第6話 様子見
それからのことは、マリーにとって実に驚きに満ちている日々だった。
盗賊団の者たちにはマリーが自ら説明して、これから自分たちがノアの配下となり、盗賊からは足を洗う事を告げた。
その際に、文句を言う者も何人かいたが、そいつらはそもそも後から盗賊団に入ってきた、いわば事情を何も知らない奴らである。
盗賊団の中心を占める者たち全員がマリーに黙って頷き、その意向に従おうとしているのを見るや、反対するのも無駄と感じたのか、仕方なさそうにではあるが諦めて同意した。
もちろん、それでも盗賊稼業から足を洗いたくはない、という者もいたが、ノアが出した条件を聞き、そいつらも二つ返事で同意してしまった。
ノアは、自らのポケットマネーでその場にいる全員を雇う、と言い始め、自らがこれから立ち上げる予定の商会の従業員とすると言ったのだ。
当然、定期的な賃金に、真っ当な職場、そして今までの前科を全て帳消しにするなど、必要な措置は全て行うと言う。
それを聞き、盗賊団の構成員は皆、これを逃すと二度と堅気に戻る機会は得られないだろうと思ったのだろう。
誰一人として首を横には振らなかった。
ただ、それでも今まであまり世間から優しくされたことのない連中である。
これが全て罠であり、のこのこと着いていった結果、全員が逮捕されてそのまま牢獄へ、さらには処刑台へと送られる可能性を考えずにはいられなかった。
そのため、まずマリーと、盗賊団でマリーの副官のような立場をしていた男、ノアたちをマリーの元に先導したレオン=パラディールがまずノアたちに着いていき、その言葉が全て真実であると言うことを確かめることになった。
その際、マリーとレオンがいない間、これ以上犯罪を重ねさせるわけにもいかないと考えたのだろうノアは、その場にある程度の額の金貨を置いていった。
50人程度なら、一月程度は食べていけるような額で、正直それだけでも信じても良さそうな気前の良さである。
しかしそれでも、実際に目で見るまでは信じることは出来なかった。
確かに三人とも、妙に強いと言う事実があったが、それだけでどこの誰かがはっきりするわけでは当然ない。
特に、ノアに至っては領主の息子だと言うのだ。
そんな言葉は、真実、オストに行って領館の中に入り、家令なりなんなりに断言されるか、彼の父親にそう言われるかしなければ信じることは出来ない。
そうノアに言えば、
「確かにその通りだ。じゃあ、お前と……さっきの男辺りがまず、俺の家に来るといい。何日か過ごせば、俺の言葉に嘘がないことが分かるだろう」
と言い始め、ノアの家に行くことになった、というわけだ。
その際に、不思議と言うか、マリーとしても意外だったのが、盗賊団の者たちのマリーに対する別れの惜しみようである。
ずっとここまで着いてきた、元騎士連中についてはそれも理解できるのだが、後から盗賊団に入ってきた、詳しい事情を知らない者たちも、真実心から、マリーとの別れを惜しんでいたのだ。
なぜか、と思いマリーはつい正面から聞いてしまったくらいである。
「お前ら、盗賊辞めたくないんだろ? なんでそんなに俺との別れを惜しむ」
と。
盗賊を辞めることになった原因を作ったのはノアだが、それに敗北し、盗賊団を守りきれなかったのはマリーの責任だ。
そんなマリーを、しかも所詮は女と侮っているのだろうなと普段から思っていたんで、そんな彼らの反応はあまりにも意外だった。
しかし、彼らは言う。
「いえ、俺達はただ……あんたと一緒に盗賊がしたかっただけで!」
「そうでさぁ。褒められた仕事じゃねぇのは分かってるが、あんたと仕事してるときは、今までの人生で一番面白かったんだ……。だから、ずっと一緒にと」
口々にそんなことを言うのだ。
正直に言って、マリーの盗賊団はマリーが首領を務めていたため、女については手を出すことは禁じていたし、欲しいなら街や村で買ってこいと言っていたくらいだ。
せいぜいが女を攫ってもしばらく置いて、裁縫やら料理をある程度やらせて、村や町に返すのが普通だった。
そのため、その際は、盗賊のところにいたなどと言っては女の今後に差し障ると、それとは分からないように、構成員に狩人などの振りをさせて送るなど、七面倒臭いやり方をしていたくらいである。
女を攫う際に、色々ほのめかすような台詞を言うのはそういう風に脅かすように指示してあっただけで、本当に襲わせることは許可したことは無かった。
つまり、盗賊としてはかなり旨味が薄い集団だったことは明らかであったのに、本当にマリーを慕っていたのかと訝った。
