第九話「躊躇い無き男達」
作中に登場する固有名詞は、実在のものとは一切関係ありません。
翌朝。
「…ししょ〜」
「朝から何情けない声出してるんですか。」
「寝不足なんですもん〜。ずーーーっと監視されてると思うと、緊張で眠れなかったです〜。」
「まったく…そんなことでは、いざって時に実力を発揮することが出来ませんよ。もっと精神的にタフになりなさい。」
「言うのは簡単ですけど〜…」
「おはよう、お二人さん。」
「あ、おはようございます。黒戸さん。」
「………。」
「…伊吹。何で、私の後ろに隠れてるんですか?」
「ふふ、警戒されちゃってるわね、私。」
「当たり前ですっ!四六時中監視される側の身にもなってください!」
「あらあら…監視じゃなくて観察なんだけどなぁ。」
「やってることは一緒ですっ!」
寝不足などどこへやら、といった感じの伊吹に、苦笑する風樹とクスクス笑う影葉。それに対し、ますますムキになる伊吹。なんとも平和な朝の光景だった。
午前。炎龍党ジム。
「さすが、日田炎護の指導を受けてるだけあるわね。みんな、良い動きしてるわ。」
「………。」
「…どうしたの?」
「…黒戸さんが何かを観察してる時の目って、なんか、怖いです。」
「そう?自分では何の意識もしてないんだけど。」
「無意識に身についている習慣、なんでしょうね。影の理は、観察と分析のスペシャリストですから。」
「観察と分析と、適応力も、よ。観察、分析したものを、自分で実行できなきゃ意味ないんだから。」
「確かに。」
ジム生達のトレーニング風景を眺めながら、そんな会話を交わしていると、
「なんだか、すっかり仲良くなっているな。」
炎護が三人の所へやってきた。
「ジム生さん達を見ていなくていいんですか?」
「指示は出した。見ていなくてもやるだろう。サボるやつは、その分遅れをとるだけだ。」
「放任主義なの?日田さんって。」
「己を鍛えるための材料は渡してある。あとは、奴らがそれをどう加工するかだ。ま、暇なときはつきっきりで指導したりもするがな。」
「自主性を重んじる…。ある意味厳しい指導法。ジム生さん達も気合いが入りますねっ!」
「…嘘が混じってますね、炎護。」
「ヘ、嘘?」
「本当は、つきっきりでしっかりと指導する方が性に合ってるでしょう?少なくとも、私にコーチをつけていてくれたときはそうでしたけど。」
「はは、確かにな。だが、一対一と一対多とでは、教えかたも違ってくる。優秀なコーチでもいれば、俺も楽なのだがな。」
「……。」
「……。」
「…お断りします。」
「何も言ってないぞ?」
時間は流れ、昼。
「それじゃ、昼休みだ。全員、しっかり食って、午後のトレーニングに備えるように!」
「はいっ!」
「よし、解散!」
炎護の声を合図に、外へと向かうジム生達。が、その足は入口の手前でぴたりと止まった。
「…?。どうした?」
「あ、あの、入口のとこに…」
「なんか、怪しい奴が立ってるんですが…」
「…?」
訝しげに、入口ヘと近寄る炎護。そして、
「何かあったんでしょうか?」
「何かしらね…」
風樹達も、入口ヘと向かった。
「………。」
炎龍党のジムの入口はガラス戸になっているので、ドアを開けなくても、外の様子を見ることが出来る。入口を出たところに立っていたそいつは、確かに怪しかった。
スキンヘッドに、細身だが、がっしりした体格と高い身長。無表情という表情をした顔は、無機質にガラス戸を見つめている。
そしてなにより、
男が担いでいる、異様に巨大な袋が、男の不気味さをさらに増していた。
「……!」
「あ、あの人!」
見覚えのある姿に、影葉と伊吹が同時に反応した。
「………。」
「…まさか」
「例の男ですよ。こんな真っ昼間から堂々と現れるなんて、どういうつもりなんでしょうか。」
二人の反応を見て、炎護も男の正体を察知したらしい。動揺するジム生達を下がらせると、炎護は、静かにガラス戸を開いた。
