親指姫~Micro and Macro~
1835年に発表されたハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話集第二集に『いたずらっ子』、『旅の道連れ』と共に収録された。『みにくいアヒルの子』などと同じく、アンデルセンの故郷、オーデンセの田園風景を背景に書かれている。
遠い昔、一人の女の人がいた。その女の人は愛らしい子どもを授かりたいと思っていた。けれども、願いはいっこうに叶わなかった。たとえ大きな声で叫んでも、心から強く願っても、叶わなかった。日々を過ごすうち、ついにいてもたってもいられなくなって、魔法使いのおばあさんのところへ行った。
女の人は言った。
「愛らしい子どもがほしいのです。どうしてもほしいのですが、どうにもならないのです。どうすれば子どもが出来るのですか」
すると、魔法使いのおばあさんは答える。
「ふぉっ、ふぉ。そんなことはたやすいことよ。ごらんあれ、ここに一粒の大麦がある。これをそんじょそこらの大麦と思いなさんな。畑に蒔く麦や、ニワトリに食べさせる麦とは別物じゃ。特別な大麦だよ。これをな、植木鉢の中に植えるのじゃ。すると、何かが起こるはずじゃよ。ふぉっ、ふぉ」
それを聞いて女の人は、
「その大麦をわたしにください」
と依頼した。
「しかし、これは銀貨十枚ないと渡せんよ。それでもよいのかな?」
と、魔法使いのおばあさんが尋ねると、女の人はこくりとうなずいた。おばあさんは大麦を女の人の手の中に握らせた。
「ありがとうございます」
と、女の人はお礼を言って、魔法使いのおばあさんに銀貨を十枚渡した。
女の人は家に急いで帰った。帰るなり早速植木鉢を出してきて、中に麦を植えた。女の人はじっと植木鉢を見つめて、何が起こるか待っていた。
「一体どうなるのかしら」
と女の人が考えていると、驚いたことに土の中がもぞもぞ動いていた。
しばらくすると、芽が土の中から伸びてきた。にょきにょき伸びて、次第に葉をつけた。まるでチューリップのようだった。それからもどんどん育っていって、あっという間に大きなつぼみをつけた。血のように真っ赤な赤色のつぼみだった。しかし、つぼみができると急に静かになった。ずっとつぼみは閉じられたままだった。
女の人はその後もじっと見つづけていたが、なかなか花が咲かないのに気づくと、ため息をついた。
「それにしても、綺麗なお花ね」
と、女の人は言って、赤い花びらにキスをした。
花びらはきらきら輝いていた。女の人が何度も何度もキスをすると、ぱっと花が咲いた。本当にチューリップが咲いたのだ。しかし、やはり普通のチューリップだった。
女の人はチューリップを見て首をかしげていると、花の真ん中に人がいることに気がついた。つやつやした緑色のおしべに囲まれて、とても小さな女の子が可愛らしく座っていた。女の子は親指半分の大きさしかなかった。あまりにも小さいので、女の子は『親指姫』と呼ばれることになった。
親指姫は女の人にゆりかごを手に入れた。綺麗に磨かれたクルミの殻の上に、スミレの花びらをシーツ、薔薇の花びらを敷布団にした綺麗なゆりかごだ。月が出ている間にはそこで寝て、太陽が出ている間はテーブルの上で遊んでいた。テーブルの上に、女の人が用意してくれたお皿があった。水がいっぱい入っていて、皿の淵をお花の環で飾ってあった。お花の茎は、水にひたしてあった。
お皿の中では、親指姫は大きなチューリップの花びらがボート代わりだ。白鳥の毛で作ったオールを二本使って、花のボートをこいでいた。左右にゆらゆら揺れて、ボートの上から見える景色はとても心地よいものだった。また、こんな小さい親指姫でも得意なことがある。この世の誰にも負けないくらい上手に、甘くやさしく歌えるのだ。
「暗くて深い 闇の向こうに」
「一人さびしく たたずんでいた」
「だけどもう 怖がらないで」
「それは迷いを 断ち切ったしるし」
