第3話 操られる人形遣い
街道の両脇には背の高い木々が連なり、その隙間からは牧歌的な草原が延々と広がっているのが見える。
これからどうすればいいのだろう。
夜明けの光が僅かに射す街道を歩きながら、フォクセルは考えあぐねて天を仰いだ。
動転しすぎて、身一つで家を飛び出してきてしまったことが悔やまれた。
村から出てしばらくしてから、街道を先ほどの騎士の一人がものすごい勢いで馬を走らせて追いかけてきたときには死を覚悟したが、騎士は彼に目を向けることもなくそのまま通り過ぎた。
暗くてフォクセルの存在に気付かなかったのか、それとも別の用事があったのかはわからないが、彼はその姿が見えなくなった途端に全身の力が抜けた気がした。
しかし、現状の問題は変わらない。
サレナタリア村に帰ることはできないし、かといってこのまま街道を歩いたとしても、食べ物もなければ金もない。どこかで行き倒れることになる。
そんな不安で胸が一杯になりつつも、フォクセルはどこか心の奥で浮き立つような気分を味わっていた。
少なくとも、ガマおばさんの家にはもう一生行かなくてすむ。
でも、と彼は顔をしかめた。
こういうときこそ天使様が導いてくれればいいのに、ポケットの中はぴくりとも動かない。
不審に思ってそっと覗いてみたら、小さな天使はポケットの中でくうくうと寝息を立てていた。
彼女が天使なのか、はたまた他の生き物なのかはは、今でもよく分からない。
天使ならばそもそも他人を毒殺しようなどとは思わないはずだ。
だが一方で、ラスカは妙にフォクセルのことを知っている——ような気がする。
「ラスカ、ねえラスカ」
彼は上着の裾を振って小さな天使を揺り起こした。
「なに? もう帝都に着いたの?」
ポケットの中から寝ぼけた声と共に、ぴょこんと女の子の顔が覗いた。
フォクセルは目をぱちくりさせた。
この天使は、いつも予想を超える突拍子もないことを言う。
「僕たち帝都に行くの!? 聞いてないよ!」
「今言ったわ」
ラスカが何でもないような顔で答え、品良く欠伸をした。
彼はますます途方に暮れて白んできた空の下に続く地道を眺めた。
この中央街道に沿って十日ほど歩けば、帝都カサニエルにたどり着くはずだ。
今の今まで、自分には縁がない場所だと考えていた。
カサン帝国、帝都カサニエル。
そこはこの国に住む者なら、誰しも憧れる場所でもある。
目を見張るような壮麗な建物がたくさんあり、世界中の人々が行き交う都。
市場をきちんと見て回るには二週間あっても足りないとか、田舎から出てきた商人や職人候補たちで通りには恐ろしいほどの人の波ができているとか、そんな噂を宿に出入りする客から沢山聞いた。
フォクセルも以前、宿屋を継ぐのか帝都で一旗揚げるのかどうするつもりだ、と酒場の常連に聞かれたことがある。
そのときは迷わず、宿屋でママと一緒に働くよ、と答えた。
カサニエルの途方もない話を聞くのは好きだったが、自分で行ってみたいとはあまり思わなかったからだ。
サレナタリア村で暮らしている彼にしてみれば、帝都の話は、おとぎ話と同列の幻のような夢物語に過ぎなかった。
だが、今や彼に宿屋に残る選択肢はない。
自分の意見が反映されることは望み薄だと思いつつ、彼は尋ねた。
「……僕が帝都に行くっていうのは、予言なの?」
「そうよ。だって、皇帝に認められないと騎士にはなれないでしょ?」
頭を殴られたような衝撃を受けて、フォクセルは一度立ち止まらなくてはならなかった。
「カサニエルに行くだけでも冒険なのに、よりによって皇帝に会うだなんて!
そんなことできるはずがないよ!
雲の上の人じゃないか!
そもそも、平民の僕は城にすら入れないよ!」
はいはい、とラスカはぞんざいな返事をした。
「まあ、王都に着いて、私の言うとおりに動けば大丈夫よ。
だいたい、皇帝よりも私みたいな天使に会うほうが難しいのよ?
