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ファンタジー世界へ(2)

「いいじゃないか。いよいよ敵地へ乗り込むってわけだな」

 次の日、夢の話を聞き終えた冬馬が満足そうに笑った。気に入ってもらえて僕はホッとした。思い通りに出来るはずの夢が、自分が考えてるのとはまったく違う方向へ話が進んだりするのだから、どう思われるか心配だったのだ。

 放課後、掃除当番だった僕を冬馬は待っていてくれた。一緒に教室を出たところで榮倉満里奈が声を掛けてきた。

 「あなたたち、いつのまに仲良しになったの?」

 満里奈は4年生の時に東京から転校してきた女の子だ。都会っぽい雰囲気をもつ可愛い子がいると話題になっていたため、別のクラスだった僕でも顔や名前は知っていので5年生で同じクラスになれて嬉しかった。そんな彼女にいきなり話しかけられて答えに困っていると続けざまに質問が来た。

 「あの五人組とはケンカでもしたの?いつも一緒だったのに」

 「関係ないだろ」

 冬馬は一言だけ言うと僕の肩に手をかけて「いこう」と促した。彼女の視線を背後に感じながら、僕はなにかもったいない気がしつつ歩き始めた。

 校門を出ると石橋たちがいて、少し驚いたけど冬馬は平気な顔をして、というより無視して通りすぎた。後で「チッ!」と舌打ちする声と唾を吐く音が聞こえた。後を振り返ってから冬馬の顔を見て「いいのほっといて」と聞いたけど「いいんだ。気にしないで」と小さく答えたきりでそれ以上は聞けなかった。

 「あいつらは俺を裏切ったんだよ」

 黙っているのに耐えられなくなったのか冬馬が話し始めた。

 「先月のK商店街のイベントを覚えてるだろ」

 となり町の駅前商店街のイベント、買い物に応じて集めた地域商店街のスタンプの数に応じていろいろな景品が当たる催しだった。僕の家ではとなり町をあまり利用しないのでスタンプが集まらず残念な思いをした。たしか3等は誰もが欲しがる流行りのアニメの限定フィギュア、もしくは温泉一泊券だった。子供のいる家庭なら当然限定フィギュアだろう。

 「石橋と俺と総勢6人で出かけた。他の連中はそれぞれ1~2回分の抽選券はもっていたんだが、みんなハズレばかり引いて残念賞のポケットティッシュばかり集まった。連中は腹立ちまぎれにティッシュを放り投げたり、丸めてぶつけあったりしながら裏通りを歩いてた。その時誰かが、イベントの事務所なら景品を置いてあるって言い出したんだ。買い物したんだから貰う権利はあるはずだ、事務所に忍び込んでもらって来ようって」

 「それって泥棒じゃないの」

 「ああ、そうなんだ。だけどいけないこどだからって注意する雰囲気でも無いし、どうせできやしないだろうと黙っていたんだ。そしたら石橋が抽選券を持ってない奴がやれよって言い出した。俺のことだよ」

 冬馬がぐいと親指をたてて自分に向けて、うちもとなり町では買い物しないんだよなぁとため息をついた。

 「商店街の事務所はイベント中は人の出入りが激しくて忍び込めないだろ。ところが裏手に回ると狭い路地には誰もいなくって、建物の壁に沿って上まで続いて雨といがあるんだ、その脇にある小さな窓が開いてて入れそうだった。さっさと登れよって石橋が言い出すと他の連中はニヤニヤ見ていた。仕方ない、俺は雨といにとっついて登り始めたよ。いい加減登ったところで手が滑ったふりをして降りるつもりだった。それ以上はやつらも無理は言わないはずだと考えたんだ。ところが一階部分を登り切ってそろそろ落ちたふりでもするかと考えてた。2~3メートルの高さなら怪我もせず着地する自信はあった。ところが雨といの繋ぎ部分が腐ってもろくなってたのに気付かなかった。変な音がしたなと思ったら壁から繋ぎ金具が外れて雨といは俺の体重でぐにゃりと曲がって、雨といを掴んだまま地面に音を立てて落ちた」