「春風に向かって 旅立っていく」
「さあ 夢の扉を開こう」
「輝く未来に向かって 放つよ私だけのメロディ」
「愛を守るため みんなを守るために」
「きらめく世界に奏でる 私とあなたのハーモニー」
「あなたのそばにいる それがプリンセスなんだから」
「砂漠の街に 住んでいても」
「氷で覆われた 場所にいても」
「心はいつだって 一つだから」
「それは つながっているしるし」
「桜が舞う空 勇気を出して」
「さあ 一歩前へと踏み出そう」
「輝く今へと響く みんながつなぐメロディ」
「世界を守るため 宇宙を守るために」
「きらめく夢を目指して 一つになったハーモニー」
「みんなのためにいる それがプリンセスなんだから」
「人はみんなときめいている」
「だから ずっと忘れないで」
「心の輝きを信じて」
「輝く未来に向かって 放つよ私だけのメロディ」
「愛を守るため みんなを守るために」
「きらめく世界に奏でる 私とあなたのハーモニー」
「あなたのそばにいる」
「みんなのためにいる」
「それがプリンセスなんだから」
ある夜のこと。親指姫が可愛いベッドの上でぐっすり眠っていると、大きなヒキガエルが一匹、部屋の中に入ってきた。醜く、じめじめしたヒキガエルだ。割れた窓ガラスのすきまから忍び込んだ。ヒキガエルは床の上をピョンピョンはね、テーブルへ向かって飛び上がった。着地したところは、薔薇の布団で寝ていた親指姫のすぐそばだった。
「可愛い子。息子のお嫁さんにちょうどいい」
と、ヒキガエルは言って、親指姫が眠ったままのクルミの殻を持ちあげた。そのままヒキガエルは窓から庭に飛び下りて、家から離れていった。
浅い小川の岸に、沼になっているところがあった。そこにヒキガエルは息子といっしょに住んでいた。息子ガエルは母ガエルよりもっと醜くて、綺麗なベッドに眠っている親指姫を見ても、
「ゲーコ、ゲーコ、ゲーコ」
と鳴くだけだった。
それを聞いた母ガエルは、
「大きな声を出さないで、起きてしまう」
と息子ガエルを注意した。
「起きれば、この子は白鳥の綿毛みたいに軽いから、うっかりするとふわふわと逃げてしまうのだ。小川にハスの葉があった。その上に乗せる。軽いし、小さいからあの子にとっては島みたいなもの。もう逃げられない。そうやって動けないようにしておいて、私たちは急いで部屋をこしらえなくちゃ。あんたたち二人が結婚生活を送る、特別な部屋を」
小川の底からたくさんのハスが生えていた。分厚い緑の葉が水面近くについていたので、水面に浮かんでいるように見えた。いちばん遠いところにある葉が、一番大きいはっぱでした。母ガエルがクルミの殻を持ってそこへ泳いでいった。クルミの殻の中で親指姫はまだ眠ったままだった。
朝早く、親指姫は目を覚まして、自分がどこにいるか気づくと、わんわんと激しく泣きだした。家で寝ていたと思っていたのに、小川に浮いた大きな緑の葉の上にいたのだから。どこを見てもまわりは水ばかりで、どうやってここにいるのかわからなかった。
一方、母ガエルは沼地の中にいた。部屋の中をアシと黄色いスイレンの花で飾るのにてんてこまいだった。
「準備をする」
新しい娘となる女の子のために、部屋を綺麗にしておきたいのだ。母ガエルは飾り終えると、醜い息子を連れて、葉の上に一人でいるかわいそうな親指姫のもとへ泳いでいった。親指姫の綺麗なベッドを取って来て、新しい花嫁に用意された寝室に置くためだ。母ガエルは水の上の親指姫にお辞儀して言った。
「こいつが私の息子。あんたのお婿になるのだ。この小川の沼地で幸せに暮らすのだ」
「ゲーコ、ゲーコ、ゲーコ」
とだけしか、息子ガエルは言えない。仕方がないので母ガエルは綺麗なベッドを持ち上げて、そのまま泳いでいってしまった。親指姫はまた一人ぼっちになった。緑の葉の上に座ってしくしく泣いた。あのヒキガエルと醜い息子ガエルのお婿さんといっしょに住むなんて、考えるだけで我慢ならない。その一部始終をメダカたちが水の中で泳ぎながら聞いていた。メダカたちは親指姫を見てみようと水面に頭を出した。見た途端、美しさに心を打たれてしまいました。こんな子がみにくいヒキガエルたちと暮らすなんてあんまりだ、とメダカたちは思った。