……さて、次の村に着いたら起こしてちょうだい。それまで寝るわ」
そう言うと、反論を受け付けませんとでも言うように、ラスカはまたフォクセルの上着のポケットに隠れてしまった。
フォクセルは不安が解消されないままに、馬車の轍の跡がついている街道を延々と歩き続けた。
あまりの空腹にフォクセルのお腹が鳴り出したころ、彼らは隣村についた。
ガマおばさんの村とは反対側にある、西のセーテ村だ。
故郷のサレナタリア村よりは多少大きく、フォクセルも数回はママと一緒に来たことがある。
こぢんまりした街の広場には、果物やパンを売る屋台が数軒軒を連ねていた。
昨日の夜から何も食べていないフォクセルは、ふらふらと屋台に近寄って、甘酸っぱいオレンジの匂いをかいだ。
口じゅうにつばがあふれ出す。しかし一文無しの彼には、それを食べるすべがない。
商人が不審な目つきでこちらを見ていたので、彼はそそくさと屋台から離れた。
抗議するように、またお腹がくうとなった。
「ラスカ、起きてよ、隣村だよ……僕、お腹が空いたよ」
彼は、道いく人に聞かれないように裏路地に入り、ポケットを揺さぶりながら訴えた。
天使ならば、彼の空腹も奇跡で満たしてくれるのではないかとぼんやり考えていたからだ。
が、ラスカはポケットから顔を出し、金髪の頭を振ってうーんと伸びをしてから、またもやフォクセルが思いもよらなかったことを言い出した。
「じゃあ、稼ぎましょうか。人形遣いさん」
「僕が? 人形遣い? どういうこと?」
英雄だと言ったり、人形遣いだと言ったり、彼女はころころと予言を変えてくる。
天使の言葉にフォクセルは首を傾げたが、ラスカは落ち着いていた。
「そう、英雄の仮の姿は人形遣い。ちなみに、天才人形遣いよ」
「ちょっと待ってよ。僕は一度も人形なんか操ったことがないし、そもそも人形なんて持っていない——」
そこで、彼はラスカを手にとってしげしげと眺めた。
昔話に出てくる精霊としか思えないほどの小ささだ。
一目見てラスカを天使だと思う人は皆無だろう。
大体、フォクセルも最初にこう思った——まるで、よくできた人形みたいだと。
彼の考えが分かったのだろう、ラスカはフォクセルの手のひらの上で、操り人形のようなぎくしゃくとした動きをした後、軽快にステップを踏んで見せた。
「以前、私がまだ大きかったときは、私が歌ってあなたが笛を演奏していたの。
でも、今回こんなに小さくなってしまったら歌なんて聞こえないわ。
うつらうつら眠りながらどうしようか考えていたら、いいことを思いついたのよ。
あなた、人形遣いのふりをしなさい。私は人形のふりをするわ」
「……でも、僕、そんなのやったことが……」
「さあ、覚悟を決めなさい。
お腹空いているんでしょ? それに、あなたは昨晩から寝ていないし、宿に泊まるお金も必要よ。
オレンジどころか、宿屋で昼食だって食べられるわ」
その後のラスカの一言が、フォクセルの背中を押した。
フォクセルはあぐらをかいて地面に座り、真剣な表情で棒きれを動かしていた。
そのあたりに落ちていた枝をクロスさせてツタでくくったものを、ラスカの上で人形遣いがするように上下左右に動かす。
もちろん、糸などついていないので、でたらめに動かしているだけだ。
その下ではラスカが、人形とは思えないような滑らかな動きでダンスを踊り続けている。
しかし急ぎ足で通り過ぎる人々ばかりで、誰も立ち止まらない。
ときどき横目でちらりと見る人もいるが、それでもしばらくすると去って行った。
フォクセルは一旦枝を置き、ラスカに顔を近づけて愚痴を言った。
「やっぱり、僕にはできないよ。
人形遣いじゃなくて、ただ広場で遊んでいる変な子供だと思われている気がする」
「そうねえ。じゃ、それっぽく呼び込みでもしなさいよ」
簡単に言われて、彼はますます暗い気持ちになった。
呼び込みは宿屋でも苦手だったのだ。
それに村で一軒しかない宿屋だったので、大体の客は呼び込みする必要すらなかった。
フォクセルの表情をうかがっていたラスカが、ため息をついた。
「仕方ないわね。いいわ、私がやるから」
「ちょ、ちょっと……」
心の準備ができないままに、右手が熱くなった。
また、ラスカと身体が入れ替わるらしい。
瞬きする間に、彼の目線はひどく低くなった。
巨人たちの足が地面をどんどんと踏みならして歩いて行く。
二回目なので、最初より心の余裕があったものの、それでも何となく巨人の国に来たようで心細い。
ラスカにとって、世界はこんな風に見えているんだな、と考えていたとき、彼の後ろで、彼そっくりの声が朗らかに叫んだ。
「さあさあ、道行く皆様、お立ち会い!
私は、いにしえより伝わりし繰り方で、人形を動かす『生き人形遣い』!
人形をまるで生きているように、自由自在に操ります!
そこの子供たち、どうですか? この人形、かわいいでしょう?
