第2話 奇妙な主従
「うがあぁぁぁっぁぁぁぁl!!!!!」
ダンッ!!
と机を思い切り拳で叩く音がその部屋に響いた。
部屋の様子を見てみれば、その調度品はどれも高価で品のよいものばかりであることが一目で分かる。
よほどの地位と見識のある人物の執務室なのであろうと思われるその部屋。
けれど、部屋の主は意外にも若い少年であった。
手加減したとは言え、力任せに強く叩いたせいだろう、ジンジンと手が痛み、エルト王国フィガール侯爵継嗣ノア=ギラル=フィガールは痛みに眉を顰めつつも目の前に涼しい顔で佇む美貌のメイドを睨みつけた。
しかし、当のメイドは全く動じた様子もなく、その銀灰色の瞳に冷たい炎を灯らせて、自らの上司であるはずのノアに静かに事実を述べる。
「……ですから、何度も申し上げているように王都においては亜人差別が根深く、職人を直接派遣するのは難しいです。かといって、それなりの技術を持ったヒューマンを新たに雇おうと募集をかけたり、そういった職人に伝手のある方にどうにかならないか、と話を持ちかけてもけんもほろろ。おそらく中央貴族及びその息のかかった役人達の介入があります」
「……つまり?」
苦々しい顔でメイド見たノアに、美貌のメイドは無表情に、しかしはっきりとした口調で告げた。
「ヒューマン雇うのは諦めたらいかがですか?」
「ぐあぁぁぁぁぁ!!!!」
余程いらいらしたのだろう、その場に山と積まれていた羊皮紙の束やら筆記用具やらをぐしゃぐしゃと荒しながら叫ぶ、ノア。
美貌のメイドはそんなノアをいつものことと冷たく輝く銀灰色の瞳で無感動に見つめている。
その髪は涼しげな水色で、見ているとまるでそこに滝があるかのような錯覚に陥るほど透明感にあふれている。
どこからどう見てもよくできた行き届いたメイドである。
もし彼女の存在に目を留める王国貴族がいたとすれば、おそらくその出自は中流貴族でも上位の家の出だろうと推察するだろう。
高位貴族の侍従や侍女を統括する立場の者は、十分な教育のなされた中流貴族の令嬢が就くことも少なくないからである。
一通り叫んでその感情を吐き出ししきったノアは息を整える。
それから、メイドに対し話を続けた。
「中央貴族……やはり、ウォロー公爵の横やりだと思うか?」
「フィガール侯爵の一番の政敵と言えばウォロー公爵閣下です。表面上は仲良くしているようですが、ここ数年でウォロー公爵閣下は何度フィガール侯爵に手柄を奪われたことでしょう。片手では足りませんし、両手でも足りないかもしれません。さらにフィガール侯爵は国王陛下の覚えも良く、しかも陛下のご息女であらせられるエヴァ王女もフィガール侯爵のご子息とたいへん仲睦まじくていらっしゃいます。ウォロー公爵閣下にもご子息はいらっしゃいますが、むしろエヴァ王女の視界に全く入っておらず、しかもそのことを本人はご自覚なさっていない始末。我が国は女王の在位を認めておりますので、このままだと次の王配はフィガール侯爵のご子息になるのではないか、ともっぱらの噂です。したがって、この状況であれば、ウォロー公爵の嫌がらせ、という線が最も可能性のありそうな筋書きなのではないかと愚考しますが」
「別にエヴァ殿下とはそんなんじゃないんだがな……」
「そうですか」
全て分かっていますよ、と言った雰囲気の視線でノアを見つめる美貌のメイド。
しかしノアはそれに応えないでじっと目線をそらさない。
「……」
「……」
けれど、先に根負けしたのはノアの方だった。
あまり突っ込んで藪蛇になるのは避けたいと考えたのだろう。
ふいと目をそらして、首筋に垂れた冷や汗の存在をなかったことにし、ノアは続けた。
「まぁ、それはいい。うん。しかし、こうなると……王都で商売するのは厳しいか」
本題に話を戻して色恋沙汰は全部流そうという魂胆である。
メイドの方も分かったもので、ここで追及せずとも他にいくらでもタイミングがあるとノアの策略にあえてのり、本筋に戻した。
「どうでしょう。あくまで王都でヒューマンの職人を雇うのは難しい、というに過ぎないですから、このオストの地で作り上げた製品を王都に運搬すればそれでいいのでは?」
それは妙案のように思えたが、ノアはゆるゆると首を振って否定の意を示す。