「だめだ。そんなことをさせてなるものか!」
メダカたちは葉の茎のまわりに集まった。上には、親指姫が座っている。みんな一斉に根元をガリガリかじった。ずっとガリガリかじり続けていると……ついに、メダカたちは茎をかみ切ったのだった。葉はフワッと水面に落ちて、川を流れていく。親指姫はどんどん岸から遠ざかっていった。
ゆらゆら揺られて、親指姫はいくつもの場所を通りすぎた。林の中にいた小鳥たちは親指姫を見て、
「なんてかわいいお嬢さんだ。」
と、さえずった。親指姫は、葉に乗ってどんどん流されていき、ついによその国へ来てしまった。
そこへ綺麗なアゲハチョウが一羽現れて、ひらひらひらひら親指姫のまわりを仕切りに飛んだ。しばらく飛び続けたあと、葉の上に止まった。親指姫とアゲハチョウはいっしょに川を流れていった。もうヒキガエルに捕まる心配はない。見えるのはいい景色だけだった。親指姫はだんだん楽しくなってきた。
水面が日光にてらされて、黄金色にきらきら輝いていた。親指姫は腰につけている赤いリボンを取り外して、端をアゲハチョウにぐるぐる巻きつけて、もう一方の端を葉にしっかり結びつけた。葉は今までと比べものにならないほど速く、水面をスーッと走り出した。乗っていた親指姫もいっしょに流されていった。
やがて、大きなコガネムシが飛んできた。コガネムシは親指姫を見つけるや否や、前足で細い腰をぐっとつかみ、木の上まで連れていってしまった。緑の葉はアゲハチョウと小川を下っていった。アゲハチョウはしっかりと結ばれていたので逃げられなかったのだ。
親指姫はコガネムシにさらわれて、とても怖かったことだろう。でも、それよりも謝りたい気持ちでいっぱいだった。葉に綺麗なアゲハチョウをくくりつけてしまったからだ。自分でリボンを外せなければ、きっと空腹で死んでしまうに違いない。コガネムシはそんな気持ちをお構いなしに、親指姫を木の中でいちばん大きな葉の上に乗せた。花のミツを取ってきて、食べさせてくれた。
「可愛いなあ、可愛いなあ。コガネムシには見えないけれど、可愛いなあ」
と、コガネムシは言った。
しばらくすると、木にいるコガネムシがみんなやってきました。しかし、いっせいに触角をピンと立てて、口々にこう言った。
「この子、足が二本しかないなあ! すげぇ変だなあ」
「触角がないなあ」
「身体が細すぎるなあ。へぇ! 人間みたいだなあ」
コガネムシの奥さんは、
「ふん! この子ブスだなあ。」
と、口を揃えて言う。でも、誰が何と言おうと、親指姫はとても可愛いのだ。親指姫をさらってきたコガネムシだって、今の今までそう思っていた。なのに、あまりにもみんなが醜い醜いとはやし立てたので、このコガネムシまで親指姫が醜いと思ってしまった。コガネムシはどうしようもなくなって、
「おまえなんかどこへでも勝手に行っちゃえばいいのだなあ」
と、言った。親指姫をつまんで木から飛び降りると、ヒナギクの花の上にちょこんと乗せて帰ってしまった。親指姫はめそめそ泣いていた。コガネムシとお友達になれないほど、自分は醜いのかと思った。涙が止まらなかった。でも、親指姫は薔薇の花びらのようにおしとやかで優しく、この世の中でいちばん愛らしい人間なのだ。