今まで誰もが見たことのない、生き人形の舞をご覧あれ!」
とたんに、広場の一角がしんと静まった後、ざわざわとしゃべりながら巨大な人間たちがフォクセルを取り囲んだ。
「じゃあフォクセル、後は頼んだわ」
ぼそりと言う声が聞こえ、目まいがフォクセルを襲った。
目を開けると、彼は元の目線に戻っていた。
ラスカはフォクセルの組んだ足の前で座って、じっとしている。
今の呼び声で集まってきた人々が、その周りを半円形に取り囲んでいた。
彼らは好奇の視線をもって小さなラスカを眺めている。
もう後には引けない。
緊張で震える指を抑えながら、彼は静かに枝を持ち上げた。
その途端、ラスカが優雅にお辞儀をし、見物人は感嘆の声を上げた。
フォクセルは必死で枝を動かし、ラスカのステップに合わせて上下左右に揺らす。
彼女は金髪と白い服をひらひらさせながら舞い踊る。
ところどころで観客の息をのむ声や、拍手が鳴っていたが、フォクセルはラスカに合わせることに一生懸命であまり聞いていなかった。
やがてラスカがぴたりと足を止め、丁重にお辞儀をした。
彼も枝を動かすのを止めると、座ったままお辞儀をする。
と、割れんばかりの拍手と共に銅貨がちゃりんちゃりんとフォクセルの目の前に放り投げられた。
「素敵だったわ! 今まで見た中で一番素晴らしい動き!」
「まるで、本物の人間がダンスしているようじゃないか!……しかし羽根はとった方がいいと思うぞ?」
「ねえ、もう一回見せて!」
フォクセルは、口を半開きにしたまま、ぽかんとして銅貨の雨が舞うのを眺めていた。
こんなにうまくいくとは、思ってもみなかった。
銅貨の雨とアンコールが終わり、観客が三々五々散った後。
フォクセルが落ちている銅貨をとろうと腕を伸ばしたとき、汚い革靴が彼の手を踏む勢いで銅貨を踏んづけてきた。
怪訝な顔で見上げたフォクセルの目に、そろいの縞の服を着た柄の悪そうな男が三人飛び込んできた。
「おい、小僧。ここが誰のシマか、わかっていてやってるんだろうな?」
伸び放題に伸びた赤髭を蓄えた男が、座っているフォクセルに覆い被さるようにして尋ねる。
「シマってなんですか?」
フォクセルは恐る恐る尋ねた。
「とぼけるんじゃねえ!
このあたりで店を出したきゃ、俺達バルバーダ一味に所場代払わなきゃねえんだよ。
知らんとは言わせねえぜ、これは決まりなんだからな」
どうも、金を出せと言われているようだ。
そこだけ理解した彼は、拾った銅貨をつめた財布をぎゅっと握って反論した。
「どうして、おじさんたちにお金払わなきゃならないの?
ここは皆の広場じゃないの?」
髭の男は、文字通り目を三角にして怒りだした。
「生意気なクソガキだな!
つべこべ言わず、銅貨三十枚払え!」
怒号と共に、フォクセルの革袋が乱暴にひったくられる。
「待ってよ、僕の……」
そう言った瞬間、こめかみにガツンと拳をくらい、フォクセルは地面に叩きつけられるように倒れた。
そうか、とフォクセルは今更理解した。
何をどう言おうと、この人達は僕からお金を奪う気だったんだ。
ずきずきする頭を抱えて、やっと起き上がろうとしたとき——ふっと痛みが消えた。
またラスカと身体が入れ替わっている。
そう思う間もなく、巨大な自分が横からまるでバネのように飛び出す。
驚いて短い叫び声をあげた髭面の腕を捉え、財布をさっと取り戻すと、恐ろしい力で髭面を投げ飛ばした。
髭面は一直線に吹っ飛ぶと、隣の果物屋の屋台に突っ込んだ。
オレンジやリンゴが宙を舞い、ゴロゴロとそこら中に転がる。
「ボス!」
「よくも親父さんを!」
そう言いながら加勢してきた仲間の二人も、腕を掴まれた瞬間、二人同時に投げ飛ばされる。
街道にしたたか打ち付けられた二人は、腰をしこたま打ったらしく、よろよろと起き上がるとヒイヒイ叫びながら逃げ出していく。
ついで、果物屋に突っ込んだ髭面も、覚えてやがれと捨て台詞を吐いて果汁まみれのままで広場の皆に笑われながら去って行った。
ラスカの身体に入ったフォクセルは、ますますぽかんとしたまま見送っていた。
何度目かの瞬きで元の身体に戻ると、フォクセルは再び人々に取り囲まれていた。
「あのバルバーダを倒すとは! 恐ろしい少年だ!」
「すごいわ、どうやってあの技を身につけたの?」
「もしかして、名のある騎士の息子なのか?」
何一つ答えられない質問を矢継ぎ早にされて、フォクセルはしどろもどろになった。
そして、地面に座ってまだ人形のふりをしているラスカをつまみ上げると、興味津々な群衆からこちらもほうほうの体で逃げ出した。