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その言葉を聞いた瞬間、ミコトの中の何かが変わった。彼の瞳に映る世界の何もかもがくすんでいた色彩を脱ぎ捨て本来の姿を取り戻す。
髪が元の白銀の月の色に染まり、焦点を取り戻した目は淡く赤く煌めく。そしてミコトは吠えるように叫んだ。
「真名解放……《ツキミチルエイヤ》!」
背中には体全体を隠すほどの翼、首から下の素肌には銀の鱗、そして髪の生え際には小さいながらも確かにある双角。
その姿はまさに龍人だった。
彼は世界をその淡くも力強い光で魅了する。
「よう、蛇野郎……神と呼ばれる竜はお前だけじゃないんだぜ」
〈おお!なんということだ!まさかのミコト、種族が人種から龍種に変化したー!?ちなみにこの事例は前代未聞だー!〉
実況の間にもミコトと刀を中心に周辺が暗くなってゆく。否、周辺の光が全て彼とその刀に引き寄せられていくのだ。その様はまるで蛍が一カ所に吸い寄せられていくかのように幻想的だった。
そして三日月から満月へ。時が満ちた。
ミコトが刀を振りかざす。
「《神楽 月満ちる永夜》!」
彼とその刀から放たれた鮮烈な光がラドンを焼き払う。あまりの目映さに誰もが本能的に目を覆った。それでもなお視界を潰すような圧倒的な光量。
やがて真っ白に染まった世界の中でミコトが刀を鞘に戻す音がした。続いて聞こえるのは困ったような声。
「……あ、やりすぎた」
唐突に視界が回復する。思わず私は絶句していた。大惨事が目の前に広がっていた。平らだったはずの地面は大きく抉れ、ミコトの真正面にいたラドンは無数あったはずの首を一本だけにして倒れている。ついでに巻き込まれたらしい障壁の向こうのベオウルフも目を押さえながらひっくり返って痙攣していた。
訓練所の誰もが黙ってふぅとくつろぎ始めたミコトを見ている。私は仕方なく、皆の心中を代弁した。
「あ、やりすぎた……じゃないわよ~!」
商家出身のユーヤも修理費諸々を脳内で素早く計算したらしく涙目で頭を抱え込む。
「何十日ただ働きすればいいんだろ……」
シズカが無言でタクトを振り上げようとするがあえて止める。彼もまた呆れているようだ。
「こんな大規模な修復、久しぶりだぜ……うん、疲れたからすぐ直すのは無理だ」
審判が前に出る。そして誰から見ても明らかな勝敗を告げた。
抵抗するプレンデルが禁術使用容疑で連行された後、私達は手作業で大きく抉られた地面を直すことになった。
「重い……」
他の面々がフットワーク軽くリヤカーを押すのを横目に私はある意味死にかけていた。だって考えてみてほしい。唯一私はあくまで後衛メインの女の子なのである。
「―――マスター、今少し時間をもらえるか?」
シズカと話しながら作業をしていたミコトが近くに寄ってくる。真剣な表情だった。
「あ、うん、大丈夫だけど」
ミコトはリヤカーは脇に置く。作業しているうちに完全に夜になっていたらしく、彼の銀髪は満月を反射し煌めいていた。真名解放を止めたため、今はもう、その全体的に淡い色彩以外普通の人と同じ姿である。
「マスター、俺のせいで色々と危険な目に遭わせてすまなかった。そして、もし、許してくれるなら……本契約を、してくれないか?」
不安げに私を見る淡い赤の瞳。私は尋ねる。
「……何で貴方はこんな私の使い魔になろうとしてくれるの?」
真名を奪われたのもラドンと戦う上で何回か重傷を負ったのも全ての原因は私。それなのに彼の召喚主である私は何もしなかった。正直理解に苦しむ。
するとミコトは気まずそうに赤面した。
「実はシズカにもマスター達にも言って無かったが……自分のことをほとんど覚えて無いっていうのはかなり精神的に堪えててな」
え?軽い記憶障害じゃ無かったの!?シズカの言葉を鵜呑みにしていたため内心かなり驚いている私には気付かずミコトは続ける。
「単刀直入に言うと、提供される話に合わせてれば問題はないものの、自分と他の境界がわからなくて、何より自分が何なのかが分からず自我が崩壊しかかっていたんだ」
そんなに重症だったのか。どうやら彼は悩みが表に出にくい性格らしい。気を付けよう。
「でもマスターはそんな情けない俺を信頼し全てを任せてくれた。下手すれば自分がとんでもなくなるというのに。だからそれに応えなきゃならないと思ったんだ。するとぼんやりした自分の輪郭が少し戻ってきた気がした」
彼は私の手を握る。そう試合前に私がしたように。
「何よりこんな俺でも信頼し必要としてくれている、それが嬉しかったんだ」
微かな笑みがやたら眩しく感じた。遠くではシズカがニヤニヤと笑っていた。あれは何か企んでいる。嫌な予感がした。
と、不意にミコトは私の手を取り、手の甲に数秒だけ口付ける。何も疑問を抱いていない様子で。
「だから、俺をマスターの使い魔にしてくれないか?」
そしてこの言葉である。全身が恥ずかしさで沸騰するのが分かった。と、ミコトが真横に吹っ飛ぶ。
「天誅ーっ!」
ユーヤの跳び蹴りが側頭部に決まったのだ。
「うちの、サクヤに、な、なんてことを!」
「はぁ!?……っ、シズカ、騙しやがったな!?」
頭を押さえながらミコトはシズカを睨みつける。シズカは心外そうに首をすくめた。
「うちの世界のナイトの作法を教えてくれって言ったのは君じゃないか。それがこっちの作法と違って変態扱いされても僕は知らないんだぜ」
ああ、これは知っていて面白くしたいからって、わざと教えたパターンだな。気の毒に。
それでも生き生きとした表情でシズカを追いかける彼を見ていて、こんな日々の続きを見てみたい、と思った。