演奏会(2)
「なんで空が飛べないかな」
赤い霞のかかる夢の中。満里奈がいらついたように言った。
「いくら夢の中でも空をとぶなんて無茶だよ。途中で落ちたりしたらきっと現実ではベットから落ちてて怪我したりするよ」
そう言うとふたりともおかしな顔で僕を見た。
「どうして?夢なんだからなんでもありでしょ」
「なんでまじめに考えるかな優也」
「ほら、お薬売ってくれたオジサンが言ってた。3人一緒の夢の時は一人でも出来ないとかんがえると、他の人も絶対できなくなるんだって」
ふたりとも夢の中にもかかわらず空を飛べないのは僕の意識が邪魔しているせいなのだと言う。ファンタジーの世界で魔法を使えないのもおかしいとまで言われた。それでもしまいにしかたがないといった顔で2人でこそこそ相談すると僕に目をつむるように言った。
「いいと言うまで目をあけちゃダメだからね」と言って手を引いて歩き出す。途中でグルグルまわされてから少し歩いてどこかのドアを開ける音がした。そのドアを通ったらしく向こう側にでたところで、いいよ、と声がして僕はゆっくり目を開けた。
大きな舞台の上にいた。それも学校の講堂を利用した学芸祭用の舞台じゃない、勉強のためといって動画サイトやテレビ番組で見た大きなコンサートホールの舞台みたいに大きかった。そしてその前には数えきれない大勢の観客がこっちを見ていた。
「ここがカーネギー・ホールよ」
「え、それってどこ?」
「ニューヨークだ。俺達は今アメリカにいる」
「今、ドアを抜けて来たのよ。あなたが空を飛べないからしかたないの」満里奈は僕にフルートを手渡して言った。「まあこの方が早いからいいけど」
「おおっと、余計なことを考えちゃだめだ。今こうしてニューヨークにいる、それだけ感じ取れえばいいんだ」
「さあ始めるわよ」
満里奈がヴァイオリンを構えた。冬馬がピアノの前に座る。そして僕もフルートに指を這わせた。
マンハッタン、ミッドタウンでの夜、僕らの世界デビュー(もちろん夢の中だけど)が始まった。
舞台度胸をつけるために、それから毎晩夢の中で世界中のコンサートホールを使っての度胸だめしが続いた。数百、数千のお客さんを目の前にして演奏できれば学校の音楽祭なんか余裕で実力を発揮できるからと。どんなに練習でうまく弾けても、本番で緊張して実力を発揮できなかったら意味が無いのだから。
日本の杉並公会堂や東京オペラシティも行った。楽屋はどこも同じようなものだったが、ひとつだけ妙にリアルなホールもあった。
「もしかして来たことあるの?」
演奏が終わった時に満里奈に聞いたことがある。東京に住んでいた頃一度来たことがあるという話だった。僕が見ていた楽屋は満里奈の記憶によるものだったらしい。そこそこのホールでの演奏経験があり、ピアノもフルートもヴァイオリンもそこそこ弾けるとはどういう女の子なんだろう。そう考えると彼女が遠くなって見えなくなってしまいそうで怖かった。
やがて夏休みもおわり、二学期の授業が始まった。例の4人の告白が話題になることもなく、以前変わらない普通の生活が始まった。
ただひとり、それを許さないものがいた。広樹は冬馬や四人の裏切りを決して許していないようで、目が合うと厳しい目つきでにらまれる。僕ら3人への怒りは相当のもので、授業中でさえ激しい視線を感じてぞっとする時があった。このままではすまないだろうなと思ったが、今は音楽祭へと気持ちを集中させることで気を紛らわせていた。
夢の中での練習は続く。制覇したコンサートホールは国内外をあわせて20を超えた。ネットの写真でしか見ていないウォルト・ディズニーコンサートホールやボストンのシンフォニー・ホールなども細部はそれぞれ想像しながら夢の中で再現して、そこで自由に演奏できた。練習の最終日はウィーン国立歌劇場での演奏だった。その頃にはどれだけ観客がいようとも、普段どおりの力で演奏することができるようになっていた。
そしていよいよ音楽祭当日を迎えた。
