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ファンタジー世界へ(3)

 いつものようにお昼休み、第二グラウンドで並んで座っている。冬馬が感心したように僕を見ていた。

 「ようやく俺の見せ場があったみたいだな」

 「うん、前に空手やってたって聞いたから」

 「やっぱり君は王子様ってことだったか」

 冬馬の言葉にちょっと恥ずかしくなってうつむいた。

 「王子様って顔かしら」

 第二グラウンドと園芸場の境の垣根から満里奈が顔を出した。園芸場もこの数年使われていないので人が立ち入らない。いつからいたのか、僕と冬馬以外、誰も居ないと思って夢中で話していて気付かなかった。内容を聞かれたと思うと恥ずかしくなってあわてて立ち上がる。

 「おもしろい夢を見てるのね」

 話しかけてくる満里奈に、午后の授業が始まるからと言って急いで校舎へと向かった。第一グラウンドへ入ったところで石橋といつもの4人がサッカーをしていたのに気づく。冬馬が無視するように脇を通りすぎようとしたら、

 「待てよ」

 石橋が冬馬に声をかけた。冬馬の前をクマノミとアゲハが塞いだ。

 「俺達のグループを抜けて新しいメンバーで組んだってわけかよ」

 「別にグループとかメンバーとか関係ないよ。友達だよ」

 「別に構わないんだけどさ、俺達のグループを抜けるならそれなりの礼儀があるんじゃないか?」

 「礼儀?なんなんだいそれ」

 「グループの鉄の掟があるだろ。抜けるんだったら金持ってこいよ。それとも戻りたいのか?そっちの優也も一緒にか」

 「抜けるも抜けないもない。もう君らとは一緒にいたくないよ。裏切り者はきらいなんだ」

 「なんだとこら」

 石橋が声を荒らげ、他の連中も身構えた。しかし冬馬は落ち着いて言った。

 「もう俺達に構わないでくれ。それだけだ」

 冬馬は僕を促し、その場から立ち去ろうとした。

 「ふざけるなよ。どうしても抜けるなら迷惑料10万持っていつもの倉庫まで来い。もし来なかったら、お前はもちろん優也も満里奈もひどい目に合わせるからな」

 冬馬は返事もせず走りだした。

 「ちょっと、どうするつもりよ。あたしまでまきぞえ?」

 遅れて追いかけてきた満里奈が叫んでいた。


 放課後、石橋は冬馬の席まで行って「逃げるなよ。必ず来いよ」それだけ言うと教室を出て行った。クマノミとアゲハもそそくさと付いていった。アデリーとトガリは掃除当番で残っていたが後で合流するのだろう、僕や冬馬と目を合わせないようにしていて、掃除が終わると逃げるように教室を出て行った。

 「どうするのよ、あなたたち」

 帰り道すがら数歩遅れてついてくる満里奈が夕食のメニューでも尋ねるように訊いてきた。

 「とりあえず君は帰りなよ。家の方向とは逆だろ、僕らは心配ないから」冬馬が言った。

 「そんなこと言っても、わたしもあなたたちの仲間だと思われちゃったのよ。どうするのか聞いてるのよ」

 「大丈夫だって言ってるだろ。巻き添え食ったら困るから帰ってほしいって言ってるのに」

 「さすが王子様、帰れなんて勝手だわね」

 彼女を心配して言ったのに、バカにされたようでむっとしてると冬馬がクスリと笑って満里奈へ話しかけた。

 「大丈夫、ちょっと話し合いするだけだよ」

 優しく言って帰るように諭すと、不満気な顔をしながらも、満里奈は立ち止まって僕達を見送る格好になった。

 「話し合いで納得するかな」

 「さあ、連中には無理かもな。だけどこのまま無視するのも面倒な気がするし、決着つけるのも悪く無いかと思ったんだ」

 通りから少し入ったテント張りの倉庫は、使っていたどこかの業者が倒産してから誰も使わず放置してあるせいで外観はあちこち破れているが、それが明かり取りとなり風通しもよく、中で遊ぶには都合が良かったので時々連中と勝手に出入りしていたのだと冬馬が話してくれた。

 入り口にかけてある剥げかけた立入禁止の札を見ないようにドアを開けた。傾いた太陽の光が差し込み、錆びた鉄パイプやそれを繋ぐであろう器具やロープ、分厚いシートみたいのが片隅に寄せられているのが見えた。むき出しの土の上にあった空気の抜けたサッカーボールが破れたテントから差し込む陽で長くいびつな影を作っていた。その影の先に石橋がポリタンクに座って腕組みして待っていた。

 僕と冬馬が中央に進むと入り口の扉の脇に隠れていた連中がさっと僕たちを取り囲んだ。

 「金は持ってきたのか冬馬」

 座ったまま石橋が言った。手にした鉄パイプは倉庫の隅から拾ってきたものだろう。

 「そんなの持ってくるわけ無いだろう」

 「なんだと」

 「言っておくけどグループを抜けたのは君たちじゃないか。怪我をした俺を見捨てて逃げ出したのはグループを見捨てたって事じゃないか」

 「ドジを踏むのが悪いんじゃねーか」

 「どうでもいい。議論する気は無いんだ。ただ今後一切俺達には構わないでくれってそれだけ言いに来た。勝手に抜けたからとお金を要求したりもしない」

 取り囲まれても平然として周りを見渡しながら説得するように冬馬は話した。みな俯いて冬馬の視線を避けてるなか、石橋だけが悔しそうに冬馬と僕をにらみつけていた。

 「ふざけたことを言うな。このままで済まないぞ。ほらお前ら、やっちまえ」

 石橋が鉄パイプを振って連中を煽った。取り囲んでいた連中がさらに少しづつ距離を詰める。それぞれの手には道端でも拾ったのか汚れた角材や倉庫の隅にあった鉄パイプなどが握られていた。