かわいそうに、親指姫は夏の間、ずっと一人ぼっちだった。広い森の中、一人ぼっちだった。大きなスカンポの葉の下に、草の茎でベッドをこしらえて、雨露をしのいでいた。親指姫は食べ物のかわりに花のミツを吸い、毎朝葉から落ちるしずくで喉をうるおしていた。こんな毎日がすぎていき、夏も秋も終わってしまい、ついに冬がやってきた。長く、つらく、寒い冬。甘くさえずっていた鳥たちもみんな暖かい国へと飛び去り、木も枯れ、花もしおれてしまった。今まで住んでいた大きなクローバーの葉さえも、くるくると丸まって、かさかさにしなびて、黄色くしおれた茎だけしか残らなかった。親指姫の服も穴が空いてぼろぼろになっていた。寒くて、がたがたと震えた。なんといっても小さくてか弱いので、暑さや寒さにとても敏感なのだ。寒くて、凍え死にそうだった。ついに、雪までも降ってきた。ひらひらとゆっくり降っていた。でも、雪の欠片がひらひら降ってくるのは、小さな親指姫にとってはシャベル一杯分の雪を頭の上に落とされたと同じなのだ。なぜなら、私たちには背がそれなりにあるが、親指姫は背が親指くらいしかないからだ。親指姫は枯れた葉にくるまったが、真ん中にひびが入っていてすきまからぬくもりが逃げていく。寒さに震えていた。
話は打って変わって、親指姫が住んでいた森のそばに大きな麦畑が広がっていた。麦はとっくにかり取られていた。ただ、かさかさになった麦の切り株だけ、野さらしになって氷の張った地面に立っていたのだ。親指姫は麦の切り株の中を歩いた。でも、親指姫にとっては切り株も大きな森。通っていくのにも、大変な苦労をしなければならなかった。歩いている間も、寒くてどうしようもない。
やがて、親指姫は野ネズミの家の玄関を見つけた。切り株の下にある、小さな穴倉が野ネズミの家だった。ぽかぽかして、ゆったりとした穴倉に野ネズミは住んでいた。穴倉には、麦がいっぱい詰まっている部屋と、台所、それと綺麗な食事部屋があった。親指姫はやっとのことでたどり着いたドアの前に立った。
「失礼します」
立って、ものごいの少女のように、
「麦を一粒だけでいいですからくださいませんか」
と頼んだ。なぜなら、二日間食べ物を一つも口にしていなかったからだ。
野ネズミは穴から顔を出し、親指姫を見ると、
「こりゃあ、不憫な娘さんじゃ」
と言った。この野ネズミは人のいいおばあさんネズミだった。
「さぁ、ぬくとい部屋にお上がりよ。ごはんをいっしょに食べましょう。」
野ネズミは親指姫が突然来たにもかかわらず、とても喜んだ。そして、こう言った。
「よかったら、この冬が終わるまでここにいなさいな。大歓迎よ。その間、ただ私の部屋を綺麗に整理整頓して、お掃除してくれるだけでいいのじゃよ。あと、お話を私に聞かせてくれんかね。わたしは人の話を聞くのが大好きなのじゃ」
親指姫は恩返しのつもりで、野ネズミからたのまれたことは何でもこなした。そして親指姫は、楽しい毎日を送っていった。
ある日、野ネズミは、
「近いうちにお客さまがいらっしゃるよ」
と言った。
「ご近所さんがね、週一回ここを尋ねてくるのじゃよ。その人、わたしよりお金持ちでね。大きな部屋がいくつもあってね、艶があって綺麗な黒いコートを着ているのじゃよ。お前さんにあの人みたいなお婿さんがいれば、きっと何不自由なく暮らせることでしょうねぇ。でも、あの人、目が見えないから、お前さんの知っているとびきりのお話を一つ二つしてやんなさい」
とはいっても、親指姫はご近所さんに気なんてなかった。というのも、その人はモグラだったからだ。でもやっぱり、モグラはつやつやのコートをめかしこんでやってきた。野ネズミの説明では、モグラは大金持ちでそれに物知りで、家は野ネズミの家の二十倍もあるそうだ。
モグラがお金持ちで物知りなのは間違いない。しかしながら、口を開けば、
「太陽はばかばかしい」
だの、
「花なんて可愛くない」
だの。一度も見たことがないから、モグラはそう言う。親指姫はモグラのたのみで歌を歌った。
「てんとう虫、てんとう虫、家までまっしぐら。」
とか、他にも可愛い歌をいっぱい歌った。モグラは親指姫にいっぺんに好きになってしまった。その甘い歌声にやられてしまったのだ。でも、モグラはそのことを慎重にだまっていた。
つい最近、モグラは野ネズミの家とモグラの家をつなぐ通路を掘って作っていた。そこでモグラは言った。
