永遠の時の真ん中で 2
神が去りしとある大地。正確に言えば、神から堕ちた一族が世界を滅ぼそうとする神々から人間を守っていた大地。
その最果てに二人分の人影があった。
「嵐堂、今までありがとう」
そう呟いたのはおぞましい姿の青年だった。薄布を頭から被るようにして隠した右半身は腐蝕し動く度にぐちゃりと音を立てる。そして露わになった左半身もまた傷だらけだった。それでも儚げな風貌からは信じられないほどにしっかりとした目で、青年は目の前の守り人の背中を見据えた。
「清夜、何を言っている」
そしてそんな彼を守っていた守り人は思わず動きを止め振り返る。自らを倒しうる二人を確実に逃がさまいとする異形の包囲網が縮まってゆく。
「分かってると思うがこの体はもう、いや、とっくの昔に限界なんだ。君までこんなくだらない末路に付き合う必要はない」
「でも!」
異形がすぐ目の前に迫っている。守り人は手にした剣でそれをなぎ払った。
「嵐堂、いや、ランドール、君はね、確かに僕の愛する使い魔だ。でもそれ以前に人々を救う勇者だ」
薄布が風に舞い、どこかへと吹き飛ばされていく。草一つない荒野でその淡い色彩は目立つはずなのにすぐに行方は分からなくなってしまった。
「君は優しいから人一倍悩み続けて、苦しんできたんだろうね。だからこそ、君は幸せになるべきだ」
「清夜!」
「今この閉ざされた荒野には人間嫌いな憎たらしい神々が勢ぞろいしている。一族郎党皆犠牲になって蓄えてきた《穢堕神》の力を全部使えば一網打尽にするには十分だ」
腐蝕した肌から這い出す、神の一族の骸を喰らい続けてきた蛆達が光り始める。守り人は剣を握っていない方の手を青年へと手を伸ばす。
「自爆するつもりか!? 止めろ!」
だが彼は止まらない。
「命令じゃない、約束だ。君は幸せになれ」
金色の瞳が絶望に覆われてゆく。
「卑怯者……!」
守り人の言葉に青年は笑った。絶え間ない気が狂うほどの激痛など忘れたように。
その笑みは穢れていてもなお、神聖だった。
「さようなら、大好きな、僕の《神殺し》」
その言葉が終わるより先に視界が閃光に包まれる。何も映らない視界の中、守り人は膝をつく。衝撃も何もない、ただの解き放たれた黄泉の穢れにより神を零落させる攻撃。
そこには最早何も無かった。音も、残り香も。今までいた異形も、己のマスターも。
「うわああああ!!」
ただ叫ぶ。心にひびが入っていく音がする。そうしているうちに声が潰れて喉には痛みが走る。だがそれでも現実は何一つ変わらなかった。
守り人は握り締めたままだった剣を鞘にしまった。光を失った虚ろな瞳のまま小さく呟く。
「また、また駄目だったよ……―――」
紡がれた名は既にこの世にいない最愛の女性の名。その名は何もないこの世界で彼にしか届かない。
「また、救えなかった……」
そして彼は動くことを止めた。ただ人形のように身動き一つせず、止まり続ける。
あらゆるものの時が止まった世界でどれほどの時が過ぎただろうか。
〈―――!〉
不意に声がした。遠くからのようで、けれど耳元で。
〈僕は大好きなあの子が生きる世界を守りたいんだ! だから僕を哀れに思ってくれた者よ、僕の使い魔になってくれ!〉
それは少年の声。死んだように静止していた嵐堂はゆっくり顔を上げる。
「世界を、守る……」
無意味だ。何度世界を守っても彼は本当に大切なものはいつも守れなかった。今などまさにそう。目の前で失ってしまった。そんな世界に何の意味があるというのだろうか。この声の持ち主はまだそれをわかっていないのだろう。
愚かな。
「哀れとは思うがそんなんじゃ俺は動かない」
そんな事実は知らない方が幸せなのだ。人間案外どうとでも生きていけてしまえるのだから。少しすればそんな風に考えたことすら覚えていないのだ。そう、自分のような壊れた者でないならば。
だが。そんな彼を心から動かした、動かしてしまったのはその次に聞こえてきた言葉だった。
〈魔王を駆逐するためなら僕は誰からも忘れられてもいい!嘘じゃない!悪魔にだってなってやる……!〉
次の瞬間。
守り人の周辺は雪原と化した。
「愚かだな……覚悟の仕方が間違っている」
吐き出す息は白い。風が吹雪いている。しかし、心は再び火を灯し始めていた。
それは隠し切れない憤怒かそれとも正義か。もはや両者が混ぜこぜになり本人ですら判断できない。
それでもその熱情こそが彼を現に引き戻す。
彼を自分のようにしてしまわないようにするために。
守り人は漂ってきた自分以外の魔力を辿る。そして小さく呟いた。
「《ゲート展開》」
目の前に現れたのは一つの扉。それはゆっくりと開いてゆく。同時に吹雪は更に激しさを増した。
「……その願い、俺が叶えよう」
守り人が通り抜けた扉が消えた後、そこに残されたのはただ雪が支配する時を忘れた大地だけだった。