日曜日は5年、6年の発表会だ。5年生が前半、6年生が後半だ。僕達の出番は午前中3組目だった。
「ヴァイオリンがないわ」
満里奈があわや観客席まで響くのではないかと思う声で叫んだ。
次の出番の僕たちは舞台袖の控室でそれぞれの楽器を確認しようとしていた時だ。ピアノはステージから動かせないので消えることはなかったが、満里奈がいつも使っているヴァイオリンがどこにも見当たらなかった。
「音楽室にも楽器室にもなかったよ」
大急ぎで音楽室まで駆けて確認してきた冬馬が荒い息のままで言った。
ヴァイオリンは学校に一台だけだ。代えはない。先生たちで協議した結果、僕達の出番を最後まで遅らせることで決まった。といっても、5年生は次のクラスで最後だ。残り1時間もない。僕たちは学校中を探すべくかけ出した。
各教室はもちろん特別教室まで走り回って調べた。棚という棚、戸棚、床下。鍵のかかっていない教室はすべて調べつくした。クマノミ達も騒ぎに気づいて一緒に探してくれた。しかしヴァイオリンもフルートもどこにも見えなかった。
「だめだよ。見つからない」
僕は満里奈に言った。講堂から五年生の最終クラスの演奏が聞こえてきた。もう時間も残り少ない。5年生の演奏が終わるまで見つからなければ諦めてもらうと先生が言っていた。
「なあ、満里奈はヴァイオリン以外もできるだろ。他の管楽器でやろうよ。」
「だめよ。どうしても今日はヴァイオリン弾かなくっちゃダメなの」
いつになく激しい口調で言った。噛み締めた唇が白くなっていた。
「どうしてそんなにこだわるんだよ。少し雰囲気は変わるけど演奏できればそれでいいじゃないか」
そのとおりだと僕も同意した。
「お父さんが見に来てるの」満里奈がポツリと言った。「わたし東京にいたころね、家の中にピアノもあったの。ヴァイオリンもフルートもあった。それでよくお父さんとお母さんと一緒に演奏したのよ」
なるほど、たしかにどことなくお嬢様の雰囲気もあったわけだと僕は納得した。
「もしかしたらその曲って」
「そうよ、私達がこの二ヶ月間必死に練習してた曲。お父さんのピアノにお母さんのフルート、そして私のヴァイオリンの三重奏。それが私達家族の大事な時間だったの。でもそのうちお父さんの仕事がうまく行かなくなって、大きな借金が出来たみたい。それでお父さんはしばらく別々に暮らしたほうがいいって、お母さんの実家のあるこの町に引っ越してきたのが去年のことよ。でも私はやっぱりどんな暮らしであってもお父さんやお母さんと一緒に暮らしたいのよ。それでお父さんに手紙を書いたの、演奏会に来てくださいって。今日の演奏会を見ればお父さんはきっと楽しい時間を思い出して私と一緒に暮らしてくれるようになるわ。だからどうしても今日は演奏しなきゃいけないの」
うっすら満里奈の瞳から涙が出ていた。
なんとかしたかったけど、これだけ探しても見つからないのだ。誰かが隠したのに違いないし、それなら演奏会が終わるまで見つかる可能性は低い。僕も冬馬も薄々気づいていたがそれを口にすることはできなかった。それでも満里奈のためになんとかしなければ、僕は立ち上がって講堂へ向かおうとした。
「待てよ。楽器ならあるから」
目の前に立ちふさがるように現れたのは広樹だった。「こっちだ」
ぐらりと揺れたあと、誰かの大きな叫び声が聞こえて三人肩車が崩れて大きな音をたてた。
冬馬と僕と広樹が崩れて重なりあって倒れた。理科室の天井の点検口から肩車で天井裏に手を伸ばし、ようやくヴァイオリンを取り出したところでバランスが崩れ倒れた。転んだ時どこか痛めたのか唸っている広樹から握りしめていたヴァイオリンを満里奈がひったくるように、それでも慎重にとりあげてから音を確かめていた。
「壊れたか?」冬馬が体を起こして聞いた。
「うん、大丈夫みたい」
「じゃあ急ごうよ。時間がない」
僕の声でみんな走りだした。
「もうこれ以上は待てませんな。残念だが6年生の演奏に移りましょう」「仕方ありませんね」
