第4話 名乗り
背中を蹴られて進んでいった洞窟の内部はかなり手が入れられていて、生活感に満ちている。
おそらくはオストから他の地域へ、また反対に他の地域からオストへ、ハイタカ山脈沿いの街道を抜けて運搬されていただろう商品の数々がそこら中に存在していた。
木箱や樽のまま、まだ開封されていないものも少なくなく、しかしそれらはしっかりと整理されて一目でどれが検品済みか分かるようになっている。
「……盗賊の癖に芸の細かいことだ」
きょろきょろと洞窟の内部を見ながら、ノアがそう呟くと、
「盗賊だからこそ、では。中にあんまり変なもの入っていたら困りますもん。未開封なのは人が入れないようなサイズのものばかりで、そういうことが可能な大きさのものはさっさと開けてしまうのでは」
メリザンドがそう予想した。
確かに彼女の言う通り、ある程度以上の大きさの木箱はそこにはなく、分解されてただの板として一所に集められている。
これが外部からのスパイなりなんなりを警戒してやっているというのなら、相当に厄介なタイプの盗賊団になるだろう。
ノアとメリザンドを何かしらの仕事に割り振ると言っていたことも勘案すれば、かなり明確な役割分担があり、全員がそれに従っていると言うことになる。
そこまで細かく明確な組織運営をする盗賊組織はかなり少なく、それだけにのさばらせておくのは問題だった。
しばらく歩いていくと、徐々に十数人ほどの群れになって歩いていた盗賊たちが徐々にばらけて自分の持ち場らしきところに別れていった。
一人、また一人と洞窟内のどこかへと消えていき、そして残ったのはノアとメリザンド、それに二人に洞窟の前で指示をした、他の盗賊より立場の高そうな盗賊だった。
「……こっちだ」
道が分かれるごとにそう言いながら案内していく男のきびきびとした動きは、どことなく訓練されたものを感じさせる。
こういう特徴は、見る者が見れば分かる者で、ノアはメリザンドに尋ねた。
「……見たことあるか?」
「いやぁ……やっぱり、この辺のではないですね。噂は正しかったのでは?」
「ふむ……となると、この先にいるのは……」
「まぁ、そういうことですかね。良かったですね、ノアさま」
メリザンドは意味ありげにそう言って笑った。
ノアはそれに口を尖らせて、
「おい、こら。どんな意味だ」
そう抗議するが、メリザンドは明後日の方向を向きながら、
「べっつに~。なんでもないですよ~」
となんでもなくなさそうに言った。
そんな二人を咎めて、盗賊の男は言う。
「おい、静かにしろ。ここがどこだか分かってるのか、お前らは?」
ただ、その口調は怒鳴るようなものではなく、もっと理性的だ。
盗賊の癖に不思議なことである……とは言わないが、もう少し盗賊らしくしてはどうかと思わないでもない。
けれどこの場でそれをあえて口にしないだけの分別はノアもメリザンドも持っていた。
静かに、申し訳なさそうな表情で頷き、それから、黙って男の後についていったのだった。
◆◇◆◇◆
そうして辿り着いた場所は――
「……ここが首領のいらっしゃるお部屋だ。失礼のないようにしろよ」
盗賊の男がそう言って二人に念押しをする。
そこには洞窟の中であると言うのにしっかりとした木造りの扉がついていて、男はその扉をゆっくりと叩いた。
――コンコン。
と、木製の物体を叩いた時になる高く柔らかな音が響き、その直後、
「……誰だ」
と、中からよく通る声が聞こえる。
盗賊の男は、
「首領……私です。レオンです」
そう答えた。
その声の響きは、先ほどまでの粗野なものとは異なり、きびきびとした鋭いもので、この男がはっきりとその首領という人物に忠誠を誓っていることが理解できた。
「おう、入れ」
盗賊の男――レオンの声に、本人であると確信したらしい首領は、満足そうな声でそう言った。
レオンはそれから扉を開き、一歩中に入ってから、ノアとメリザンドに中に入るように告げた。
出来るだけ、おどおどとして見えるように努力しつつ、盗賊の首領の居室に入って行く二人。
二人が中に入ると、レオンはがちゃん、と扉をしめて閂をかけた。
扉が閉まる時、思いの外、大きな音がしたので二人は一瞬驚くが、ただ扉が閉まっただけだと確認してすぐに納得する。
