第7話 一年で出来たこと
そうして、マリーたち盗賊一味の、フィガール侯爵家配下としての日々が始まった。
ベフナムはその言葉通り、即座にマリーとレオン、それに後に合流した盗賊団構成員たちに偽りの身分を与えた。
あまり以前使っていた名前と大きく変わらない身分を与える辺り、芸が細かく、以前のニックネームをそのまま使えて楽でよかった。
しかも、偽りとは言っても、絶対にばれることはないため、偽り、という風にではなく、新たな身分であると捉えろと彼は言った。
実際、その与えられた身分証を使っての公的な団体への登録は全て可能であると言うのだから、ベフナムの言う通りこれは偽りの身分どころではない。
新しい命を与えられたに等しい所業だった。
盗賊団一同……いや、元盗賊団一同、というべきか。
全員がベフナムのことをその一件で、オストを取り仕切る裏社会の元締めとはこれほどのことが出来るのかと驚き、見直したのは言うまでも無い。
それから、マリーにはノア付きのメイドとしての役目が、レオンにはこれからノアが作る商会の代表としての仕事が与えられたのだが、これもまた驚きだった。
所詮、新しい身分を得ようが以前の身分がどうだろうが、マリーもレオンも盗賊だったと言う事実は消えない。
そんなものをまともに信用するのは馬鹿のすることであり、ノアはそういう馬鹿とは最も遠いところにいる人間である。
だから、マリーをそうやって近くに置くのはいざという時にいつでも自らの手で始末をつけられるため、レオンを商会の代表にしたのは、いつでも彼を切り捨てて、全ての責任を押し付けるため。
そう言う魂胆なのだろうと思っていた。
しかし、そんな予想は即座に裏切られる。
マリーにはいくつもの重要な仕事が任され、またレオンにも同様に巨額の資金と、それだけで一財産だと言えるような技術や理論の供与が行われたのだ。
これを持ち逃げして、別の地域で一旗揚げればそれで十分に元盗賊団の全員を養っていけるほどだった。
そのときには、さすがのマリーも、ノアは馬鹿なのではないか、と思ったのは当然のことだ。
けれど、だからと言って逆らうのはもっと馬鹿なことなのも明白だった。
ノアにしろベフナムにしろメリザンドにしろ、マリーより強いことはすでに分かっている。
それに権力だって持っているのだからどうしようもない。
黙って従うほかなく、始めは反抗心を抱きながら仕事をこなしていたと言ってもいい。
それなのに、三人ともそんなマリーたちを満足そうに見て笑うのだ。
気味が悪いと思ったことも一度や二度ではなかった。
逃げ出そう、とは思わなかった。
なにせ、給金が出るのだし、生活は完全に保証されると言うのは全く嘘ではないと、数か月働いただけで分かったからだ。
マリーとレオンがそれを確認してから、盗賊団員たちを皆、呼んだのだが、実際に働いた者全員がその待遇の良さに驚いたくらいだ。
気がついたら初めに感じていたいらつきや腹立ちはなくなっていき、仕事自体に面白みを見つけて楽しんで働く見事なまでの犬に成り下がっていた。
そしてそのことを自覚しながらも、それで構わないと思っている自分がいることに、マリーは驚いた。
生まれてこの方、誰かに心から従ったことは無かったマリーだ。
けれど、ノアの下で働き、初めてそういう気持ちになりかけていることに気づいた。
そして、マリーはそれを避けようとは思わなかった。
ここは、もしかしたら自分にとって天職なのかもしれないと、そう思うのに時間はかからなかった。
レオンもおそらくは同じだっただろう。
彼はマリーとは異なり、誰かの下で働くのが当たり前の人間であったから、マリーよりもずっと打ち解けるのは速かったようだ。
商会を尋ね、生き生きと仕事をしている彼を見たとき、マリーはノアの元について良かったと、嘘でなく心の底から思ったのだった。
しかしそれにしても、ノアは近くで見れば見るほど、不思議な少年だった。
相対したとき、自分は十歳だと言っていた彼。
実際、その容姿は明らかに十歳のそれなのだが、その頭の中身はとてもではないがそうは思えないほど賢く、また老練であった。
戦った時を今、思い出してみてもそれは確かな印象である。
彼の戦い方は、力で押し切るようなものではなく、むしろ経験に裏打ちされた正確で合理的な動きを基礎にした、老兵のもののように感じられたからだ。
