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生態系の頂点に立つモンスターがいた。
その種族の名は神龍。別名、神剣鬼。月明かりを反射して淡く煌めく銀の鱗と高い知能、そして通称の元になった額から生える二本の角。美しい龍でありながらそれは確かにモンスターだった。ありとあらゆる生物を生きながらに喰らい、害を為すものには苛烈な報復を。その傲慢ながらも気高い在り方はまさに鬼神と称されるに相応しかった。
自分の名前や過去、仲間のことさえ忘れ果て、まともに機能していない記憶の中、それでもその銀色の記憶だけは色鮮やかで彼を突き動かしていた。
「真名解放……《ツキノボルカグヤ》」
刀が一際眩く光り出す。燐光にしか過ぎなかったそれはいつしか三日月を思わせるそれに代わり。
彼はどこか皮肉っぽく告げる。
「残念だったな、プランデル。俺の真名に価値なんて殆ど無いんだよ。俺の全てはこの刀に全てを捧げてきたんだから」
ミコトは一気に距離を詰める。心が忘れようとも体は何千回と繰り返してきたそれを覚えていた。
「《神楽 斬月》」
切り裂かれたラドンが今まで挙げなかった断末魔を発し始めた。
障壁を眺めベオウルフは心から晴れやかに笑った。
「ちょうどいい。奴のような化け物に協力するなど虫酸が走るところだった。さっさとお前の相方が倒してくれぬかな」
「うっわ、性格悪~。で、こうなったわけだけども僕らはどうする?」
障壁を張り終わったシズカは相変わらず武器を持つ気配もなく、やる気なさそうに欠伸した。それでも時折あちら側の様子を油断なく伺っている。
「お前と戦うに決まっておるだろう。我はそのために召喚されてきたのだから」
そういえばベオウルフとその主人はとりあえず戦いたいから金で雇われるような人間だった。シズカはそんな前情報を思い出して深く溜め息をつく。
ただで帰してもらえる相手ではない。
そして諦めたシズカは小さな声で呟いた。
「《形態変化 白蓮装備》」
その瞬間。
世界を動かす歯車のような何かがカチリと噛み合うような錯覚をベオウルフは感じた。
シズカが着ていた民族衣装はその言葉と共に姿を変えていく。黒曜のように黒かった髪や瞳からも少しずつ色が抜けていく。やがて全ての変化が終わった時ベオウルフは思わず息を飲んだ。
「それは……防具なのか?」
全てが真っ白だった。背中に現れた正体不明の赤い翼と鮮やかな緑色に輝き始めた瞳の色以外色彩らしいものは存在せず、花弁を彷彿とさせるパーツが全身にまとわりついている。
目の前のそれはあまりに戦士の姿としては繊細で、何より美しすぎた。
「失礼な。れっきとした白翼竜から作った一級装備だぜ」
シズカがやれやれと言い返す。どこからか取り出した身長ほどの大剣もまた美しかった。
「さて、僕が戦闘狂さんのお眼鏡に適うかは疑わしいけれども、時間稼ぎさせてもらうよ」
〈おーと、シズカの姿が変わりました!?〉
司会だけでなく会場の誰もが呆然としていた。平然としているのはラドンの首を次々と切り落としているミコトぐらいだ。むしろ彼は気付いていない。それだけ目の前の敵と戦うことに必死なのだろう。
「ユーヤ、あれ、知ってた?」
私の問いにユーヤは首を振った。
「知らないよ!っていうかあれ、花嫁衣装」
〈じゃないからね?ゆーちゃん、死にたいのかい?〉
不意に耳元に響く怒気を孕んだ囁き声。それは確かにシズカの声だ。私達以外には聞こえていないらしく、いきなり飛び上がったユーヤを審判は不可解そうに見ていた。ドンマイ。
そんなやりとりをしていた素振りさえ見せず、シズカが大剣を構えた。ベオウルフも名高い長柄の剣、フルンティングを抜く。
二人の戦いが今ようやく始まった。