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プロローグ

 村にほど近い窪地で、フォクセルはぼさぼさの金髪を垂らし、心身が凍えるほど長い間ひざまずいて祈っていた。

 薄いぼろ生地のズボンの膝は、湿った土でひどく汚れていたが彼は気にもしなかった。

 祈りの言葉がうろ覚えだったことは多少気になっていたが、何回も繰り返せばきっとタクト神様はわかって下さるに違いない。


 天界の女神、タクト大神様。

 僕はフォクセルです、八歳です。

 サレナタリア村に住んでいます。

 神様、ママを返してください。

 ちゃんといい子になりますから。

 ガマおばさんの村で暮らすのは嫌です。


 茂みで覆われた窪地には、ぞんざいな造りの十字架が一つ、おなざりに作られていた。

 教会併設の墓に葬ることも許されない疫病患者達が、この窪地の十字架の下に埋められている。

 彼は思うさま祈ると、立ち上がった。そろそろ帰らなくてはならない。

 明日、隣村の遠い親戚の叔母が彼を引き取りにくる手はずになっていた。

 それまでに準備をしておかなければ、と思いつつも、ガマおばさんがフォクセルを好きで引き取るのではないということを彼はよく知っていた。

 教会の神父さんがおばさんから来た手紙を読んでくれたときの顔のしかめ具合で、それくらいのことはわかる。

 しかし父親の顔も知らず、母親も亡くなってしまった八歳のちっぽけな少年にとって、親戚の世話になる以外の選択肢はなかった。


 凍りつくように冷たい手を、穴の空いたポケットに突っ込んでフォクセルは家路を急いだ。

 暦の上ではもうすぐ春になるというのに、風はまだ冷たく小鳥の鳴き声も聞こえない。

 まるで春の来ない死に絶えた世界に一人放り出されたような気持ちだった。

 黄昏時の長い影が、彼の後ろをついてくる。

 彼は暮れかかる空を仰いだ。

 ちょうど一番星が見えだし、赤い夕日が黒い山の稜線に沈もうとしているところだった。

 太陽の真下、獣道が続く場所に、彼が住む村の入り口が待ち受けている。

 木を組み合わせた簡素な造りの門の上には『サレナタリア』と書かれているはずだ。

 文字は読めないが、ここを通る度、母にそう教えてもらった。

 秋から冬にかけて、村の入り口に翻っていた黒い旗の群れはいつの間にか取り払われている。

 疫病が終わったという合図だ。

 もう遅いよ、と彼は締め付けられた心の中で思う。

 ママは雪の降る夜、さっきの窪地に運ばれてしまった。


 村の入り口を通ろうとした、そのとき。

 夕日の輝きがいきなり増して、フォクセルは紅色の目を細め、手で光を遮った。

 しかし、光はどんどん強く、眩しくなっていく。

 これは夕日のせいじゃない。

 ようやく気付いたフォクセルは、光の中に一際輝く人影を見た。


「神様?」


 願いが通じたのだろうか。彼は眩しい中の人影を見極めようと、必死で目を開けた。

 光はその人物自体から放たれているようで、どんな格好をしているかはまるでわからなかった。

 ただ、暖かい風と今まで聞いたこともないような柔らかな笛の音の調べがフォクセルを取り巻く。


「フォクセル!」


 次に耳に聞こえてきたのは、不思議とあどけない女の子の声だった。


「お聞きなさい、フォクセル」

「あなたはタクト大神様なの?」


 彼は、強すぎる光や妙な音楽に負けまいと声を振り絞った。


「……私は神の御使いが一人、ラスカ。

 貴方の運命を告げ、守護するために使わされた者」


 女の子が話すたび、光がぴかぴかと点滅し、フォクセルはついに目をつぶった。

 声はまるで当然のことでも言うように、彼にこう告げた。


「あなたの運命。

 それは、英雄白騎士になり、魔王を倒すことよ!」


 運命。英雄。魔王。

 何一つ意味がわからず、フォクセルはまた目を薄く開けて聞いた。


「どういうこと? 将来、僕が偉い人になるってこと?」

「そうなの」


 彼はますます困惑した。

 この天使は、自分をどこかの街の貴族と間違えているのではないか。

 村人の彼に騎士などという職業は生涯無縁だ。


「僕は、ただの宿屋の子だよ? 普通の騎士にだってなれっこないよ」

「なるのよ」


 声は一刀両断した。一言の否定も許さない、そんな雰囲気が窺える。

 すこし考えて、彼は最後の疑問を口にした。


「それで……魔王ってなに?」

「もうすぐこの世界に来る真の闇。

 三度も時空のねじれを作り出した謀反人。

 放っておけば、この世界は神の加護の届かぬ闇に支配されてしまうの」


 彼にはその説明のほとんどが理解できなかった。