それから、レオンに二人そろって背中を押され、首領の前に引き出された。
首領は部屋の奥の方にある執務机のような形をしているところにかけており、こちらを見つめていた。
ゆったりとした怪しげな服を纏っているのはともかく、頭までぐるぐる巻きにしたストールか何かで覆われているその姿は一種異様である。
ただ、眼光だけが鋭く二人を見つめていて、この人の前に立てば射抜かれるような思いが誰でもするだろうと感じられる。
それからどれくらいの時間が経っただろう。
首領は頷いて言った。
「……お前、何が出来る?」
その言葉は、メリザンドに向けられたものであった。
彼女は突然の台詞に何と答えていいものか分からなかったのだろう。
こんな状況ではあまり言わないだろう台詞を言う。
「あ、そ、そうですね……裁縫とか得意ですよ! あと、料理とか……」
言いながら、首領の目の光がどんどん鋭いものになっていくことに気づいたのか、そこでメリザンドは言い訳するように呟いた。
「……そんな技能、盗賊には不要ですよね……すみません……」
しかし、意外にも首領は、
「いや、裁縫、料理。結構だ。どちらも盗賊には必要な技能だな。アジトの中を見りゃあ分かっただろうが、ここは男所帯だ。料理なんて適当だし、服もほつれたらそのまま放っておくことが多い……お前は役に立つ。レオン、こいつは今日から料理係兼裁縫係だ」
そう言った。
そしてその言葉にレオンは頷き、
「はっ。部屋の方はどうしますか?」
「女だからな。カギのかかるところを与えてやれ。男だったら何もやらんところだが……まぁいい。連れていけ」
「……こちらの少年は?」
「これから俺が話す。お前はもう行っていいぞ」
「……はっ……」
首領の言葉に、レオンは少し悩んだ。
それは、ノアと首領を二人きりにすることに危機感を覚えたのだろう。
しかし、首領はそれを飲み込んだうえで、レオンに出るように言った。
そのこともレオンは理解したのだろう。
承諾するのに少し時間はかかったが、結局は頷いて部屋を出て行ったのだった。
それから、レオンとメリザンドの遠ざかる足音が聞こえてから、首領は言った。
「――で、お前は何者だ? どこからきやがった……分かってるぜ。お前――スパイだろ?」
その言葉に、ノアは目を見開いて首領を見た。
◆◇◆◇◆
首領の言葉に、ノアは動揺をこれ以上見せないようにしようとことさらに平坦な声で尋ねる。
「……何を言われるのかと思えば……俺はそんなものじゃあ……」
しかし言葉を発すれば発するほど、怪しく見えていっているような気もする。
こういうときは黙っている方がいいのかもしれないな、などとノアはぼんやりと考えた。
そんなノアに、首領は笑いながら言う。
「いや、お前はスパイだぜ……考えてもみろよ。盗賊のアジトにいるって言うのに、お前はぜんぜん怯えちゃいない。俺の目を真っ直ぐに見て、何を考えているのか読み取ろうとしてやがる。そんな奴が、普通の行商人の息子にいるか? いや、いないな……」
確かに、事実として怯えてはいない。
ただ、それはあくまでも本心は、という話で見かけ上はそれなりに怯えて見えるように努力しているはずだった。
自分はそこまで演技が下手だったのか……とノアは少し落ち込む。
首領は続ける。
「まぁ、別にこんな話はいいか。どうせお前はここで死ぬ。今さら俺がどうして気づいたか、なんてこたぁ聞いてもしょうがねぇな……それじゃあな……」
そう言いながら、首領は立ち上がった。
そして腰に差した長剣を引き抜き、そしてノアに向かって振りかぶった。
それを見たノアは、これはもうダメだな、と思った。
このまま素直に殺されてやるわけにもいかない。
仕方なく、服の内側に隠し持っていた短剣を取り出して、首領の剣を受けることにした。
振り降ろされる首領の剣は鋭く、間違いなく訓練を積んでいる人間の太刀筋であった。
当たればただでは済まないどころか、一刀両断にされる可能性の方が高そうですらあった。
だから、ノアの判断は間違ってはいないはずだった。
しかし。
首領の長剣はノアに当たる直前、ぎりぎりのところで静止した。
そして長剣を受けようとしたノアを見て、首領は目を細めると、
「……なんだ、本当にスパイだったのかよ」
と面白そうな声色で言った。