十歳でそのような域にまで達している戦士など、マリーは見たことがなく、レオンとも話したが、彼も同様の印象をノアに感じているようだった。
気になりすぎて、ノアに直接尋ねてみたこともあるのだが、
「あぁ、俺は人生二度目だからな。当たり前だ」
と洒落のような答えを返されてしまった。
確かに、彼の行動の全ては、もし彼が今、二度目の人生を生きているというのが事実だと仮定すれば納得できるものが大半だったが、しかしそんなことが現実にあるはずがない。
何か秘密があるはずだと思えて仕方がなかった。
ノアの行動は、いつも突拍子がなく、独創的で、誰もが思いつかなかったようなものが基本だった。
商会で売られている品々がその代表で、主要な商品は魔導具なのだが、その全てが庶民向け、という非常に変わった店だった。
販売価格は当然かなり安価であり、庶民の手も簡単に出るようなものが普通だった。
一般的に魔導具は高価であり、とてもではないが庶民が購入できるようなものではない。
そのため、そのような商売をしていれば赤字になるのが普通であるのだが、レオンが会頭を務める商会――パラディール商会は、そんな事態に陥る様子は一切見当たらなかった。
それどころか業績はうなぎのぼりであり、あれよあれよという間にいくつも支店を築き、気づいた頃にはフィガール侯爵領にある主要都市全てに支店を出す大店に成長していた。
フィガール家がそのバックについている、という事実が商会に大きな信用を与えたことも大きかったが、それ以上にパラディール商会の販売する製品の目新しさ、便利さに庶民たちは酷く魅かれた。
その商品の全ては、庶民の生活を豊かに、便利にすることに主眼が置かれており、たとえば、自動的に洗濯をするもの、食品の冷凍保存が可能な箱、薪を使わずに火を起こせる板など、分かりやすい商品が多く、しかもその全てが安価なのだ。
動力には魔石を使っているのだが、非常に効率がいいのか、安価で低品質な魔石でもかなり長持ちする上、魔石の動力がなくなった場合には簡単に交換できるような構造になっているのも受けた。
普通、魔導具と言えば、そう言った魔石の交換などはせず、魔術師が自ら魔力を籠め直すことが想定されているため、そのようなことは出来ないのだが、パラディール商会の製品は違ったわけだ。
中身が空になった魔石は商会が回収し、魔力をまとめて込め直し、新たな動力源として再販売する。
こういった商売もあまりなかった。
だから、パラディール商会はどんどん巨大化していったのだ。
真似をしようにも、製品自体の複製がそもそも難しく、また魔石回収業と言えばパラディール商会であると誰もが認識するようになってしまったため、その点でも対抗するのが難しい。
それに、庶民相手の商売なのだからと嘗めてかかった商会は、庶民の口煩さ――つまりは、欠陥などに極めてうるさく、一度そういうものを出した商会の客には中々戻らないなど――に対応できずに撤退していった。
パラディール商会が販売しているのは、製品だけではなく、サービスも含めてパラディール商会だった、というわけだ。
さらに、腹立ちを収めようと、パラディール商会にチンピラを送り込んでみれば、這う這うの体で帰ってくるのである。
聞けば彼らは、商会の従業員にボコボコにされたと口をそろえて言うのだが、それを彼らの主人は信じなかったらしい。
当然だ。
たかが商会の従業員がなぜ、それほどに強いのだ。
おそらく彼らは金で裏切ったのだと判断され、しかもその数からパラディール商会の資金力が推測され、それが相当な巨額であると理解して徐々にそう言った真似をする輩も減っていった。
この快進撃を見ていたマリーは、実に驚いた。
この全てを、元盗賊団員だけを使ってやったというのだから、ノアは一体どんな頭をしているのかと思ったくらいだ。
しかしマリー以上に驚いたのは、実際に商会を取り仕切っていたレオンで、たった一年ほどで以前からは考えられないくらいの大金持ちになってしまった自分の立場に震えていた。
「……私が商会の代表をしていても、いいのでしょうか……」
不安そうにそう尋ねられたので、マリーは彼に言った。
「ノア様がそれでよろしいとおっしゃられるのですから、構わないでしょう。しかし、すっかり会頭業が板についているようで、嬉しい限りですね、レオン」