けれど、彼らは続けるのだ。
「そもそも、俺達は根っからの盗賊じゃねぇ。もとは食い詰めた農民だ……あまり酷いことをするのは、柄じゃなかったさ」
「その通りだ。それに、あんまりな奴らは……あんた、うちには入れようとしなかったろう」
確かにそれはその通りで、盗賊団に入団させるときは性格を見て入れた。
どいつもこいつも、という風にはやらなかった。
文句を言う奴は、仕方ないが殺した。
結果として、残ったのはこういう奴らだったという事を考えると、意外と人選びに成功したのかもしれないと思ったものだ。
そして、真実、こういう性格をしている奴らだった、ということが分かった以上、ノアに援助を受けて金銭的に問題がなくなったのだから、犯罪に手を出すこともないだろうと、マリーとレオンはノアたち三人と共に、オストへと向かった。
その際、ノアたちのハイタカ山脈までの足だった馬車は破壊してしまったため、盗賊団所有の馬を出すことになった。
ノアとベフナムはともかく、メリザンドまで馬術の達人であることにまた驚いたが、それから、もはやこいつらに驚くのは時間の無駄だと気にしないことにした。
実際にオストの地に着いてみれば、ノアが確かにオスト領主であるフィガール侯爵の息子であると認めないわけにはいかなくなった。
領都であるオストの内部に入ってみれば、いや、入る前から既に、ノアはフィガール侯爵の息子として扱われていたからだ。
門番は彼を見ると笑顔で迎え、さらにいくつか会話すると、身分証すらもたないマリーとレオンを軽い身体検査のみで通してしまったのだ。
二人とも武器を所持していたのだが、奪われることもなく、ただみだりに振るってはならないと注意されたくらいだ。
「……俺がここで一仕事する気だったらどうするんだ?」
そんなつもりは毛頭なかったが、それでも尋ねずにはいられなかった。
しかしノアは事もなげに言い放つ。
「何、その時はお前には死んでもらうだけだ。“鮮血のマリー”の処刑式の木札は良い値段で売れるだろうよ」
そう言ったときに覗いたノアの目にはどんな感情も覗いていなかった。
そうすることに一切の良心の呵責も感じてはいないのだろう。
当たり前のことを当たり前に言った、というだけであるということがそれではっきりと分かり、マリーは震える。
しかしノアはすぐに微笑み、
「おいおい、怖がるなよ。お前たちが何もしなければ俺だって何もしないさ。そもそも雇う気でいるんだぞ? これからは仲間さ」
と言ったので、怯えは徐々に引いていった。
これを、明確な敵に回さずに済んで良かったと思わずにはいられなかった。
◆◇◆◇◆
「……お帰りなさいませ、ぼっちゃま!!」
オストの中でも最も大きな館の扉をノアが開いたとき、慌てた様子でどたどたとした音共に駆け寄ってきたのは白髪の家令であった。
他にも若いメイドや執事が彼の後ろに着いてきているが、一歩下がっているために彼が最も地位が高いのだと分かる。
ノアはその家令を見て、言った。
「おお、ジョゼフ。しばらく留守にして悪かったな」
「何を言われます! 全く、ノアぼっちゃまが屋敷からいなくなったと聞いた時は息が止まるよう思いでございました。こうしてお元気で戻ってこられて……本当に良かったと」
始めは叱るような口調でノアに言葉を発していたジョゼフであったが、徐々に泣き出しそうな声色になっていき、最後には涙を浮かべてノアの手を取った。
それから、ふとノアの後ろにいる者たちに気づいて言う。
「……おや、その者たちは、一体……?」
見られたのは、マリーとレオンである。
メリザンドとベフナムは既に顔見知りらしく、不審な目では見られていないが、マリーたちを見る老家令の瞳には剣の刀身にも似た鋭い閃きが宿っていて、一瞬身が竦む思いがした。
マリーは、この老人も、ただものではなさそうだ、と感じる。
何か言うべきかと思ったが、ここはノアの屋敷だ。
自分が出しゃばるべきではないという事は分かる。
だから、マリーはレオンと共に黙って、ノアがなんと説明するのか待った。
するとノアは、
「あぁ、こいつらな……。ほら、この間言っただろう? 俺はちょっと商売をしたくてな。そのために働いてくれる奴らを探してたんだ。で、運良く見つかったのがこいつらでな……」
まぁ、間違ってはいないだろう。
しかし、“元盗賊”であり、ノアがそれを“襲撃”した上、“脅迫”に近い形で条件を呑ませた、という点について省略されてる。
そんなことを説明されても、マリーもレオンも困るので黙ってくれるのはありがたいのだが、いいのだろうかという気がしてくる。