 「怪我をしちゃバカバカしい。そんなものは離せよ」

 冬馬は体つきばかりでなく、こういったセリフも大人の風格があった。だがそれでも連中は獲物を離そうとはしなかった。大声で煽る石橋の怒鳴り声でしかたなくといった様子で、クマノミが角材を振り回して冬馬にかかってきた。それを軽くかわして長い足を伸ばしてクマノミの足を払うともんどりうって倒れた。泣きだしたクマノミから角材を取り上げると皆一瞬たじろいだ。冬馬はそれを見ると奥の方へ向って放り投げた。

 「何をしてる。明日から学校へ行けなくなってもいいのか」

 石橋の声にビクッとして体を震わせるとアデリーとアゲハが飛び出した。アデリーはぴくりとも動かない冬馬にビビって立ち止まったところをあっさりパイプを取り上げられて頭を軽くコツンと叩かれて戦意喪失、座り込んでしまった。

 アゲハは僕にむかってきた。僕も腰が抜けそうになったけど、ふと夢の情景を思い出した。重い剣を振り回しながら踊るように敵をなぎ倒していく勇敢な姿を。ふと自信がわいた。落ち着きを取り戻すとアゲハの方も恐怖で震えているのがわかった。そう、誰だって怖いのだ。恐怖を打消すのは自信と経験だ。僕はアゲハの突進を避けながら蹴りを入れた。偶然うまく決まってアゲハは横っ飛びに飛んでむき出しの腕をしたたかに擦りむいた。トガリが困って震えていたが、石橋に追い立てられるように前に出てパイプを振り回すもすっぽ抜けて冬馬の足元へ転がってきた。隅まで走るとパイプの継ぎ手をもって僕達に投げ始めたが、トガリには重すぎたのだろう、僕達の数メートル手前で落ちた。彼はあたりを見回すと、そのまま破れたテントの隙間から外へ出ていった。

 「チェ!」石橋はそれを見て舌打ちした。

 しゃくりあげるように泣いているクマノミにつられてアゲハもしくしく泣きはじめた。アデリーは細い目をさらに目を細めてトガリの逃げ出した破れ目を眺めていた。

 「俺は連中とは違うからな。覚悟しろ」

 石橋は長い鉄パイプを振り上げると叫んだ。

 冬馬と顔を見合わせる、しかたないといった様子で冬馬は足元のパイプを拾い上げて構えた。サマになってる、そう感じた。

 石橋も同じく感じたのか互いに睨み合っていた。しびれを切らしたのは石橋で、叫びながらかかってきたその時、倉庫のドアが開いた。

 「何をやってるんだお前たち」

 入り口のドアが開いて大人の人が怒鳴り声を上げた。

 石橋の動きは早かった。パイプを冬馬に向かって投げると一目散にトガリの逃げた破れ目に一目散に走った。それを見たクマノミもアデリーも後を追った。しばらくキョトンとしてその様子を見ていたアゲハも泣きながら、よろけながら後を追った。

 「喧嘩してたのかお前たち」

 中へ入ってきた見知らぬ大人の人は僕達を睨みつけるように、それでも冬馬の体格と手にしたパイプを気にしてか、少し離れた位置で怒鳴りつけていた。


 「ねぇ、私がいて助かったでしょ」

 倉庫を出てから満里奈が誇らしげに言った。僕も冬馬も何度目かのその言葉に、しぶしぶうなずくしかなかった。

 彼女は僕等と別れたあとこっそり後をつけてきて倉庫に入ったのを見届け、外から様子をうかがっていたのだと話してくれた。破れ穴からトガリが逃げ出したのを見つけてそこから中を覗くと、冬馬と石橋が武器を持って睨み合っているのに驚き、あわてて通りすがりの車に助けを求めたのだそうだ。

 確かにあのままではどちらかが、あるいは3人共大怪我したかもしれない。

 「でも今日のこと学校にばれないかな。さっき助けてくれた人も学校名や俺の名前をしつこく聞いてたからな」

 「大丈夫よ、ただの子供のケンカだから気にしないでって私がたのんでおいたから」

 満里奈が楽しそうに言った。かわいい笑顔だ。こんな子に「おねがい」って手を握って言われたら、さっき助けてくれたオジサンみたいに何も言えなくなっちゃうだろう。

 「でもおかげで名前も学校も言わずに済んだよね。子供のケンカに騒ぎ立てないと思う」僕も冬馬を安心させようとしていった。「でも、あの構えカッコ良かったよ。剣道でもやってたの」

 「わたしも思った」

 「前にすこしやってたよ。父さんが剣道や空手やら通わせたんだ。楽しかったし必死に練習して強くなった。そして同じ歳ぐらいの子には誰にも負けなかった。でも大きいから強くって当たり前だってみんな言い出したんだよ。自分だってその体ならお前より強いよって言う奴もいてね、なんかそれで嫌になっちゃって辞めたんだ。もともと俺はスポーツより本を読んだりとかとかの方が好きなんだ」

 意外な話に僕は驚いていた。ぜんぜんイメージとは違っていたから。    

 「ねぇ音楽はどうなの?楽器とか」

 満里奈がいきなり冬馬の前をふさぐように廻って聞いた。

 「ああ、ピアノとか少しやってた。でも先生とうまくいかなくって、それも長続きしなかったけどね」

 「ねぇあなたは?」満里奈は今度は僕に向いて聞いた。

 「僕はダメだよ。音楽の成績も悪いし」

 満里奈はそれを聞くと残念そうな顔をした。満里奈の音楽の成績は抜群だから、音楽の話ができる友達でも欲しかったのかとその時は思っていた。


 翌日、学校へ行くと倉庫でやりあった連中は僕や冬馬とは目を合わせないようにこそこそと逃げるようにしていた。石橋は始業ギリギリに登校して仲間4人を睨みつけながら席についた。