 「え、じゃあ、もしかしてその時に」

 「そう、うまく着地したつもりだけど下はコンクリートだったし、とっさのことなので片足だけで着地したからヒビが入ったみたいだった。演技じゃないからな、俺の苦しむ顔を見てやつら驚いて声あげたんだ。その声を聞いたんだろう、事務所の二階の窓が開いて大人が顔を出したので奴らいっせいに逃げ出したんだよ。俺も走りだそうとしたけど足が地につくたびに頭まで突き抜けるみたいな激痛でさ、それでもヒョコヒョコ走りながら表通りへ出て人混みに紛れて逃げ出した。ようやく家にたどり着いた時は、痛みで頭がぼうっとしていたし、なんか熱もあって、そのまま家の玄関でバタンキューさ。次の日、学校へ行くどころじゃなくって、医者に行ったらヒビが入っていて1週間は絶対安静っていわれたよ。驚いたのは母親、ごまかすのに大変だったよ」

 冬馬は立ち止まってズボンの裾をあげて布で巻かれた足を見せた。ギブスは外れたけど念のためのテーピングだそうだ。当分は激しい運動は禁止されてるんだと言うと、また右足をかばうようにびっこを引いて歩きはじめた。

 「連中あやまりにくるかと思ったら、どうだい、家に来たのは君だけじゃないか。1週間ぶりに登校してもあいつらしらんぷりだろ。さすがに頭にきちゃったよ。わかるだろ」

 「うん、ちょっとあれだね。でも仲良しなんでしょ」

 「仲良しなもんか」怒った声で冬馬が言った。「俺って体が大きいだろ。昔から大きくって恥ずかしい思いしてるんだぞ。だけど俺と一緒にいると他校の生徒や上級生さえ敬遠するだろ、連中はそんな俺を便利に利用してただけだ。体が大きいから、アレをやってくれ、コレもできるだろう、みたいにおだてられ、色々頼まれて、まるで子分だったよ俺なんか。つくづく一緒にいるのが嫌になってたときにあの事件だろ、もういいやって感じなんだ」

 「そんなに嫌だったら殴っちゃえばよかったのに」

 「またそれか…」冬馬は舌打ちした。「去年のことだろ。あれは同じクラスの男子とちょっと言い合いになって、冗談のつもりで振り回した手がたまたま顔に当たって、そいつが転んだひょうしに机で頭を打っただけだよ。まあ気絶はする、見ていた女子は泣き出す、どこかのバカは死んじゃったーとかわめき出す。俺はすっかり悪者になって先生にもにらまれるようになったし、親にも怒られたよ」

「そうだったの。ぼくはてっきり乱暴なんだなって思ってた」

ここ数日の付き合いで冬馬がやさしい男の子だって気づいたので乱暴者の噂を不思議に思っていたのだ。

 「やっぱりそう思ってたのか」冬馬は笑った。

 「今は違うよ」あわてて応えた。

 「それならいいや。じゃあこれから仲良くしよう。俺の家に来なよ、まだ夢の話の続きも聞きたいし」

 「夢の話は昼休みに言ったとこまでだよ」

 「いや、いろいろ注文もあるしな」

 冬馬は本当に楽しそうに笑ったので、僕もつられて笑った。まだまだ暗くなるまでは時間がある季節。これからゆっくり話せそうだ。


 妖獣は不死身に近い。その姿はそれぞれ違い、狼に似た姿のものから猿のようなもの、鳥の姿をして空を飛ぶものもいたが、みな一様に体が大きく、ゴツゴツした大きな瘤のように盛り上がった筋肉と岩肌のように硬い皮膚と剛毛に覆われていた。それらを剣で切り刻まない限り、手に足に、首に食らい付こうとする。細切れにして煙とともに死体も残さず消え失せるまで油断はできない不思議な存在だ。

