10
「―――待ちたまえ。そこの鬼武者よ」
不意に全てを忘れてしまいそうなほど美しい声が耳に溶け込んできた。鬼武者…そうだ、確かクリスが追っている…いや、待て。
「封印楔を斬りつけた先程の鬼武者とは似て非なる者のようだが、少し落ち着きたまえ」
後ろから思考することを止めていた俺の肩を掴んだのは神龍と戦っていたはずのバイオロイドの親玉だった。桜色の髪を風に靡かせながら奴は心配そうに俺を見ていた。
「でないとコノハナノサクヤヒメ様が怯えてしまう。あのように」
促されて見れば遠くに立つサクヤの表情は強張っていた。そして目の前の赤の瞳に映る自分の姿は。
「あ……」
「今の君はまるで夜叉だ」
我を忘れ憤怒に歪んだ顔で獲物を探す醜い鬼だった。
「君の仲間はそんな君を見て喜ぶだろうか」
バイオロイドの親玉は諭すように続ける。その間バイオロイド達が身を挺して神龍の攻撃から俺らを守ってくれていた。きっと、それはこいつの言葉で、俺を戦うべき邪龍ではなく、守るべき相手だと見做したから。
俺は拳を握り締め、そしてそれを自らの顔面に思い切り叩き込んだ。
「……すまん。これだから俺はいかん」
力一杯に殴ったため額が手甲の角でざっくりと切れ、かなりの量の血が垂れる。すぐに再生したため失血量は大したことがないが。
「すぐ、かっとなる癖、どうにかしないとな」
「……なんて力任せ、いや原始的なんだ」
血を振り落とすように首を振れば親玉は唖然とした表情で俺を見ていた。作り物めいた顔なのにやはり表情はやけに人間臭い。
「それはさておき……なぁ、提案があるんだが」
「何だ?」
俺はそれでも残った顔の血を手ぬぐいで拭き取りながら親玉に問う。
「お前らはあいつを倒したいんだよな?俺はあいつに対して絶対的に有利な剣舞が使える。が、今の装備は初期装備相当だし、何より風を操る神龍なんて初めてであの風は到底防げない。まともにかかっていこうとしたらさっきみたいなことになるだろう。防御力には期待しないでくれ」
「……つまり盾になれと?」
真剣な表情で親玉が問い返した時だった。
「―――む?あの風ぐらいなら私がどうにか出来るが」
いつの間にか背後にクリスがいた。サクヤも一緒にいたはずだが一瞬のうちに違う場所に立っていたクリスを驚いたように見ている。
「私は風神の加護持ちだからな。あのぐらいなら打ち消せるぞ」
「……なら頼む」
するとクリスは不敵に笑った。何を思ったのかやつは剣を鞘に納める。
「任せろ」
次の瞬間。
クリスは仁王立ちしたまま神龍に向かって大声で言い放った。
「そこの神龍よ!貴様程度の微風で神を名乗るなどと笑止!恥を知れ!私の風神にとってこんなのは児戯に等しい!《平伏せよ》!」
同時に気付く。クリスから夥しい暴風が噴き出し、神龍の暴風を打ち消していることに。
「今だ!」
バイオロイドの親玉の合図と共に俺は翔る。風を踏みしめ、全速力で。そしてサクヤの弓がしなる音が聞こえてくる。どうやら彼女も狙うなら今だと思ったらしい。その時にはもう確信していた。
ナユタ最強の神龍から出来たこの刀があり、あの邪魔な風さえ無ければ、ただの一太刀、たったそれだけであの神龍を破れることに。
「ミコト!やっちゃいなさい!」
俺は頷く。
紅蓮に燃える矢と月明かりを放つ刀は吸い込まれるようにその銀鱗を切り裂いた。