8
娘は倒れて動かなくなった破滅亀の骸の上に座りながら厳しい表情を浮かべていた。
「ランドール、あんた、これで完全に詰んだぞ」
その骸は原型を留めていない。娘は舌打ちした。
「姫を助けられたのは僥倖だが……それ以外最悪じゃないか」
慎ましやかな見た目に反し、その話し方はあまりに粗野であり、先程とは別人のようである。
「―――で、あんたがその原因かい」
次の瞬間。
微かに怒気を孕んだ娘の周囲には暴風が荒れ狂っていた。
「私が守ってる姫にわざわざ手を出すなんざ、この私に喧嘩売ってんだよな、ああん?」
あまりの風圧によって娘のすぐ傍からぶっ飛ばされ、大きくしなる木に叩きつけられたのは一人の男だった。
「暗部のやつ……にしては得物が妙に長くて暗殺に不向きだ。おい、あんた、何だ?」
暗闇に紛れそうな黒い毛皮のついた装備は予想外に防御力があるらしく、男はすぐに立ち上がる。
「……夜鬼。主にはそう呼ばれている」
見れば風で巻き上がる前髪の隙間から折られたらしき角の残骸が確認できる。
「……真名は?」
「知らん」
その様子を見る限り最初から素直に語る気もないらしい。娘の唇が弧を描いた。どこか愉快そうなのは気のせいだろうか。
「へぇ……なら」
振りかぶった娘の拳が小柄な男の頭蓋骨に叩きこまれた。
「姫を害した罰だ。速やかに死ね」
鈍い音と共に男の体が痙攣した。男はそのまま無様に倒れる。娘は厳しい表情で倒れた男を無視して歩き出した。
「……なんて馬鹿力だ。加えて躊躇なさすぎだろ」
だが、不意に聞こえた声に娘の表情が強張る。一抹の不安を感じながらも娘は振り返った。そして絶句する。
男は笑っていた。頭蓋骨は確かに破壊したはずだ。その証拠に俯いた男の頭部は一部有り得ないほどに凹んでいる。
「あんた……《不死者》?それとも《黄泉帰り》か」
「さぁどうだろうな?」
次の瞬間―――
「むしろあんたの方が何だよ?」
次の動作に移ろうとしていた娘の左胸にはいつの間にか刀が刺さっていた。娘が緑色の目を見開く。
「かはっ……」
「白黒の世界で貴様やあの金目の糞王獣に赤い天使、そして王女だけが色鮮やかに映る。なんなんだよ、教えてくれよ?」
刺すのには不向きな刀だが防具を全くつけていない彼女を刺すには十分だ。更に男は刀をねじ込む。
「なぁ」
「……小童が粋がるな」
そんな中、男が聞いたのは低く怒気を孕んだ声。
「おいゴルア、●●●●なら他をあたれやボケがああぁ!」
それとほぼ同時に再び男の体は暴風で吹っ飛んでいた。娘は舌打ちしながら自らの胸に深々と刺さっている刀を引き抜く。口の中に溜まった血を男前に吐き捨てながら娘は男を睨みつける。
「体質上生まれつき心臓が逆位置にあるんじゃなかったら死んでたぞ。神様だって死ぬんだからな。ま、すぐに再生するけど」
「……鬼か、貴様は」
引き抜かれ彼女が握ったままの刀を見ながら男は唸る。
お互いに再生能力持ち。このままでは埒があかない。娘が本気を出そうとした時だった。
突然男の姿がかき消えた。娘は慌てて気配を辿るがそこにいた痕跡すら無い。
「……ちっ」
そして残されたままの刀を握り締める。と、そこでようやく周囲の様子が一変していたことに気付く。遊びすぎてしまったのだ。
「しまった……!」
彼女は血相を変え、澱んだ魔力が噴出してくる源、そう、砦があった方向に向かって走り出した。