 何体も何体も切り裂いて、一息つくとまたいつの間にか妖獣であふれている。トーマがいなかったら疲れ果てて妖獣共の餌食になっていただろう。

 くたくたになるまで太刀を振り回し続けて、ようやく妖獣共の姿が見なくなった頃には、とっぷり日もくれていた。

 「すまない。危ないところを助けてもらって恩にきるよ。今日のところはうちに泊まってくれ」

 自分たちと歳がそう変わらなく見える若者が言った。

 彼らが村の仲間7人で都へ向かおうと街道を抜ける途中、妖獣に襲われて苦戦していたところをボクとトーマが偶然通りかかって援護したわけだ。

 村の長老の家に招かれると丁寧な挨拶のあとに長老が語った。

 「このへんは特に怪物どもが多くでまして、夜ばかりか昼間でも外を歩けない状況でした。昔はここは自由に商人も行き来していたんです。そこへきて王宮の兵士達は知らんぷりと来ましてな。まあいずれはまた妖獣も増えてきましょうがしばらくは安心です。この機会に隣村へ往き来することも出来ます」

 「兵士がそんな状態なら直接王宮へ出向いて苦情を言ったらどうです」  

 「とんでもない、確かに王宮は10日も歩けば着きましょうが、これほど妖獣がいたのでは一日たりとも旅は続けられないでしょう。都へ向かわなければそう危険は無いのですが、いったん都へ向かう道を行くとどうしたものか妖獣が湧き出すしまつで…… あなた達も旅を続けるなら注意することです」

 言われて考え込んだ。この調子で妖獣に出会うと都まで無事にたどり着けるのかどうか。なによりもコルナゴを救うためには一刻もはやく王宮へ出向いて陳情しなければならない。時間が惜しかった。

 「それでは商人たちも都へ入れず困るだろう」

 「いいえ、商人達は西の村から船を使って都へ入りますから、海の上は安全です。ただし入れるのは王宮の許可を受けた船のみで乗船するのも許可証がいりますので、たとえ都に身内がいて病気で死にかけていたとしても入ることは許されません」

 「じゃあ、商人以外は絶対に都には入れないんですね」ボクは尋ねた。

 「そうですなぁ、まあ今の時代じゃ無理というしか…」

 「無理なことあるか」

 ドアを蹴破るようにして先ほどの若者が入ってきた。背には大きな鹿を背負っていてボクたちを見るとニヤリと笑った。


 鹿肉の鍋はこの旅で一番のごちそうだった。味噌の風味が獣肉の臭みを上手に消していた。

 「こいつは山で捕れたんだ。昔はこのあたりでは猪を飼っていたんだが妖獣どもが食っちまうので今じゃ飼うこともできねえ」

 若者が残念そうに語り始めた。

 「猪だけじゃない、鶏でもなんでも、彼の父親はめっぽう家畜の世話に長けていてのう病気を治すのも得意じゃった」

 「良い肉は燻製にして都にも運ばれて隣の国へも献上されたと聞いた。

 隣国じゃぁ農作業のやりかたも全然違うらしい。新しい道具をつかって、簡単に早く土を耕したり、効率よく収穫したりできるんだそうだ。おまけに工業も盛んで、長老、あれを」

 若者の声に長老が奥の部屋から出して僕らに見せてくれた布地は、古く黄ばみが見えたものの、ボクや農夫たちが着ている荒い織りのものとは明らかに違う、薄く滑らかなつやのあるものだった。

 「何十年前か、猪の燻製の出来がよく王様にたいそう褒められたってんで褒美にもらった品だ。あの国じゃあこんなものを毎日身にまとって優雅に暮らしているのかもしれんなぁ」

 若者が遠く隣国を見るような目で話した。

 「織物どころか、この国は鉱山さえも今では寂れてのう。その僅かな鉱物さえも兵士どもの剣や鎧に化けてしまって、農具はもちろん、鍋や釜でさえなかなか手に入らなくなっておるのじゃ。隣国の優れた採掘技術が取り入れることさえできればのう」