 問題が起きたのは午后の授業が始まった時だ。クマノミ、アデリー、アゲハ、トガリの順に次々に職員室に呼び出された。何があったのかと教室中が騒ぎになって、代理の先生は静かにするように何度か注意しなければならなかった。

 次に石橋が呼ばれてからは長く、授業が終わっても誰も戻ってこず、うなだれた様子でみなが戻ったのは次の授業が始まってしばらくたってからだった。

 次に呼ばれたのは僕と冬馬、そして満里奈。3人揃って連行されたのは職員室ではなくて校長室だった。最悪だ。

 倉庫で助けてくれたおじさんは満里奈との約束通りに学校へは連絡しなかった。だけど家に戻って奥さんに事の次第を話すと、奥さんがただ事ではないと騒ぎ出して、知り合いの奥さんと話題にしたらしい。女同士の話し合いでやはり放っておけないということになり、調べると身長175センチのランドセルを背負った子供を特定するのは時間がかからず、翌日の朝には学校側で事の次第を知ることになったらしい。その後はそれぞれの家庭に連絡が行って、僕も両親にこっぴどく叱られた。そして当分の間、通学以外は土日も外出禁止となった。

 ただ喧嘩の原因については「ちょっとした感情の行き違い」ということになって、ことの発端となった商店街での事件については誰も話さなかった。

 とりあえずそれで落ち着いたかに見えた。


 無料食堂の地下室に先代王とその王妃がベットに横たわっていた。念入りに診察した医者の話では、やつれてはいるが病気ではなく、充分な栄養と休息を取れば数日で起き上がれるようになるだろうという話だったので、みんな安心した。

 二人を連れて脱出した後は、兵士たちが逃げ出したネズミみたいに城下を駆けずり回って逃亡者を探しまわっていた。昼までには城下のあらゆる場所が調べつくされたが食堂の地下室の存在が見つかることはなかった。オルベアとエルスともに日に日に血色が良くなっていって、一週間もたつと話すことが出来るようになった。


 「そうか、ジェイミスとチネリは亡くなったのか」父はボクの育ての親の死を心から悲しんだ。「二人共よく私に仕えてくれたものだった。そしてお前をこんなにも立派に育ててくれて」

 元気になったオルベアを見て、アンクア王に対して早速反乱を起こそうとする者たちをオルベアは必死になだめた。

 「囚われの姫がいる」

 アンクア王は隣国の王女を誘拐し監禁しているとの説明にみな衝撃を受けた。隣国のビアンカ王国は大国である。領土も豊かさも高度な訓練を受けた兵士の数もこの国とは比べ物にならない。くわえて工業製品や農法など高度技術や知識も持ち合わせていた。アンクア王はそんな隣国と同盟を結ぶべく努力したが、高潔なビアンカ国王はアンクアの下劣さをみてとって同盟を断った。それならと秘密裏に王女をさらって誘拐監禁してしまったのが数ヶ月前だという。

 卑劣だ、まるでアルドルトみたいだなと思った。トーマも同じ思いか目を合わせて頷いた。

 隣国もアンクアの仕業であることは薄々感づいているものの人質になっている以上うかつに手を出せない状況だ。

 「もし皆で城を襲撃すれば追い詰められたアンクアはビアンカ国の王女を殺してしまうかもしれない。そうなればビアンカ国はわれらの国を許さないだろう。戦争になればとうてい我が国に勝ち目はない。万が一勝てたとしてもかなりの犠牲を覚悟せねばならん。それだけは避けねばならん」

 「それじゃいったいどうすれば」

 ボクは父オルベアの目を見て訊いた。

 「まず王女を救い出すのだ」

 オルベアが力強く答えた。


 数日後の深夜、ボクとトーマは城から数キロ離れた海岸に近い滝の裏側の、わずかにあるくぼみに寄りかかるようにして立っていた。激しい滝の流れが外側からはふたりの姿を隠してくれている。

 先を尖らせた鉄の棒を満身の力を込めて岩に突き刺す。何度も何度も硬い岩に力任せに突き刺しているとやがて穴が開き岩のかけらが向こう側に落ちた。そこを拠点にじわじわと穴を広げると、穴の向こうにに深く続く洞窟が見えた。荷物と剣を外して放り込み、次にボクとトーマが入っていく。何代も前の王が用意していた秘密の抜け穴のひとつだ。何代にもわたり王にのみ伝えられてきた抜け穴は今始めてその道を開いた。

 何十年と使われていない抜け穴、もし途中で崩れてでもいたら終りだが、先週の襲撃以来、厳重さを極めた城の警備をかいくぐって城内へ入るのに他に方法がなかった。油をたっぷり染み込ませた布を何重にも巻いた松明は暗い洞窟をほんのり照らしていた。何を食べて生きているのか、多くの虫達が這いずりまわる音だけが聞こえた。慎重に歩を進めて一時間も歩いたころ、通路は周りを石で囲まれた場所へ出た。それはそのまま階段へと続いていた。城内へ入った証拠だ。さらに慎重にさぐるように階段を登って行くと四角い小部屋へと出る。トーマに目配せして松明を消す。真っ暗闇になった空間に上方から一筋の光が差し込んでいる。オルベアによれば王妃の部屋へと通じているはずだが、アンクア王に后はいない。本来なら無人のはずなのだが誰かいる気配がした。

