第11話 殿下
「……遠いところをよく来た、ノア。大儀だったな……それと、お前の父親は元気か?」
エルト王国王都、その中でも最も巨大な建造物である王城。
背後に峻険な岩山を背負った白亜の城は、大陸でも指折りの美しさと威容を両立させる名城として有名である。
その内部、国王の座する玉座のある謁見の間において、ノアはエルト王国国王であるゲイル=ロッソ=エルトの前に跪き、声を聞いていた。
「はい……旅立つ前、父も陛下にご挨拶申し上げたかった、くれぐれもよろしく頼むと言付けられて参りました。それに加えて……なぜ私ばかり陛下に呼んでいただけるのかと嫉妬していたくらいです」
ノアの言葉に、ゲイルは豪快に笑い、それから、
「はっはっは。アルの奴もまた女々しい奴だな。俺に会いたいならいつでもくればよかろうに……。王城の扉は、アルにはいつだって開いているのだ。ノアよ、アルに伝えてくれ。俺とお前の友情は昔、ともに王城を探検したときと何一つ変わってはおらんとな」
「……はい。父もそのお言葉を耳にすればたちまち身支度を整え、ここにやってくることでしょう」
エルト王国国王、ゲイル=ロッソ=エルトは未だ男盛りの四十歳。
短めに整えられた髪に白いものも混じりかけてはいるが、高い身長に加え、よく鍛えられた体は引き締まって筋肉質であり、武具を持てば並の戦士では敵わない武術の達人でもある。
表情は明るく、豪快であるが、それでいて威厳と品を感じさせるその雰囲気はまさに王者と言うにふさわしく、近年稀に見る文武両道の名君としてその評判は他国にも名高い。
ただ、若い頃は悪ガキ、うつけ者としても有名で、ノアの父であるフィガール侯爵、アルトゥール=オド=フィガールと共に無茶ばかりしていたらしい。
母も彼らの幼なじみだったらしく、そのころは二人のことを心配しきりだったというのだから相当なものだ。
母や国王が顔を合わせる度にそのころの話を聞かせてくれるために、ノアは相当な悪ガキであったのだと今では呆れているほどである。
ただ、もちろん国王や父の前でそんな表情は見せず、黙って静かに聞いている。
「だといいがな……あいつはあれで口だけのところがある。本当に寂しく思っているのかどうか……」
口をとがらせてそんなことを言う国王の方が、父に会えなくて寂しいらしいということに気づいてノアは微笑んだが、それを見た国王が、
「おい、笑うなよ? 全く。お前たちは親子そろって薄情な奴だ。今回だってわざわざ呼びつけなければ来なかっただろう?」
矛先が変わったことにノアは慌てて首を振り、
「いえ、まさかそんなことは。そろそろ《聖竜祭》の季節でしょう? 市井の者のように共に王都を歩き回ると言うわけには参りませんが、王女殿下にも何か、贈り物でもと考えておりました」
さらりとそんな台詞の出てきたノアに国王は疑わしそうな視線を向け、
「……本当か? だとすればエヴァも喜ぶことだろうが……まぁ、よい。お互い、挨拶もこれくらいにしておこうか。エヴァも待ちくたびれておるだろうしな……。さぁ、ノア。エヴァのところへ行くがよい。くれぐれも……悲しませるなよ?」
最後の一言に妙に力がこもっていることにノアは少し震える。
特にノアとエヴァはそういった関係、ということもないのだが、この国王の元ではそれが既成事実化しつつあると思ったからだ。
エヴァもエヴァで、自分の父親に一体どんな風に話しているのか……。
いや、考えてもきりがないなと諦めたノアは、国王に言った。
「……はい。肝に銘じます」
そう言って謁見の間を後にしたのだった。
◆◇◆◇◆
「……ノアさま! よくいらっしゃいました」
屈強な兵士に守られた扉を開くと、そこには花の綻ぶような微笑みを顔一杯に浮かべたエルト王国第一王女、エヴァ=プロートン=エルトが立ってこちらを見つめていた。
思いのほか距離が近く、ノアは驚く。
しかし、すぐに気を取り直してしっかりとした仕草で、
「……殿下。お久しぶりにございます。ご機嫌麗しゅう……」
と挨拶したノアに、エヴァは、
「まぁ……そんな他人行儀な。もっといつも通りに……」
と言い掛けたので、エヴァの後ろに控えていた侍女が、
「……殿下、まだ扉が」
と耳打ちすると、
「あら……そうね」
と言って扉に近づき、がちゃりと閉めてしまった。
それから、エヴァはノアに振り返り、
「これで、いつも通りに話していただけるかしら……?」
と不安そうに言ったので、ノアは肩を竦めて、
「その方がいいのであれば。……砕けた口調を望む貴婦人なんてそうそういるもんじゃないがな」
といつも通りのどこか皮肉げな笑みを浮かべて返答した。
それを見たエヴァは微笑み、
「……いつものノアさまですわ。ようこそ」
と言ったのだった。
◆◇◆◇◆
そもそも、ノアが王都に来ることになった理由は様々あるが、最も大きな理由は国王に呼びつけられたから、というのがある。