「難しいな。いや、できなくはないんだが、目的と手段が合致しない。我々の"商品"はあくまで一般国民に対しての普及を第一の目的としているのであって、富裕層の自慢の品にしたいわけじゃないんだからな……ものがものだ。オストで作って王都に運ぶとなると費用が嵩むから必然的に値段をつり上げる羽目になる」
「ある程度高価でも便利なものを人は欲するものです。問題ないように思えますが?」
「そのある程度を超えるから無理だと言っているんだよ。わからないわけじゃないだろう? 俺は国民全員に"うちの商品"を普及させるのが目的だと前から言ってるんだからな」
ノアの言葉に美貌のメイドは首を振り、それからため息を吐いて言う。
「なぜそれほどまでに一般国民の生活を豊かにしようとなさるのか私には理解しかねます……支配者層というものは、むしろ自分たちが富裕であればそれこそが最上と考えるものだというのに。私には未だに貴方が分からない……」
メイドの表情に浮かんでいるのは困惑の感情であった。
メイドがノアの手足として働き始めてからずっと感じていたその気持ち。
ノアは王国でも上位に位置する貴族であるフィガール侯爵の継嗣である。
その持つ権力と経済力は一般国民がどれだけ束になっても敵うことなどありはしない強大なものだ。
そしてそんなものを手にした人間というのは、それを当たり前のものとして自らの為だけに振るうのが普通だ。
他人を省みることなど、あるはずがない。
それが常識だった。
にもかかわらず、メイドから見てノアにはそのようなところが一切無かった。
むしろ自分のことについては必要最低限で満足し、残りはすべて領民のために回している。
さらにここ最近では王都の方まで手を伸ばしてこの国の人民の生活向上のために持てる力を使っていた。
メイドにとって、これは非常に奇妙なことだった。
貴族の、金持ちのすることじゃない。
そう思った。
この方は、ノアは、どうしてここまで……。
こんな生活を、毎日を他人のために捧げて行動する貴族子息の手足となって働くような生活を続けていたら、そんな疑問が、どうしたって浮かぶものだ。
そんなことを考えながらメイドがノアを凝視していると、ノアはそれに気づいてふと微笑む。
そして言った。
「……だが、山賊よりは楽しいだろう?」
メイドの表情は凍り付く。
さきほどまでは寒々とした視線で主人を見つめていたその瞳。
けれど今は意表を突かれた事による驚きが、そのほとんど動かない表情の中でも分かるくらいに表れていた。
なぜと言って、それはメイドの心の奥底を抉る強烈な一言だったから。
少し前までだったら怒りと反発で罵声を放っていたかもしれない。
けれど、こんな主人の言動に、メイドはすでに相当慣れていた。
一瞬だけ停止した表情はすぐに動きだし、そしてすぐに言い返す。
「ある意味、貴方は山賊より質が悪いですけどね」
それから、前職は山賊だったメイド、"鮮血のマリー"ことマリーベル=ストーラは、かつて自分の一味の襲撃を受けたにも関わらず、誰一人として殺すことなく圧倒した化け物に、にっこりと笑いかけたのだった。
◆◇◆◇◆
それはノアが幼いころ。
数か月前に10歳の誕生日を迎えたころの事だった。
「……山賊?」
フィガール侯爵領首都オストにあるフィガール侯爵の中央領館の図書室で読書をしていたノアに、噂好きのメイド、メリザンドがメイド仲間から聞いた話を持ってきたのは。
メリザンドはフィガール家に仕えるメイドの中でも特に若く、ノアと年頃が近いため、現フィガール侯爵であるノアの父、アウトゥール=オド=フィガールからノアと仲良くするように言われていたため、よくノアのもとに足を運んだ。
そして他愛もない雑談や、街の様子などを伝えたりするなどしてくれるのだが、それはフィガール侯爵のノアに対する教育姿勢の表れであった。
現在において、エルト王国の貴族というものは二通りに分かれていて、極端に自らの権力を自覚し、それを振るう事に何も感じない者と、権力に対する責任を自覚し、国や領地を守る者としての責務を強く意識する者にである。
フィガール侯爵は後者であり、ノアもまた成長したのち、同様の存在になってほしいと考えていたため、ノアには様々な社会階級に属するものと接触させ、偏りのない思想を身につけさせようとしているのだ。
