昏(くら)い目をした幼児とか、マジ?
砦から充分に離れたところで、馬車は止まった。
これから露台部分を壊して取り外すのだ。
そうしないと、バランスが悪くておちおち走れないのである。
私たちは露台から梯子を伝って地面に下りた。
サシャが飛ぶような勢いで馬車の中へと入っていく。
ジャックが心配なんだろう。
私も急いで後に続こうとしたんだけど
「今はサシャに任せたほうが良いと思う」
ロッカの言葉に、私はうなずいた。
ジャックと一番に心安いのはサシャだ。私が行ったところで野次馬にしかならない。
リリジさんも気づかわし気に馬車を見ていたけど
「わたしたちは、わたしたちに出来ることをしましょう」
と言って、露台の解体作業を始めた。
私とロッカも、それを手伝う。
ケンプさんの仕事はさすがの職人技だ。女手でも解体が楽にできるようにしてあって、1時間もせずに露台はただの木の板の重なりになって、馬車の屋根へと固定された。
「では、出発しましょうか」
寒空の下で鼻を赤くしたリリジさんが告げる。
これからの長旅は、ずっとリリジさんが御者役だ。
代わってあげたいのはやまやまなんだけど、私もサシャもロッカも乗馬はできても御者はできない。
旅をするうちに、少しずつでも習おうとは思ってるんだけど。
「手伝えなくて、すみません」
「気にしないでください」
リリジさんはそう笑ってくれるけど、でも疲れは皺深い顔にうっすらと出ている。
それはそうだろう。砦の街まで旅をしてきたと思えば、とんぼ返りなのだから。疲れが抜ける暇もなかったはずだ。
申し訳なく感じながらも、私とロッカは馬車へと向かった。
そっと、馬車のカーテンをのける。
ジャックは、サシャに抱き着かれていた。
泣くのを我慢している顔のジャックは、私たちに目を向けることなく、何処か空間の一点を凝視している。
私たちが乗り込むと、サシャが目を向けた。
「出発しますよ!」
リリジさんが大きな声を出して、ガタンと大きく揺れてから、馬車が動き始める。
馬車の揺れは、案外に少ない。それなりに工業の発展している世界だから、スプリングとかそういった衝撃を緩和する仕組みが馬車に内蔵されているんだろう。
もっとも、揺れがないわけじゃない。なんせ舗装されてない道なき道を行くのだ。小石に乗り上げただけでも、結構な衝撃がある。
ゴロガラと馬車は進む。
私は腹積もりを決めて、ジャックににじり寄った。
「ジャック。何処まで憶えてる?」
幼児の心の傷を掘り起こすような質問だ。
けど、これは私にしか出来ないことだった。
サシャはジャックに入れ込み過ぎていて、こんな心をえぐるような質問は出来ないだろう。
ロッカは、ジャックとあまり親しい間柄ではない。だからこそ、彼女にキツイ役は回せられなかった。
思った通りで、質問をした私をサシャが非難するみたいに見る。
「父ちゃんが死んだ」
ジャックは依然として壁を凝視したままポツリとこぼした。
「ボクを魔獣からかばって、死んだ」
サシャがジャックを抱きしめる力を強めたのが分かった。
前のジャックなら、照れて逃げ出しただろうけど、今は抜け殻みたいに、人形みたいに、ただ抱き着かれている。
「ボクも腕を食べられて…それで」
そこでジャックは思い出したように自分の腕に視線を向けた。
「…なんで?」
「リリンシャール様が癒してくださったのよ」
その言いざまに、私の胸がチクリと痛む。
サシャはもう、私を友達と見てくれていないのかも知れない。
ジャックの虚ろな眼が、私に向けられる。
「そっか、姉ちゃんが…」
呟いたジャックは、続けて
「ありがとう」
と言った。
こんな時でもお礼を口にできる子なんだよ。
それが逆に遣る瀬無い。
でも。私は、ジャックの次の言葉におののいた。
「これで…これで、復讐ができる」
「ジャック?」
サシャが青い顔をして、昨日まではただの幼児だったはずの顔を覗き込む。
「騎士さまが言ったんだ。魔獣に負けないぐらいに強くなれ、って」
騎士、というのはアゼイだろう。
そう言って、錯乱していたジャックを励ましたのだろう。
「ボクは強くなる。それで、復讐するんだ」
昏い目をしてジャックは宣言した。
恐かった。
可哀想だった。
だから、私は訊けなかった。
復讐の相手は、魔獣なんだよね? と。
王子殿下たちじゃないよね、と…。
訊けなかった。