復讐鬼:アゼイ・ワード③-2
これにて、アゼイの復讐は終わりです。
魔獣の森での間引きを終えた俺は、寮の自室でグタリとベッドに寝転がった。
魔獣避けの薬品と、魔獣寄せの薬品とを取り違えるなんて、とんでもない事態だった。
時間は深夜だ。
俺はこの時間まで、詳しい報告を上官にして、更に聴取を延々とされていた。
体はクタクタだ。
窓越しから大騒ぎする声と物音が聞こえてくる。
魔獣の森へ向かう大規模な部隊が整えられているのだろう。野営ポイントは、それほど大切な場所なのだ。
ベッドにいったん体を沈めてしまえば、眠気にはあらがえなかった。
瞼が落ちる。
ふっ、と夜風が頬を撫でた。
アラームが頭に鳴り響く。俺は、窓を閉めたはずだ。
転がるようにベッドから下りると、寝るときでも用心のために身に着けているナイフを手に片膝立ちで身構えた。
果たして、ナイフの先の部屋の隅には人影があった。
スラリとしている。体型からして女か?
「アゼイ・ワード。お前には失望している」
やはり声が女だ。しかし、何処かで聞き覚えがある。
「は! 何者か知らん奴に、勝手に失望されてもな」
「わたくしはミューゼの者だ」
「ミューゼ家の!?」
「迂闊者が。お嬢様をお守りするのを、何でお前のような者にだけ任せると思う?」
言って、影が進み出た。
窓から差し込む砦の灯かりに、女の顔が晒される。
「あんた…」
女は、見知った人だった。
シスター・ライザ。
「若様の手の者か?」
「わたくしの主はスリザリン様だ」
スリザリン。確か、リリンの母親だったか。
そうと聞いても、俺は警戒を解かなかった。
「おかしい話だ。あんたは、リリンが修道院に送り込まれる前からココにいたはず。つじつまが合わない」
指摘すると、シスター・ライザ…いいや、ライザは鼻で笑ってくれた。
そうして、右手で自らの顔を隠し、その手を下げた時には、まったく別の地味な女がそこに居た。
「女は変われるのよ」
ニッと笑う。
影、だ。噂で聞いたことがあった。さる公爵家には、裏の仕事を専門にする『影』なる者どもが仕えていると。遥か東方から流れてきた者どもの末裔らしい『影』が仕えているとされる公爵家は……そう、スリザリンの実家だ。
だが、そうなると、この地味な顔すらも疑わしい。たぶんだが、あの顔もまた擬態だろう。
「…本物のシスター・ライザはどうした?」
「男ができて、遠くの街でしっぽりやってるわよ」
嘘か誠か。真実だとしても、その男とやらは十中八九が『影』とつながりのある存在のはずだ。そうでなければ、シスターに男が近づけようはずもない。
とはいえ、俺には関係のないこと。
俺はナイフを鞘に仕舞った。
ライザもまた、左手をポケットに入れる。何がしかの武器を持っていたのだろう。
「で、俺に何の用だ?」
「その様子では、まだ気づいていないのか」
「ああん?」
「魔獣の森での事件。あれは、お前が恩情をかけた騎士の仕業だ」
ガツンと殴られたような眩暈を感じた。
「まさか…!」
「クルシュ様はお前が激情のまま理知的に復讐を果たすと考えたようだが、思ったよりもアゼイ・ワードという男は弱い人間だったということだ。最後の1人を見逃した。己の過去を守る、そのためだけに」
「俺は!」
「違うとは言えまい」
俺は…唇をかんだ。そうだ、俺がアンディを見逃したのは、奴との思い出をこれ以上に汚されたくなかったからだ。そして、エリカも。彼女の悲しむ姿も見たくなかったのだ。
「その己可愛さの迂闊さで、お前は守るべきリリンシャール様を逆に危険にさらした」
何も言い返せない。
ライザの言うことが真実だとしたら、俺のせいでリリンは死にかけたのだ。いいや、リリンだけじゃない。部下だって。
「アゼイ・ワード。復讐を遂げなさい。奴は今、工業地区に1人でいる」
「何故、そんなところに?」
「取り引きをしているのよ。新しい薬のね」
「あの馬鹿やろう」
俺は怒りを抑えるために、深呼吸をして目を軽くつむった。
たったそれだけの時間。
だというのに、次の瞬間にはライザは消えていた。
工業地区で取り引きをしている。おそらく、薬とは劇物のことだろう。毒、だ。工業には様々な薬品を使うが、その中には人間に害をもたらす薬だってある。
薬品を大量に保管している倉庫脇で、中年の兵士とアンディの姿を見つけた。
俺はその2人に悠然と近づいた。
隠しもしない俺の足音に、2人は警戒して闇を透かすようにしてコチラを見ている。
「アンディ。やってくれたな」
姿をあらわした俺にアンディの奴は愚かしいほどにおたついた。
「お、俺は」
「もう何も言わないでくれ」
俺はゾロリと剣を抜いた。兵士のつかう削り出しのなまくらだ。こいつにはもう、俺の騎士の剣をつかう誉さえ与えやしない。
「や、やめ」
「あばよ、アンディ」
俺は奴の喉を剣で突いて、薙いだ。
血潮が吹きあがる。
返す刃で、俺は裏取引をしていた中年の兵士の腹を裂いた。
何が起こったのか分からない、そんな顔をしていた兵士がその場に崩折れる。
俺は…。
喉を抑えたまま倒れ込んだアンディを見下ろした。
口がパクパクと動いている。
「た…すけ……て」
涙と鼻水を盛大に垂らして、そんなことを掠れた声で訴えている。
俺はそんなアンディをジッと見下ろしていた。
息絶えるまで、見守った。
「アゼイ。来てくれたんだ」
喪服に身を包んだエリカはやつれた顔でそう言った。
「あの人……不正なことをしている兵士を問い詰めて、それで同士討ちになっちゃうなんて…。弱いんだから、アゼイを連れて行けばよかったのに……あのバカ」
エリカは呟くと、俺の胸に体当たりをするようにぶつかってきて。
わーわー、と泣いた。
ココには彼女の知り合いなんていない。俺ぐらいだったのだろう、涙をさらせるのは。
「どうして…! どうして、付いて行ってくれなかったのよ!」
拳で胸を叩かれる。何度も何度も。
俺は、抱き締めるでもなしに、ただただ彼女の訴えを聞いていた。
しばらくすると「ありがとう」とエリカは俺から身を引いた。
「あたしね、田舎に帰る」
「そうか」
「それでね、2人で暮らす」
「2人?」
「うん、お腹の中に…いるから。あの人の忘れ形見が」
ああ…。
俺は、俺は…。
エリカが去っても、俺は立ち尽くしていた。
復讐は終わった、のだ。