「親指姫、この通路、好きなときにいつでも通ってよろしい。ただし、通路に鳥の死骸が転がっている。見ても、怖がらないでくれたまえ」
くちばしも羽根もちゃんとついた鳥が、通路に本当に転がっていました。死んでからそう経っていないようだった。
モグラは口にくさった木を加えた。木は真っ暗闇の中で火みたいにぴかぴか光る。真っ暗の通路の先を明るくするため、モグラは二人の前に進みだした。死んだ鳥が横たわっている地点に来たとき、モグラは頭の上の土を鼻で押して、大きな穴を作った。太陽の光が通路の中に差しこんでくる。道の真ん中にツバメが倒れていた。足と頭を隠すように美しい翼をわきに引き寄せている。かわいそうに、ツバメは凍え死んでしまったようだ。親指姫は小さな鳥を見て、悲しさと愛らしさが溢れてきた。このツバメは夏の間ずっと歌い続けて、親指姫のために素敵にさえずっていた。しかしモグラは足でツバメを脇に押しやって、言った。
「もうこいつは一言も歌わないだろうよ。この小鳥、なんてみじめなつきの下にお生まれになったのだろうね! 僕の子どもが鳥でなくて本当によかったよ。あいつらは鳴くことしかのうがないのだからね。
『キーヴィ、キーヴィ』
ってさ。その挙句、冬には空腹で死んでしまうのだ」
「まぁ、お前さんうまいことをおっしゃるわい。流石、賢いモグラさまじゃ!」
と、野ネズミは大きな声を出して言った。
「さえずったりしても、いったい何になるというのかねぇ。どうせ冬になれば空腹か、寒さで死んでしまうというのに。いくら育ちがよくてもねぇ」
親指姫は何も言わなかった。でも、二人がツバメに背を向けて引き返していった後、そのまま残ってしゃがんだ。頭に覆いかぶさっているやわらかい羽をそっとのけて、閉じられた瞼にキスをした。
「もしかして、あなたは夏の間わたしに歌ってくれた鳥さんじゃありませんか?」
と、言った。
「わたしをとっても楽しませてくれた、大切ないとしい鳥さん。」
モグラは立ちどまって、太陽の光が入ってくる穴を塞いだ。そして野ネズミの家まで二人を送った。その夜、親指姫はまったく眠れなかった。親指姫はベッドから下りて、大きくきれいに干し草の毛布を編んだ。親指姫は毛布を死んだ鳥のところへ運んだ。ツバメの上におおい広げて、野ネズミの部屋からみつくろった花をいくつかそばに添えた。毛布はふわふわで、ツバメが冷たい地面で寒くならないように脇の下にも敷いた。
「さようなら、かわいい小鳥さん。」
と、親指姫は言いった。
「さようなら。夏の間、木がみんな緑づいたときも、暑い日ざしが照っていたときも、楽しく歌ってくれてありがとう」
親指姫は頭をツバメの胸の上に寄せた。そのとき、ツバメの身体の中から、何かへんな音が聞こえて、一瞬不安になった。
「ドクン、ドクン。」
この響きは、ツバメの心臓の音だった。本当は死んでなどいなかった。寒さのために死んだようになっていただけで、ぬくもりが命を吹き返させたのだ。秋になると、ツバメはみんな比較的暖かい南の方へ旅立っていく。でも、もし何かの拍子で一羽がぐずぐずしていて、冬になってしまったらどうするのか。寒さでカチンコチンに凍ってしまって、あたかも死んだようになってしまって、地面に落ちていってしまう。その上から冷たい雪が覆い隠してしまって……
親指姫は怖くて震えた。たった親指くらいの親指姫に比べて、ツバメは比べものにならないほど大きかった。親指姫は勇気を振り絞って、分厚くふわふわの毛布をかわいそうなツバメの上にかけた。それから自分がベッドカバーとして使っているペパーミントの葉を取って来て、ツバメの頭にかぶせた。
翌朝、親指姫はツバメを見ようともう一度こっそり抜け出した。ツバメは生きていましたが、とても弱っていた。親指姫を見ようと、しばらく目を開けるのがやっとだ。ツバメの目の中には、腐った木片を手の中に握り締めている親指姫がいる。手下げランプがなかったので、青く光る木を持ってきた。