「………。」
「………。」
炎護と男が向き合う。互いに表情を変えず、ただ静かに、視線をぶつけている。
「お前が、ここの代表か。」
ややあって、不意に男が口を開いた。表情は、ピクリとも動かない。
「そうだが。」
炎護も冷静に言葉を返す。
「お前のものを返しに来た。」
「…?」
眉をしかめる炎護。男が何を言っているのか理解が出来ない。
男はそんな炎護の様子を気にとめる風もなく、袋の口を開いた。袋の底を持って持ち上げると、中身がズルリと滑り出して来た。
「…!!」
「っ!?」
その場でその光景を見た、全員が息を飲んだ。炎護も風樹も目を丸くして硬直している。伊吹はショックのあまり腰が抜けてしまったらしく、影葉の肩を借りて、何とか立っていた。
「この男はお前のジムの男だったな。」
男は相変わらずの淡々とした口調で喋り続ける。
「我が芸術品となるに相応しい素養を持っていると思ったが…とんだ失敗作だ。我が芸術となるには程遠い。様々な工夫を施してみたが、やはり素材が悪いと、何をやっても満足いく出来にはならん」
勝手な理屈を次々と並べ立てる男。揚句に、
「このような失敗作はいらん。持ち主に返すので、好きに処分してもらいたい。」
と、言い放った。
「…そうか。」
静かに。極めて静かに、炎護は口を開いた。真っ正面から男を見据えたまま、ゆっくり、一歩一歩、男に近付いていく。
「…。」
手を伸ばせば届く距離にまで近づいたところで、炎護は足を止めた。静かに男を睨み付ける。男は何等変わらない表情で、炎護に視線を返している。
刹那、
グォウッ!!
炎護の豪腕が唸りをあげた。男の顔面を狙い、正面から拳を打ち込む。距離や速度から考えても、決して避けられるものではない。が、
ガッ!!
「…!」
拳が男の顔面を、まさに捉えようとしたその瞬間、男の両手がその拳をがっちりと受け止めていた。拳の勢いに押されて多少押し込まれたものの、ダメージ自体は受けていないようだ。
「かなりのものだな。」
拳を受け止めた状態のまま、男は淡々と言葉を発する。
「お前なら上等な作品になれる。」
「…ふざけるな。」
かつてないほどの静かな怒りが、炎護の体内を駆け巡っていた。今度は相手の腹部を狙って、もう片方の拳を繰り出す。
しかし、拳を繰り出した瞬間、男の体がスッ、と、左にスライドした。狙っていた対象が急に移動したため、炎護の動きが、一瞬、硬直した。そこへ、
「!」
男の膝が、腹部にめり込んでいた。
「とっさの判断力が鈍いな。筋肉をつければ良いというものではない。」
淡々と言葉を連ねる男。が、
「…ぅおおおっ!!」
炎護の咆哮が、それを掻き消した。お返しとばかりに、野太い腕を男の喉元へと、えぐるようにたたき付ける。が、
「………。」
またしても男の両手が、炎護の腕をがっちりと受け止めていた。
「ぉぉぉぉぉおおおおおっ!」
「………。」
なおも気合いを入れる炎護と、無表情の男。と、
「………。」
男の上体が、少しずつ後ろに反り始めた。炎護の力が、男の力を、少しずつ上回り始めたのだ。足を大きく開いて腰を落とし、持ちこたえようとする男と、気合いもろとも打ち倒そうとする炎護。そして、
「ぉぉああああああああっ!!」
気合いもろとも、炎護が男を地面にたたき付けた。さらにそこから相手の上に馬乗りになり、壮絶な拳の雨を降らせようとする。が、
「ぐぁっっ!?」
「………。」
炎護が馬乗りになろうと足を広げた、その瞬間、男が仰向けの状態から蹴りを突き上げた。しかも、狙ったのは炎護の下腹部。いかに鋼の筋肉を身に纏っている炎護でも、下腹部の強度は鍛えられるものではない。
すさまじい激痛によろめく炎護。その隙に、男は何事もなかったかのように立ち上がった。
「ふむ…さすがのパワーだ。だが、いささか冷静さを欠いているようだな。」
「…ぐぅぅ…!」
「冷静さを欠いていては、勝てるはずの戦いでも思わぬ敗北を招くことになる。多少のことでは動じぬ胆力を身につけるべきだな。」
