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第7話 道化と宴会の日々

 フォクセルは、さすがに馬車に続いて正門をくぐることはできなかった。

 裏門に回るように、と不機嫌そうな声で告げるなり、番兵がぴしゃりと門を閉じたからだ。

 またもや延々と続く塀を歩いて使用人の使う裏門に回ると、もちろんそちらにも門番がいた。

 そんな人物が来るという連絡は受けていないと言われ、心配になるほど待たされたが、やっと黒い服を着た召使いがのんびりと歩いてきて、裏門の番兵に小さな手紙を渡した。

 兵士は渋い顔をしながら、裏門の小さな鉄柵を開けて彼を中に押し込んだ。


 フォクセルはビクビクしながら、綺麗に舗装されたレンガの道を通って行った。

 城へ続く小道の中程に、三角帽を被った奇妙な男が立っていた。

 背中に大きなこぶがあり、腰が曲がっている。しかしふさふさした茶色い髭を見ると年寄りでもなさそうだ。

 ど派手な黄色と緑の太い縞模様の服を来ている。


「ふん、お前が新しい道化か」


 フォクセルとほとんど身長差のない小男は、すがめた目つきで隅々まで彼を検分した。


「道化というより、人形遣いなんですけど……」


 彼がおずおずとそう言うと、小男はもっと鋭い目つきになって馬鹿にしたように言った。


「人形劇など、もって数ヶ月で飽きられるだろう。

 道化として他の技も磨いておけ。

 私はムーシュ。

 この城の道化は、全て私が管理する。

 姫様付きとはいえ、お前も私の部下だからな」


 フォクセルは今更ながら、城に入れたとはいえ自分が英雄とはほど遠い立ち位置にいることを思い知らされた。

 ため息とともに、口から思わず本音が漏れた。


「道化かあ……」


 途端に、ムーシュは目を向いて怒りで顔を真っ赤にした。


「道化か、だと?

 お前は街道沿いでは中々の人形使いだという触れ込みだが、人形劇だけでなんとかなるとでも思っているのか?

 そういう輩が来ては消えていくのがこの城だ!

 我々は、皇帝陛下を楽しませ、笑わせ、そして時には愚者として諌めねばならんのだぞ!

 陛下がどんなに苦しまれているときであろうと、たとえ戦場のただ中であろうと、我々はどんな手を使ってでも、陛下の心を癒し、なごませなければならない。

 飽きられてはそれまでなのだ!