 ボクは背中の剣を心もち隠すように体をかたむけた。

 「せめて鍬ひとつでさえ鋼の入ったまともなものがあれば、俺ら農民の仕事も少しは楽になるってのによ」

 「先代王の時代はの、穀物や魚や肉の保存食させも隣国で評判がよく仲良くやっていたんじゃよ。かわりにこの国には便利な道具や鉄製の用具も入ってきた」

 「それが今はどうして入ってこないんですか」

 「くわしいことはわからんのじゃが、今の王様が隣の国王を怒らせてしまったという噂じゃ」

 「それにここ2年ほどの飢饉は穀物の病気が原因なんだ。確かにいつもの年よりは寒かったが稲が育たない程じゃない。隣国じゃ作物の病気を治したり、病気に強い穀物があるという話だ。出来ることなら隣国へ行ってこの目で確かめてみたい。我々はそのために都へ行って隣国へ渡る許可をもらおうとしていたんだ」

 隣国へは海を廻るか大きな川を渡らなければならない。兵士も見張っていてとうてい往くことはかなわないのを皆知っているのでそれ以上話すことはなかった。

 

 夜明け間際に、ボクとトーマは高くそびえる山を眺めていた。ほとんど壁のように垂直な岩壁がどこまでも広がっている。とっかかりはまだゆるやかな傾斜が続くが、十メートルも登るといきなり傾斜がきつくなり、しがみつくようにして頂上まで登るしか道はないようだ。ゆうべ鹿肉をごちそうしてくれて、商人の団体に扮した馬車でここまで送ってくれた青年の言葉をもう一度思い出していた。西側の村までは一週間もかかるうえ、舟に乗るのも難しい。かといって山間の道は怪物の巣窟になっていて無事に出ることはかなわない、たとえあなた達でも。残る道は怪物も登れない岩肌にとりつき、しがみついて少しづつ登り、山をこえることだと。

 目の前に広がる岩肌を眺めながらルートを探る。反り返るようなオーバーハングの場所は登れない。なるべくゆるやかな、そして時々休憩を取れるような岩棚のある場所を二人で探しながら、頂上まで見えない線をたどった。背後でチョロチョロと野犬型の怪物がうろつき始めた。そのうち数多のも妖獣がうろつくようになるだろう。のんびりしていられない、トーマと二人でルートを確認すると、かけ出して岩肌に取り付いた。顔を見合わせ互いに励まし合って手足を踏ん張って登り始めた。


 手をかけた岩がぼろりと剥がれて腕をかすって落ちていく。下に続くトーマの体をかすめて冷やりとさせると、岩にあたって高い音をたてて何度も弾みながら落ちていく岩石を見えなくなるまで目で追っていた。

 険しい岩山をトーマとふたり登り続け何時間経っただろう。道筋も何もない、確保のザイルもなく、ひとたび手か足を滑らせたら一気に下まで真っ逆さまに落ちていって真っ赤なすりおろしりんごを残すのみとなる。ボクらは風がないでいる間にひたすら高度をかせいでいった。

 上げた手がしびれて力が入らなくなる。お互いに励まし合いながら、行けるところまで進み、僅かなスペースの岩棚を見つけては休息を取る。背負っているのは僅かな食料と現金、それに一振りの剣だけだ。馬も含めて余計な荷物はオペラの村に預かってもらっていた。

 「ずっと不思議に思ってたんだが、なぜそんな重い剣を使うんだい。君には合わない気がするが」

一息入れてからトーマが尋ねた。ボクの疲れが背負っている太刀の重さのせいだと思ってるのだろう。そう、トーマの細身の剣の3倍の重さはあろうと思える。

 「まあ一撃必殺の剣だからね」微笑んで答えるがトーマの不服そうな顔に気づいて続けた。「これは養父の形見なんだよ。ボクはずっと養父母に育てられたんだけど、この剣がボクの出自を明らかにしてくれる唯一の証なんだそうだ」

