表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/14

第8話 人形遣いは騎士となる

 偽の大使の死体は兵士に手足を持ち上げられ、きびきびと手際よく運び出されていった。

 フォクセルは自分から英雄と名乗ったものの、これから何をしたものかはさっぱり思い浮かばなかった。

 ただ、これで騎士にしてもらえればラスカの望み通りになるだろう。

 これでもう、ラスカに怒られずにすむ。

 そう考えながら、赤い絨毯の上で立ち尽くしていたとき、薄暗い天幕の中から皇帝の柔らかな声が聞こえた。


「お前が救国の英雄と申すか」

「お待ちください、陛下」


 皇帝の話を遮ったのは、他でもないムーシュだった。

 どぎつい化粧の下でもわかるくらい青ざめた顔をして、薄い布越しに話しかける。


「これは何かの間違いです!

 我らが道化の中にそんな者が紛れ込むはずがございませぬ!」


 ほう、とため息に似た返事が布越しに聞こえた。


「ムーシュ、お前も知っておるだろう。

 カサンに代々伝わる話を。

 『神に選ばれし者の手に、神の印が浮き出る。

 その者を白騎士と呼べ』という言い伝えがある。

 人形使い、そなたの手を見せよ」


 フォクセルは皮が剥け、血に汚れた手をごしごしと痛いほどこすってから、祈りの言葉をもごもごと唱えた。

 しかし、擦り傷を追った場所がかさぶたになってしまった手には、神の印など全く浮かばない。

 仕方がないので、彼はひざまずいて謝った。


「……すみません、浮かびません。手のひらを怪我してしまって……」

「なんだ、じゃあお前は英雄じゃないな」


 ムーシュが簡単にそう言い、フォクセルの手を乱暴に引っ張って自分の後ろへ回るように指示した。

 そして、コブのついた背中をいっそう丸めて皇帝に告げた。


「陛下、この者は愚かゆえ、自分を英雄と勘違いをしてしまったのです。

 バカとなんとかは紙一重と申しますからな。

 大使の挙動がおかしかったので、偽者だと気づいたのでしょう。

 この度の無作法、ひらにお許しを」


 入り口を守っていた衛兵が、ムーシュの肩に手を置いてなだめた。


「まあまあ、ムーシュ殿。

 なにはともあれ、陛下のお命を救ったのは確かですぞ」


 他の賓客や兵士もがざわつきはじめ、場内は騒然としている。

 この機を逃しては、またラスカに怒られてしまう。

 そう感じたフォクセルは、ごくりと唾を飲み込んで声をあげた。


「待ってください! 僕は英雄です!

 皇帝陛下に騎士として認められなければならないのです!」

「黙ってろ!」


 ムーシュは歯をむき出して威嚇するように唸り声をあげた。


「待って!」


 あどけない声が響き、兵たちやムーシュは驚いて声のする方を見た。

 あの惨劇にも関わらず、エリューシア皇女が真剣な顔をしてこちらを向いていた。

 侍女たちが彼女を連れ出そうと抱き上げているのに、無理やり体を捻じ曲げて叫んでいる。


「フォクセルが騎士になるなんて嫌よ!

