄からクッションを取り出した。

ギュウギュウと小さく圧縮されていたクッションは、

中に羽が詰まっているので、取り出した途端にポンッと膨らんだ。

それを軽くパンパンを叩き、腰に当てる。


「まあ、用意のいい事。」


「はい、終点まで行きますので、腰痛予防です。」


本当は、赤ちゃんに少しでも負担が行かないようにと、考えた結果だった。


途中で休憩を取りながら、馬車は進む。

今のところは追っ手はかかっていないようだ。

それから数時間ほど走った頃、急に雨が降り始め徐々に雨脚が強くなる。


「すいませんお客さん。

暫く雨宿りさせて下さい。」


御者さんがそう言って、ある町の店の前で馬車を止めた。

そして、その店の横の大きなひさしの中に馬車を非難させる。


「しばらく此処で一休みさせてくれ。

天気次第だが、そうだな、1時間ほど休憩にしよう。

それでも天気が良くならなければまた考えるが、

取り合えずそれまで休んでいてくれ。

馬車の中に居てもいいが、この店は知り合いの店だ、

店の中で休憩できるように頼んでおくから、

もし何か食うんであれば安くするよう言っておく。

良かったら食ってやってくれ。」


御者のおじさんはそう言って、馬車を下りて馬の方へ歩いて行った。


「どうします?あなた。」


最初から一緒だった叔母さんが、旦那さんに聞いている。


「まあ、寒くも無い事だし、無駄に金を使う事も無いだろう。

このまま馬車の中だって俺はかまわないぞ。

もし腹が減ったのなら、お前だけでも何か食ってこい。」


「私も別にお腹は空いていません。ここであなたといますよ。

お嬢さんはどうします?」


私にそう話を振ってきた。

一緒に居て、暇つぶしに色々と聞かれるのも面倒だ。


「そうですね。

少しおなかが空いたので、何か摘まんできます。」


そう言い残して馬車を下りた。


店の中の窓際の席に腰を下ろし、サンドイッチとジュースを頼む。

それらをいただきながら、何気なく外に目をやる。

すると通りの奥に、もう一つ停車場が有るのを見つけた。

あれはどこに行くんだろうなぁ。

そう思っていると、雨の音に混じり、馬の走る音が近づいてくる。

それから馬車の車輪の音も加わり、それが徐々に大きくなっていく。

やがて窓の外を、凄い勢いで二頭立ての馬車が通り過ぎて行った。

その馬車には見覚えのある紋が……。


「おじさま、約束を破りましたね。」


私は深くため息をついた。


きっとおじ様達は、店の横に入れた旅客用の馬車には気が付かなかったのだろう。

あの馬車がここを通ると言う事は、

おじ様は私がキルラルに向かったと思い込んでいる筈だ。

でも、この先も危ない可能性が有るわね…。

さて、これからどうしよう。

とにかくキルラルに向かったという事実が欲しかったから

この馬車に乗ったのだ。

この先の乗り継ぎの停車場で、キルラル行きには乗らず、

北のゴート行きに乗り、経由してグレゴリーに向かうつもりだったんだけど……。


「いっその事、あの停車場からの馬車に乗って

まずはここを離れた方がいいかも。」


そう思った私は席を立ち、御者のおじさんのいる馬房に向かった。

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