第5話 敗北
ノアの名乗りに、首領はしばらくの間、無言だった。
そして、徐々に笑いがこみあげて来たらしく、くつくつと笑いだし、最後には大笑いし始めた。
ぐるぐる巻きにした頭巾の中、ただ一つ覗くその瞳に涙を浮かべて、戦いもそっちのけで首領は言う。
「くっくっく……何を言うかと思えば。言うに事欠いて領主のガキだって!? バカ言ってんじゃねぇよ。こんなところにそんなもんが来るか!」
真実、領主の息子であるノアは、そこまで断言されると困ってしまう。
実際、感覚としてどちらが常識的かと言われればこの問題については間違いなく首領が正しいのだ。
しかし、ノアは言う。
「普通ならな。だが、今代の領主の息子は相当な変わり者らしいぞ。盗賊退治にこんなところまで来るくらい、なッ!」
別に信じてもらう必要もなく、さっさと片付けるのが肝要であると考えたノアは喋りながら首領に向かっていく。
鋭い剣の閃きに笑ってる場合じゃないと気を引き締めた首領は改めてノアの短剣に向かうが、少し避けるのが遅れたらしい。
頭巾の生地にノアの短剣が命中し、切り裂かれて、ぱさりと首領の頭巾が地面に落ちた。
普通なら、そこにあるのは目にぎらぎらとした欲を浮かべた髭面の男、もしくは面白そうに笑う一癖も二癖もある若い男でもおかしくはない。
しかし現実はまるでそんな一般論とは異なっている。
ノアの目の前にさらされた、首領の顔。
それは――
「……やはり、女だったようだな」
メリザンドの集めてきた情報はかなり正確だったらしいことを確認し、ノアは笑う。
対して首領の方は頭巾を切られたことにご立腹なのかその顔に怒りを浮かべてノアを見ている。
清流の流れのように涼しげな水色の髪、それにゆらゆらと揺れる松明の色を正確に写し込む銀灰色の瞳。
それらのパーツが魅せる輝きに勝るとも劣らない美貌を持ち、ドレスでも纏えば誰一人として彼女を盗賊の首領だなどと思う者はいないだろう。
そんな、少女だった。
年の頃は17、8、と言ったところだろうか。
結婚してもいいような年齢の少女が、どうしてこんなところで盗賊をしているのかと、普通なら訝しむだろう。
しかしノアに驚きはない。
首領は言う。
「女だと悪いか? あぁ……女に剣で負ければ不名誉だもんな? 良い訳でも探してるんだろう」
挑発するようにそう言う彼女。
しかしノアは言い返す。
「馬鹿を言うなよ。お前とて、こんな十歳のガキに負けた日には仲間内で盛大に馬鹿にされるぞ。俺はお前が死ぬまでそれを言い続けてやるから、今のうちから覚悟しておけ」
「はぁ? 死ぬまで? 何を言ってる?」
「お前はさきほど言った。冥土の土産に一つ願い事を聞いてやるとな。その願いを決めたぞ」
「なんだ、死ぬ覚悟をしやがったか? 潔いな」
「だから、馬鹿を言うなと言うんだ。死ぬ気はない。むしろ俺が勝たなければ意味がない話だ。俺が勝ったら、お前と、それにこの盗賊団をまるまる俺の配下に加える。当然、非合法な仕事からは全て足を洗ってもらう。過去は消してやるから感謝しろ。いいな?」
実のところ、ノアは最初からそのつもりでこの盗賊団のところに来た。
ちょうどいい人材を探していたのだ。
そこそこ荒事になれていて、力仕事ができ、上司の命令には従う精神があり、連帯が築かれている集団が一度に欲しかったから。
しかしその条件にあてはまるからと言って、盗賊団に目を付ける辺りが普通ではない。
ノアのまるで既に決まったことを言っているかのような口調に腹が立ったらしい首領は、言った。
「はっ。夢物語を言ってんじゃねぇ。この俺が……"鮮血のマリー"とまで呼ばれている俺が、お前みたいなガキに負けるかよッ!」
そうして、首領は向かって来た。
それは先ほどまでよりもずっと洗練された、素早く重い動きであり、ノアは少し驚く。
良く見れば、動きが少し変わっていて、なぜか、ということを考えるとその答えに行きつく。
さっきまでは、どことなく男っぽい動きだったが、今はそうではないのだ。
おそらく、これこそが首領の、彼女本来の動きなのだろう。
"鮮血のマリー"という二つ名がついていることから、女であることをことさらに隠しているという訳ではなさそうだが、初対面の人間に対して嘗められないようにという配慮だろうか。
それとも、あえて男として振る舞い、混乱させるためかもしれない。
先ほど彼女が言っていた彼女を狙って動いている者たちに対する、警戒なのかもしれなかった。
