第8話 そして出会う
「王都か……あんまり行きたくないんだが?」
馬車に揺られる中、ノアがイヤそうな顔でそう言った。
しかしノアの対面に座っている"山賊・鮮血のマリー"から"氷血のメイド・マリー"へと職種を変更した水色の髪の女性はノアの表情の中に宿る他の気持ちを読みとって言う。
「……よく言いますね。本当はエヴァ殿下に会えるのを楽しみにされているのではありませんか?」
マリーの指摘に、ノアはあわてた様子で、
「だから殿下とはそんなんじゃないって言ったろうが……」
と否定する。
けれどマリーは畳みかけるように続けた。
「……さてさて、どうでしょう。ただ少なくとも、あれだけ懐かれれば楽しいでしょうね。しかもエヴァ殿下は男性であれば誰もが恋をし、また女性であればあのような容姿と性質を手に入れられればと憧れるようなお方です。ふらりと王城に行けばそんな方が自らお近づきになって、きらきらとした瞳で幸せそうに微笑みかけてこられるのですから、さぞや楽しみでいらっしゃるでしょう。まぁ……ノア様も、所詮は? 普通の男? だったということでしょうね」
「おい、おまえ、主に対して不敬だぞ!」
「首にされますか? なるほど、でしたら私はその足でまずレオンのところに参ることに致しましょう。そしてパラディール商会の莫大な資産をもってそのまま故郷へと戻り、新たに家を起こして革命を行ってきます。成功した場合は特に何も申し上げませんが、失敗した場合はすべてノア様の采配によるものだと断頭台の上で語るというおまけ付きで。……はて、ただの思いつきでしたが、これは意外と面白い挑戦なのではありませんか? ノア様は我々の革命が成功するのをここで祈っていてください」
「お、おいっ!」
とんでもないことを言いながら、それでは、と一言残してそのまま馬車から飛び降りかけたマリーの腕をあわててひっつかむノア。
この速度で走っている馬車から飛び降りたら普通はただでは済まないが、マリーの腕なら無傷で降りられるだろう。
そしてそのまま口にしたとおりのことをやらかす度胸と人望が最近の
彼女には揃っている。
冗談でもそんなことをさせるわけにはいかなかった。
腕を掴まれたマリーは、
「……何でございましょう? 私はたった今、フィガール家を首になった身。どこへ行こうとも私の勝手のはずですが……」
「いつ首にしたんだよ……もういいから座ってろ。はいはい、俺は殿下に会うのが楽しみで楽しみで仕方ないですぅ」
口をとがらせて不貞腐れたようにそう言ったノア。
しかし次の瞬間、マリーの懐から取り出された物体にそんな態度もとれなくなる。
マリーはノアの言葉にニヤリと笑い、それから自分の胸元から取り出した細長い棒のような物体をいじった。
すると、
『はいはい、俺は殿下に会うのが楽しみで楽しみでしかたないですぅ』
と先ほどのノアの声と寸分違わない声が再生された。
マリーの持っているその道具は、まさにノア、ひいてはパラディール商会が制作した魔道具のうちの一つ、《録音機》であり、中でも最新の試作機でどこにでも隠しておけるという触れ込みで売りだそうと考えている製品だった。
「お、お前……いつのまにっ!」
ノアがあわてて手を伸ばすも、マリーはそれを再度自分の胸元にしまい込む。
さすがのノアも、女性の胸元に手を突っ込む勇気はないらしく、恨めしげな目でマリーを見つめ、ため息を吐きながら真面目な口調で言った。
「主をおちょくるのもいい加減にしてくれ……それに、そろそろ《森》にさしかかるところだし、飛び降りること自体はともかく、その後はいくらお前でも危険だぞ」
その言葉にマリーもこれ以上ふざけるのはどうかと思ったのだろう。
頷いて言った。
「森ですか……《黒闇の森》には入ったことがありませんから私にはその危険は分かりかねますが……ノア様は?」
「俺もないな。ただ、エルト王国内にある危険地帯はいざというときのために把握しておきたくてな。調査に人をやったことは何度かある。ただ、全員帰ってこなかったが」
「そこまでですか。いざというときと言いますと……」
「ウォロー公爵を始め、俺も最近は色々なところに目を付けられてるらしいからな。いつ暗殺されるかわかったもんじゃないぞ。そういうわけで、逃げ道は確保しておきたいんだ」