なぜ国王がノアを呼びつけたのかと言えば、表向き、友人の息子の顔を見たい、だとか最近王都でも名を聞くようになった新進気鋭の商会、パラディール商会の仕掛け人とも言われるノアに話を聞きたいだとか、それらしい理由を挙げてのものだったが、本当のところは愛娘のお願いに折れて理由をつけて呼びつけたというのが正しい。
つまりエヴァのわがまま、なのであるが、本来彼女もそこまでわがままというわけではなく、今回は珍しいおねだりだった故に、つい聞いてしまったのだろう。
ノアとエヴァの出会いは古く、それこそ物心ついたときにはすでに知り合いで、友人だったと言っていいくらいだ。
父同士が友人であり、お互いに子供の遊び相手として安心できたからだろう。
小さな頃はノアもよく王城には父に連れられてきて、エヴァと遊んでいた。
幼なじみ、という関係がもっとも適切だと言っていいだろう。
しかし、年齢を重ねるに連れ、ノアもエヴァも立場に付随する様々な義務や役割を背負い、それに時間をとられるようになって会う頻度も減っていった。
特に最近は、ノアの方が商会の仕事などにかかりきりで、王都にもなかなかこれないような有様だった。
ほとんど一年ぶり近いくらいだ。
こんなことはノアとエヴァの友人関係が始まってから始めてのことで、エヴァはそれを寂しく思っていたのだろう。
それで、国王にねだり、書状までよこしてノアを呼びつけた、というわけだ。
そんな内情をエヴァは素直にノアに話した。
一般的な貴婦人なら、そう言ったことについては誰かに話したりはしないだろう。
自分の感情は隠すべく教育されているのが普通だからだ。
エヴァももちろん、普段ならそうするのだろうが、ノアに対してだけは違った。
小さな頃から、身の回りに起こったことを何でも話してしまうのである。
それでいいのか、と思ったことも一度や二度ではないが、それも仕方ないと思うところもある。
いつかはこの関係も崩れるときが来るのだろうが、それまではこのままでもいいだろうと楽観的に考えているノアであった。
「……その少女は、いまどうしているのですか……?」
エヴァとノアがお茶を飲みながら話しているのは、ノアの王都までの旅路。
特に、あの少女に襲われたときのことだった。
エヴァがノアに色々話すのはもちろん、ノアも近況を比較的細かくエヴァに話すのは昔からの決まりといっていいものだ。
とはいえ、ノアの場合は言うべきでないことは言わないところがあるが、それをエヴァに気づかせないでおくだけの話術が彼にはあった。
エヴァはノアと少女の戦いの様子を聞き、ノアを心配したが、その後にその少女を仲間にしてしまったと語るノアに目を見開き驚きを示して質問したのだ。
ノアはそれに答える。
「あぁ。今は王都のフィガール館にいるぞ。今頃はたぶん、マリーに言葉を習ってるはずだが……」
王都についてから、ノアたちはまず、フィガール侯爵が国王に与えられている館であるフィガール館により、身支度を整えたのだが、メイドであるマリーは基本的には王城には上がれない。
したがって、館に留まることになったのだが、ついでにと少女の教育も進めておくように言っておいた。
主にその内容は言葉と常識であるが、一朝一夕で身につくものではない。
深く考えれば考えるほど、だんだんと不安になってきた。
腕を組み唸るノアに、エヴァは言う。
「……その少女は古王国語をお使いになるのですよね?」
「あぁ、そうだな……教養としてならともかく、母語として使ってる奴なんかはじめて見たよ。少しばかり汚いというか、荒っぽいしゃべり方をしてたが……」
「といいますと?」
「なんか、男みたいな口調だったんだよな。まぁ、よっぽど偏屈な奴に育てられたのかも知れない。しゃべり方は、エルト王国語と公用語を教える中で矯正するように言っといたから、直るだろうが」
答えるノアに、エヴァはふと思いついたかのように言う。
「おしゃべりできるようになりましたら、一度、会ってみたいですわ。連れてきていただけますか?」
「それは……」
どうなのだろう、とノアは思う。
あの少女が何者かもわからないのに、連れてくるというのはさすがに厳しいだろうと思ったからだ。
それに、あの戦闘力である。
何かの間違いで国王陛下をはじめ、王城の者を傷つけては問題だ。
だから、ノアは曖昧に笑って、
「……ま、事情を聞いて、常識をある程度たたき込んでからならな」
と答える。
最低限、それくらいは出来ていなければ連れてくることなど出来ない。
そんなノアの答えに、ぷーっと頬を膨らませるエヴァ。
しかし、見た目ほど怒っているわけでもなさそうで、
「でしたら、私の方から参らせていただきますわ!」
と冗談を述べる余裕があることに安心したノアだった。
 