 しかし、魔王が何か分からないながら、彼女の恐ろしげな口調にフォクセルの肌は粟だった。


「ああ……時間がないわ。

 私がこの輝きを保っている間に……加護を……与えねば……」


 光輝く天使が慌てるようにそう言った途端、光を遮っているフォクセルの手の甲がかっと熱くなった。

 見ると、右手の甲に不思議な光と共に模様が浮かび上がっていた。

 その丸に十字の模様は、タクト大神の御印と同じ。

 彼の手の甲に、光が吸い込まれていく。

 そして——パツン、と大きな音がした後、一気に世界が暗くなった。

 まさか、もう魔王とかいう闇が来たのか、とフォクセルは頭を振ってあたりを見渡す。

 だが特に、先ほどと変わったことはなかった。

 暮れかけた空と黒い山、寒々しい土地とまっすぐ村に続く小道の中ほどに立つ村の門。


 フォクセルは、右手の甲をもう一度見た。

 光輝く十字模様などはなく、爪に泥のついた小さく汚い見慣れた手だった。

 今あったことは、夢だったのだろうか。

 目をぱちくりさせながら、フォクセルはそう考えた。

 きっと夢か幻に違いない、と思って歩き始めたとき、後ろからぱたぱたと羽音が聞こえてきた。

 小鳥か何かだ。ようやく、この村にも春が訪れたのだろうか。

 そう思い、振り返ったとき、顔にべたっと何かが張り付いた。

 顔に大きな蛾が止まったのかと思い、フォクセルはそのまま顔を振って引きはがそうとした——が、それは金切り声を上げて彼の名前を呼んだ。


「フォクセル! どうしよう、私また小さくなってる!」


 思わずそれを手で掴み、目の焦点が合う位置までもってくる。

 見たこともない白い服を纏った、金髪の少女だった。

 フォクセルと同じ年頃なのだろうか。

 凝視している彼を、くりっとした青い瞳で見返している。

 顔かたちも、どこにでもいるような普通の女の子だった。

 手のひらほどの大きさしかなく、背に翼が生えている以外は。

 フォクセルは首を捻って尋ねた。


「誰なの?」

「さっきまで話してたでしょ? 天使のラスカよ、ラスカ」


 にわかには信じがたい言葉が返ってきて、彼はますます首を捻った。

 神々しく光り輝いていた天使様と、この手のひらに収まっているちっぽけな女の子が同じだとはどうしても思えなかった。たとえ、女の子に翼が生えていても。


「どうしてそんなに小さくなってしまったの?」

「きっと、魔王が作り出した時空のねじれのせいよ。

 魔王が刻を巻き戻すたび、私たちの神の力は小さくなってしまう。

 このぶんじゃ、次回は蟻サイズになるかもしれないわ。

 なんとしてでも今回で方をつけるのよ」


 フォクセルにはまったく理解できないが、天使は一人納得したようにうなずく。

 そして、緩んだフォクセルの手からさっと飛び立つと、空中に浮きながら腕を組んだ。


「それじゃ、フォクセル。これからよろしくね」


 彼は慌ててもう一度言った。


「僕には無理だよ。剣も使えないし、大体喧嘩にも勝ったことがないし。

 戦うなんてことできないよ」


 大丈夫、と小さな天使はくるりと彼の周りを回った。

 そして、フォクセルの肩に留まると、耳元で低く囁いた。


「私は未来を予言する。

 今夜、貴方の宿屋に病気の女が一人泊まるわ。

 その女を殺しなさい。

 それであなたは英雄になれる」


 ラスカが急に物騒なことを言い出したので、フォクセルは今度こそ、目の玉が飛び出そうになった。

 客を殺せとそそのかすなんて、彼女は本当に天使なのだろうか。


「久しぶりのお客さんを殺してどうするんだよ!」

「それが世界のためなのよ!」


 世界のため。そう言う彼女の目は暗く沈んでいた。

 フォクセルはしばし考えこんでから、言った。


「……そんなの、信じない。大体、疫病が終わったばかりの村なんて誰も泊まりにこないよ」

「そうかしら。とりあえず、宿に帰りましょう。女が来たら分かるわ。わたしの予言が正しいと」

「え? 一緒に来るつもりなの?」


 怪訝に尋ねたフォクセルに、ラスカは何でもないことのように答えた。


「あら、そうよ。私には使命がある。

 英雄白騎士を導き、予言をして魔王を倒す手伝いをするという使命がね」

「まだそんなことを言っているの? 僕が英雄になるなんて無理だよ」

「無理かどうかは、やってみないとわからないわ」


 彼女が自信満々に言うので、フォクセルはそれ以上何も言えなくなった。

 ラスカはふふっと笑い、すうっと空中を移動してフォクセルの上着のポケットに潜り込んだ。


「じゃ、私はポケットに入るわね。私の姿を他の村人に見られると厄介だから」

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