 涙をぬぐわれ、『おお、ムーシュ、そちはなんと面白いことを言うのだ』と、笑っておおせになるまで、我らは陛下を笑わせねばならぬ。

 それを肝に命じよ!」


 フォクセルは、ムーシュのあまりの勢いに圧倒されてしまった。

 ラスカを使った人形劇でどこまで楽しませることができるかなど、正直考えたことがなかった。

 できることがそれしかなかったから、そうやって日々を過ごして帝都にやって来ただけだ。

 そもそも、英雄として入るはずだった城内に道化として入ったことが間違いだったのか。

 この異様に高い要求にどうやって応えればいいのか、返事もできずに立ち尽くしているうちに、ムーシュの怒りも少しはおさまったようだ。

 髭をひねりながら、こほんと咳払いをした。


「それがどんなに大変なことか、お前にはまだ理解できまい。

 まあお前は皇女様のお付きだ。

 当分皇帝陛下には目通りなどできんだろう。

 それまでに、何か他の芸も考えておくように。

 では、部屋の割り当てやここでの生活を教えてやるから、ついてこい」


 ムーシュはすたすたと歩いていき、城の裏の小さな木の扉を開けて手招きした。

 フォクセルはほっとしたような、どことなく残念なような気分のまま、ムーシュについて城の中へと進んだ。






 皇帝の居城は恐ろしく広く、道化の部屋に入るにはたくさんの角を曲がらねばならなかった。

 ムーシュが案内してくれなければ、とっくに迷っているところだ。

 もう使用人用の玄関がどこにあるのかも定かでなくなってきたころ、ムーシュが石づくりの壁に整然と並ぶ扉の一つを叩き、開けた。

 ムーシュの影から、フォクセルは恐々中をのぞいた。

 装飾と言えるものはほとんどない、長椅子が数個並んだ、どこかがらんとした大部屋だ。

 そこで、数人の瞳がじっとこちらを見ていた。


「新入りだ」


 ムーシュは、短くそう言って部屋に入った。


「またぁ? まあ、今度は随分な子供だこと」


 長椅子の上に腰掛けていたお姉さんが、いやにねちっこい話し方で言った。

 浅黒く彫りの深い顔から見て、南部の生まれだろう。

 髪の毛は高く結い上げられていて段だら模様のドレスを着ている。

 長椅子の脇にはリュートがぞんざいに置かれていた。


「アタシはベッキオ、吟遊詩人よ。あなた、名前は?」

「……フォクセルです」


 ベッキオとは男の名のはずだ。

 どこか怪しいと思ってしまったことが露骨に顔に出たらしい。

 ベッキオが口を抑えてホホホと笑いだした。


「アタシ、とって食いやしないわよぅ」

「あのう……どっちなんですか、男か女か」


 フォクセルは真面目に質問したつもりだったが、後ろでムーシュすら吹き出し、他の道化仲間たちもいっせいにむせたり咳払いをしたりして笑いを堪えているのが聞こえた。


「そんなことレディに聞くもんじゃないわよぅ」


 ベッキオは変わらず笑いながら鷹揚に答えた。

 それに対して、部屋の隅にいる筋骨隆々とした大男から野次が飛ぶ。


「おい、そいつは男だぞ!」


 途端に野太い声でベッキオが叫ぶ。


「黙れニコ! ここは道化部屋よ、アタシ以上に変な奴は一杯いるでしょうが!」

「レディが言う台詞じゃねえよ!」

「なに言うのよ、この筋肉バカが……」


 そこから勢いよく喧嘩を始めた道化師たちを前に、フォクセルはどうしていいかわからず固まっていた。

 喧嘩を完全に無視したムーシュが、壁にいくつかある扉の一つを指差して言った。


「右端のドアがお前の部屋になる。せいぜい迷惑をかけずに過ごすんだぞ」

「あのう……ムーシュさんもここで寝起きするんですか?」

「いやいや、ムーシュ様は違う。皇帝陛下の隣の部屋だ。

 いつでも笑いと助言をお求めになれるようにな」


 口喧嘩の合間に、大男が陽気にウインクをしてフォクセルに言った。

 いかつい顔をしているが、根は優しそうな人のようだ。

 フォクセルはどこかほっとして、ボロ布に包んだ荷物を下ろした。

 が、大男の次の言葉で、フォクセルはまた不安にかられた。


「で、こいつはいつまで持つんだ?」

「姫様付きの予定だ。わからんが、姫が人形劇に飽きるまでだな」


 ムーシュが説明すると、ベッキオが口を尖らせた。


「人形劇ねえ……姫様はいつまで遊んでくれるかしらぁ」

「まあ、姫様はまだ子供だからな。

 リュートでも教えて鍛えてやってくれ。

 これから先、人形劇では続かんからな」


 ムーシュがピシリと言う。

 とんでもない場所にきてしまった––。

 フォクセルがそう思った時には、すでに遅かった。






 道化の生活は、決して悪くはなかった。

 寝る場所も保障されている上、食べ物は村での生活よりはるかによかった。

 それがたとえ、皇族の残飯だと知ってはいても、パンはほっぺたが落ちそうなくらい柔らかかったし、野ウサギや野鳥の肉がふんだんに使われたミートパイが出た時には、皆に「腹がはち切れるぞ」と言われるまで食べ続けた。

