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俺は肩で息をしながら鎮目と呼ばれた男を見ていた。今にも消えかねないような人畜無害そうな顔をしながら魔剣を操る正体不明の《かがりびと》という種族の使い魔。静に作られた存在というのも気になる。
魔剣から繰り出される一撃は重いが隙が多くてかわしきれないというわけではない辺り本当に戦闘自体は不得手のようだ。だからまだ互いに無傷である。ただ、それは同時に俺の能力も全く効いていないことを意味する。何発か光線を叩き込んだが、奴は真正面からそれを受けても平然としているのだ。まるで光を吸収しているかのように。
〈貴方の力は私には効かない。私は月であり影なのだから〉
依然膠着状態が続いている。
剣士は首を振った。
「俺はただの流れの剣士さ。で、話を戻すが……鎮目にわざわざあれを出させたってことは多分鎮目のマスターはあの中でルールに違反するようなことをするつもりだろうな」
金のつり目は油断なく霞を見ている。まるで見えないはずのあの奥を見通しているかのように。
「ルールに違反?」
「そうだなぁ、ユーティスフィアを殺害とか。ユーティスフィアのやつ、ああ見えて結構性格悪いし汚れ仕事もなんのそのってとこがあるから普通にありそうなパターンだ」
確信する。目の前の彼は私達が知らない事情を知っている。と、ナナミが口を開いた。
「報復って……ユティスさんがそんな簡単にやられるわけ」
「だからこその静だ」
剣士の瞳は剣呑に煌めいた。その手は微かに汗ばんでいて冷静になろうとするのを隠しきれていなかった。
「奴を使えばやりようはいくらでもあるだろうな。あの野郎、鎮目を道具として見ていなかったり……神仏を畏れぬ愚行だ、本当に反吐が出る」
だが彼はそれでも手出しするつもりはないようだ。
「とりあえず言えるのはだ、ユーティスフィアが選択しない限り事態は好転しないだろう。さぁ、どう転がるかな」
僕は治癒魔法を全身にかけながらも瓦礫の中から何とか這い出る。本日五度目となると流石に慣れてくるが全身は悲鳴を上げていた。過去の事故のせいで痛みに鈍いこの体でなかったら既に動けなくなる、というよりそもそもショック死していただろう。ガスマスクをつけた使い魔はただ僕を殴るだけで的確に僕の体を破壊していた。
「ユーティスフィア、貴様がいなければ、俺は《赤羽根》筆頭だった……なのに雲隠れし、最終的に逆賊として拷問されるなど……面汚しが!許さんぞ!」
相手の魔法使いが何かを叫んでいる。そこで僕は初めてちゃんと相手の魔法使いを見た。確かに見覚えがあるような、無いような。そもそも《赤羽根》時代は単独行動が大半だったから相方などいなかった。この状況下で一緒にかかってこなかったってことは多分大したことはない相手なんだろうけれど。あの世界にはよほどの例外でもない限り魔法なんてなかった。だから心身を鍛えているはずなのにそれを使わないのだから所詮は凡骨だ。
「悪いが記憶に無い。そもそも僕はユーヤ、ユーティスフィアじゃない」
相手の顔が怒りに歪んだ。そしてその感情をぶつけるようにガスマスクに声をかける。
「傾国!ユーティスフィアを八つ裂きにしろ!」
ガスマスクは無言のまま口の部分のパーツを外した。そしてカパッと口を開けた。覗くは口も粘膜なのだと感じさせる赤い濡れた空洞。
「―――」
言葉はあるがそこから声は紡がれない。ただ、同時に僕の体はズタズタになっていた。全身から血が噴き出し、力が抜けていく。痛みはないにしてもこれはオーバーキルだ。治癒魔法なんて追いつきやしないだろう。手足に力が入らないし、意識も朦朧としてきた。ああ、もう死ぬのか。
「がはっ……」
「さすがは王獣。元筆頭とはいえ今のユーティスフィアなど相手にもならないか」
生を投げ出そうとした思考の片隅で何かが動いた。
王獣。
待て、今、何て言った。
「王獣、見せてやれ。お前の主人に穢れ切った証を」
ガスマスクが全て取り払われた。そこにあったのは予想通りの闇色の瞳。突き出された舌に浮かぶは二重契約の歪んだ魔方陣。そして全身から放出される瘴気に満ちた魔力。
そう、そこに立っていたのはシズカだった。シズカが、僕を、捨てた……?そして、よりによって、こんな取るに足らない凡骨に、膝を屈した……?
「あれほど二人の国王陛下が愛した傾国の王獣がまさか我が手におさまるとは……ユーティスフィア、貴様が召喚したという事実だけは評価してやろう。だが、さすがにこの超越した化け物とは信頼関係は築けなかったようだな。少々脅しただけで簡単にお前を裏切ったよ」
その間もシズカは感情が抜け落ちた瞳で僕を見ている。起き上がればきっとすぐにまた骨を砕きにくるだろう。相手が僕であっても躊躇うそぶりさえ見せないで。大きな瞳は虚のようだった。
また、また僕は、彼が兵器として苦しめられて、それを表に出すことさえ出来なくなっているのを、ただ見ているだけなのか?
僕の中に込み上げてきたのは悔しさではなく、意外なことに怒りだった。その衝動に突き動かされるようにこの唇はかつて、そう生まれるより前に自分自身に禁じた言葉を紡ぎ始めていた。
「……朝と夜、空と地、境界の狭間で」
「何をぶつぶつ言っている、ユーティスフィア」
それはほとんど無意識だった。きっと痛みに鈍くなった体でも処理しきれない心の痛みに今までの躊躇などもうどうでもよくなっていたに違いない。
「今再び君と出逢うため、振り向かずに迷わず駆け抜けよう……真名解放 《ユーティスフィア・ロゼ・アバロニア》 !」
目の前の剣士が不意に面白そうに目を細めた。
「正解」