第3話 アジトへ
オストより東、聳え立つハイタカ山脈近くに築かれた街道を、ゆっくりと進んでいく荷馬車があった。
見れば、御者は少しばかり運動不足が窺える太った壮年の男であり、何も起こらない道行きを機嫌よさそうに進んでいる。
のどかな街道周辺を、高い鳴き声を上げる猛禽類がばさばさと音を立てて飛んでいく。
静かな景色だった。
馬車の二台には大体半分程度の荷物が積まれており、御者の男が行商人であるのなら、途中の村々で荷物を降ろしてきたのだろう。
大した利益も出ないだろうが、そういうボランティア染みたことをやる行商人と言うのは意外といるもので、この男もそんな者たちの一人なのだろうと思われた。
そうして馬車がハイタカ山脈沿いの険しい道を中ほどまで進んだ時、それは起こった。
カラカラと、山の上の方から石が落ちてきたので、それを不思議に思った男が崖の上を見上げると、数人の男が降ってくるのが見えたのだ。
「ひゃっほう!!」
「ぐははは!!!」
「とまれとまれぇ!!」
品の無い、酷くしゃがれた声たちだった。
明らかに教養の無い、野卑な男たちの声。
それからしばらくして降りてきた男たちの身なりを見れば、その身分も明らかである。
一体どれだけ洗っていないのかと聞きたくなるような襤褸切れに、顔が見えないように汚い布をマスクにして被っている。
また、それぞれ、短剣、槍、片手剣、斧など、様々な武器を持っており、堅気にはとてもではないが見えない。
そして、街道に出没するそんな身なりの者たちと言えば、誰に聞いても返ってくる答えは一つだ。
御者の男は叫んだ。
「と、盗賊!?」
男の声に、盗賊の男たちは下卑た笑いを浮かべながら言う。
「そうよ、わしらはハイタカ山脈に根城を置く大盗賊様よ! お前は……行商人か? だったら通行料を置いていけば通してやってもいいぞ!」
思いのほか、優しげな言葉であり、男は首を傾げる。
「つ、通行料ですか? それはいかほど……?」
払える金額なら払った方がいい。
殺されるよりはよほどましだ。
そういう判断で彼が言っているだろうことは明らかで、盗賊たちはうまい獲物に当たったと笑い皺を深めてずばり言った。
「積み荷全てだ。びた一文負けんからな! さぁ、置いていけ!!」
その言葉が合図だったのか、盗賊の男たちは行商人の馬車に殺到してくる。
それを見て行商人の男はすぐに荷馬車の中に入った。
それを見た盗賊たちは、よほど大事なものがあるのだろうと、さらに笑みを深める。
価値あるものが多ければ多いほど、彼らの稼ぎは増えるからだ。
盗賊たちは御者の男が絶対に逃げられないように馬車を囲むと、数人の下っ端を、御者の男が潜り込んだ幌の中へと送り込んだ――
◆◇◆◇◆
「――ぼっちゃん、こんなところで如何です?」
荷馬車の中で、盗賊の男たちが近づいてくる気配を感じながら、先ほどまで酷く怯えた表情をその顔に浮かべていた御者の男は、荷物の中の一つ――木箱に打って変わって冷静で凄みのある声でそう尋ねた。
木箱はその声にもぞもぞと動きだし、そして蓋が外れる。
中からは一人の少年が出てきた。
ノアだ。
彼は御者の男に笑いかけて言う。
「上出来だ。さすがはオストの街を取り仕切る裏の世界の帝王だな。演技が堂に入っているぞ」
ノアの声に、御者の男はさらに笑みを深めて、
「その裏の世界をぶち壊しにしてくれたガキが何を言ってくれてんだか……まぁ、それはいいです。それより、これからの段取りは?」
「あぁ、当初の予定通り、逃げてくれて構わないぞ。暇なら付き合ってくれてもいいが……どうする?」
ノアの提案に御者の男は少し顎を擦り、
「……まぁ、暇は暇なんで。そうですね、こうしましょうか……」
そう言ってノアの耳に口を寄せた。
ごにょごにょと色々と語った男。
その言葉にノアは微笑んで、
「よし、それでいくか」
そう言って再度木箱の中に戻る。
それから、そんな相談があったとは知らない盗賊たちがなだれ込んで中に入ってくるが、その瞬間に御者の男は表情を怯えきったものに変えていた。
一部始終を観察しているものがいれば、役者であると賞賛するだろう演技である。
しかしそんなことは盗賊たちは知らない。
ずっと幌の中で怯えていたのだろうと勘違いし、御者の男を鼻で笑って言った。
「隠れても無駄だぜ? この積み荷は全部、俺達のもんだ……どけ!」
そう言って、御者の男がことさらに隠そうとしているように見えた木箱に近づく。
御者の男は盗賊の足に縋り、
「そいつだけはやめてくれ! そいつぁ、俺の、俺の大事な……!!」
「大事な、何なんだろうな? 興味が魅かれるぜ! そらよっと」
盗賊は御者の男の懇願を無視して、木箱の蓋を無造作に開いた。
そこにいたのは、
