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ユーヤの使い魔はシズカと名乗った。シズカ曰く私の使い魔である彼とは昔同じ狩猟団に所属していたハンター仲間らしい。だから彼を自然にリーダーと呼んだそうだ。同じ狩猟団という流れからおそらくシズカもハンターなのだろうが、不思議なことに、シズカは彼と違って武器らしきものを一切所持していなかった。
私達は破壊された私の家から移動して、近くで一人暮らしをしているユーヤの部屋に来ていた。かなり狭いが一応整頓されていたため何とか四人入ることが出来た。
我が物顔で真っ先に椅子を陣取ったシズカは簡潔に自己紹介を終わらせると、どこからか取り出した焼き菓子をつまみ始める。あまりに勝手気儘な様子だが、ユーヤはもう慣れてしまったらしくそんなシズカの態度に対し何も言わない。それにしてもシズカの服にポケットは見当たらないが本当にどこから取り出したんだろうか。
「うんとね、今のリーダーの状態を言うとね、魂の一部にして自分を定義するもの、つまり真名を奪われてる状態だ。真名の考え方はそっちでも根付いてるみたいだから詳しく説明する必要はないよね?そのせいで軽度の記憶喪失も起きてるかな。リーダー、真名じゃない方の普通の名前は覚えてる?」
禁術がある程度落ち着いたのか少しだけ目の焦点を取り戻した彼は、シズカの問いに困ったように首を振った。今や、その髪と瞳の色は東国、または和などと呼ばれる場所から召喚された使い魔がよく持つという黒燿の色だ。シズカも似た色の髪と瞳だが此方はより奈落の底のような暗い闇色だった。
「いーや、さっぱり。なんかすまないな」
「……君はマツリヤ・ミコト。ミコトが名前で、名字はマツリヤ。まぁ、僕は君の真名を知ってはいるんだけど、知ってても自分の本質として処理出来なくちゃ無意味だからあえて言わないでおくよ」
とりあえずシズカのおかげで、彼をどう呼べばいいか分かった。だが、肝心のミコトはシズカにはぐらかされたせいか渋い表情を浮かべたままだ。
「シズカがミコトさんの知り合いで助かったね……サクヤ、これでミコトさんと仮契約結べるな」
その様子を見てなんとかして場を明るくしようとしたユーヤが作り笑いを浮かべる。
仮契約は本契約と異なり、デメリットが多数存在する。例えば使い魔が自前の魔力を使いすぎてしまい魔力が空になった魔力供給、例えば使い魔が万が一元の世界に戻った時の戻る時間や位置。基本的に使い魔に対してのものが多く、場合によっては生死に関わる。ただ、仮契約は仮契約で利点もあり、先程私がしようとした時間をかけない契約成立や契約破棄など仮契約は比較的フレキシブルなのである。
シズカは深い溜め息をついた。
「仮契約ね……仮契約の僕としてはリーダーには本契約を推奨したかったんだけども。真名強奪中なら無理だからね。最初から真名持ちじゃなかったら別に平気だったんだけど」
どうやら目の前の使い魔である青年も仮契約の使い魔だったらしい。私と違ってユーヤは召喚時にハプニングなど無かったはずなのだが。不思議に思っていた私をユーヤはすっかり板についた苦労人の顔で見た。
「どうしてもシズカが仮契約がいいっていうから……僕は本契約したかったのに」
ユーヤの言い分はもっともである。仮契約だと本契約する実力が無いとか使い魔を制御仕切れていないなどと言われ何かと半人前と見なされるからだ。おそらく契約破棄がしやすいという点で信頼や実力がないと使い魔から見捨てられるとかそういったことからそう言われるのかもしれないが。そういう意味では先程の襲撃者の行動は没落貴族の生き残りである私を狙ったものならば合理的だ。名実ともに没落させることが出来る。ただし色々と法に抵触するが。特に禁術関連で。