そのことをノアはある事情を抱えていため、10歳にしてそれを理解して違和感なく受け入れており、今のところ概ね父を満足させていた。
メリザンドは続ける。
「ええ。オストから王都まで続く大街道の途中で、山賊が暴れまわっているそうなんですよ~。怖いですねぇ」
それは非常に抜けた声で語られたが、内容は極めて深刻である。
フィガール侯爵領は王都のある国王の直轄領からはかなり離れた位置にあり、大街道は王都とフィガール侯爵領を安全に行き来するための重要な道である。
領民を始め、多くの者が行き来しており、ここの通行が滞ると侯爵領の運営に大幅な影響を与えるのは間違いない。
もちろん、盗賊がいようがいまいが、通らざるを得ない者は沢山いる。
商人などは護衛を雇うなどの対策をした上で通行するのだろうが、一般領民にそんな蓄えはないだろうし、あっても出来るだけ使わないように努力する結果、身一つで通行することになるだろう。
そうなれば、盗賊の餌食になるのはほぼ間違いなく、そんなことはフィガール侯爵領を治める側の人間として認められはしない。
ノアはメリザンドに詳しい話を聞こうと考え、質問する。
「具体的にはどのあたりだ?」
メリザンドはノアの質問に少し考え、
「東側のハイタカ山脈近くの街道だという話ですね……あれ、ノア様、もしかして……」
そんな風に答えてから、はっと気づいたようにノアに視線を向けた。
ノアはそんなメリザンドに笑って言う。
「あぁ。ちょっと見てこようかと思ってな」
侯爵家継嗣としてあるまじきノアの答えに、メリザンドは慌てて叫ぶ。
「だっ、だめですよ! そんな! またお館さまに怒られてしまうじゃないですか! そもそもノア様はまだ10歳なんですよ? 盗賊を見てくるなんてそんな……!!」
それはメイドとして至極当たり前の言葉であり、一般的な貴族子息ならメリザンドの言う通り、そんなことは絶対にしないだろう。
しかし、ノアは普通の貴族子息ではなかった。
気障に両手を開いて、笑いながら大げさなジェスチャーをつけて言う。
「おいおい、良く考えてから物を言えよ、メリザンド。お前がここに来ることになった理由を思いだせ」
それは、ノアとメリザンドの間だけで通じる話題だった。
メリザンドもすぐに気づいて目を泳がせ、それから少しもごもごしてから言う。
「……だって、それは」
言葉に詰まるメリザンド。
しかしノアはその先を求めて促した。
「それは?」
これははっきりと口にするまで引かないだろうと理解したメリザンドは仕方なく、ノアの求める答えをいう事にする。
その前に辺りをきょろきょろ見て、人がいないことを確かめたのは他の人間に聞かれたくはない話だからだ。
「ノア様が助けてくれたからですが……その魔術で、魔物を倒して」
かつて、メリザンドは街道を馬車にのって進んでいた時、ノアに助けられたことがあった。
そのときに同乗していた者は大半が魔物に殺され、生き残ったのは少数である。
それによって保護者を失ったメリザンドはノアに、というかフェラード家にメイドとして引き取られることになり、教育を受けて一端のメイドになった。
ノアはメリザンドの答えに頷き、
「だろう? 盗賊がなんだってんだ。そいつらは三頭犬よりも強力で恐ろしい奴らなのか? そんなわけないだろう……」
そう言って微笑む。
メリザンドたちをかつて襲った魔物は、まさに三頭犬だったのだから。
しかし、それでもノアの言い分には間違いがあったらしい。
メリザンドはその点を思い出して、再度説明に戻った。
「あっ。それは少しだけ違いますよ。実のところ、その盗賊と言うのが非常に有名な方々らしくて……」
盗賊と言っても、色々いる。
食い詰めた村人が鍬や鋤を手にして略奪に手を染めるものから、どこかの国の騎士団が、国が滅びたのを境にそっくりそのまま巨大盗賊団へと転身することも歴史上にはあった。
したがって、その強さはピンきりであり、今回は特に特殊な場合に当たるらしいということをメリザンドは集めた情報から知っていた。
メリザンドの様子に首を傾げたノア。
しかし彼女の情報が職業柄いつもかなり正確であることを知っていたノアは、メリザンドに先を促した。
「……? いい。話してみろ……」
そうしてメリザンドはノアの耳元に口を寄せて、件の盗賊の詳しい情報を語り始めたのだった。