しかし、先ほどより幾ばくか速度が上がり、また剣の重さが増えたからと言って、ノアにとってはそれは大した脅威ではなかった。
むしろ、彼女の腕はまだまだ発展途上であると感じさせるもので、完成はしていない。
「……そろそろ、かな」
ノアはそう言って、女盗賊マリーの突きこんできた剣を跳ね上げる。
「なにっ!?」
マリーは驚いてそう言うも、時すでに遅し。
ノアはその懐まで距離を詰めると、短剣を彼女の首筋に添えて言った。
「――俺の、勝ちだ」
それはまさに勝利宣言だった。
ノアの短剣はマリーの首に添えられているが、マリーの剣は跳ね上げられた反動で彼女の背後の地面に着いて、今からどう頑張ってもノアがマリーの首を刎ねる方が早いだろうことは明らかだから。
それを理解したマリーは、
「……はっ。いいぜ。俺の負けだ。だがな、ここは俺のアジトだ。お前がいくら俺の命を握ってようと、五十人の盗賊たちは黙ってはいねぇぜ。俺の命なんてどうでもいいって奴らが大半なんだからよ」
と言った。
確かに、彼女一人をどうにかしたところで他の奴らが従う保証などどこにもない。
むしろ非合法な荒くれ者である盗賊なのだから、首領の命などどうでもいいと向かってくる可能性の方が高そうであった。
しかし、ノアはマリーに言う。
「それは、お前が普通の盗賊だった場合だろ? お前の場合は違うはずだ。亡国の王女様を守る騎士たちが、あんたの命を惜しまないはずがない」
そう断言した瞬間のマリーの表情の変化こそ見ものだった。
「お前……」
ノアを睨みつけながらそう言ったマリー。
彼女の言いたいことはノアには深く理解できた。
だからこそ、ノアは彼女がまた誤解しかけていることを理解し、説明する。
「言っておくが、俺は今のところお前に一度も嘘は言っていないからな。俺は領主の息子だし、お前を追いかけている奴らでもない。ただ、情報源が優秀でな。お前の素性については調べがついているってわけさ」
その言葉にマリーは微妙な表情を浮かべ、
「……もしお前の言っていることが事実だとしたら、何を企んでいる? 俺みたいなのを懐に抱え込んだところでいいことはねぇぜ? ばれた途端に追っ手が大量につくのは目に見えている……」
「お前の身分なんて俺が作ってやるから安心しろ。権力者って言うのはそういうとき便利だぞ。まぁ……それもこれも、お前の部下たちが従ってくれたらの話だがな……」
そんな風に話していると、部屋の扉が突然、扉ごとノアたちの方へと斃れて来た。
向こう側から蹴るか何かしたのだろうことは明らかだ。
そう思って見ていると、扉の通路側だった方に張り付いて盗賊の男が一人気を失っている。
なるほど、この盗賊の男が扉に叩きつけられた反動でこうなったのだろうという事がそれで分かった。
ノアはともかく、マリーはそれを見て目を見開く。
「……なんだ、何が起こっている? 誰かの襲撃か!?」
しかしノアはそんなマリーに言った。
「安心しろ……これはおそらく……」
そう言った瞬間、扉の向こう側からメイド服姿の女性が駆け込んできた。
「ノア様~! ノア様~! 申し訳ありません! 扉、当たりませんでした?」
そんな台詞を言いながら。
見れば、その女性はメリザンドであり、無手のようだが、服の白いエプロン部分にはいくつか血痕が見える。
物騒な姿だ。
どうやら、扉は彼女がやったらしいということがそれで分かる。
ノアはそれ見て、自分の計画が成功したことを理解した。
何も分かっておらず、目を白黒させているマリーにノアは笑いかけて言う。
「……ま、何が起こったのか見に行くか? お前のアジトに」
そんなノアを胡散臭そうな瞳で見つめながらも、状況を知りたいのは間違いなく、マリーは仕方なく頷いたのだった。
◆◇◆◇◆
そこはまさに地獄絵図だった。
なぜ、こんなことになってしまったのか。
マリーはそれを見た瞬間、そう思わずにはいられなかった。
アジトの洞窟内のありとあらゆる場所に、盗賊団の構成員たちが倒れ込んで呻いているのだ。
一人として無事な者はおらず、意識がある者、ない者、色々だったが、とにかく立ち上がる気力もなさそうなのは全員が共通していた。
「これはなんだ……誰がやった!?」
マリーが一人一人にそう尋ねれば、
「……おかしな太った男が……」
とか、
「メイド服の女が……」
などと呻くのだ。
メイド服の女の方は、今、マリーの目の前、ノアの隣に立っている。
どう見ても武術の心得などなさそうだが、実際にやられた者が言っているのだ。
彼女は戦えるのだろうと見るべきだった。
しかし太った男とは?