 光の漏れた天井あたりを目を凝らす。静かに探り、指先に感じたと僅かな隙間を手繰ると肩幅ほどの円形を描く。これが抜け穴の出入口なのだとはわかったものの押しても引いても微動だにしない。二人で満身の力を込めて押し上げる。力尽きようとした時にやっと隙間から光が漏れた。最後の力を振り絞って外へと押しやった。亀の子が首を出すようにそろそろと這い出す。抜け穴の上には大きな后用の寝台だろう。四隅の豪華な装飾を施された足は王族のものであることは疑いようもない。物音がしないのを確認して、ゆっくりと這いながら寝台の下から顔を出したとたんに剣先がボクの首をかすめて床に突き刺さった。見上げると寝台の上で剣を掴んでいる少女の顔が見えた。剣はボクの頬を薄く切り裂いたようで首筋に流れ落ちる血を感じた。

 「何者なの私の部屋へ無断で入るとは」

 「ちょっと待って、怪しいものじゃない」

 話すだけで喉が震えて刃にあたる。

 「床下から這い出して何が怪しくないなのよ。首ちょん切るわよ」

 少女は言い終わると剣を引いて再び振り下ろした。床に激しく顔をこすりながらボクの体は後に戻った。髪をかすめて剣が床に叩きつけられる。トーマが後ろから足を引っ張ってくれたおかげで助かった。少女が寝台の下を覗き込んだ時にはボクとトーマは反対側から這い出して立ち上がり剣を構えていた。

 左右に別れて彼女を挟み込む。彼女は劣勢ながらあきらめずに一太刀でもと剣を振る、ボクが受ける。少女の体のように細い剣はボクの剣を受けて刃こぼれし、少女の頬へ飛ぶ。剣の破片で頬から血を流しながら諦めようとしない目がふとボクの剣の柄へと流れた。はっと気付いたように少女は目を見開いた。

 「その剣はオルベア王国の…」

 その言葉を聞いて一瞬ボクの力が緩んだ。少女の動きは素早い、剣を外して後へ飛び退いた。

 「私はビアンカ王国のマリーナ王女よ」

 涼し気な、それでいて芯の強い瞳に見据えられて、ボクとトーマはただ立ちすくんでいた。


 「もしかして、それってあたし?」

 いつものようにいつもの場所での昼休み、昨夜の夢の話をし終えた時に満里奈が聞いた。

 夢に出てきた少女は満里奈そっくりだった。ただすこし背が高く大人っぽい顔立ちで体つきも少女のものではなかったが、それを話すのはためらわれた。「そう、君に似ていた」とだけ答えることしか出来なかった。  彼女はそれだけでは満足せずに、体型や容姿はもちろん髪型や髪の色、服装や胸の大きさまで事細かく訊いてきた。僕はそれに対して、夢の記憶をたどりながら、ひとつひとつ答える。それらの答えはなんとか彼女を満足させたようだ。それでも「女だからって力が弱かったり、剣さばきが下手だったりするわけじゃないんだからね」と付け加えるのを忘れなかった。

 「あ、大変。お昼休み終わっちゃう」

 始業5分前のメロディーが流れた。それを聞いて校庭に残っていた生徒は校内へと吸い込まれていった。僕たちが昇降口へ着いたのはほとんど最後だった。

 「なによ?満里奈は、このメンバーで音楽祭に出るのかしら」

 エントランスに立って声をかけてきたのは背後に同じクラスの女子を数人従えた桜条亜妃だった。胸元のフリルや丸いボタンがブランド物なのだろうかテレビに出るアイドル並みにカッコイイ。この学校のPTA会長である母と市会議員でもある父親を持ち、成績優秀品行方正でそれなりの美人で僕も以前は他の男子同様彼女が好きだった。

 去年の雪の日だった。僕がおつかいの帰りに道で転んだ時に、両親と車で通りかかった彼女と目があった。両親に頼んで車を止めさせ怪我をした僕にやさしく手を差し伸べる、とっさにそんなシーンを思い描いた。だが彼女は僕から視線を逸らして湿った雪を僕の顔に浴びせて通り過ぎていった。気付かなかっただけかもしれない、車が泥雪を撥ねたのも彼女のせいじゃない。それはわかっているものの彼女の本性を見たようでどうしてもすっきりしなかった。だから常に学年トップだった成績が満里奈にトップを取られ、さらに音楽の合唱の時間に先生の代わりにピアノを任され得意気な顔で彈いていたのも満里奈に代えられたのはいい気味とさえ思って、満里奈に喝采を送っていた。

 「何のこと」

 満里奈が聞き返した。

 「9月の音楽祭に決まってるでしょう」

 くだらないことを聞くなと言わんばかりの顔で亜妃が応えた。

 僕の住む街は音楽活動が盛んである。音楽で街を盛り上げ全国へ広めようと、地域コミュニティはもちろん職場でも合唱隊や音楽バンドなど結成されて週末はいつもどこかで発表会が行われている。もちろん学校も例外ではなく、秋の音楽祭には2日間、生徒による音楽発表が行われる。低学年はクラス全体による合唱などだが、4年生あたりからは仲の良いグループで合唱や歌にダンス、楽器演奏セッションなどがメインとなる。5,6年生の出し物は最終日の日曜に行われることもありメインイベントになっていた。

 各グループでしのぎを削り、優勝を狙って何ヶ月も前からトレーニングする組もあるのだ。ボクのように興味もなく歌も楽器も出来ない子は、合唱隊のひとりとして隅のほうで小さな声で歌うか、後ろのほうでタンバリンを叩くのが恒例だ。桜城は去年ピアノコンサート、と言っても一人では出場できないので形だけセッションを組んで学年優勝した実績があった。

 「まだ3ヶ月も先だわ」

 満里奈が興味なさげに答える。

 「何言ってるの。もう練習始めてるチームも多いわ。そう、あなたそんなこと言って油断させようとしてるのね」

 「そんなこと」

 「もっともこのメンバーじゃ笑いものにしかならないでしょうけど」亜妃が笑いをこらえるように言った。「ピアニカとカスタネットとタンバリンってとこかしら」

 「あんたは何やるのよ」

 「私達は」後へ並ぶ取り巻きに目をやった。「歌とダンスよ」

 流行りの人気アイドルグループの真似をするのが多いが、ダンスや歌よりも衣装や振り付けばかり派手になってきている風潮に先生方はあまりいい顔をしない。でも亜妃なら先生方も何も言えないだろう。

