始まってしまった物語とか、マジ?
「ジャックが……死んじゃいそうなの…!」
何をいきなり。
だって、ジャックとは昨日、会ったばかりだ。なかなか演技が上手じゃん、とからかって、照れ隠しのパンチをみぞおちに食らったばかりだ。
あんなに元気だったジャックが死にそう?
悪い冗談。
けど、サシャは泣いている。
そう…現実逃避をしている場合じゃない!
私はベッドから跳び降りて、サシャの肩を掴んだ。
サシャが涙でべしょべしょになった顔を上げる。
「あなた…聖女さまなんでしょ? 助けて…お願いよ」
「ジャックは、何処に?」
「門前の大広場に」
返事をするのも惜しくて、私は部屋から駆けだした。
聖女。
実のところ、私だって気づいていた。
私の歌声には、癒しの効果があるということを。
確かに魔力はないし、世間での常識だと歌声は神に届かないから魔法になることがないと言われている。
それでも、私の歌声は出産で命の危機にあった白狼を癒し、多くの兵士さんを治癒した。
わかっていたんだ。
でも、目を背けていた。
恐かったから。
再び物語の中心におどりでて、そうして理不尽な目に会うのが恐ったのだ。
「けど」
もう無理だ。この世界は、どうしたって私を物語から逃がすつもりがないらしい。
息を乱して、大広場に着く。
こんなお祭りでも待機所に詰めていたのか、既にシスターの治癒の演奏が始まっていた。
人垣を掻き分けて、前に前に進む。
野次馬なんて、普段はいない。お祭りだから、他の街や村から来た人が物見高さで集まって来てまっているのだ。
「ひどい…」
まず目に入ったのは、血まみれになって寝かされた2人だった。
ジャックとヒックスさん。
その2人のそばでは、王子とヒロインと逆ハーメンバーと、メリニ将軍がいる。
何があったのかは一目瞭然だった。
何故なら、王子たちは武装していたから。
思っていた通り、連中は魔獣の森に力試しに行ったのだろう。
もっとも、それで、どうして一般人のヒックスさんとジャックが大怪我をしているのかは分からないけど。
ともかく。
私は寝かされている2人の横にひざまずいた。
生きてさえ、いてくれたら。
ジャックは……大丈夫だ。生きている、生きてくれている。でも、右腕を肩から失っていた。血がだらだらと流れている。顔色も土気色だ。
シスターが2人がかりで演奏しているというのに、効果がないように見える。
怪我の程度が酷すぎるんだ。
そして。
そして、ヒックスさんは……。
私は唇を噛みしめた。
彼はもう、息をしていなかった。開いたままの目が、虚ろに空に向けられている。
もう少し、はやくに到着していたら…。
違う! 今はそんな仮定のことを考えている場合じゃない!
深呼吸をする。
歌うには、息を整えないと。
焦る。
時間が経てば経つほどに、ジャックが危なくなるからだ。
息を整えるのに30秒。
1時間にも感じるほどの時間だった。
私は、ジャックの残された左手を握り……目をつむって歌った。
目をつむったのは、ジャックの体温を感じたかったからだ。
お婆に教わった子守歌をうたう。
ジャック、ジャック。死んじゃ駄目だよ。まだ、生きないと、生きて、笑って、楽しまなないと。
ほら、サシャだって待ってるよ。孤児院の友達だって、シスター・ライザだって、待ってるよ。
もちろん、私だって。
王子とその仲間たちが森へと入った。しかも護衛の兵士も騎士もつけずに。
報告を聞いたメリニ将軍は、激怒した。
なんたることか! あの連中は、己の立場をわきまえておらんのか!
しかも、だ。
「一般人を2人、引き連れて行ったとのことです」
「なんだと!」
思わず、報告を寄越した騎士を殴りそうになってしまう。
「どういった訳だ、それは!?」
「トマトです」
「あぁ?」
白狼の好物が、どう関係してくるというんだ。
「殿下はトマトのような珍しい植物が魔獣の森のほとりで見つかるのなら、森のなかではもっと珍しい植物が見つかると考えたようです」
「なんと浅はかな」
「ですが、殿下たちは植物の見分けがつきません。そこで、詳しい一般人を連れて行ったという次第にて」
「一般人の調べはついているのか?」
「は! 市場地区で野菜を売っていたヒックスと、その息子であります」
「おいおい」
よりにもよって、という溜め息をこらえる。
ヒックスといえば、グリングランデ商会から引き立てられている奴じゃないか。しかも、その息子といえば…確かジャックといったか。リリンシャールやその親友に可愛がられている子供だ。
メリニ将軍は、席を立った。
事件が事件だ。ただの騎士に任せるには事態が大きすぎる。
歩きながら、部下どもに指示を飛ばす。
大事にするわけにはいかない。内密にしなければならない。
まさしく醜聞なのだから。
言うまでもないが、王子たちにとってのだ。
己の責任ある立場をわきまえもせずに、意味のない危険を冒そうとしている。しかも、一般の人間を連れて、だ。
しかしながら、メリニ将軍の配慮は無駄となってしまった。
門前の大広場には大勢が詰め寄せて、その中心には森から戻ってきた王子たちがいたのだ。
「このバカ者どもが!」
と怒鳴りつけてやりたいのを我慢して、王子たちから事情を訊こうとしたところで、連中は今更のように言ったのだ。
馬車のなかに怪我人がいる、と。
「おのれ等!」
メリニ将軍は殺気を孕ませた視線を王子連中に向けると、直ぐにシスターを呼ぶよう指示を出した。
それからは目も当てられなかった。
馬車から運び出されたのは、案の定、ヒックスと息子のジャックだった。
残念ながらヒックスの息はない。
途中、シスター見習いが駆けこんできた。
見覚えがある。リリンシャールと仲良くしている、サシャとかいう見習いだ。
だが、今はその娘の相手をしてはいられなかった。
ともするとコノ場から離れようとする王子連中を引き留めて事情を訊き出さねばならなかったからだ。
おそらく、ここから逃がしてしまえば、あとはノラリクラリと事情聴取をかわして、そのまま王都に帰ってしまうだろう。
シスターの演奏が始まる。
それから直ぐだった。
リリンシャールが駆け付けたのだ。
少女は、ヒックスとジャックの傍らにひざまずいた。
泣くのだろうか?
悲しみに泣くしかないだろう。
そう思ったのに。
少女は歌い始めたのだ。
なにを?
そう思ったのはメリニ将軍だけではなかった。
その場に集まった、全ての人が喋ることを忘れて、少女に注目した。
それは、歌であって歌ではなかった。
リリンシャールの髪が淡く輝く。
「おおおおおおーーーーーーン」
白い風のように4匹の白狼が、少女の周りに集った。
怪我を負って、虫の息だったジャックを包み込むように空間が輝く。
あれは…魔力の輝きか!
しかし、あれほどの輝きは見たことがない。
「聖女さま」
兵士が呟いた。
そいつは、かつてリリンシャールに致命傷を癒されたと吹聴していた者だ。
「聖女?」
「聖女だ」
兵士の呟きが拡散して、人々の口にのぼる。
その日、その時。
人々は奇跡を目撃した。