「――おいおい、こいつは当たりだぜ。女だ!」
「なにぃ!?」
そうして、木箱に群がるように盗賊の男たちが殺到する。
彼らが木箱の中を覗くと、確かにそこには一人の女性が入っていた。
メイド服を纏っているが、これはカモフラージュと言う奴だろうと盗賊たちは判断する。
あれだけ必死に守ろうとしたのだ。
おそらくは商人の娘に違いなかった。
彼女は泣き出しそうな顔で、盗賊たちを見つめ、
「……こ、ころさないでください……」
と一言つぶやく。
盗賊たちは機嫌よさそうに、
「おうおう、もちろん、殺したりなんかしねぇぜ。十分楽しませてもらわなきゃならねぇからなぁ……くくく」
「全くよ! いやぁ、ありがてぇぜ。やっぱり盗賊は美味い商売だ……こんな別嬪が……くはは!」
と笑っている。
女性はそれを見て余計に目に涙を浮かべたように見えたが、それだけではなく、隣の木箱に一瞬目をやったのを盗賊の男たちは見逃さなかった。
「なんだぁ? こっちにもまだ入っていやがるのか……全く、今日は大量だぜ……よいしょっとぉ!」
嬉しそうに木箱を開いた盗賊たち。
しかし、その表情は中身を見た瞬間に少し残念そうなものに変わった。
「なんだ……こっちは男か。しかもガキたぁなぁ……」
「いや、こいつはこいつで使い出があるだろう。仕込んで仲間にしちまえばいい。若いうちは考えも染め上げやすいからな。囮に使えば怪しまれずに儲けられるかもしれねぇぜ!」
「なるほどな! お前、頭がいいじぇねぇか……よし、こいつももらっていくか……おい、商人。お前はもう行っていいぞ。積み荷と、この二人で勘弁してやらぁ」
盗賊にそう言われて、御者の男は今にも泣きだしそうな顔で言う。
「待ってください! 待ってください! 二人は、私の娘と息子なんです! そんな無体はやめてください!!」
しかし、そんな懇願を聞くような盗賊ならそもそも襲い掛かってきたりはしないだろう。
案の定、
「うるせぇ! さっさと行けっつってんだろうが!」
そう言って御者の男の首根っこを掴んで幌の外に投げ捨てた。
そして、盗賊たちの一人が御者の席に座り、
「じゃあ、もらっていくぜ、商人のおっさんよ。いい商売だったぜ! あっはっは!!」
そう言って、ぞろぞろとその場を後にしたのだった。
馬車が遥か向こうに遠ざかるまで、御者の男は泣きわめいて、
「ジェフ! ミリー!! いかないでくれぇぇぇ!」
と叫んでいた。
盗賊たちは、なるほどそれがあの二人の名前か、と頷いていて、誰一人として御者の男を怪しむ者はいなかった。
そうして、盗賊の影も形も見えなくなった頃。
御者の男は何事もなかったかのように無表情にむくりと起き上がり、自分の服についたほこりをぽんぽんと払って、独りごちる。
「ジェフ、ミリー……誰ですかね、それは。しかし……こんな名演、王都の劇場でだって中々見られないんですけどねぇ……誰か、賞とかくれないもんですかね……ふむ。後でノアのぼっちゃんにでもボーナスを要求してみましょうか……」
それからその場を後にした男は、先ほどまでの動きが嘘のような速度で森の中に姿を消した。
◆◇◆◇◆
「おら、歩けッ!」
げし、と、思い切り背中を蹴られてつんのめるノア。
手に縄をかけられて手を使えない状態にあるために、そのまま前に倒れて顔から地面に落ちる。
しかし、盗賊たちは決して情などかけたりしようとしない。
「早く立て!」
そう言って責め立てるのみで、手を貸そうともしない。
そんなノアに手を貸したのは、一緒に攫われてきた少女、メリザンドである。
今の設定では、行商人の息子と娘、ジェフとミリーだが。
「ジェフ! だいじょうぶ!?」
そう言いながらメリザンドが倒れたノアに手を貸し、起き上がらせる。
彼女には縄はかけられていない。
女だからだろう。
それに、どう見ても屈強な盗賊の男たちに抵抗できるような体型ではなく、たとえ逃げられたとしてもすぐに捕まえることが出来ると考えていると思われた。
ノアは手を貸してくれたことに感謝を述べる。
「すまない……姉さん……」
言いながら起き上ったノア。
けれど彼を気遣うものなどメリザンド以外その場にはおらず、立ち上がったならさっさと歩けと睨みつける者たちしか周りにはいない。
起き上がったノアの背中を押し、またメリザンドにも早く進めと怒鳴る盗賊たち。
どうやら、このまま彼らのアジトに向かうらしく、馬車はその場に乗り捨てるようだ。
積み荷を全部降ろしたあと、馬にかけた馬具を全て取り外し逃がしたうえで、馬車に火を付けて崖の下へと落してしまった。
ノアはそれを見ながらぼやく。
「……赤字だ……」
メリザンドは後ろでその言葉を聞いていて、声をかけた。
「……だからやめとけって言ったじゃないですか……」
盗賊に会いに行こう!