 満里奈がそれを聞いてクスっと笑った。それを見た亜紀がにらみつけるのもかまわず、亜紀の前に立ってゆっくりと言った。

 「わたしたちはバンドで出場するわ」

 

 「どういうことだよ。わたしたちって何?」

 僕は放課後、満里奈を追って問い詰めた。冬馬も気になってあとをついてくる。

 満里奈はあたりを見回すようにして裏路地に入った。人気のないのを確かめて、

 「言ったとおりよ。この3人でバンドを組んで演奏するの。私はヴァイオリンを演奏するわ。これは譲れない。あなた達はピアノとフルートをおねがい」

 冗談だと思った。楽器なんてピアニカさえもまともに演奏できない。今年も合唱隊の隅っこで目立たないようにと考えていた僕にとっては笑えない冗談だった。冬馬の様子を見ると真剣な顔つきで考え込んでいたが不意に話しだした。

 「俺はピアノを習ったことはあるけど、人前で演奏できるほどじゃないし、バンドで他の楽器に合わせるとか経験ないよ」

 「練習すればいいの、まだ3ヶ月あるから」

 「たった3ヶ月? 絶対無理だよ」

 どうやら冗談ではないと知って僕は叫んだ。ピアノなんて絶対無理だし、縦笛さえも出来ないのにフルートなんて。

 「大丈夫、練習すれば絶対できる」

 「練習って僕は楽器もないよ。君らは持ってるの?」

 冬馬は首を振り、満里奈は恥ずかしそうに俯いただけだ。あるのは学校教材のピアニカとリコーダーだけなのだ。

 「でも出場者は来月から音楽室の楽器を使わせてもらえるのよ。毎日練習すればきっと出来る。私も少しは教えることができるし」

 満里奈が必死に励ますほど僕は不安になってきた。

  


 近くでじっくり見るとかなりの美人であった。髪はツインテールと言うのだろうか、ふたつの髪飾りから艶のある黒髪が肩まで弧を描いていた。蝶を象った髪飾りにはビアンカ王国の翼の意匠が彫り込んであった。

 「先代王の息子が助けに来るなんて考えもしなかったわ」

 マリーナ王女が不満そうな顔をしながらも抜け穴へと降りようとした時、入り口の大きなドアが乱暴に開かれて数名の兵士たちが一斉に飛び込んできた。ボクとトーマはまだ寝台のそばに居て、抜け穴へ入りかけていた王女を見守っていた。兵の一人が覗きこんで王女を確認すると何かを投げ込んだ。王女のもとへ転がる黒くて丸いもの、そこから伸びた細い紐の先から火花がとんでいた。火花を散らしながら王女の足元へ転がり落ちた。

 素早く頭から寝台の下へ滑りこんでトーマが王女の手を掴んだ。トーマの足首をボクが引っ張る。王女を抜け穴から引き抜くと手を掴んで壁際の長椅子の裏に走り伏せた。ボクもすぐ後に飛び込んだのと同時に激しい爆発音がして何かが崩れる音がした。長椅子の下から覗いてみると寝台の下は大きな穴が開いていた。寝台はかなり丈夫にできていたようで室内にはほとんど被害がない。

 「抜け穴は塞がれちまったようだな」

 トーマは長椅子から飛び出すと部屋の外へ一旦避難して戻ってきた兵たちに襲いかかった。

 さすがに訓練された兵を盗賊どものように蹴散らすようにはいかなかったがそれでも二人がかりで数名の兵士を倒すと王女の手を引いて部屋を出た。広い廊下にはびこる兵士を生い茂る草を切り割くように倒して外へ向かって突き進んでいく。一旦二階へと上って回廊を抜け、広い階段を降りればエントランスホールだ。そこを突っ切れば外には密かに侵入した仲間が潜んでいるはずだ。彼らの助けを借りて城門を突破する。

 階段を駆け降りる途中でホールを見て足が止まった。ゴリラのような異様に大きいバケモノがホール中央に手をだらりと垂らして立っていた。顔や体つきまはまさしくゴリラだが、瘤のように発達した筋肉や節くれだった黒ずんだ顔に、底なし沼のように淀んだ瞳。象でも100頭は入りそうなホールが狭く感じるくらい大きく威圧感があった。さらに脇の回廊から虎が2頭ゆっくりと出てきた。これも普通の虎でないことは数々の妖獣を倒してきたボクにはすぐに分かった。

 「逃すわけにはいかないよ」

 虎のあとに続いて回廊から現れた小さな男、疑り深そうな人を信頼しないその男は今の国王アンクアだ。噂どおりの風体だ。そしてそのそばに立つ背の高い黒い僧衣を着た冷たい目をした男が、軽く片手を上げなにか呟いたと思うとゴリラが突進してきた。後ろは武装した兵が駆けつけている、ボクは剣を構え飛び出す。トーマが王女を護る。巨大な妖獣相手にはボクの王家の紋章が刻まれている剣でなければ倒せない。勢いをつけ階段中央からジャンプしてゴリラの肩に勢いにまかせて振り下ろす。骨を切断した手応えを感じて着地する。だがゴリラの突進は止まらない。そのまま階段を踏み潰しながら王女へと向かう。兵たちはすでに二階の奥まで避難していた。王女を背後にかばいながらトーマが後退りする。ボクは階段を駆け上がる。ゴリラに追いつくと太刀を足首目がけてなぎ払った、が、硬い骨に喰いこんで太刀が抜けない。もう一歩ゴリラが進んだ時、半分斬られた足首はもげてゴリラはバランスを失い後へひっくり返った。トーマはそれを見ると思い切り飛んでゴリラの胸へと着地すると剣を深く突き刺した。