「ありがとう、可愛いお嬢さん。」
と、病気のツバメは言った。
「ちょうどいい暖かさだったよ。すぐに力がみなぎってきた。もういちど暖かい日ざしのなかで飛べるよ。」
「まぁ、外は今も寒いわ。吹雪よ。このまま暖かいベッドの中にいてください。わたしがあなたをお世話しますから。」
と、親指姫は言った。
それから親指姫は花びらに水を入れて、ツバメのところへ持っていった。ツバメは水を飲むと、話を始めた。
「僕の翼の片方は、あの事故がきっかけで、トゲで傷ついているよ。だから、みんなのように早く飛ぶことが出来なくなった。みんなみたいに暖かい南の国へ旅立てない。それからついに地面に落ちて、それから後は覚えていない。どうやって君が見つけてくれた場所に来てしまったかも」
冬の間ずっとツバメは通路の中にとどまっていた。親指姫はせいいっぱい世話をするうちに、ツバメが好きになってしまった。しかし、モグラも野ネズミもこのことは何も知らない。というのも、二人はツバメが気に食わなかったから、気づきもしなかった。
あっという間に春がやってきて、太陽が湿っていた地面をぽかぽかさせた。ツバメは親指姫にお別れのあいさつをした。親指姫はモグラが前に作った天井の穴を開けた。お日さまは二人の頭上にさんさんと照っていた。
ツバメは親指姫に、
「僕といっしょに行きませんか?」
と聞いた。
「君の大きさなら、僕の背中に乗れますよ。僕といっしょに、遠くの『緑の森』へ行きましょう」
でも、親指姫は行ってしまって野ネズミを一人きりにすれば、とっても悲しむにちがいない、とわかっていた。だから親指姫はこう言った。
「ごめんなさい、遠慮しておきます。」
「ごきげんよう、そしてさようなら。君はほんとに優しく可愛いお嬢さんだ」
と、ツバメは言った。そして太陽の光の中へ旅立っていった。
ツバメを見送る親指姫の目には、涙が浮かんでいった。親指姫はあのかわいそうなツバメが大好きだった。
「キーヴィ、キーヴィ。」
と、ツバメは歌いながら、『緑の森』へ向かって飛び立っていった。
親指姫はとても悲しんだ。暖かい太陽の下に出ることは、許されなかった。畑に蒔かれた種麦は、空に向かって高く伸びていき、ついには野ネズミの家の屋根を越えた。親指くらいの背しかない親指姫には、大きく深い森だった。
「親指姫、お前さん結婚するのじゃよ。」
と、野ネズミは言った。
「おとなりさんがね、お前さんが必要である。なんて運がいいのじゃ。何もないお前さんが、一日で大金持ちになるのじゃから。今ね、お前さんのウェディングドレスを用意しているのじゃ。それに毛糸と、リンネルのたんものを作らんとね。モグラの花嫁になる前に、必要な物はみんな用意するのじゃよ」
親指姫は糸車を回して、糸を紡がなければならなかった。野ネズミは働き者のクモを四ひきやとって、昼夜を問わず布を織らせた。毎晩モグラは親指姫を尋ねてきた。夏も終わりに差し掛かると、仕切りに日取りのことを口に出した。もうそのときに、モグラは親指姫と結婚式を挙げると心に決めていたのだ。
「今年の夏は、日ざしが燃えるように強い。そのせいで地面が石みたいにカチコチになっている。けれども、夏が終わって、地面がカチコチでなくなったら、わたしたちで結婚式を挙げるのですよ」
しかし、親指姫はちっとも嬉しくない。というのも、あのやっかいなモグラが好きでなかったからだ。
毎朝太陽が東の空から昇るころ、毎晩太陽が西の空へと沈むころ、親指姫は戸口からそっと外へ抜け出す。すると、いつも風が吹いて、麦の穂がばさっと横に倒れて、そのすきまから青空が見える。
『外の世界って、とっても綺麗で、なんて晴れ晴れしているのでしょう』
と、親指姫は思った。
『大好きなツバメさんにもう一度会いたいのです』
親指姫は強く願った。でも、ツバメは二度と帰ってこない。素敵な『緑の森』へ飛んでいってしまったのだから。