 あのお人形劇が見られなくなるなんて!」

「ほら、姫様もそう言っておられる!」


 こういう時だけ人形劇を肯定するように、ムーシュが力強く頷いた。

 フォクセルは困って頭をかき、人形のふりをして台座に座っているラスカを持ち上げた。


「……人形劇をする騎士では駄目ですか?」

「救国の英雄のお人形劇など、馬鹿馬鹿しくて見ちゃおれんわい。

 やはり、お前は道化に向いてる。

 ほら、皇帝にご無礼を謝れ」


 ムーシュが、フォクセルの肩をがっちりと掴み、頭を無理矢理頭を下げさせる。

 お騒がせを致しました、と皇帝に挨拶するなり、フォクセルは引きずられるようにして広間の外に連れ出された。






「どうしよう、どうしたらいい?」

「私に聞かれても……駄目だったわね、としか答えようがないわよ。

 完全にまぐれ当たりだと思われたわね」


 さすがに、今回はラスカも落ち込んでいるようだ。

 前回は英雄としてきちんと迎え入れられたのに、と言ったきり、ベッドの横の小さなテーブルに座って肩を落としている。

 フォクセルはムーシュに引っ立てられるようにして、自分の部屋に連れ戻されていた。

 ムーシュは彼の頭に一つ二つげんこつをくらわせた上、鍵までかけてどこかへ行ってしまった。

 水桶で手についた血をできるだけ落とし、落ち着いてきたフォクセルはさっきから疑問に思っていたことをラスカにぶつけた。


「ラスカ。どうやって使者の偽者を見破ったの?」


 ああ、と彼女は下を向きながら面倒臭そうに答えた。


「あの使者はそもそも、前回も殺されているのよ。

 皇帝を殺す機会をうかがっているうちに、兵に見破られ、殺されてしまうの。

 私はその役割をあなたの手でやっただけ。

 あなたがもうちょっと自信を持って答えたら、何か変わったかもしれないのに!」

「僕にはあれで精一杯だったよ……大体、ラスカのいうとおりにしたのに、誰も信じてくれないなんて。

 それに、初めて……」


 ラスカを責めてしまいそうな気がして、彼は言葉を飲み込んだ。

 自分の意思ではないが、初めて人を殺めてしまった。

 騎士物語では、敵を倒す場面は興奮して手に汗握るものだった。

 が、実際自分で体験してみると、白目をむいて血の泡を吹いて倒れた死者の気味悪さと、良心の痛みが先に立っていた。

 血の生暖かい感触がいつまでも消えないような気がして、フォクセルはもう一度手を水に浸してよく洗った。

 手に残った赤い傷跡は消えないのに、血は綺麗に落ちている。


「手の傷跡さえ消えれば、皆僕が英雄だと信じてくれるに違いないのに。

 ねえ、ラスカ。この手、いつ治るのかな?」


 フォクセルが濡れた両手をじっと見てそう言ったとき、乱暴なノックの音が聞こえた。

 続いて荒っぽいムーシュの声がする。


「おい、まさか人形と話をしているのか?」

「いいえ! 独り言です!」


 彼は叫ぶように返事をして、ラスカをポケットに入れると立ち上がって扉を開けた。

 ムーシュが、まだ派手派手しい舞台衣装のまま立っていた。

 苦虫を噛み潰したような顔をして彼が言う。


「小僧、あのナイフさばきはどこで習った」


 フォクセルは視線を迷わせながら答えた。


「ええと……無我夢中で」


 ムーシュが途端に肩を落とした。


「なんだ。一撃で仕留めたのも、たまたまか。

 では、そっちも鍛えねばならんわけだ。

 つくづく迷惑をかけるガキだな」

「あの、どうなっているんですか? 僕は……」

「内々に皇帝陛下の許可をいただいてきた。

 ついてこい。俺が騎士にしてやる」


 フォクセルは耳を疑った。

 さっきまで、あんなにもフォクセルの言うことに反対していたムーシュが、嫌そうな顔をしながらもそう言ったのだ。

 道化のムーシュにそんなことができるのかどうかは別として、フォクセルを『騎士』にすると。

 もしかして、皇帝を説得してくれたのだろうか。

 天にも登るような気持ちで、彼はいっぺんに色々尋ねようとしてもごもごした後、やっとこれだけを聞いた。


「……僕が英雄白騎士って信じてもらえたんですか!」


 ふん、と鼻を鳴らしてムーシュは扉から出るようにフォクセルを促した。


「信じてはおらんよ。

 だが、あの短いナイフで喉元を狙って成功する奴はほとんどいない。

 どうやらお前はそっちの才能がありそうだ、と皇帝陛下にお話ししたのさ」


 騎士の才能を認められたということだろうか。

 フォクセルは首を傾げながら、ムーシュに従って部屋を出た。

 芸の練習場になっている広い部屋には、誰もいない。

 いつもは誰かしら歌ったり踊ったりしている時間だが、今日は宴会やそれに続く惨劇があったせいか、がらんとしていた。

 ムーシュは無造作に壁に貼ったタペストリーを捲り上げる。

 その裏に、人がかがんで出入りするような扉が現れた。

 フォクセルは、目をばちくりさせてそれを眺めた。

 散々練習してきた場所なのに、秘密の扉のことなど今まで全然知らなかったからだ。

 ムーシュが鍵を取り出し、回して扉をキイ、と開ける。

 扉の中はランプが付いていたが、薄暗かった。

 フォクセルはムーシュの肩越しに扉の奥を覗き見た。

 底がないようにも思える渦巻き状の螺旋階段が、下まで続いている。

 ついてこい、と合図され、フォクセルはムーシュに従った。


「鍵を閉めておけ」


 振り向きざまに鍵を渡され、フォクセルは慌てて後ろの扉の鍵を閉め、またムーシュに鍵を渡そうとした。

 が、ムーシュは手でそれを遮った。


「お前のものだ。持っておくように」


 どこまで続いているのかさっぱりわからない螺旋階段を、フォクセルはムーシュの後ろをついて歩いていった。

 手すりなどなく、壁に手をつきながら螺旋状に組まれた石段を一つ一つ下りていく。

 何階まで下りたかわからなくなった頃、ムーシュがぶっきらぼうな口調で言った。


「我々はどこにでも入り込める存在だ。

 芸人は宴会に欠かせない。

 皇帝陛下はもちろん、高官や外国の王もいる場所に、我々はなんの疑いもかけられず入りこめる。

 だからこそ、信頼のおける人間しかお雇いにならない。

 我々は皇帝陛下の信頼に応えねばならぬ」


 それはこの数週間、耳にタコができるほど聞かされた話だったので、フォクセルは生返事をしながら頷いていた。しかし、いつもはここで終わるはずの説教はまだ続いた。


「だからこそ、信頼がおけそうな道化には裏の仕事も任される」

「……裏の仕事?」


 フォクセルは、不安に思って聞き返した。

 信頼がおけそうだと言ってもらえるのは嬉しいが、裏の仕事とはなんなのだろうか。

 騎士とは、剣を携えて格好いい鎧兜を被り、白馬に乗って戦に行く英雄のことではないのだろうか。


「言うなれば我々は『黒騎士』。

 誰からも気づかれることなく、誰からも認められることもない。

 ただ、陛下の手となり足となって働くことこそ、我らの誉りだ。

 皆にはもう話してある。では、改めて紹介しよう」


 そうムーシュが言ったとき、螺旋階段の終わりに小さな扉が現れた。

 またムーシュが鍵を取り出して回す。

 扉はいっぱいに開いた。


「あーら、いらっしゃーい」

「……お前が来るには、まだ数年はかかると思っていたがな」


 石造りの小さな部屋だった。窓はなく、簡素な椅子が四脚とテーブルがあるだけだ。

 その椅子には、吟遊詩人のベッキオと、力持ちのニコが座っていた。

 ベッキオは笑顔で手を振り、ニコはやはりしかめっ面で腕組みをしている。

 いつもの派手な格好ではなく、黒ずくめの服装だった。

 フォクセルがふらふらと部屋に入ると、ムーシュが背後で鍵を閉める気配がした。

 驚きで声が出ないフォクセルの前に立ち、ムーシュは今日初めて、上目遣いにニヤリと笑った。


「ようこそ、我らが黒騎士団へ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