 仕事も、最初に脅されたほどではなかった。

 エリューシア姫様の命じるまま、談話室や中庭に参上し、ラスカを踊らせる。

 周りの貴婦人たちからも感嘆の声が漏れるのが心地よかったし、何よりフォクセル自身も心から演技を楽しめた。

 広場でする呼び込みも必要なく、エリューシア様が笑ったとき、真っ赤なほおにえくぼ浮かぶのも魅力的だったからだ。

 エリューシア姫も飽きっぽい性格ではなかったようで、何度も同じダンスをせがんでは心から楽しそうに観劇してくれるので、フォクセルは内心ほっとしていた。


 そのほかの時間、フォクセルは先輩の道化師達から色々な指南を受けなければならなかった。

 しかし、早々にわかったことだったが、道化の適性がないのは火を見るよりも明らかだった。

 ベッキオの語る騎士物語は彼も興味津々で聞いていたものの、語ってみろと言われると中々細部まで覚えきれない。

 おまけにリュートの演奏は上手下手以前の問題、とまで言われる始末だった。

 今まで音楽など、酔っ払いの歌しか聞いたことがないのだから当然だろう。

 ニコには火をふく技を教えてもらおうとしたが、まず酒を口に含み、ぷっと吐き出す時点で火をつける許可が出なかった。

 満遍なく、一気に全部霧にしなくちゃダメなんだよ、と言われたが、どうやっても酒は思った方向に飛ばない。

 しかも練習を繰り返すうち、口に含むだけで酔っ払ってしまうという事実がわかった段階でやめさせられた。酔っ払いに火を持たせるな、とはカサンで有名な格言でもある。


 さらに、彼は道化たちが合同で華やかな即興劇にも出演した。

 ムーシュは三枚目として不可思議な踊りや野次を飛ばして笑いを誘い、ベッキオはフリルまみれのドレスで登場して恋人役のニコとささやかなラブロマンスを演じる。

 フォクセルは恋の妖精役として舞台に引っ張り出された。

 姫様に見せるささやかな野外劇だったが、台詞がうまく出てこず、さらには舞台袖に引っ込む際に派手にすっ転び、客席から見えないところでムーシュからげんこつをくらった。

 だが、エリューシア様が手を叩いてその事件を楽しんでいたため、それ以上叱責されることはなかった。


「姫様が笑い上戸でなければ、お前はとっくの昔に首だぞ」


 ムーシュが席で笑い転げている皇女様を見ながら、低い声で言った。






「僕、こんなのでいいのかなあ」


 窓のない狭い自室でベッドに座り、彼は自分の手のひらを見ながら呟いた。

 宮廷道化師になってから、すでに数週間。

 手のひらの皮がむけた傷は中々治らず、全体的に茶色いかさぶたになってしまっていた。

 お祈りの言葉を唱えると出てくるという「聖なるあざ」は、いくら祈りの言葉を唱えても見える気配もなかった。


「こんなのでいいわけがないでしょ?」


 ベッドの背に座り、手を腰に当ててラスカが口を尖らせた。

 姫様からもらった金糸で作られた豪華なドレスを着込んでいる。

 彼女も彼女なりに踊って楽しんでいるのかと思っていたが、実際のところラスカにも焦りがあったらしい。


「そうなんだ。明日、とうとう皇帝陛下の前で上演するんだよ。

 まだ手のひらは痛いし、うまくいくかなあ……」

「なに人形劇の心配をしているのよ!

 英雄と認められていないってところを心配すべきでしょ?」

「そうだけど……」

「……ちょっと待って!」


 煮え切らないフォクセルの態度にイライラしていたように見えたラスカが、突然身を乗り出して真剣な表情で尋ねてきた。


「私たちは姫様付きなのに、どうして明日は皇帝に呼ばれたの?」

「ムーシュさんが言っていたけど、新任のハルピュイア大使との晩餐会があるんだって。

 姫様も参加するらしいから、その余興に呼ばれたんだ」


 前の即興劇のようなドジを踏んだら俺が直々に門から引きずり出してやる、と言われた部分は伏せておいた。

 ムーシュから聞くに、皇帝陛下はかなり気難しいお方らしい。

 この大陸の半分を支配する陛下に直接お目にかかると言うだけで、心臓がどきどきしてくるというのに、そこまで脅されてはますます不安になってくる。

 しかし、ベッドの柵に腰掛けたラスカの表情は、一転して花が咲いたように明るくなった。


「……そうよ、明日よ。明日はナイフを持っていきなさい。

 あなたは明日、英雄になるのよ!」






 緊張していると、時間はすぐに過ぎ去るものだ。

 日中は風のように飛び去り、陽も沈んだ。

 宴もたけなわといった頃、彼ら道化たちにお呼びがかかる。

 太鼓の音とともに派手に宙返りを決めているムーシュを、フォクセルは舞台袖で半分固まりながら見ていた。

 わっと歓声が聞こえ、ムーシュの陽気な笑い声と口上が聞こえる。

 暗い楽屋で、フォクセルは釣られた魚のように口をぱくぱく動かして足りない空気を吸い込もうとしていた。


「落ち着きなさいよ。たかがナイフを持っているくらいで」


 ポケットから叱責が飛ぶ。

 ラスカはわかっていないのだ。

 彼は今、ナイフを持っているから緊張しているのではない。

 純粋に、次の出番が彼だから緊張しているのだ。


「どうしたらいい?