どうやら、先ほどまでの会話は全てブラフだったらしい。
レオンを外に出して、二人きりで話したところからそれを考えていたとしたらそれはかなり恐ろしいことだが、間違いなくそうなのだろうと今は信じて疑わななった。
「……くそ。こんなに早くばれるとは……」
今さら隠しても隠しようがない。
短剣を持っているだけならともかく、あの剣速についていける行商人の息子などそうそういない。
それにそもそも、これ以上隠しておく必要もない。
ノアの計画では、首領と二人きりになることがまず第一の目的であって、偶然とはいえ、それはすでに実現しているのだから。
はっきりと自分の正体を口にしたノアに、首領は鋭い視線を向けて尋ねた。
長剣は構えたまま、警戒している。
十歳だからと見かけで油断させるのは中々に難しいらしかった。
「なんだぁ……スパイならもっと見苦しく正体を隠すと思ってたぜ。今回は随分と正直者がやってきたなぁ? お前、スパイなんて向いてねぇんじゃねェか?」
メリザンドからはよく、ノアは隠密行動には一番向いていないタイプ、とは言われるのでその指摘は敵ながら正解だろう。
ただ――
「途中まで騙されてた馬鹿に言われたなくないな」
「なんだとぉ!? ブラフなんかにひっかりやがったボケに言われたくねぇぜ! ったく……まぁいい。お前、どこから来たんだ? わざわざ海を越えて……俺を殺しに来たか!?」
そこで、ノアは首領がどうやら勘違いをしているらしい、という事に気づく。
「別に海なんて越えてないけどな……」
ぼやくように言ったノア。
しかしそもそも首領は答えなど望んで尋ねた訳ではないのだろう。
その直後、長剣を振りかぶって向かってきた。
短剣でもってその長剣の一撃一撃を受けながら、ノアは思う。
「やっぱり随分と綺麗な太刀筋だな……訓練は欠かさなかったんだろう?」
ノアの言葉に、首領は機嫌よさそうに返す。
「当たり前だ! いつお前らみたいな奴が来るかわからなかったからなぁ……この二年で俺の剣の露と消えた奴は数えきれねぇぜ!」
「そいつは凄い……だが、俺は死ぬわけにはいかないんでな。悪いが、勝たせてもらうぞ」
「はっ。やってみろ! 今まで来た奴は、全員そう言ったぜ!」
実際、首領の剣は鋭く、生半可なものではなかった。
ノアに向かって突きこんできたかと思えば、即座に切り上げて軽傷でも傷を負わせることを狙う。
それすらも避けられた結果、生まれた隙をどうするのかと思えば、体を翻して蹴りを加えてくる。
そしてその間に体勢を整えてまた、隙のない構えに戻り、また別の攻撃を繰り出してくる。
実によく考えられた戦いの組み方で、実戦的な剣術だった。
「盗賊なんてやらずとも他に何かやりようがあっただろうに……」
ふと思ってノアはそう言ったのだが、首領はその言葉によっぽど腹が立ったらしい。
「お前らが追いかけてくるから他に選択肢がなかったんだろうが! ふざけやがって……!」
そう怒鳴って剣を振り降ろしてきた。
ノアはその剣をひょい、と避け、
「そうなのか?」
と尋ねる。
すると首領は、
「白々しい……さっさと死にやがれ!」
と質問に答えずに剣を横に薙いだ。
この辺りで誤解を解いておく必要を感じたノアは、少し距離をとって言う。
「おいおい、そんなに怒るなよ……誰と勘違いしてるかは知らないが、俺はお前の考えているような奴じゃないぞ?」
この言葉に首領は、
「あぁ!? だったら一体お前はなんだってんだ……! こんな手の込んだことしやがる奴はほかにいねぇだろ!?」
と言ったので、ノアは、真正面から攻めた方が良かったのか、と少し後悔する。
しかし今さらそんなことを言ってもしょうがない。
今出来ることは、せいぜいまともに名乗るくらいのことだ。
「じゃあ、質問に答えてやるよ。俺が、誰か、だったな?」
「はっ。何か面白いこと言えたら命くらいは助けてやるぜ! なんなら冥土の土産に一つ、願い事でも聞いてやる」
首領にしてみれば、売り言葉に買い言葉だったのだろう。
しかしノアにとってその台詞は渡りに船だった。
ノアは微笑みを口に張り付けて、首領に言った。
「その言葉、忘れるんじゃないぞ。名乗ってやる。俺の名は、ノア=ギラル=フィガール。このオストの地を治めるフィガール侯爵の長男だ!」