剣の巾もそうだが柄の握りの部分も太くてボクの手には少々余るのだった。

 暗くなる前に山を超えて向こう側へ降りなければならない。狭い岩棚で夜を明かすのは体力を消耗しかねないし何よりも危険だ。上空では大鷲がボクらの弱り具合をはかるように旋回していた。

 なんとか昼過ぎには頂上へとたどり着いた。頂上の尾根に立ち、眼下に広がる都を望む。豊かな田園に囲まれた街とその中央にある高い塀に囲まれた王宮がひときわ美しいのだが、不気味な様相を示しているように見えた。城下を覆う黒い霧のようなものを感じずにいられなかった。

 下りはつい勢いづくため、登ってきた時の何倍も神経を使いながら慎重に降りていった。そして日暮れ前までにはふもとへたどり着くことができた。疲れていたがふもとの村ではよそ者は怪しまれて一夜の宿を頼むこともできず、倒れそうな体をようやく前に繰り出しながら城下まで辿り着いた時は深夜になっていた。

 最初に見つけた宿の女将は寝入りばなを起こされて不機嫌な顔を向けた。その後ろからでてきた主人が一瞬驚いた顔もするものの、すぐに真顔に戻り、案内してくれた部屋で僕たちは食事も着替えもせずに、そのまま泥のように眠り込んだ。

 何時間眠ったのか、体を揺すられて目が覚めると宿の主人の顔が目の前にあった。

 「早くお逃げください。衛兵が来ます」主人はそう言うと窓を開け、「ここから出てそのまま裏通りをお逃げなさい」

 まだぼんやりする頭を振りながらトーマを起こすと主人の言うとおりに窓から出た。窓の外の裏通り、何時頃なのか夜明けには遠いようだった。

 「いいですか。西へ向かうんですよ、城下の外れに貧民のための食堂があります。そこの女主人を尋ねるんですよ」

 主人は窓の外のボク達に荷物を渡すと「幸運を。王子様」とだけ小さく叫ぶと窓を閉めた。そして部屋の中に大勢の人間が飛び込んできた音が聞こえた。僕たちは密集する城下の家々の間を抜けるようにして闇夜の中を走りだした。

 夜を徹して走り続けて城下の西の外れあたりまで来た時に夜が明けてきた。

先程からうろつきまわっていた衛兵の姿も今は見えなくなり、付近の住民のための洗濯場らしい所で休息を取り、水を飲んでいた。宿の主人はどうしてボクたちを逃したのか、そもそも本当に衛兵はボクらを捕らえに来たのか、その理由は何なのか走りながらも考えたがさっぱりわからない。だがたとえ罠であったとしても食堂の女主人には会ってみるべきだというのがトーマと話し合った結果だった。

「もし、あなたがた」

背後の声にボクは驚いて、むせて激しく咳き込んだ。振り向くとまだあどけなさの残る少女がその体ほどもあろう水瓶を持って立っていた。

 「もしよかったら食堂までお越しください。主人が喜ぶでしょう」

 それだけ言うと、その体からは信じられないくらい安定した足取りで、水を満たした水瓶を抱えてボク達の返事も聞かずに歩き出していた。

 トーマと頷き合ってからボクらも後をついて歩き出した。しばらく歩くと街中の人が入りそうな大きな建物が建っていた。驚いたのはその建物の壁際に数十人の人たちが並んでいるのだった。

 「みな、食事をするために並んでいるのです。」

 馬の運動場かと思えるほどの建物は貧民のための無料食堂だった。広いホールの中でズラリ並んだ食器の前で皆静かに食事をしている中を通り、奥の部屋に入り、戸棚の中の隠し階段を降りて地下へと降りた。