「危険地帯に逃げ込む予定を立てるのは少々頭がおかしいと思います」
「そうか? 意外と賢いと思うがな。追っ手がかかってもそこに住むだろう魔物やら何やらが相手してくれるし、身を隠すのにももってこいだしな。ま、いつまでもそんなことにならないことを願うが……」
そんな風に雑談をしていると、馬車が突然停止する。
「……何かあったのか?」
「そのようですね……少々お待ちを。見て参ります」
「いや、俺も行くぞ」
「さようですか? では……」
マリーが幌を開けて身を地面に踊らせ、そのまま馬車の前方へかけていくのをノアも追いかける。
すると、そこには一人の少女が立っていた。
妙な雰囲気の少女だ。
ぼろ切れを纏っているが、髪は夜の星をちりばめたような銀白色に輝き、顔立ちも美しく、成長したときの美貌が想像できるようだ。
どこかの貴族令嬢だ、と言われれば納得が行くような容姿である。
しかし、そんな風でありながらも、その表情は容姿とはまるで正反対なのだ。
獰猛な野生の獣の如くぎらぎらと輝いた瞳には殺気が感じられ、下手なことをすれば危険であると肌が伝えてくる。
あれは、危険な獣だ。
ノアは少女を見ただけでそう思ったのだった。
しかし、マリーや御者はそうではなかったようで、
「……子供? 何かと思えば……物盗りか何かでしょうか。孤児院に連れて行くことに致しましょう……」
「孤児院にですかい? しかし馬車に乗せてもよろしいので? 侯爵様のご子息がいらっしゃるんじゃ……」
「ノア様はそんなことで怒ったりはされませんよ……ほら、貴方。こっちに来なさい。余計なお節介かも知れませんが、明日の食べ物に困らない生活を差し上げますから」
マリーはそう言いながら少女に近づいていく。
少女は動かない。
しかし、マリーと少女の距離がある一点を越えると、少女は突然動き出した。
その動きは目にも留まらぬ、という形容が嘘ではないような速度で、人の出せるようなものではないように感じられた。
「なっ……!?」
マリーも驚き、あわててスカートの中に隠していた短剣を引き抜き、対応するために構える。
一瞬ののち、がきぃん、という音がして、マリーの短剣に火花が散った。
攻撃を加えられたのだ、と感じると同時に、勘で構えた位置に攻撃がやってきたことに運の良さを感じる。
しかし一撃目は何とかなったにしても、もう一撃加えられれば避けきれる自信はなかった。
何せ、見えないのだ。
どうにもならない。
国を出てから、ノアに仕える前も後も、研鑽を怠ったことは今まで一度もなかったが、それでも対抗できない相手がいたということに驚く。
そして、思った。
ノアを逃がさなければ、と。
色々ぞんざいな扱いをしている風であるマリーではあるが、しかしそれはノアを主として認めていないから、というわけでは当然ない。
むしろ彼の為に命を捨てる覚悟は常に持っていると言えた。
今が、その覚悟を使うべきと気なのだとマリーは疑わなかった。
しかし、
「ノア様! お逃げください!」
そう叫んだマリーにノアは笑って、
「誰が逃げるか! お前は御者を守ってろ。さすがに貴族の一人としては王都に自分で手綱をもって入るわけには行かないからな。頼んだぞ、っと」
そういいながら、ノアの体に魔力的強化が施されていくのをマリーは見た。
それは、初めて見る技術だった。
ノアと戦ったことはあるし、稽古をつけてもらったこともある。
しかし、そのとき使った魔術は一般的な、一端の剣士であれば誰でも使えるような身体強化魔術に他ならなかった。
けれど今のノアに施されたそれはどうだろう。
あんなものは今まで見たことがない。
使っている魔力の量も半端ではないし、また発動の速度も恐ろしいほど早い。
しかも、それを使った後に動き出したノアをマリーはその目で捕捉することが出来なかった。
「……すごい……!」
それしか言えないマリー。
そして、思った。
これなら、先ほどの少女と十分に対抗できるだろうと。
ならば自分のすべきことは、ノアの言ったとおり、御者を守ることだと思い至り、マリーは御者に言った。
「後ろに、隠れていてください」
「へ、へぇ……」
そうは言っても、ノアが敗北した場合には自分があの少女に勝てるわけもなく、せいぜいが流れ弾などから守るくらいが関の山だ。
どうかノアに勝利をと願ってやまなかった。