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第13話 フィガール館

「……おい、なんだこれは」


 王城からフィガール館に帰ってきたノアが扉を開いて開口一番、扉の向こうに控えていたメイドに言った台詞がそれだった。

 マリーでもメリザンドでもない、長年フィガール家に仕えてくれている古参のメイドであり、メイド頭を勤めるシニヨンとノア手製のメガネを身につけたその女性、アリア=ボダンは主にノアではなく父であるフィガール侯爵の世話をすることが多いが、今の時期は王都のフィガール館にいる。

 《聖竜祭》も近く、フィガール侯爵家からも資金や出し物などの拠出があるため、実務を担当する者としてやってきたのだろう。

 そんな彼女が珍しく憔悴した様子で、しかしさすがと言うべきか冷静さを失わずに王城から帰ってきたノアを出迎えたのだが、館の惨状を隠すことは出来なかった。


「無念でございます……」


 とがっくりとした様子の彼女に、ノアは花瓶が砕け、絨毯が破れ、階段がかじられているこの状況の説明を彼女に求めたのだった。


「すべてはわたくし達使用人の失態にございますれば……」


 と言い掛けたアリアに、ノアは首を振って言う。


「そういうのはいい。それに、だいたい理由はわかってる……俺が連れてきたあの娘だな?」


「……さようにございます」


 アリアは申し訳なさそうな声でそう言った。

 いくら主人が連れてきた者が原因とは言え、館のことを任されているのは使用人であり、その信頼を裏切るわけにはいかないとフィガール侯爵家に四十年近く仕えてきた彼女にしてみれば、今回のことも彼女たち使用人の責任であるということになってしまうらしい。

 素晴らしい職業意識であり、このような使用人をもてて幸せであるとノアも、そしてフィガール侯爵も口をそろえて言うところだ。

 そして普段なら確かに彼女は自分の掲げたプライドにしたがって納得のできる仕事をどんな場合でもこなしてくれるのだが、こと今回に限ってはそれを求めることが酷であることをノアも認識していた。

 自分が連れてきたものがなんなのか、それすらもノアには把握できていないのに、使用人に完璧な世話を、と言っても無理に決まっているからだ。

 これがその辺りで拾ってきた犬猫や魔物なら彼女たちは完璧に世話をするので、今回もその感覚で任せてしまったところがあるが、この館の様子ではもっと考えるべきだったと今更ながらに後悔するノアであった。


「すまない。苦労をかけたな……そもそもが意志疎通が出来るのは俺だけなんだ。もっと細かく指示しておけばよかった……」


「いえ、そんなことは……。出来る限りの指示はいただいていたとマリーも申しておりました。それに、あの娘ですが、基本的には賢く感じもよい娘で……ひとえにこれは、私たちがノア様にお聞きした"あの娘には常識がない"というお言葉を軽視していたがためのことです」


 ほとんど野生児だと思って連れてきた娘の思いのほかの高評価にノアは少し驚く。

 そして、それに続いた言葉の意味を尋ねようとノアが首を傾げるとアリアは、


「……なんと申しますか……どうもあの娘は自分の初めて見たものについて慎重に扱う節があるのですが、初めはそうしていても徐々に慣れ出すとかじりはじめる癖がありまして。あの花瓶も、絨毯も、そして階段の手すりも同じ理由で破損を……」


 言われてみると、同じ材質のものが二つ壊れていることはなかった。

 かじって確かめて、それで終わりにした、ということなのだろう。


「……まるで犬だな。いや、森で動物のように暮らしてきたんだ。そういう思考になっても当然か? 食えるか食えないかで判断しているわけだ……ネタでなくそんな人間が本当にこの世にいるとは考えてもみないのは普通のことだろう。アリア達の責任じゃない」


「そうおっしゃっていただけると、心が楽になります……。そう言うわけですので、館のあらゆるところにあの娘のかじった後が残っていると思いますが、まだわたくし達もすべて把握し切れておりませんので、もし見つけられたら近くの使用人におっしゃっていただければ幸いです」