 「ようこそ」

 狭い隠し階段の他にも出入口があるのだろう。大柄な女主人が親しげな目でボク達を迎えた。側にも数人控えていた。

 「よくぞここまでご無事でいらっしゃいました。さあ、王家の継承者である証をお見せください」

 案内した少女がボクの背負った剣を差し出すように手振りで伝えた。なぜか断れない女主人の声にしたがって剣を外して手渡した。

 女主人に悪意があってもこの狭い部屋の中では剣の威力は発揮できないだろう。主人は刀身を引き出しじっくりと眺めると、次に束の部分を見て束の根本にピンを挿して軽く揺するように動かして柄を外した。驚いて見ていると、それは単なる覆いだったようで、中から黄金に輝く虎をモチーフとした立派な装飾の柄があらわれた。

 「まちがいございません。あなたこそ先代王のご子息ユウヤ様です」

 女主人は剣を置くと膝まずいた。側の者もそれにならった。

 アマンテと名乗る女主人は失礼をわびてから、この国の反逆の夜の話をし始めた。

 王を支える重臣の一人、ブリストン・アンクワが兵どもを手懐けて氾濫を起こしたのは18年前の春のことだった。2年続いた飢饉のために王宮の貯蔵庫は底を尽きかけていた。税収は途絶え、兵の食事はもちろん、重臣の生活さえ貧困を極めるようになった。それでも民を苦しめてはいけない、必ず春はやってくると言って民を救うために税の取り立ての中止、貧民への無料食堂への食料の配給、先代王は民の命を救うことを再優先した。

 民のものは王の慈悲に感涙したが、それをよく思わないものがいた。このままでは王宮そのものが食いつくされてしまう。そう考えたアンクアは不満を持つ兵を率いて反乱を起こした。半分以上の兵を率いて王の寝室に乱入し、王妃ともども捕らえて幽閉した。ほとんどの重臣や裁判官さえ買収していたアンクアは正当な王として認められてこの国を治める事になった。そして反対する重臣達を追放し、アンクアに従う者だけを徴用して、各種税金を上げて民から吸い上げられるだけ吸い上げ、王宮は毎晩の酒池肉林の宴で盛り上がっていた。都はもちろん、地方の農村にわずかに残った食料さえも王宮に集められて多くの民衆が飢餓に倒れたという。

 その時、生まれたばかりの王子の行方がいくら手を尽くしてもわからなかった。一緒に姿を消した近衛兵の一人と乳母が連れて行ったと思われた。先代王が在位二十周年を記念して作り上げた青竜刀と共に。

 「それまで先代王に仕えていたものは、ほとんどがこの地を追われ、遠く辺境の地へと追いやられました。私はなんとかこの城下で食堂を開く許可を得て、いろんな方の協力で、食べるものもなく困っている者たちを助けることができました。いまでは僅かな蓄財もあり、教会からの寄付金などでまかなえるようになっております。先代の王政が続いておれば必ずそうしたはずなのですから」

 ボクはすべてを思い出した。小さな頃の記憶。寂れた漁村での生活、たくましく厳しかった父と美しく聡明な母。やがてふたりが両親でないとわかったときの戸惑い。

 「あなたを育て上げたのは当時近衛兵隊長だったジェイミスと乳母のチネリでしょう。王宮には秘密の抜け穴がいくつかあると言われています。ジェイミス隊長は先代王の命をうけて、あなた様と乳母を連れてそこから逃げたのでしょう。見知らぬ土地で慣れない暮らし。どれほど苦労したことでしょう」

 アマンテは涙を抑えるように話した。王宮での生活を知らないのだから苦労も何もない。ただ、ものごころがついた頃には養父の漁の仕事の合間に格闘技や剣の扱い方を教えこまれ、肉体の鍛錬が毎日の日課だった。

 家の仕事の手伝いに忙しい村の子供達でもときには子供らしい遊びをする暇もある。しかしボクは違っていた。格闘技や剣の訓練がないときは母に付いて読み書きや世の中の仕組みについてきっちりと教えられるのだ。「あなたは他の子どもとは違うのだから。いつかこの鍛錬が役立つ時がきっと来ます」事あるたびにそう言われてボクは毎日を過ごし、成長していったが、その母も15才の時に病気で亡くなった。