などと言うこと自体馬鹿げているが、そのために馬車を一つと馬一頭をダメにするなどもってのほかで、どれだけの金をどぶに捨てたか分からないほどだ。
しかしノアは首を振って、
「ま……あとはこいつらのアジトにどれだけ金目のものがあるかだな……」
「どっちが盗賊だかわかりませんね……おっと、あまり喋っていると怒られてしまいます。だまって歩きましょう」
ぎろり、とひそひそ話していた二人を睨みつける盗賊に気づくと、メリザンドはそう言って表情を悲しげなものに戻し、とぼとぼと歩き出した。
メイドの癖に肝が座っていると言うかなんというか。
ただ、この場においてはその態度は正しいと言えるだろう。
ノアも彼女に倣って精一杯悲しそうな顔をしながら、歩みも落ち込んだものに見えるよう、努力したのだった。
◆◇◆◇◆
「――ここだ」
森の奥にぽっかりと空いた大穴――つまりは洞窟こそが、彼らハイタカ山脈の盗賊団の根城らしい。
辿り着いたその場所は、周りに木々が迫っているが、円形に切り開かれている広場で、その奥には大きな洞窟が存在していた。
洞窟の中にはその側壁に灯りが揺れているのが見える。
一定間隔ごとに奥の方へと続いていくそれを見る限り、洞窟はそれなりに深そうであった。
これだけ大きな洞窟をアジトにしているということはそれなりに人数がいるのだろう。
一緒に来た盗賊たちだけでも結構な数だが、倍、もしくは三倍はいたとしても不思議ではない。
「これは拾いものかもな」
ノアが物騒に笑ってそう言ったのをメリザンドは見逃さなかった。
周りの盗賊たちに気づかれないようにため息を吐き、
「……ほどほどにしてくださいね」
と諦めたように注意をした。
洞窟の前で、ここまで二人を連れてきた盗賊たちの中で最も偉そうな男が二人に、
「これからお前らには首領に会ってもらう。そこで軽く話をして――その後に仕事を割り振ることになる。よくよく失礼の無いようにしろよ」
と意外にも優しげな、と言うべきか、あまり盗賊らしくない物言いで告げたのでノアはおや、と思った。
内容もまるでただ労働者を雇うがごとくであり、これでは二人とも一味の一員として受け入れるようではないか。
そう思ったのは二人だけではなく、見れば一緒にいる盗賊たちの中にはあからさまに不服そうな様子のものと、特に文句はないような顔をしている者の二通りに分かれている。
この盗賊団は一枚岩という訳ではないらしいことが、それでなんとなくわかった。
ただ、上からの命令というのは絶対であるのもまた間違いがないらしく、不満そうな顔をしているだけで実際に文句を言う者は一人もいなかった。
そうして、二人と、盗賊たちは洞窟の中へと向かって歩いていく。
洞窟の前には二人の見張りが槍を手に立っていて、入ろうとする盗賊たちに合言葉を尋ねていたが、当然、彼らは問題なく答えていた。
「――蒼き流れは」
「――とどまることを知らず」
そう言った見張りの者と中に入ろうとする盗賊は目線を合わせると、ふっと笑って、
「よし、入れ」
「おう」
という短いやり取りのあと、中に入って行ったのだった。