「そんなにか……あぁ、もしかして探している途中だったか? かじり跡」


 ノアの質問にアリアは頷く。


「はい。あの娘の世話をしている者以外、使用人総出で……。今日のところはいいのですが、明日からは《聖竜祭》関係者の方々が訪ねてこられる予定がありますので、今日中にすべて修理するか、交換しなければと」


「それは……足を止めさせて悪かったな。俺は一人で大丈夫だから、アリアはそっちの仕事に戻ってくれ」


「……しかし」


 言い募ろうとしたアリアに、ノアは言う。


「いいんだ。今回は俺が軽率すぎたからな。それに自分のことくらいやろうと思えば出来る……あぁ、そういえば、あの娘は今どこにいる? 顔を見せてやらなければ……」


 ある程度、会話が出来る相手がいた方が安心するだろうし、意志疎通もスムーズにいく。

 わざわざかじらなくてもどんなものか言葉で伝えてやれるだろうから被害も減るだろうと思っての言葉だった。

 アリアはうなずき、


「あの娘でしたら今は食堂にいます。マリーとメリザンドが二人で世話をしておりますよ」


 ノアはその言葉を聞いて頷く。

 あの少女の体力について行くのは並大抵のことではなく、別に戦っている訳ではなくとも、この館にいる者の中ではあの二人以外にその仕事は難しいことを考えると納得の人選だった。

 アリアも同じことを考えたようで、


「本当に……あの二人が今、王都にいてくれて助かりました。やはり、ジョゼフ様に鍛えられた者は違いますね」


 と言って、その場を去っていったのだった。


 ◆◇◆◇◆


「……大変そうだな」


 食堂に入ったノアは、視線の先に広がる光景を見て他人事のようにそうつぶやいた。

 それを聞きつけた二人のメイドがじとっとした目でノアを見る。

 マリーとメリザンドだ。


「誰のせいでこんなことになっていると思っているのですか?」


 そう言ったマリーのメイド服は飛び散った液体で赤く染まっている。


「全くですよ! 人の知らない間に隠し子なんか作っちゃってもう!」


 きーっ、と口で叫びながらそう言ったメリザンドは顔を色々とべたべたしたもので汚していた。


 そんな彼女たちに挟まれて幸せそうな顔で、しかしあまり行儀良くなくナイフとフォークも放置したまま、手と舌を器用に使いながら皿の上の料理を片づけているのは、ノアが連れてきたあの少女である。

 ソースのかかった芸術品のような料理の盛りつけられた皿を手で持って自分の口に運ぶものだからがんがん隣にいるメイド達に降りかかっていった、ということだろう。

 二人ももう諦めているのか、食い散らかす少女のことを注意しようともしない。


 まぁ、そのうちマナーなりなんなりは教えていくにしても、今この場で、というのはもう駄目だと思ったのだろう。

 せめて言葉が通じないとどうしようもないところもある。


 そこまで考えてから、ノアはふとメリザンドが聞き捨てならない台詞を言ったことに気づいた。


「……おい、さっき隠し子がどうとか言ってなかったか?」


 ノアの質問にメリザンドはきょとんとした顔で、


「え? 言いましたっけ? まぁ……どっちにしろ事実は事実として受け止めますから、安心してください。ノア様。別に私はノア様が希代の女たらしでも十歳くらいからそこら十に種を撒きちらしていても気にしませんよ! フィガール侯爵家の総力を使って、すべての女性には今後フィガール侯爵家に関わる権利など主張させないように水面下で交渉をしていきたいと思っております!」


 と途方もないくらいにずれた答えを返した。

 ノアは頭を抱え、マリーを見たが、彼女は肩を竦めて「私ではどうにもなりませんでした」と表情で伝えてくる。


 この盛大な勘違いをどうやって正すべきか。

 ノアは未だにばくばくと食事を続ける少女の顔を見ながら、そんなことを悩みはじめた。

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