少し厭味っぽく聞こえたらしく、レオンはあわてて手を振っていったものだ。
「いいえ! 私は今でもマリー様の臣下でございます! やめろとおっしゃられればいつでもやめて……」
と言い始めるので、マリーは微笑んで首を振った。
「冗談ですよ。しかし……ここから先が難しい、とノア様はおっしゃっておられました。領外に手を伸ばしていくのですよね?」
「ええ。フィガール侯爵領内での商売は、フィガール家の後押しがありますから、拍子抜けするほど簡単にいった部分もあります。ただ、他領では同じようにはいかないでしょう。我が商会のようなものが現れ、巨大化されては領主としては色々差し障りがあるでしょうからな」
実際、パラディール商会の商品が売れた結果、問題になっていることもあった。
家事が楽になり、庶民に余暇が出来た結果、それは政治や役人への批判をする時間となってしまったのだ。
とは言え、フィガール侯爵領は他領に比べてかなり治安のいい領地だ。
それほど大きな問題にはなっていないが、これが他領だったらどうなるか。
それを考えれば、パラディール商会の他領への進出の難しさが理解できる。
ただ、それでもノアはやるのだろう。
ここ一年のノアのやったことを見れば、それは明らかだ。
あの少年は、いつも遠くを見つめていて、そのために動き続けることをやめない。
「……なんだか、厄介な人に捕まってしまった気がします」
マリーがふとそんな風にぼやけば、レオンも頷いて言った。
「その通りですね。しかし……盗賊をやっているよりは、面白い。貴女様も……あの頃よりずっと楽しそうでいらっしゃる。私を含め、臣下一同、その姿を見られることに幸せを感じております。そして、そんな貴女の居場所を作ってくれたあの少年には深い感謝を覚えて止みません」
真面目な声だった。
心の底から、本気でそう言っていることが分かる。
マリーはふと息が止まるが、しばらくしてから頷いて言った。
「ここまで来たら、ノア様と私たちは一蓮托生です。これから何が起ころうとも……ついていこうと、今は正直に思います」
それもまた、真剣な声で、レオンも頷いた。
しかしふっと表情を崩して、レオンは一言付け加えた。
「しかし、伝え聞くところによりますと、マリー様は随分とノア殿に冷たく振る舞っていらっしゃると」
どこから聞いたのかと思い、マリーは顔をしかめる。
レオンはそんなマリーの表情を読み取っていった。
「本人がぼやいていったんですよ。なぜあいつは俺に対してあんな氷のような対応をするのか、と」
マリーの前ではそんなマリーの対応に特に不満そうな顔はしていなかったのだが、内心、思う所があったらしい。
実際はどうかと言えば、氷、というつもりもないが、若干厳しめな対応になっているのは事実だった。
始めの頃は、ノアに対する反抗心からそういう振る舞いをしてしまっていたが、それが完全に板についてしまって今に至るのである。
今さら変更するのも気恥ずかしく、またこういう態度がマリーの素であると認識されてしまっている。
特にノアに対しては、他に対するよりも厳しい対応をしていて、なぜ俺に対して、とノアが言っているらしいことからそれが理解できる。
マリーはレオンに言った。
「主人に対しては、甘く接するだけではいけない。時には厳しく諌めることも、重要なことで、特にノア様のような聡明な方が主人である場合には余計にそのことを旨にとどめておかなければならない。――ジョゼフ殿がそうおっしゃって、私を教育されましたから。もはや身についてしまって、戻しようがないのですよ」
ジョゼフはまさにそう言うタイプだった。
ノアに対しては厳しく接し、諌めるべきところは諌める。
そしてジョゼフはマリーにもそのように対応するように言った。
ノア付きのメイドはマリー以外にメリザンドがいるわけだが、彼女はまさに甘い上にのほほんとしている。
彼女がそういうタイプであるならば、自分は正反対であるべきと考えているところもあって、こういう風になっている部分もあった。
レオンはマリーの答えに頷くと、
「確かに、私もジョゼフ殿の考えには賛同いたしますよ。マリー様。お互いに任せられた役目、しっかりと全うすることにいたしましょう」
かつても今も、誰よりもマリーのことを思っているレオンの台詞にマリーは頷いたのだった。