その疑問の答えは、盗賊団の構成員がもっとも多くたむろしていた、洞窟内の大広間で明らかになる。
そこには彼ら倒された者たちが言うように、でっぷりと太った、運動不足気味な男が立っていたからだ。
茶色の髪は鳥の巣のようにぼさぼさになっていて、一見、人のよさそうな男のようだが、マリーにはその男が非常に危険な存在であることが一目でわかる。
目が笑っていない、とはこういう男のためにある言葉なのだと、マリーはそう思った。
もちろん、その手に所持された30センチほどの長さの、杖頭の部分に色の異なる宝石の嵌められた髑髏の取り付けられている不気味なワンドが、その男が魔術師であることを示しており、それをもって危険と判断することも出来る。
しかしそれだけではない、凄みのようなものがその男には感じられて、マリーは知らず、少し後ずさってしまう。
男は一瞬、マリーを見てワンドを向けようとするも、首を振るノアを見てそれはやめたらしい。
近づいてきて言った。
「ぼっちゃん。こっちは粗方片付きましたよ。そちらも……良さそうですね?」
「あぁ。問題なくな。あとはマリー、あんたが俺の願いを聞いてくれるかどうかが問題だが……どうだ?」
と不敵な笑みを浮かべて聞いてきた。
その隣では、メリザンドが同様の視線を自分に向けていることがマリーには見える。
三人で、にこやかな様子なのだが、三者三様、危険なものを宿らせているように思えて、マリーは一瞬言葉に詰まった。
そんなマリーにノアは、
「おい……怖がるなよ。確かにこいつはオスト裏世界の帝王とか言われているベフナム=ダレステアだが、普段はただの紅茶好きのおっさんなんだぞ」
などと言い始める
しかし、マリーはその言葉に余計に驚き、開いた口が塞がらなくなってしまった。
ベフナム=ダレステアと言えば、オストに住む者なら、たとえ盗賊であってもおそれるオストにおける悪の帝王である。
他の地域へ行ったとして、彼の名は広く知られており、彼の配下だったと言えばどんな組織も二つ返事で迎え入れるとまで言われる恐るべき人物だ。
それが、なぜこんなところにいる。
そう尋ねたかったが、しかし声が出ない。
それを見たベフナムが言う。
「……ぼっちゃん。この感じだと、私の顔を知らなかったんじゃないですかねぇ」
「そうなのか? なんだ、それなりにでかい規模の盗賊団を率いていたくせに、こいつの顔を知らないとは」
そう返事をしたノアに、メリザンドが言う。
「いやぁ、ベフナムさんは結構上手に隠れていらっしゃいますからね。そう簡単に顔は調べられませんよ」
「へぇ。お前が言うならそうなんだろうな……盗賊団くらいには厳しいか」
「そうですそうです!」
三人の間で行われている会話が、マリーには酷く遠い世界の事のように感じた。
ただ、一言、この感情を表すとしたら――
「お前らは、一体何なんだ……」
マリーには、そう言うしかなかった。
そして、そんなマリーの質問に三人は答える。
「だから言っただろう。俺はノア。領主の息子だよ」
「私はそのノア様のメイドです!」
「私はまぁ……ノアぼっちゃんの手下、ですかね?」
三者三様の答えに、マリーは思う。
こんなことは馬鹿げている、と。
たった三人のわけのわからない主従にその日限りで盗賊団を崩壊させられたマリーは、その日付で、ノアの配下となることになった。
その際、
「お前あれだな。メイド服似合いそうだな」
の一言で、メイドとして採用されることになってしまった。
しかしまさか、それからずっとメイドとして勤め続けることになるとは夢にも思わなかったのは言うまでも無いことだ。