秋がやってきて、親指姫のよめいり道具一式はみんな整っていた。そして野ネズミは親指姫に言った。
「三か月たったら結婚式を挙げるわよ」
親指姫はひっきりなしにしくしく泣いた。
「モグラさんとは、気が合わないの。だから、結婚したくありません」
と、言った。
「馬鹿なことを言うじゃないの」
と、野ネズミは返事をした。
「今はいこじになっちゃだめじゃ。さもないとこの白い歯でかみつくよ。あんなイイ男こそここにしかいないじゃ。女王さまだってあんな綺麗でぴかぴかの服とか、毛皮は着ないのじゃよ。台所も貯蔵室も食べものでいっぱいで、こんな運命のめぐり合わせに感謝すべきじゃよ」
いよいよ結婚式の日取りが決まった。その当日に、モグラは親指姫を地中深くに連れていくつもりだった。いっしょに暮らすためなのだが、親指姫は嫌だった。暖かい太陽がもう見られなくなるからだ。美しい太陽に別れを告げなければならない。それを考えると、悲しくて仕方がない。今まで、野ネズミは戸口に立ってお日さまを仰ぐことだけは許していた。親指姫は最後の一回、と太陽を見に行った。
「さようなら、明るい太陽。」
と、親指姫は声を張りあげ、お日さまへ腕をぴしっとまっすぐ伸ばした。それから野ネズミの家の周りを少し歩いてみた。というのも、もう麦は刈り取られていて、残っているのはひからびた切り株だけだったからだ。
「さようなら、さようなら」
と、親指姫は何度も繰り返した。そして近くに生えている小さな赤い花を抱きしめた。
「もしあのツバメさんに出会ったら、あなたからよろしく言ってね」
「キーヴィ、キーヴィ」
突然上の方から声が聞こえた。親指姫は空を仰いだ。すると、手の届きそうなところにそのツバメが飛んでいる。ツバメは親指姫を見つけると、すぐに喜んで地面に降り立った。それから親指姫はツバメにこれまでのいきさつを話した。
「質の悪いモグラと結婚するはめになって、地下深くに暮らすことになったので、これからは明るい太陽が見ることができず、肩を落としている」
ということを。しゃべり続けていると、親指姫はいっそうしくしく泣いている。
「寒い冬がもうそこまで迫っている」
と、ツバメは言った。
「そして僕は南の国へと旅立たなきゃいけない。僕といっしょに行きますか? 背中に乗ってください。そして腰のリボンで自分をしっかり結びつけてください。そうしたら、僕らはモグラからも、どんよりとした部屋からも飛び出すことができる。――飛びだして、山を越えて、あたたかい南の国へ、太陽がさんさんと、さんさんと照り輝く場所へ飛んでいくことができる。こことは比べものにならないよ。そこはいつも夏のようで、花たちはとても優雅に咲き乱れているのです。僕と飛んでいこう、親指姫。君は僕の命を救ってくれたのだから。あの暗い通路で凍え死んでいた僕を」
「――ええ、わたし、あなたといっしょに行きます」
と、親指姫は言った。そして鳥の背中に座って、空いっぱいに広げた翼の上に足をかけて、そして一番丈夫な羽の一つに腰のリボンをくくりつけた。
ツバメは大空へと天高く舞い上がった。緑の森を越え、青い海を越え、万年雪に覆われた山脈を越え、飛んでいった。空気は冷たく、凍えそうだった。親指姫は鳥の暖かい羽毛の中に潜り込んで、頭だけ羽の中から出した。そうして、通りすぎていく美しい国々に驚き、感動した。
こうして、やっと暖かい国にたどりついた。そこでは太陽が明るくほがらかに輝いて、空はどこまでも透き通って見えた。細い道のそばに森があって、紫、緑、白のブドウや、レモンやオレンジ、リンゴや桃なども森の木々からぶら下がっていた。ミルテやペパーミントのかぐわしい香りも漂ってくる。森の間の小道では、とても楽しそうに子どもたちが走り、大きく煌びやかなチョウチョ一羽とじゃれあっていた。ツバメがますます遠くに飛んでいくにつれて、どの場所も尚更素敵に思えるのだ。