とは言え、家令の老人――ジョゼフにはそんな事情など分からない。
鋭い目でしげしげとマリーとレオンを見つめ、それから頷いて言った。
「ふむ……なるほど。確かに使えそうな者たちですな。しかしその身なりはよろしくないでしょう」
「あぁ。まぁ、遠くから引っ張ってきたからな。他にもあと……何人だった?」
ノアが振り返ってマリーに尋ねたので、
「……私とレオンを省けば、48人ほど……」
と答える。
置いてきた盗賊団の人数を尋ねているのは明らかだったからだ。
もはや“俺”と言わないのは、頭巾を外し、長い髪を降ろした状態でその言葉遣いは不自然だからだ。
そもそも、今やほとんど板についてしまったとは言え、もともとの言葉遣いでなく、自分のことは、私、と言う方がマリーとしても楽ではある。
ノアはそんなマリーの受け答えに一瞬、目を丸くしたが、それからすぐに微笑んでジョゼフに振り返り言った。
「ま、そんなものらしい。こいつらはまず、見学に来たようなものなんだ……身なりなんだが、整える必要があるだろうから、頼めるか?」
「承知いたしました。すぐに手配を。しかし、見学、ですか。それに総勢50人も雇うとなると……遊びの商売と言うわけではなさそうですな?」
「当たり前だ。俺はこの街を発展させるぞ。そしていずれ……」
「いずれ?」
ジョゼフが首を傾げると、ノアは、
「いや、今はまだ言うべきときじゃないな。ま、ともかくこいつらをよろしく頼む。お前ら、着替えてこい」
ジョゼフに首を横に振った後、マリーとレオンにそう言ったのだった。
二人はそれからそれぞれメイドと執事に案内されて、服を着替えさせられた。
武器については預けるべきかそうしないべきかで一瞬迷ったが、ここまで来たらもう同じだろう。
そもそも、二人とも、おそらくノア、メリザンド、それにベフナムの三人組に本気でかかられたら勝つことは出来ない。
そうであれば、この屋敷の中での武器の所持など悩むだけ意味のない問題だ。
そう割り切って、二人は武器を渡した。
着替えたあと、二人はノアたちのいるリビングまでやってきた。
ノアとベフナムはソファに座り、紅茶を飲んでおり、メリザンドはそんな二人の給仕をしていた。
「――中々様になっているな」
着替えたマリーとレオンを見て、感心したようにノアはそう言った。
「確かに、ぼっちゃんのおっしゃる通りですな。マリーさんも、レオンさんも、よくお似合いで」
ベフナムも後に続いてそう言った。
マリーはクラシカルなメイド服を身に纏っており、長い髪を垂らして立っているその姿は、まさに冬に咲く花のように冷たく厳しい美しさを放っている。
レオンはジョゼフたち、執事が身に纏っている燕尾服と同じ色の、かなり似通ったデザインの服を纏っていて、もともとすらりとした長身と、金色の髪、それに年齢相応の色気を感じさせる甘いマスクをしているため、非常に魅力的な男性に見える。
二人とも、しっかりとした同じ武術を身に着けているからか、背筋がピンと伸びた立ち姿には似た雰囲気が感じられ、一目見てはっとし、また近づこうとしても近づきがたく感じてしまうような鋭さがあった。
「……マリーさんはフィガール家のメイドとして働かれるのでそれで良いとしても、レオンさんは……ちょっと近づきがたいのでは? 店を任せる予定なのですよね」
メリザンドがそう、ノアに質問した。
ノアは頷いて、
「……まぁ、確かにな。ただ、これだけの美男子は中々いないぞ。立ってるだけでも女性へはいい宣伝になりそうだ。それにたまに笑ってくれれば、それでいいんじゃないか?」
「それは……うーん、確かにそれでもいけるかもしれませんね」
二人は楽しそうにそんな話をしているが、当の本人であるレオンは不安で仕方がなかったようだ。
「……本当に大丈夫なのですか? 私たちにはいろいろと後ろ暗いことがあるのはご存知の通りで……」
レオンの言葉遣いもまた、盗賊団のときとは明確に異なっている。
かつて騎士だった頃の彼の口調に戻っていることに、マリーは気づいた。
この場ではそちらの方が場に合っていると思ったのだろう。
それにしてもレオンの心配はもっともである。
マリーもその質問に対する答えが聞きたかった。
「まるきり問題ないな。ここにはベフナムがいるんだぞ? そういう……前科の帳消しとか身分の横流しとかはこいつの専門だ」
ノアがそう言ってベフナムを見ると、彼は穏やかな表情でマリーたちに笑いかけ、
「ま、そういうことです。私に任せておいてくだされば、万事うまくやりますよ」
と言って、その瞳を鋭く細めたのだった。