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第12話 吹雪の夜の大騒ぎ

 その夜、帝都には時期より少し早い大吹雪が荒れ狂っていた。

 取り付けられていた木の雨戸がガタガタと音を立て、暖炉から少し離れるだけで手の先から凍るような冷気が伝わる。


 もう夜も更けて随分になるが、今日は城の誰もベッドに入ろうとはしなかった。

 フォクセルも道化達が集まる大部屋で、大きな暖炉の前で温まりながら、今か今かと待ち構えていた。

 しかし刻がたつにつれ、昼間の疲れからどうしてもまぶたが落ちてくる。

 がくり、と自分の首が垂れたのに気づき、フォクセルは慌てて顔をあげた。


「フォクセルちゃん、私の膝枕で寝てもいいのよう」


 隣の椅子に座っているベッキオが、茶化すように話しかけてくる。

 フォクセルはぎこちなくほおを緩めて被りをふった。

 見た目には豪華なドレスを着た金髪の美女に見えるが、ベッキオは男である。

 と、大男のニコが突然椅子から立ち上がった。


「今の音は?」

「窓に風が当たったんじゃない?」


 ベッキオの言葉を聞かなかったかのように、ニコはつかつかと歩いて行って窓を開け放した。

 雪風ととともに冷たい空気が窓から入り込み、フォクセルは思わず首をすくめて暖炉へ手を近づけた。

 そのとき。


 風に紛れて鐘の音が厳かに鳴り響いた。

 城に併設された、巨大な聖堂から打ち鳴らされている。

 やがてそれに続くように、街の教会の鐘が輪唱していく。

 鐘の音は吹雪の中、何度も繰り返し、木霊のようにカサンの空を伝わっていった。

 ムーシュが席をけるように立ち、叫んだ。


「お生まれになった!」


 大部屋に拍手と歓声が溢れた。

 手を取り合い、口々にお祝いの言葉を叫ぶ。

 だが、フォクセルは皆に合わせるように数回手を叩いただけだった。

 その後、そっとポケットに手を入れる。

 ポケットに入っているラスカが、フォクセルの指を引っ張った。

 もっと喜ばなくてはならないと頭では分かっていても、口角を上げることすら難しい。

 暖炉にひっついたままのフォクセルをぐいぐいと引っ張り、ムーシュが早口に喋った。


「召使いの食堂へ行くぞ! あそこの方が早く伝わりそうだ!」

「あら、真面目なムーシュが好奇心むき出しなんて珍しいのね。

 まだ皇子様か皇女様かで賭けでもしているの?」


 ベッキオが不思議そうに尋ねたが、ムーシュは首を振った。

 そして何かに追い立てられるかのように、フォクセルの腕を引っ張りながら大部屋から出た。

 つられるように、道化部屋にいた人々が次々と席を立ち、普段は近寄らない召使い達の大食堂へと足を運ぶ。


 ムーシュに腕を捕まれているので早く歩かざるをえなかったが、フォクセルの心は重かった。

 王家の子供が産まれてから一月後に、各国重鎮を招いた華々しい生誕祭が行われるのがカサン帝国の伝統だ。

 今は初めの月、第二竜の日。つまり、赤ん坊の生誕祭は吹雪の月、第二竜の日。

 ここまで、手紙の予言どおりに進んでいる。


 もし生まれたのが皇子様なら、届いた毒入りの予言書はデタラメと見なされる。

 フォクセルが英雄白騎士になる日はもう来ない。

 だが、今はそれはそれでいいとさえ思えた。