 「ダメよそれじゃ。逃げて早く」

 王女は手すりから身を乗り出して叫んだ。

 ゴリラの胸に深く刺さった剣を見る。細身の剣はほとんど柄まで刺さっていた、いくらゴリラが巨大でも心臓深く食い込んでいるはずだ、が、獣の残った左腕が唸りを上げてトーマに襲いかかった。瞬間気づいて飛び退いたものの、階段の手すりを飛び越えてトーマは回廊の柱へと叩きつけられた。ゴリラが胸の剣を引き抜いて放り投げる。片方の足首がないため、ふらつきながら階段を登って王女へ向った。

 ボクは駆け上がって残った足首を狙った。今度はすっぱりと切れた。それでも足首だけの獣は階段を這いながら進む。踊り場へ到達する前にボクは獣の脇をすり抜け、反対側の階段を上り二階へ駆け上った。手すりを越えて精一杯跳躍する、獣の頭めがけてボクの体は放物線を描いて飛んだ。獣の顔が目の前に来た時に太刀を思い切り振り下ろした。加速度をつけたボクの全重量が獣の太い首にかかった。骨を砕く衝撃でこっちの腕が折れそうになる。剣を振りきって着地する。切断された頭部はちぎれ落ちるように落下して階段を転がり落ちてシルヴァの足元まで転がった。

 トーマはエントランスの等間隔に並ぶ回廊の柱をくぐり抜けながら二匹の虎を相手に剣を振るっていた。虎はトーマの剣を受けてちぎれかけた体をものともせず襲いかかる。二匹の攻撃を避けながらの攻撃では思うように致命傷を与えられないようだ。

 加勢をしようと駆けつけようとしたとき王女の悲鳴、振り返ると頭の無いゴリラの振り上げた拳がボクの頭上に迫っていた。とっさにかわして走りだしと、どうやって感じるか前肢と足首だけで追ってくる。シルヴァとアンクアが薄ら笑いをして愉快そうに眺めているのを見ると、そのままアンクア王目がけて走りだした。

 アンクアの目の前で反転してボクの体は獣の股間をすり抜けた。獣の拳はシルヴァに向かって振り下ろされた。ひきつるアンクアの顔、しかし、シルヴァは平然として手を振りかざして何事か呟いた。拳がシルヴァの体を叩き潰したかと思えたとき、獣の身体は黒い霧のように消えた。後にはなんとも嫌な匂いが漂った。見ると切り離されたはずの足も腕も、そして頭部さえいつのまにか消えてなくなっていた。

 「その男はゾンビ使いなのよ」

 マリーナがシルヴァを指して大声で叫んだ。

 トーマはと見ると一匹の虎の片足を切り落としたせいで楽にはなったようだが、それでももう一匹の素早い動きに捕まりかけていた。ボクは片足を失いながらも走る虎の首をはねた。転がった首に睨みつけられてぞっとした。いい気持ちはしないがそのまま胴体も切断した。そしてトーマに襲いかかった虎の後ろ足をめがけてみね打ち。骨が砕ける音がした。飛びかかろうとしても後ろ足は床についたままで這いずり吠えるのがせいいっぱいだ。トーマが剣を一閃首をはねた。

 二人つれだってアンクアとシルヴァへ向かう。

 「早く成仏させてやりなよ。またあんたに飛びかかったら困るだろ」

 トーマがシルヴァを睨みつけて言った。

 シルヴァは薄く笑って、またなにかつぶやくと虎の残骸も消え失せた。黒い霧、鼻を突く嫌な匂いが流れた。

 シルヴァとアンクアのふたりをボクとトーマで囲むように

 「二人とも、王女を誘拐した罪は重いですよ」

 「とりあえず牢にでも入っててもらおうか。裁判は受けることができるだろう」

 しかし二人共薄い笑いを浮かべて僕らの背後を見た。視線を追った先には二階の回廊で背後から喉元に剣をつきつけられている王女がいた。奥へ避難していた兵士が、いつの間にか戻ってきて王女を人質にとっていた。

 「牢に入るのはお前たちだ。先代の息子だかなんだかが城下に入ってきたのは知っている。どちらか知らんが三人まとめて始末してやるわ」

 そして二階の兵に合図をすると王女を抑えていた兵士が剣を振り上げた。間に合わない、そう思ったが突然兵士は首を押さえて苦しそうにもが着始めると剣を取り落とした。その首に細く光るものが光って見えた。その光は兵士の首を一回りしてマリーナの握りしめた両手の中へ続いていた。マリーナが腰を屈めて兵を背負うようにすると兵士は自分から飛び込んだかのように手すりを越えると宙に舞った。自由になったマリーナはすぐさま落ちていた剣を拾って後ろに残った兵士に対して構えた。

 宙に舞った兵士が大きな音を立てて床に落ちた時にはボクは階段の踊り場へを廻っていた。二階の回廊へ着くと兵を叩きながら王女の側へと寄った。

 「あたしは大丈夫よ。あっち行っててよ」

 彼女は平気な声で何事もなかったようにボクを見てそう言った。楽しげな横顔が爽やかだ。

 下を見るとトーマが剣を突き出してシルヴァとアンクアを押さえていた。


 アンクアとシルヴァ、それに残りの兵士たちは、ボクが用意していた花火の合図とともに城内へなだれ込んだ民衆によって確保された。この日のためにひそかに訓練されていた先代王の親派のものたちだった。

