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水の流れと風の音。そして知らない乗り物の中。僕らの世界には無いそれを列車と呼ぶのだと知ったのはかなり後のことだった。
そこに彼はいた。白のコートを纏い、中には詰襟の何か黒い装束を着こんでいる。ふかふかとした椅子の上にいる僕はいつ手にしたのかも分からない小さなくしゃくしゃの紙を左手に握り締めていた。
「生と死の境界線《ワールドエンド号》にようこそ」
彼は僕を見て困ったように笑う。
「とはいえ、もうここに人が来ることは基本無いはずだから……迷い込んだのかい?」
だが、彼の問いに対し、僕は正しい答えを返せそうにない。
「……僕、死んだはずなんだ」
言いつけを破っていつものように森に入ったら突然現れた赤炎竜に襲われ、生きながらにして喰い殺されたのを覚えている。
だから僕は死人だ。
それなのに彼は興味なさそうに聞き流した。彼にとって僕がどういった存在なのかはそれこそどうでもいいのだろう。
「それで、君はどうしたい?生きたい?死にたい?」
「死にたい。だってもう痛いのは嫌だ」
王に仕えるナイト、《羽根》になるための訓練として一方的に痛めつけられるだけの日々。そしてモンスターに殺されるのに怯えながら世界の隅っこでなんとか生きることができるこの世界の構造。
そんな環境で生き延びていくのに疲れるには早すぎる。でもそれがまぎれもない本心だった。
すると彼は不思議そうに僕を見た。子供のような大きな瞳だが、いまいち感情を読めない。
「普通は生きたいって言うもんだけどね。じゃあ、痛くなかったら生きたいのかい?」
僕にはその問いの意味が分からなかった。
「……まだ分からないのか。まぁ、まだ子供だしね。じゃあさ、とりあえず生きてみようよ。余計な物を取っ払ってさ」
彼が僕の右手を掴む。そして約束するように小指と小指を絡めた。こんな風に親しげなことをされるのは初めてで、何故か胸があつくなった。
「そしていつかまた巡り会った時に答えを聞くから」
彼の姿がぼやけてゆく。嫌だ、もっと彼と話してみたいのに。
次の瞬間僕は森の中で無傷の状態で倒れていた。左手には何やら文字が浮かんできた紙きれを握ったまま。
懐かしい夢を見た。
僕は冷や汗にまみれながら目を覚ます。隣にいた鎮目ちゃんがすかさず見覚えのあるハンカチを渡してくれた。
「大丈夫ですか?」
「……よくあることだから気にしなくていいよ」
そう、他人の欲に縛られるなど、元いる世界を離れれば使役される存在にしかすぎない《精霊》という種族にはよくあることだ。ただ僕が少々例外すぎただけで。
「昔々ある国の王がね、僕を召喚したんだ。そして観賞用として僕を監禁して日々痛めつけた。まぁそんな馬鹿な王だったからすぐにクーデターを起こされたんだけどね」
無我夢中で逃げ出した先で僕は彼と再会した。
「そこで出逢ったとある《黄泉帰り》は無条件で僕を嫌わないでいてくれたんだ」
僕は他者を本能的に怯えさせてしまうのに彼だけは最初から憧憬の目で見てくれた。
「死にたいと言った彼を無理に生かしたことが間違いじゃなかったんだな、って思った」
〈まさか、その《黄泉帰り》が……〉
鎮目ちゃんの表情がこわばる。彼には答えが分かっているのだろう。知っていたのか。彼が亡き後のことだったはずなのだが。僕は瞳を閉じてゆっくりと頷いた。
「そう、ユティスだよ。君はどこからか入手したゆーちゃんのハンカチに込められてる残留思念を解読したのかい?」
軽くからかうように言っても彼は憂鬱そうだった。
〈でも自覚のある転生人が普通の人間のふりをすることは確か法律違反では……?〉
口ごもる鎮目ちゃん。そう、だから僕は此処に来たのだ。
「このことは絶対にばらさせない。ゆーちゃんの敵になるとしてもね」
彼を守るためならば。
すると鎮目ちゃんが背後から優しく抱き締めてくる。やせ細った体だが、やけにあったかく感じた。
〈境界の主、精霊の王。今は耐えてください〉
そこでようやく自分の体が震えていたことに気付く。そしてずいぶんと自分も人間らしくなったものだと自嘲した。育ての親も、実の親ですら僕を人間に戻せなかったというのに。僕はどうやら思った以上にあの団長に絆されているようだ。
「大丈夫、ここを出る時にはいつもの僕に戻るから」
全てをのらりくらりとかわし、軽口をたたきながらやりすごす。そんな自分に慣れてしまったのはいつだっただろうか。そんなことを考えてしまうくらいには平常心を保てていなかったらしい。
〈お耐えください。直にあの男には天罰が下りますから〉
だから鎮目ちゃんが、彼には珍しい怒りの表情を浮かべていたのにはまだ気付かなかった。