 あの手紙を出したのが魔王でないと分かれば、気分的にまだ救われる。

 それに、皇帝の世嗣ぎさえ生まれれば、今揺れているカサン帝国の継承問題は解決だ。


 しかし、生まれたのが予言書どおり皇女様なら。

 火の気のない石壁の廊下だからというわけでもなく、フォクセルの背筋が冷たくなった。


 程なく、彼らは召使いたちが使う食堂へとたどり着いた。

 ドアを開けた途端、ぎょっとする。

 皇帝の城は巨大で、働く召使いも相当な数になる。

 質素ながらも百人程が一度に食事を食べられるよう、長テーブルが置いてあるだだっ広い部屋だ。

 その食堂を埋め尽くすようにして、召使いたちがぎゅうぎゅう詰めになっていた。

 よく見ると非番の兵士や、庭師や調理人たちも入り込んでいて、まるで城中の人々がこの空間へ閉じ込められたようだ。

 フォクセルは、ラスカが押しつぶされないよう注意してポケットを守り、なるべく壁にひっついていることにした。

 召使いたちは、遅れて入ってきたフォクセルたちには目もくれず、奥にある小さな召使い用の扉を固唾をのんで見守っていた。

 あの扉が、お妃様のいる後宮へと続いているのだろう。


 バタンと扉が開き、暗闇の中から、白髪頭をまとめた家政婦長が現れた。

 その途端、ぎゅうぎゅう詰めになった食堂が、しんと静まりかえった。

 血に染まったシーツを小脇に抱え、家政婦長は背筋を伸ばし、咳払いをして朗々と告げた。


「元気なお姫様です! お妃さまもご無事ですよ!」


 食堂は、先ほどの芸人部屋とは比べ物にならないくらいの歓声と、割れんばかりの拍手に埋めつくされた。

 誰もが隣の人と抱き合い、万歳を叫んでいた。

 国の安定には皇子が必要だとはいえ、無事に生まれたのなら祝わない理由はない。

 庭師たちは早速花飾りの準備について話しはじめ、料理人たちは宴料理の相談に入っている。

 家政婦長はどいておくれ、と言わんばかりに群衆を押しのけ、他の召使いたちにやかましく指示を出しながら洗濯場へと走っていった。

 数人の若い召使いたちが、手伝いがてらもっと詳しいことを聞き出そうと、うきうきとした様子で家政婦長に続いた。

 蜂の巣をつついたような大騒ぎの中、フォクセルは声も出せずに立ち尽くしていた。

 その隣で、ムーシュも浮かない顔をして、フォクセルにしか聞こえないような声で囁いた。


「……予言のとおりだな」


 フォクセルは、ゆっくりと頷いた。頭が痺れるような感覚だった。

 右手を再びポケットに入れる。

 ポケットの中のラスカにぎゅっと指を握り締められ、彼は悟った。

 もはや、予言ではない。魔王の手紙の一部は、確実に現実になってしまった。







 第二皇女、ルチア様が生まれて一週間。

 たった一人の小さな赤ん坊のために、この城は喧騒に包まれていた。

 命名式をはじめ、洗礼式、城に住む人々へのお披露目式などなど、式と名のつくものが一日おきにやってくる。

 城にはひっきりなしに貴族たちが訪れては贈りものを差し出し、宴会につぐ宴会が催され、芸人のフォクセルたちも大忙しだった。

 だが、生誕祭はもっと大規模なものになるとムーシュから聞かされた。

 カサン帝国と同盟を結んでいる諸国の国王たちが、生誕祭を中日に三日間カサン城に滞在し、皇女様の誕生を祝うのにかこつけて外交交渉をしていく––とはムーシュの弁だった。