 アンクア王の時代が終わったことは、あっという間に城下へと知れ渡った。地方へ伝わるのそう時間はかからないだろう。ゾンビの妖獣を作りだし操っていたシルヴァは投獄され、新たな妖獣が生まれることもない。都までの街道は再び賑やかになるだろう。

 民の希望で父オルベアが再び王位に着くこととなった。そして不当な罪で入牢されていた人々は開放され、オルベア王の親派だったものは元の地位へ戻り、アンクアに加担した反乱分子は入獄された。

 ボクの頼みですぐに村に伝令が出されコルナゴは釈放され、賄賂を受け取った役人は逮捕されて、地主も厳重注意を受けて新たに派遣された役人の厳しい監視下に置かれることになった。そして私服を肥やす役人や極悪な地主がいないか密偵を全国に送ることをオルベア国王は約束してくれた。

 オルベアは今までの穴を埋めるべく精力的に国民の幸せのために尽力した。ビアンカ国との国交は再開し、街道は妖獣や盗賊が姿を消し、代わって商人や旅人で再び賑わい始めた。

 

 ボクとトーマは明日には国に戻るというマリーナと一緒に市場へと出かけていた。迷惑をかけたお詫びにと客人として大切に扱われていたマリーナだが、そろそろ国へ帰る時が来た。

 「寂しくなるな」

 今は王宮の近衛兵であるトーマが言った。

 「そうね私もここが気に入ったけど、いつまでもってわけにもいかないし、それに」露店のスカーフを弄びながら話す。「国へ戻って結婚の準備もしなきゃいけないし」

 「結婚するの?」

 ボクは驚いた。ビアンカ王国は男子の世継ぎがいる。マリーナはよその国へいくというのか。

 「多分そろそろ父が決めた人としなければならないわ。だって私は王女ですもの」

 ボクは心が折れそうな気持ちになった。ふと見るとトーマはもっと辛い様子に見えた。何か言わなければと思っても適当な言葉が見つからない。その時近衛兵の一人が飛び込んできた。

 「大変です。シルヴァが逃亡しました」

 3人共驚いて詳しい事情を聞こうとしたとき市場の一角が騒がしくなった。もしや、と思って通りに出てみるとシルヴァが一匹のモンスターを従えて通りを歩いてきた。筋肉が瘤のように盛り上がり、顔は節くれだっていて人間のようにも見えるが、小さい洞穴のような両目は動物ですらなかった。その異様さに市場に集まっていた民衆も恐れて遠巻きにしていた。剣を構えた数人の近衛兵も、その後ろからおずおずと後をついてくるしかできなかった。

 兵士の説明によれば、少し前、牢獄の中でアンクアが突然大声で喚きだした。城内に響き渡るそのおぞましい声で兵士が駆け寄った時は、自分で喉を掻っ切ったのか、喉から血を流してこと切れているアンクアの姿があった。その側で一緒に投獄されていたシルヴァがその胸に手を当てて何事か唱えていたかと思うと、突如アンクアの体がむくむくと盛り上がり獣のように変化し、大木のような腕で鉄格子を引きちぎり、異変に気づいて集まった兵をなぎ倒しシルヴァと共に逃走したのだという。

 「じゃあ、あの妖獣はアンクアなのか」

 ボクの言葉に、兵が怯えた顔で頷いた。

 「ちょうどよかった。お前たちに会いたかった」シルヴァはボクたちを見つけて言った。「まずはどこかへ身を潜め、ゾンビたちを増やして出直すとしよう。そのためには邪魔なお前たちは消えてもらおう」

 この男が本気になったらどれほどの妖獣で国中が溢れてしまうのか、想像しただけで身震いがした。ボクもトーマも剣を持って出ていなかったので兵士の剣を借りる。マリーナは髪飾りを外して両手で掴んで弦を張る。兵士を倒した彼女の武器だ。

 シルヴァの掛け声で、かつてアンクアだった獣人が飛び込んでくる。すかさず剣を振るうがあっさりとかわされた。獣人となって俊敏さは人間の比ではなくなっていた。しかし間一髪、マリーナが放った髪飾りが獣人の足に絡みついた。もう片方の髪飾りはマリーナの手の中だ、ぐいと引っ張るが勢いづいた獣人の体はマリーナを引きずり、マリーナの手の中から鮮血がほとばしった。耐え切れずに開いた手から髪飾りが離れた。

 だが一瞬でも獣人の動きは止まった。その瞬間ボクとトーマの剣は獣人を貫き、そのまま地面へ串刺しにした。素早く兵士たちが取り押さえる。だがシルヴァを倒さなければこの程度で獣人の動きは止まらない。ボクとトーマも兵士とともに必死で抑えこむ。。

 シルヴァは遠巻きにする兵士を剣を振り回して威嚇しながらも後退していたが、

 「俺様にはゾンビをいくらでもつくり上げることが出来る。いまは引き下がるが数多のゾンビとともに舞い戻ってきてやる。その時こそがこのシルヴァ様がこの国を支配してやる」

 この男が本気になったらどれほどの妖獣が湧き出すのか、増えすぎた妖獣はシルヴァにも制御できずに国ごと滅ぼしてしまうのではないか。恐怖心が皆の心を支配したと思った。

 「冗談じゃない、また前の暮らしに戻そうっていうつもりか」

 群衆のなかから屈強な男が叫んだ。

 「そうだ、あんな生活はまっぴらだ。もう二度とごめんだよ」

 「また前の様子じゃ子供を安心して育てらないもの死んだほうがましだわ」

 群衆は苦しい暮らしを余儀なくされ、やむなく地方から来ている者も多かったためか、次々に声が上がった。それは次第に広がって地面さえ揺るがすほどの合唱となった。そしてシルヴァに少しづつ詰め寄り輪を縮めていった。