 僕、こんなの無理だよ、陛下に見せるような芸じゃないもの、あの……ちょっと変わってくれる?」

「いつもスイッチを嫌がるくせに。後でいくらでも変わってあげるから、今は自力でなんとかなさい」


「次の出し物は、期待の新人、糸の見えない人形使いのフォクセルであります!」


 ムーシュが笑顔で挨拶をし、こちらを鋭い目つきで睨む。

 フォクセルは舞台袖からおずおずと出て、右手を胸につけ、地に着くほど頭を下げた。

 まばらな拍手がするが、とても顔をあげる勇気が出ない。

 いつものとおり、いつものとおり。

 それを十回ほど心の中で繰り返し、彼はやっと頭を上げた。

 天井が鏡になっていて、まばゆいロウソクの明かりがいくつもきらめいている。

 真っ赤な絨毯に複雑な織物が敷き詰められた床。壁には英雄譚をモチーフにした精巧なモザイク画が描かれている。

 皇帝にとっては客をもてなす部屋の一つなのだろうが、これだけでフォクセルは肝をつぶした。

 皇帝がいるであろう中央の席は、一段高い場所にあり、薄布に囲まれていて、こちらからはあまり見えないようになっている。

 せめてもの救いで、皇帝の席の右端にはエリューシア様がにこにこといつもの笑顔でフォクセルを出迎えていた。

 皇帝の左隣に座っているのは、黄色い服を来た見慣れない老人だ。

 きっと、あの人がハルピュイアの大使なのだろう。


 演劇のために用意された舞台には、きちんと小さな台が用意されていた。

 森の絵が描かれた背景も付いている、いつも皇女様が観劇するときに使うものだ。

 それを見て、彼は少し落ち着いた。

 ラスカをその台に座らせて、いつものとおり口上を始めようとした矢先––手が熱くなり、背が縮む。


 スイッチだ。

 あれだけ自分でやれと言っていた割に使うんだ、と彼は人ごとのように思い、ラスカになったつもりで人形のようにぎこちなく立ち上がった––そして、血の気が一気に引いた。

 フォクセルが。

 正確には、ラスカが中に入ったフォクセルが。

 一目散に走り出したかと思うと、ポケットからナイフを取り出しざま、兵士の制止も振り切ってハルピュイアの大使の喉に突き立てたのだから。


 悲鳴とともに血しぶきが上がる。

 薄布の中からも驚きの声が聞こえた。

 兵士の怒りの声、殴られる感触だけはしっかりと伝わってきて、フォクセルはラスカがスイッチを解いたことを知った。


「どうしてこんなことを!」


 エリューシアが金切り声で叫ぶ。

 フォクセルの方が聞きたかったが、兵士に喉をぎゅうぎゅうと締め付けられていたため話すことすらできなかった。

 が、そのとき。入り口あたりが騒がしくなり、別の兵士が駆け込んで来た。


「陛下、ご無事ですか!」


 薄布の中からの声は、こんなことがあったにしては落ち着いていた。


「どういうことじゃ」

「本物のハルピュイア大使から、たった今連絡が!

 今まで、馬車の中に縛り付けられていたのでございます!

 隣の男は新任のハルピュイア大使ではございませぬ!

 大使になりすました、暗殺者でございます!」


 兵士は慌てた様子で喉を斬られた男の体を探る。

 やがて男を離したその手には、短剣と吹き矢が握られていた。

 フォクセルを締め付けていた兵士は、それを見て放心したように手を離した。

 薄布の中から、落ち着いた声が聞こえた。


「道化よ。なぜ、奴が偽物とわかったのだ」


 フォクセルは、今までになく落ち着いていた。

 今までいろんなことで気を揉みすぎたせいか、もう緊張する余裕など残っていなかったからかもしれない。


「僕は……神に選ばれた、救国の英雄だからです!」


 今度は、誰も笑わなかった。

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