先生たちが控室で相談しているところへ僕たちは飛び込んだ。
「楽器がみつかりました。やります」
満里奈が息をはずませうれしそうに叫んだ。
リアルだ。そう感じた。世界各地で数千人の聴衆を前に演奏してきたがやはり本物のステージは違う。わずか数百人の地元の人を前に僕はすっかり上がってしまった。
「しっかりしろ。あれだけ練習したんだ大丈夫だ」
冬馬が背を叩く。満里奈がうなずく。
ピアノの音が始まった。いつもの演奏だ。夢の通り、いや夢よりも素晴らしい臨場感があった。満里奈の音につづいて僕のフルートの音もホールに響き始めた。少しざわついていたホールもいつしか静かになって僕達の演奏の音だけが響き渡った。一曲目が終わった後、場内は静まり返っていた。やっちまったか、と思った時足元さえも揺れるほどの大きな拍手が鳴り響いた。冬馬の合図で2曲目が始まった。観客すべてがその音色に酔いしれて体を揺らしている気がした。ステージで演奏しながら、もうひとりの自分がホール全体を眺めている感じだった。夢の中でも味わったことのない不思議な感覚に酔いしれた。二曲目は少し長かったが、終わった時の拍手はさっきよりもずっと大きかった。
礼をするとさらにひときわ大きい拍手が鳴り出した。
「アンコール!」
広樹の声が響いた。4人組がそれを聞いて叫んだ。「アンコール!アンコール!」
この音楽祭ではヤジはもちろん、アンコールも禁止だと演奏会前に説明されていた。だからアンコールの声がかかるのは僕の知る限り初めてで僕たちはもちろん先生方も戸惑っていた。
「おとうさん」
満里奈が突然叫んだ。指し示す先を見ると、背の高い男の人が後のドアからちょうど入ってきたところで優しい目でステージに目を移した。
「ねえ、御願い。もう一曲やろう、あの曲」
その声に冬馬も僕もうなずく。先生方は互いの目配せで了解したようで宮古先生が演奏を続けるように促した。そして、もう一度観客に向かって挨拶すると満里奈がヴァイオリンに頬をのせる。この曲は少しむづかしく夢の中でさえ失敗してばかりだった。しかもヴァイオリンがメインの曲なので彼女は遠慮していたが満里奈が一番好きな曲なのを僕は知っていた。満里奈のためにも彼女のお父さんに聞いてもらうために、僕も心を決めた。冬馬も同じ気持なのを目配せでわかった。
弓が動いて、静かで深く心にしみいるような演奏が響きはじめた。たぶん今までのなかで最高の出来だ。満里奈のお父さんが壁際でハンカチを出して顔を抑えているのがちらりと見えた。
満里奈は陶酔しきったような表情で演奏を続けている。頬は紅潮し吹き出た汗が髪に伝わり輝いていた。多分暖かかった家族の時間を思い出しているのだろう。僕たちは正確に刻まれた音楽でアンコールに応え、あたたかい拍手をたっぷりと受けた。最期の挨拶では黒井先生も宮古先生もステージに上って挨拶してくれて、安心したせいか緊張が戻ってきて足が震えはじめた。その時だ、満里奈が「おとうさん」と声を上げた。見ると拍手もやまない中を満里奈の父さんがひとり外へ出て行くのが見えた。
あいさつを終え、舞台を降りるなり満里奈が駈け出した。次に控えている上級生を突き飛ばしかねないほどで、僕も冬馬も謝りながら外へと飛び出した。先生が後でなにかわめいるのが聞こえた。
外では満里奈は正門の前で父親を見上げていた。遠くから見守るようにしていると父親に抱きついて泣きだした。父親がその肩を優しく引き寄せた。よかったな、と冬馬が言ったのに頷いて返す。そして父娘のそばに女の人が近づいた。おかあさん、と満里奈の震える声が聞こえた。
親子はしばらくぶりの再会を味わっているようだった。
やがて正門から立ち去ろうとするところを満里奈が駆け寄ってきて
「ふたりとも今日は本当にありがとう」涙でぬらした笑顔をむけてそう言った。「わたし今日はお父さんとお母さんと帰るわ。あとお願いね」
言い終わるとまた両親のところへ戻って、両親がこちらへむかって頭をさげてから連れ立って立ち去る姿を僕はいつまでも見送っていた。