 「ええいうるさい。ゴミどもめ」

 シルヴァが剣を振り上げた。

 マリーナがいつの間にか獣人の足から髪飾りを外していてシルヴァに向けて放った。髪飾りはシルヴァの首に絡みついた。

 絡みついた髪飾りを外そうと注意のそれたシルヴァに群衆の前にいた男が飛びかかった。次々に飛びかかる男たち。露店の柱にぶつかって棚が揺れて商品が落ちる。シルヴァはたちまち群衆に組み伏せられてしまった。

 その時になって兵たちはようやくアンクアだった妖獣を鎖で縛り付けることに成功し、今度はシルヴァを捕獲しようと近寄った時だ。露店にあった瓶が転がって割れて、つんと鼻をつく強いアルコールの臭がした。中に入っていたのはなんだったのか。黒い塊がむくむくと大きくなり大蛇が現れた。瓶に入っていたのは焼酎漬けにして売られていたマムシだ。鎌首を持ち上げると出店の屋根さえ軽々と越えて、赤い舌を出して威嚇する姿に、波が引くように人垣は消えた。大蛇は人一人ぐらいゆうに飲み込めそうな様子で這ってきた。開放されたシルヴァは絡んだ髪飾りを外して投げ捨てるとこちらへ歩み寄った。

 「何よこんなの」

 マリーナの声とともに石が投げられて大蛇の頭部へと当たる。大蛇が首をマリーナの方へ向けて大きく口を開けた。

 そのとき一気に突っ込んで大蛇の腹を目がけて剣を振り下ろす。渾身の力を込めて振りぬく。ようやく大蛇はふたつになった。頭を失った胴体はのたうち回っている。うかつには近寄れない。頭部はいくらか残った胴体をよじってわずかに動いている。不気味な様相に思わず目をそらした瞬間、シルヴァが斬りかかってきた。剣を剣で受けて火花が散る。力負けしたシルヴァが後ずさると、その足元にのたうち回ってきた大蛇の胴体が来ていた。それに気づかず足がつっかかって倒れこんだ。大蛇の胴体はシルヴァに反射的に絡みつくと思い切り締め込んだ。うめきながらも抜けだそうともがいていたシルヴァの首へ、今度はわずかに残された胴体で這いずってきた大蛇の頭が一気に噛み砕いた。短い悲鳴が上がりすぐに消えた。

 慎重に近づくと大蛇の胴体も頭もボクの足元で塵になって消え失せて、シルヴァの死体だけが残された。背後の金属音に振り返ると、かつてアンクアだったものに巻きついていた鎖だけが地面に落ちていた。霧が醸し出した嫌な匂いもやがて東風が消し去った。

 すべては終わったのだ。

 誰からともなく歓声が上がり、それはやがて都中に広がっていった。


 新しい国政のもと、国民の暮らしが落ち着いた頃にボクとトーマは港で出航を待つ船上へいた。

 ビアンカ王国から正式に招待されたのだ。トーマは新しい工業や農畜産の技術を習得するべく結成されたチームのリーダーとして、ボクは国政を学ぶべく一年間留学することになった。国中から集められた汽笛が鳴って多くの人びとに見送られて船は岸を離れて行った。オペラと村の仲間が呼ぶのに応えて船内へと向かう。彼らもチームの一員だ。

 頬を撫でる春風が心地よい。この風が新しい時代を運んでくるんだと確信した。

 

               

 「え?それで終り」

 「うん。それに薬も最後だったし」

 物足りないといった様子の満里奈に僕は答えた。

 「何か不満なの」

 「ううん。ただ殺されちゃったシルヴァとかアンクアとか、ちょっとかわいそうかなって思って」

 「だって悪党だったんだよ」

 「ううん。いいの、夢だからしょうがないよね。思い通りにならないし」

 夢を思い通りに出来る薬のはずなのに…彼らを殺したのは自分なのか、ボクは自分の中の残酷さを見られたような気がして黙りこんだ。

 教室へ戻る途中で担任の黒井先生とすれ違った。いつかの倉庫での一件以来、僕も冬馬も他の5人同様、目をつけられていた。何かあるたびに睨まれる気がしていてこの先生は苦手だ。そのせいだろう彼の顔は夢の中のシルヴァそっくりの顔立ちだった。

 「あ、ちょっと榮倉くん」呼び止められて戸惑う満里奈にかまわず先生は続けた。「音楽祭に出るんだってね君たち3人で」

 「はい、そうです」

 よろしくお願いしますと言って満里奈は頭を下げた。しかし先生は舌打ちしながら「君たちの希望する楽器は学校にも幾つもないし、高価なものばかりだよ、別な楽器を選んだほうがいいんじゃないのかな」

 だいたい本当に演奏できるのかね、おもちゃじゃないんだよ、と続けざまに嫌味っぽく言われたので満里奈も怒って声を上げた。

 「でもわたしたち3人でやるって決めたんです」

 「他のグループに混じって合唱とか、歌って踊ったりとかあるだろう。父兄の方も来るんだよ。変な演奏なんか聞かせられないよ」

 「大丈夫です。恥ずかしくない演奏しますからお願いします」

 満里奈が目配せしたので僕も冬馬もあわてて一緒に頭を下げた。さすがに先生もそれ以上言えなくって、生意気だとかなんとか呟きながら職員室へ消えた。

 「びっくりしたな。いきなり怒られちゃった。どういうこと?意味がわかんない」

 僕は満里奈に聞いた。

 「楽器と音楽室の使用許可を申請したのよ。その話よ」

 「あれ、本気だったの」

 「ちょっと何言ってるの今ごろ。冬馬くんはピアノ、君はフルート。言ったでしょ。そして私はヴァイオリン。演目はモーツァルトの…」

 やっぱり本気だったのか。逃げ切れそうもない状況に戸惑い、真剣に説明する満里奈の声を僕はどこか遠くで聞いていた。

 


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