ようやく二人は青い湖のところへやってきた。ほとりには青々とした木々が立っていて、湖に影を落としていた。そこに、宮殿があった。遠い昔に建てられて、目が眩むほど真っ白な大理石でできていた。房のついたブドウのツルが、宮殿の長い柱にからみついていた。その頂上にたくさんのツバメの巣があった。その中に、親指姫を連れてきたツバメの家がある。
「これが僕の家だよ」
と、ツバメは言った。
「でも、君に住んでもらうために作ったものじゃないから、あんまりくつろげないかな。あそこに素敵な花がいっぱいあるでしょう。あの中から一つ選んでくれませんか。その上に下ろしてあげるよ。僕は君が幸せになるためなら、どんなことだって惜しまないよ」
「とっても、嬉しいわ」
と、親指姫は言った。嬉しくて、思わず手を合わせた。
地面に、大理石の柱が三つに折れて倒れていた。もともとは一本だったが、崩れて倒れるときにポッキリと折れてしまったのだ。その三本の柱の間に、何よりも美しい大きな白い花がいくつも咲いていた。ツバメは親指姫と下に下りていって、大きな花の上に乗せた。親指姫はとても驚いた。花の真ん中に、小さな人がいたからだ。その人は、水晶みたいに白く透き通っていた。頭の上に金の冠をかぶって、背中に優雅な翼がついていた。そして、親指姫と同じくらいの背の高さだった。実は、その人は花の妖精だった。どんな花にも、そういう男の人と女の人が二人住んでいるのだ。その中の王様が、この人なのだ。
「まぁ、なんとお美しい方!」
と、親指姫はツバメに小声でささやいた。
その青いバラの妖精である小さな王子さまははじめ、巨人のように大きい鳥を見て、ひどくおびえていた。王子さまもそれだけ小さな人間なのだ。
「彼女を見ると、心が落ち着く」
でも、王子さまは親指姫を見ると、とても喜んだ。こんなに綺麗な女の子は今まで見たことがない、と思った。王子さまは金の冠を外して、親指姫の頭にかぶせた。そして王子さまは、名前を聞いたあと、こう言った。
「どうか私のお嫁さんになってくれませんか。すべての花の、プリンセスとなってくれませんか」
息子ガエルや、ふわふわでぴかぴかの黒服を着ているモグラをお婿さんにするのとは比べものにはならない、重みのある言葉だった。親指姫は、
「はい」
とかっこいい王子さまに言った。
すると、すべての花がぱっと咲いて、妖精たちが小さなサクラの精である女王とひまわりの妖精である王様のところへやって来た。みんな綺麗で、二人を見てにこやかに笑った。みんな親指姫に贈り物を持ってきていた。その中で一番の贈り物は、一組の美しい翼だった。大きく白いハエの翼で、親指姫の背中にぴったりとくっつけてくれた。これで花から花へと飛び移れるようになったのだ。そのあと、お祝いがあった。あのツバメがお祝いの歌を頼まれて、もちろん引き受けた。ツバメは二人の頭の上の巣の中で、じっと動かずにウェディングソングを歌った。自分のできる精一杯の花むけだと思って歌った。ツバメはとても悲しいけれど、それを隠して歌った。心の中では親指姫を愛していたのだ。親指姫と別れたくないのだ。
「これからは親指姫なんて名前で呼んではいけないわ。」
と、花の妖精が言った。
「変な名前よ。あなたはとっても可愛いのだから、アロマと呼びましょう。」
「ありがとう」
「アロマ、これからもよろしく」
ツバメは、
「さようなら、さようなら」
と言った。暖かい南の国から富山へ向かうため、ツバメはその場を去らなければならないのだ。暖かい国を飛び立ち、北へ北へと飛んでいくにつれて、とてもさみしくなっていった。ツバメは富山にも巣を持っていた。ある家のサッシの窓の上に巣はあった。その家には、小説家を志す若者が住んでいた。ツバメは巣の中で、
「キーヴィ、キーヴィ」
と、歌った。それは親指姫が生まれて、幸せになるまでのお話の歌だった。
「親指姫は今頃、どうしているのだろうか?いつか彼女に会ってみたい」
これを聞いた若者は、そう呟きながらペンを走らせていた。