「うまくいったようだな」
いつのまにか広樹がそばにいた。
「聴けよ。おまえらの演奏がすごかったんで6年生は調子狂ってむちゃくちゃだ」
すこし調子はずれの演奏が講堂から流れていた。
「この調子じゃ優勝は5年から出そうだな」
冬馬と顔を見合わせて笑った。僕たちにはもう優勝などどうでもよかったのだ。
不思議そうな顔で見ている広樹に、さっきはありがとうと礼を言うと、ふと気難しげな顔になった。
「礼をいうことはないよ。楽器を隠したのはオレなんだ」
驚いてどういうことかと聞き返すと、ここじゃまずいからと言って校舎の裏へと移動した。
「頼まれたんだよ」水飲み場に背をもたせかけて話し始めた。「桜城に」
音楽祭の出場をやめるようにとクマノミ達をけしかけたり、当日楽器を隠したり、桜城の指示だった。なぜ広樹が桜城の言うこときくのか解せなかった。
「まだ5年生になったばかりの頃だよ。その日はむしゃくしゃしてたんだ。学校から帰るなり、いつものことだけど親父が俺に当たるんだ。親父は仕事もせずにいつも酒ばっかり飲んでてるんだけど、その日は酒も切れてたみたいで、お前が酒を盗んだろうとかガキのくせに生意気だとか言って、すぐに買ってこいって物を投げつけて怒鳴るから仕方なく外へ出た。母ちゃんも仕事でいないし、家には入れないからスーパーまで買いに行ったんだ。」
「一番安い紙パックの酒を手にとってポケットのお金を確認したら無かったんだ。酒がかえるくらいの小遣いはもってたんだけどあわてて走ったんでおとしたんだな。でもそのまま帰ったらまた怒られるし、どうしようかと思って…親父が怒った顔を想像したらつい魔が差して」
「盗ったのか?」
冬馬が静かに聞いた。
「ちょうどあたりに人はいなかったし。つい服の下に隠したんだけどかさばるし重いし、心臓はバクバクするし、耐えられなくって戻そうとしたんだ。ところがその時、見てたわよ、って後ろから肩をつかまれたのさ。警備員だと思って心臓が破裂しそうだった。こわごわ振り向いた。誰だったと思う」
そう聞かれて冬馬と目を合わせた。見当もつかない。
「桜城亜妃が立ってたよ。驚いたけど必死に気をとりなおして、何のことだってとぼけようとしたけど、桜城が顎をしゃくって指したところにあいつの取り巻きが5人もいたんだ。皆で見てたのよって笑うあいつの顔はほんとに怖かったよ」
「それで、戻したの?それともお金借りたとか」僕は心配になった。
「今戻すところだったんだって言ったら、そんなことしてもダメ。かえって怪しまれてバレちゃうから、ばれないように隠してあげるわって言うと、片手を高く上げて指を鳴らしたのさ、映画みたいに。すぐに取り巻きどもがオレの廻りを磁石にくっつく砂鉄みたいにさっと取り囲んで、オレの腕をひっぱるようにして出口まで連れて行かされたんだ。商品を戻させてくれって頼んだけど、そんなことしてバレたらもう学校いけなくなるわよ、任せときなさい、っていうこと聞きゃしないんだ。暴れたら店のひとが変に思うだろうから抵抗せずにいるしかなかった。ようやく開放されたのが外のカート置き場さ」
「なんなんだよそれ」
冬馬がむっとした顔を見せた。
「あいつは、もうこんなことしちゃいけないわ、気をつけて帰りなさいねって笑いながら言って、とっととみんなで帰っちまったよ。正直ホッとした。そしてあわてて家に帰った。そしたら次の日から地獄が始まったんだ。最初はちょっとした用を頼まれるくらいだった。放課後どこそこへ荷物を届けてくれとか簡単なこと。仕方ないからいうこときいたよ。それがそのうちエスカレートして自宅でお茶会やるからケーキ10個買ってこいとか、お金は後で払うからって。街なかを潰さないようにおそるいおそる運ぶんだ、カッコ悪いったらねぇよ。同級生にでも見られたらどうしようってハラハラした。自宅まで届けるともう帰っていいわよって金もくれなかったな。それだけならいいけど休日にはボランティアに協力しろって言い出したんだ」
