ひとりでできるもんとか、マジ?
眠ってしまおう。そう思ってベッドにはいれば、私はあっという間に夢の世界に旅立ってしまった。
心底から疲れていたんだろう。
そして腹の底からペコペコだったのだろう。
ぐー! という自分のお腹の音で私は目を覚ました。
部屋は暗い。小さな窓の向こうから初夏特有の夜気が室内に忍び込んでいる。
「お腹が減って眠れない」
というか、自分のお腹の音で目が覚めたのは初めてだ。
グーグー自己主張するお腹に笑けてしまって『おなかのへるうた』を口にしてしまう。
マジでお腹と背中がくっついちゃいそうだ。
「これはベリー様に再チャレンジするしかないわね」
私は窓から外へと忍び出た。
周囲をキョロキョロして、誰もいないのを確認しつつ、ブルーベリーの木を探す。
こっちかな? 見当をつけた方向に抜き足差し足で進んでいると
「おお!」
月明かりのなかにブルーベリーの木を見っけた。
お前のことはお日様の下ですみずみまで見届けさせてもらっているんやでぇ。
なぞと1人でエロオヤジごっこをしつつ、樹液に群がる甲虫がごとき動きでカサカサと木登りをする。
手ごろな枝に腰を掛ける。
私は高いところが怖くない。前世だと悪友兼親友に『〇〇(私の名前)と煙はたかいところが好き』なんて言われて、からかわれたものだった。
足をブラブラさせながら、ベリーの実を採って口に入れた。
「うん、美味だ」
そうしてお腹を満たしていると、風にのって何処からか歌声が聞こえてきた。
誰かが歌っているのかな? と思ったけど、どーも違う。音がこもっているのだ。おそらくラジオの音だろう。
これはジャズかな? 今、流行してるもんなぁ。貴族の若い娘たちも、親に内緒でジャズやブルースを聞いてるって言ってたし。
この世界の歌は、ゆっくりした童謡めいた歌が主流で、ようやくジャズやブルースが新しいシーンとして芽吹いてきた感じだ。これは地球の音楽史と照らすと、異常進化しているとも言える。だって、この世界では蒸気機関が普及し始めてるんだけど、これって地球でいうところの産業革命だよね。地球だと、その当時にジャズやブルースなんてなかったと思うし。
私の大好きなロックやヘヴィ・メタはまだまだ影も形もない。けど、ジャズやブルースがあるのだから、時間の問題でロックも生まれるだろうと考えている。
エレキギターもあるみたいだしね。もっとも、エレキのような電気を介する楽器は邪道とされていて、歴史を重んじるお貴族様だったリリンシャールは実物を見たこともない。それどころか、オーケストラに溶け込めないギターを『似非』楽器呼ばわりしてるくらいなんだもん。
歌が終わって、ラジオではニュースをやっている。
なんでも今年は記録的な冷夏になるみたいだ。
汗をかかなくてすみそうだなぁ、なんて考えながら、私はベリーをむしゃむしゃ食べた。
「…………」
シスター・ライザが目をすがめて私を見詰めている。
現在の時刻は朝の4時です。5時起きじゃなかったの? そう訊けば、新入りだから準備に手間がかかるだろうと早めに起こしに来てくれたらしい。
ありがとうございます。わざわざ起こしに来てくれたのだ、感謝しかない。
そんな寝起きの顔で頭を下げた私を、シスター・ライザがジッと見詰めている。
「あの…何か?」
「リリンシャール。あなた、部屋を抜け出しましたね?」
内心ドキリとした。 超能力者か? 監視カメラでもあるのか?
この世界はゲームの世界。超能力だって、監視カメラだって、無いとは限らない。
「なんのことだか?」
私はだが、目を逸らした。証拠が示されるまでは自白しないのだ。
「惚けても無駄です」シスター・ライザはクイッと丸眼鏡を上げて
「青いんですよ、口のまわりが」
超能力でも監視カメラでもなかった。
私は己の粗忽に顔を赤くしながら、シスター・ライザに泣きついた。
「お腹が減ってたんです、出来心だったんです」
「……そんなに、その実は美味しいのですか?」
「食べたことないんですか?」
「普通は食べません。落ちている実は鳥がついばんでしまいますし」
「では」と、私は越後屋気分でニヤリと笑ってみせた。
シスター・ライザが一歩を退く。さすが私、というかリリンシャール。笑顔ですら迫力があるらしい。
「今夜にでも、お土産を持って帰ってくるので…どうでしょうかねぇ」
ヘコヘコ揉み手をする。
シスター・ライザは無表情ながら微妙に顔を引きつらせてうなずいた。
「わかりました。わかりましたから、その謎の仕草をやめなさい」
なるほど、この世界には越後屋も揉み手もないみたいだ。
私はシスター・ライザに促されて屋外に出た。
井戸端で、持ってきた洗面器に水を汲んで顔を洗う。これ…今は初夏だからいいけど、冬は凍えるんじゃない? 唯一の救いだったのが、井戸がポンプになっていたことだろう。
ちなみに、他の部屋には水道が引いてあるらしい。
「え? それてズルくないですか?」
「ズルくないですよ。リリンシャールはその代わりに1人部屋じゃありませんか」
望んで1人部屋になったわけじゃないけども。そう言われてしまえば。返す言葉なんてない。
というかさ。水道があることに驚きだよ。
王都の屋敷だと水道なんて引いてなかったもん。
そう訊けば、王都は貴族が工事の音を嫌って水道や下水が整備されてないとのこと。
うーん、納得。あのお父様みたいなのが、たーーーくさんいるのが王都だもんね。そりゃ、工事なんてできやしないわ。
それから、シスター・ライザの用意してくれた歯磨きセットで歯を磨く。
さすがゲーム世界。歯ブラシは木製とはいえ現実世界とほぼ同じだ。毛先は何だ? 豚の毛だって。ただ、歯磨き粉が本当に粉で、しかも黒い。
これで磨いて、歯が黒くなったりしないだろうか?
怪しみながらも、さっさと歯を磨いてしまう。
シャカシャカ磨いていると、シスター・ライザがまたしても
「ビックリです」
と言い出した。
「本当に1人で歯磨きができるんですね」
わしゃ、園児か! という突っ込みは心のなかだ。
何故なら、リリンシャールが自分で歯を磨いたのは今が初めてだったりするからだ。
おそらく。私に代わっていなかったら、なんでもかんでも侍女任せだった令嬢のリリンシャールは歯磨きどころか洗面すらできなかったろう。
お次は部屋に戻ってお着替えだ。
寝間着から修道服にチェンジする。この修道服。基本はワンピースと同じなんだけど、腰に見習いを表わす赤い色の紐を巻き付けなければならない。その独特な結び方に難儀したものの、シスター・ライザに教えてもらいながら、何事もなく着替えることができた。
うん? 下着? そーゆーのは何だあれよ。私は着の身着のままで放り出されたから。
明日にでもシスター・ライザが買ってきてくれるってさ。だから、今日は…察してください。
洗面、歯磨き、着替え。ひと通りのことを終えるのに20分もかかってない。
「せっかく早起きしたのに」
シスター・ライザが無表情でぼやいている。
「手のかからない優秀な見習いシスターでよかったじゃないですか」
「夜のうちに部屋を抜け出すような見習いは、決して優秀じゃありません」
「それはそれ、これはこれ、ということで」
私とシスター・ライザは連れ立って礼拝堂へと足を向けた。
あ、捕捉しないと。今朝もシスター・ライザは部屋に入らずに、ずーーーっと入り口付近で鼻をつまんでました。
カビ臭さはだいぶ薄れたと思うんだけどなぁ…。