 そして、ある嵐の夜に漁から帰ってこない仲間を助けに海へ出た父。仲間を助けだした時に流木で重症を負って戻ってきた時は虫の息だった。

 傷は深く、医者はもう助からないと言った。その時、自分たちはお前の本当の両親ではないのだと告白されたのだ。都へ行けば自分が何者かわかるはずと言って家の土蔵の地中深く埋めて隠しておいた剣と路銀をもたせるとジェイミスは息を引き取った。

 遺言に従い、ジェイミスの葬式を済ますと都へ向かってボクの旅が始まった。ジェイミスの授けてくれた剣や格闘技は道中の安全を保証してくれた。なぜ毎日のように重い鉄棒を振り回して鍛錬しなければならないか、形見の剣をつかって理由がわかった。それにしても、なぜ最期まで王子なのだと教えてくれなかったのだろうか。

 「ジェイミス様も現在の王宮の様子はおわかりにならなかったでしょう。あなた様に変な期待をさせてはいけないとお思いになったのでしょう。ほとんどの国民はブリストンの悪政を嫌っておりますが、王宮のおかげで良い思いをしている者達も少なからずおります。この都においてはそういったものも少なくありません。ただ地方の人間にとっては厳しい税の取り立てや治安の悪さ、近辺では妖獣も出没し、決して安全な暮らしとは言えません。少なくともオルベア王の時代に比べたら今の暮らしは地獄です」

 ボクは旅の途中の数々の村の生活を見てきた。ようやく生きられるだけの僅かな食料を除いて、ほとんど地主や国へ吸い上げられてしまう生活。盗賊が跋扈し、盗賊を倒してくれた兵隊が今度は盗賊へと成り代わる。都へ行けば安定した暮らしが得られるだろうと出かけた者達は、盗賊に襲われ、怪物に切り裂かれ生涯を終える。この窮状を伝えてくださいと村を離れるたびに言われた。

 「それでも都へたどり着いて王様へ直訴したものもいたのでは?」

 「そんな者達もおりましたが王宮から再び出てきたのを見たものはおりません。多分殺されたか幽閉されているのかどちらかでしょう」

 「じゃあ先代王であるオルベア、ボクの父はどうなりましたか」

 「オルベア王はきっと生きております」アマンテが声を上げた。「王宮の奥深く地下牢があります。いまでもきっとそこで救いをまっているはずなのです」


ガタガタと音をたてて石畳の上を馬車が通る。王宮への食材を届ける馬車だ。週末とはいえ、100人を超える兵や使用人のための食材は二頭立ての馬車いっぱいとなって王宮へと運び込まれた。

 皮を剥ぎ、骨を落とした肉の塊にまぎれてボクとトーマは王宮の中へと入っていく。内蔵を取り去った肋の間に挟まれて窒息しそうになるのを外へ出したわらで外の空気をわずかに吸い込み耐える。

 都から遠く離れた北国の地などに比べたら都の気候は安定しており、豊かな大地と暖かい気候のせいで作物は豊潤に育つ。西には豊かな食料を惜しげなく与えてくれる静かな海が広がっている。北側はボクたちの越えてきた険しい山があるものの、東には日当たりの良い斜面で家畜たちが平和に草をはんでいる。 悪政と言われながらも暴動の気配もないのは、この豊かな大地と気候の賜であろう。さしあたって命の危険がない限り国民は物言わぬ奴隷なのだ。ブリストンもそのあたりの匙加減は巧く、国民を程々に苦しめながら自分では最高の贅沢を満喫しているのだった。だが一旦、酷い飢饉がきたらこの国は滅んでしまうのは目に見えるのだとアマンテは語った。先代王のように食料を蓄えることもなく、商人や豪農もそれに倣い、その日その日を気ままに生きていた。今こそ先代王を助け出し、もとの王政に戻すことが必要なのだと。