 外交交渉が何なのかよくわからなかったフォクセルは首を傾げた。


「生誕祭は、皇女様のご生誕をお祝いに来るんじゃないんですか?」

「王様たちにとっては、お祝いのほうがついでなんだ」


 芸の合間に、楽屋で忙しく小道具を動かしているムーシュは少々不機嫌な調子で答えた。


「カサン帝国は、皇帝陛下だけでなくタクト神教の教皇様もいらっしゃる、まさに世界の中心だ。

 それに東大陸の港は、ほとんど我らが皇帝陛下が握っている。

 小国の王様はなんとか皇帝陛下に気に入られようと、ここぞとばかりに寄ってくるのさ」


 そしてふと手を止め、誇らしげに胸を反らせた。


「まあ、皇帝陛下に一番気に入られているのは私なんだがね。

 ……そうだ、フォクセル」


 ムーシュが、耳元で不気味なほど低い声で囁いた。


 「今日は『お達し』がある」


 忙しさにかまけて、そのことを忘れがちになっていたフォクセルは、合言葉を聞いて身が縮まる思いをした。






 その日の夜、薄暗い石壁に囲まれた窓のない部屋で、ムーシュ、ベッキオ、ニコ、そしてフォクセルは分厚い木のテーブルを囲んでいた。

 秘密の会議室に集まるのは、夏の事件以来だ。


「久しぶりのお達しだな」


 ニコが難しい顔をして腕を組む。

 隣のベッキオが頬杖をついてムーシュに尋ねた。


「それで、今度の標的はだあれ?」

「わからん」


 ムーシュの言葉に、ベッキオが形の良い唇を曲げた。


「それは難題ね」

「とにかく、この城で毒入りの封筒を紛れ込ませた奴だ。用心してかからねば」

「ああ、文官が狙われた件だな」


 納得したようにニコが頷いた。

 ティルキアから来た怪文書のことは、城のほとんど人々の耳に入っていた。

 しかし表向きは、宛先不明の手紙を開ける文官を狙っての犯行だということになっている。

 そして文書の内容も公表されていない。

 フォクセルがムーシュから聞いたところによると、文官の手は異様に腫れ上がった挙句、未だに痛みと紫の斑点が取れないそうだ。

 ティルキア政府からは、我が国が怪文書を送る理由はなく、巧妙に作られた偽造書類がカサン帝国で紛れ込んだのだろうという旨の書状が届いていた。

 ティルキア国は軍事力でも国力でも、太刀打ちすらできない小国だ。

 おまけに、現時点でよい同盟を結んでいるカサン帝を狙う意味はない。

 そういうわけで陛下やムーシュたちは、あの怪文書を城の内情に通じた者の犯行だと思っていた。


 そうではない、とフォクセルは声を上げたかったが、あえて黙っていた。

 あの文書は紛れもなくティルキア国から海を越えて届けられたものだ。

 だが、生まれて一月の赤ん坊が毒入りの封筒を別の大陸に送るという話など、誰が真面目に取り合ってくれるだろう。


「とにかく誰を守ればいいかは、はっきりしている」


 ムーシュの力強い言葉に、フォクセルは現実に引き戻された。


「大者だぞ。ティルキアの現国王、ウェルナー・ティルキア陛下だ」


 フォクセル以外の面々は、はっとした顔でムーシュを見つめていた。


「……それが怪文書の中身だったのか?」


 ニコが呆然として聞くと、ムーシュは難しい顔をして頷いた。


「そうだ。我らが帝国で、同盟国の王が殺されるなど、絶対にあってはならん!」


 そして、彼は隣に座っていたフォクセルの肩に手を置いた。


「フォクセル!

 お前は付き人に姿を変えろ。

 生誕祭の間、ティルキア国王からひとときでも目を離すな!

 わかったな!」


 分厚い手を置かれた以上の圧が肩から伝わってきて、フォクセルは思わず二、三回頷いてしまった。

 ベッキオが首を傾げて尋ねる。


「あら、じゃあ生誕祭は人形劇なし?

 おめでたい席にはいい出し物よ?」

「仕方あるまい。姫様にもなんとか納得していただこう。

 なあ、フォクセル!」


 ムーシュは唸るようにそう言って、射るような視線でフォクセルを見た。

 フォクセルは、早鐘をうつ心臓の鼓動を抑えるように胸へ手を当てて、もう一度深く頷いた。

 予言書が半分現実になった今、ムーシュがより手紙の内容を真剣に捉えていることが手に取るようにわかった。

 失敗は許されない。

 あの怪文書が予言であろうと、デタラメであろうと––どちらにしても、これ以上現実にしてはならないのだ。

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