話が脱線してきたのに危機感を抱いたらしく、今まで黙って話を聞いていたミコトが口を開く。それはそうだろう、彼の場合自分の名前や記憶諸々がかかっているのだから深刻さはだいぶ違う。
「とりあえず、だ。俺らがやらなくちゃいけないさっきの襲撃者とその使い魔の特定、そして真名の奪還だ」
視線は未だにやや危うく漂っているが、意外なことに語調はしっかりしていた。そのままシズカに向き直って彼は続ける。
「確か相手の使い魔は……無数の頭を持つ怪物で名前はラドン。シズカ、覚えはあるか?」
「ラドン?えーと、希ガスの一種……っていうのは今回は違うか。それ、有名なドラゴンだね。ギリシャ神話の怪物だ」
神話に出てくるドラゴン、つまり《神霊》の龍種。正直使い魔としてはかなり格が高い。使い魔の格は一般的に魔法使いとしての腕前を反映するため、それを呼び出せる以上、相手の魔術師も相当な腕を持っている可能性が高いことが分かり、思わず怖じ気づく。するとシズカは人が悪そうな笑顔を浮かべた。
「元お嬢様、ひょっとして今、ガチな戦いになったら負けるかもとか考えた?もしそうならそれはリーダー、とついでの僕に失礼だぜ」
いつの間にか目の前には黒燿より暗い闇色の瞳。混じりけも濁りもないその負の暗黒に引き寄せられていくような錯覚を感じた。
「《神霊》?それがどうした?いくら神話で謳われようと所詮君らの考える範囲に留まるしかないドラゴンでしょ?」
「所詮……!?」
「そう、ただのドラゴン。個性も何も反映されていないようなただの名称という記号に意味なんてあるかい?もっとも烏合のうちの一人にしかすぎない君よりかは意味があるかもしれないけれど」
シズカは続ける。いつの間にか敵のドラゴンについてから話がすり替わっているのにも気付けないほど自然に。
「ねえ、ところで君は自分という存在に意味があるとでもくだらないことを思ってるのかい?それは戯言、大間違い。僕が是正してあげようじゃないか」
とその時だった。
不意に私の肩に触れた固い感触で私は現実に戻ってきた。何らかの魔法にかけられていたのだろう、シズカの話を聞いているうちにミコトやユーヤがすぐ傍にいたことすら忘れていた。そのままやや乱暴に私はシズカから引き離される。
「シズカ、俺のマスターを毒するな」
落ち着いてはいるがくっきりとした怒気を孕んだ声、そして天地が逆さまの視界。どうやらシズカの様子を見かねたミコトに持ち上げられたらしい。見かけによらず力持ち、とかより先に持ち方から考えて荷物扱いか、と思ってしまった自分が悲しい。
視界の隅に映るシズカはふてくされるように頬を膨らませた。童顔気味の整った甘い顔立ちのため違和感は無いが、正直年齢を考えてほしい。もっとも私は彼の実年齢を知らないけれども。
「ぶー、つまらないな!」
「つまらないで他人の精神、汚染するなボケ……それはさておきマスター、シズカの言葉の通りドラゴンは所詮ドラゴンだろ?」
不可解なほど自信たっぷりに言い放つミコト。肩に担がれてるから顔は見えないが不敵に笑っていそうだ。ユーヤは私が落ちないかとはらはらした様子で見守っている。
「正直ランドールが来ない限り、モンスター系なら大半の使い魔に負ける気はしないね」
シズカは頷いた。ランドール……走る人形?ドラゴンの一種にしては奇妙な名前だし…そもそもあんまり強くなさそうな名前だが。
とりあえず下ろしてほしいのでミコトの背中を拳骨で殴り続けると彼はようやく私の存在を思い出したのか、ゆっくりと下ろしてくれた。細く見えてもしっかり筋肉がついていたため、殴った手がジンジンする。
私は再びシズカを見たが既に彼は最初の無害だが捉えどころのない様子に戻っていた。先程の狂気を暗黒の奥に潜ませ、柔らかく微笑む。
「そこでだ、名案があるんだ」