 充分な賄賂を渡してあったせいか、厳しい検査も受けずに僕らは食材とともに王宮の中、西の食料貯蔵庫へと入ることが出来た。貯蔵庫の扉が閉じたのを確認してから肉魂の下から這い出す。体についた肉や脂肪は落とせても匂いは抜けない。念の為にガードに敷いておいた厚い鉄板を押し上げて馬車から出る。トーマも野菜の下から這い出してきた。天井の梁の上に移動して太い梁の上に這うようにして隠れた。到着した食材が次々に運びだされるのを息を潜めて眺めながら深夜まで待った。

 月のない夜を選んだのは正解だった。しかも今夜は週末、兵士にも休暇が与えられるのだ。王宮を護る者達は一般市民の何倍もの贅沢が許されるのだった。そして週末はひときわ豪勢な食事が待っている。今夜の食材の中に強烈な眠りを誘う薬草を粉末にしたものがまぜてあるのだ。王宮へ残った者達の中にも反ブリストン勢力はいた。長い間潜み、この時を待っていた彼らが予定通りに食材に薬を入れたと見えて、兵舎はもちろん城壁の各所の見張り番も居眠りを始めたようだ。食べないものはいなかったようだ。どうやら特別今夜の食事は魅力があったらしい。

 それでも念の為に注意深く目立たぬように、際を這う虫のように、壁際や水路沿いを走り、地下牢のあるという兵舎へと向かう。兵舎の門番はふたりとも立ったまま眠っていたので、そうっと脇を通り中へと侵入することに成功した。何人かの兵士が眠り込んでいた広い廊下の突き当りから地下牢へと続く長い階段を下り始めた。

 夜とはいえ外はまだ暖かだったにもかかわらず地下牢は酷く寒かった。階段を降りて続く道の両側に鉄格子が見える。大小いくつかの牢の中は暗く湿っていた。牢の住人たちは動く気力さえもないのか微動だにしない。

 一番奥の壁際を探り、くぼみから手を差し込み手に触れた取っ手を思い切り引いた。壁が静かに動き始めて奥の部屋が現れた。情報通りだ。

 隠し扉の向こう側にはふたつの牢獄。その奥でボロ布に身を包み横たわっている。生きているのかさえわからない。

 鍵を壊すのに時間がかかったが、ようやく中へ入り男を抱える。意識は朦朧としているが肖像画で確認した顔だ、父、オルベアに間違いない。肉親のもつ感覚でわかった。トーマもすでに隣の先王妃を助けだしている。外へむかって駈け出した。

 外へ飛び出したところで銅鑼の音が激しく鳴り響いた。城壁の見張りが目を覚ましたようだ。兵舎から、城門の見張り小屋からわらわらと兵が飛び出してきた。まだ薬が効いていてふらついているが、こっちも先代を抱えて派手には動けない。

 「こちらです」

 足元の声に振り向くと堀から男が首だけ出して手招きしている。アマンテの手の者だった。城門を突破できない場合に運河として使われている城内の堀にも船を潜ませてあった。オルベアとエルスを体に縛り付けてロープを伝って降りる。小さな船は操舵者も含め6人でいっぱいだ、速度はなかなか出なくて気が焦る。

 ボクの頬をかすめて船の艫へ矢が突き刺さった。見上げると城壁から弓をつがえている兵が数人見えた。ボクもトーマも剣を抜いて構えるが、闇夜の中でどれだけ矢を払うことが出来るのか、オルベアとエルスだけでも護ることができれば。そう考え覚悟を決めた時、城壁の兵が悲鳴を上げて次々に堕ちていった。

 「援軍です。間に合ったようです」

 そう言って男の船を漕ぐ手に力強さがよみがえった。

 伏せて下さい、という声に身を伏せると城内に響き渡るほどの爆音、続いてパラパラと振りかかる何か。外へつながる運河の門を爆破した音だった。さすがに城内すべての者達が目を覚ましただろう。だが船はそのなか、城壁のトンネルをゆうゆうと抜けていった。

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