桜城が同級生と一緒にボランティア活動をしているのは皆知っていた。ホームへの慰問で歌とダンスを披露したり、一人暮らしの老人の家を訪ねては掃除なんかを手伝ったりしてるらしい。
「あいつらのなんかボランティアじゃないって」広樹が怒って言った。「ホームへ行って自分たちの好きな歌を勝手に歌うだけさ。本心で喜んでいる人なんていないよ。一人暮らしの老人のとこだって、ちょっと庭先掃いたぐらいで、あとはみんなでお茶会してるようなもんだよ。しかも中の荷物の片付けとか掃除とかはほとんどオレがやってたんだ。あいつら近所の人から見えるとこだけいい顔しやがって、トイレ掃除とか目立たないところの拭き掃除とかいつもオレの役目さ。あいつの親父は県会議員狙ってるだろ。きっとそのためのアピールだよ」
「それはひどいけど、広樹もはっきり断ればいいんじゃないか。あいつらだってみんな勇気出して自分から告白したんだ」
冬馬がクマノミらのことを言った。
「万引きだけならいいんだ」
「他にもなにかあるの」
「おやじの過去をバラすって言われた。うちの親父は何年か前に赴任先の会社で人を怪我させたことがあるのさ。普段はやさしいけど結構怒りっぽいとこあるから。親父は悪くないんだけど怪我させちゃったから警察沙汰にもなって、なんとか相手の人には許してもらえたらしいけど会社はクビになっちゃたんだ。それで今はこっちで一緒に暮らしてて事件ことはなんとかばれずにすんでる。でも桜城のやつ、どうやって調べたのか親父の事件を皆に言いふらしてやるっていうんだ。そんなことされたらただでさえ仕事が見つからないのにウチは大変なことになっちまうだろ」
事件を起こす前はとっても良い父親だったんだと広樹はふるえる声で話してくれた。なにがなんでも事件のことを言いふらされては困る。そのためには何でもやる。そう決めたんだと言った。
「もし話してくれればなんとかできたかもしれないのに」
僕はそう言ったけど、その頃ほとんど話もしなかったし、そんな機会はなかっただろう。
「オレ、なんかイライラしちゃってな、よし、あいつと同じことしてやれって思った。それから誰かの弱みをつかんで仲間に引き込みはじめたのさ」
「えらい迷惑だろ。自分勝手だぞ」
冬馬が厳しい顔で言った。
「わかってるよ悪かったなと思ってる」
そう言った広樹は本当に反省してるようだった。確かに自分が広樹の立場だったらどうしただろうか、考えると怖くなった。
「でも楽器を隠されて泣いてる満里奈の父親の話を陰で聞いててさ、つらいのはオレだけじゃないんだなって思ってな、それで返そうと思ったんだ」
話し終えるとスッキリした顔をして、このことは皆には黙っていてくれと念を押した。そして先に帰るからといって走りだしかけたところへ冬馬が呼び止めた。
「待てよ、このままでいいのか」
「大丈夫、オレひとりで決着つけるからよ」
「いったいどうやって」
聞き返した僕の言葉に広樹は答えずにそのまま走り去っていった。
「ふうん。あのあとそんなことがあったの」
その夜、夢の中で僕と冬馬は満里奈と話していた。一刻も早くその日の出来事を報告したくて何度も電話したけど、連絡がついたのは夜遅くだったので夢の中で落ち合う約束をしたのだ。
音楽祭はメタメタになった6年生に代わって優秀賞は5年生が獲った。残念ながらそれは僕らではなく桜城のグループだった。準優勝は6年の優勝候補だったグループで、僕らは特別賞をもらった。それを伝えても彼女は特別悔しがりもせずに、ただ微笑んでいた。
「いつかまた一緒に暮らせるようにするってお父さんが言ってくれたの。親子3人で頑張ろうって言ってくれたわ。わたしも一緒に暮らせるならなんでもするからってお父さんに話したらすごく喜んでくれたの」
父親と会って話せたのがすごく嬉しいようだった。
「でもかわいそうだね広樹くん」
「なにか無茶するんじゃないかな」
ふとまた不安な気持ちになった。