「…多少のこと、だと…?」
「………。」
「ぅぅぅぅううぉぉぉおおおおっっっ!!」
炎護の怒りが咆哮となって轟いた。噴き出す怒りをそのまま拳に込め、再び、男に殴り掛かった。その時、
「…!!」
「………。」
炎護が動きを止めた。反射的に足が止まった、と言ってもいい。
炎護の咆哮に続いて空に轟いたのは、一発の銃声だった。
「…まったく、騒々しい奴だ。もっとも、探す手間は省けたがな。その点は感謝してやってもいい。」
銃口を二人の方に向け、冷淡な視線を送る男。それは、殺人鬼を追っている警官、涼原氷斗の視線だった。
「…無粋だな。拳銃を持ち込むなどとは。」
「ふん。俺の仕事は貴様らのような連中を塀の中にぶち込むことだ。粋だのなんだの、それがなんの足しになる。」
「芸術を解せぬ無粋の輩。我が芸術品になる以前の問題だな。」
「御託はすんだか?なら、さっさとついてこい。言わなくてもわかるとは思うが、妙な真似をすれば、撃つ。」
「……。」
拳銃を構える氷斗の言葉にも、一切表情を変えない男。しかも、そのまま踵を返すと、氷斗とは反対の方向へと歩き出した。
「おい。」
「無粋な輩のせいで興ざめした。また、時を改めて伺うことにしよう。」
「それが貴様の答えか。別に俺はかまわんがな…。」
「おい、氷斗!」
「ふん。別に殺すわけじゃない。」
炎護の制止を全く意に解さず、氷斗は、何の躊躇いもなく引き金を引いた。
再び銃声が轟く。
「……?」
さすがの氷斗も、不可解な表情を浮かべた。
氷斗の銃弾は、確かに男を撃ち貫いた。男の右腕からは赤黒い血が滴り落ち、路面に点々とした紋様を刻んでいる。
だが、男は撃たれる前と何等変わらない様子で、歩き続けている。まるで、撃たれたこと自体にも気付いていないかのようだ。
しばし考えを廻らせていた風の氷斗だったが、やがて炎護達の方に向き直った。
「…俺に手間をかけさせるな、と、言っていなかったか?」
「………。」
「奴の件は俺が片を付ける。お前達は、そこに転がっている奴の葬式でもしていろ。」
「…っ!!」
「…その言い方は、少々度が過ぎているのではないですか?」
「ふん、今の俺にとって、他人の死など日常茶飯事だ。いちいち気遣ってなどいられん。」
「………。」
「言いたいことは言ったか?あまり俺に無駄な時間を取らせるな。」
「………。」
「ふん。」
風樹の冷ややかな視線も、なんら気にすることもなく、氷斗は男が歩いていった方向へと走り去った。
「………。」
言葉が無い。誰も、なにも喋ることが出来なかった。
目の前で起きた、突然の出来事。それは、あまりに残酷で衝撃的過ぎた。
何分か過ぎた頃、炎護の巨体が、ゆらりと動いた。既に物言わぬ教え子を抱き抱えると、そのまま、ジムの中へと入っていく。
「………。」
誰も声をかけることが出来ず、ただ、その背中を見送るしか出来なかった。
「……あ、あの、師匠…」
炎護がジムの中に消えて数分後、やっとショックから立ち直ったらしい伊吹が、風樹に声をかけた。立ち直ったとはいえ、まだ顔は青ざめており、声は微かに震えている。目の前であんな無惨なものを見せられたら仕方ないだろうが。
風樹はというと、伊吹の言葉には応えず、険しい表情で前を見つめている。伊吹が何度声をかけても、ぴくりとも反応しない。
「伊吹。」
「は、はいっ!」
伊吹が、何度めかの声をかけようとした瞬間、不意に風樹が声を出した。急な風樹の言葉に、返事の声が裏返る伊吹。風樹は、伊吹の方を見るわけでもなく、相変わらず前を向いたまま、言葉を続けた。
「少し出掛けます。あなたはジムの中にいるように。」
「え…、出掛けるって、どこへ…?」
「………。」
行き先は告げずに歩き出す風樹。
「樹風さん。」
その背中に、影葉が声をかけた。
「あいつは、私が仕留めるの。勝手な真似はしないで。」
「…生憎ですが。」
「……。」
「私は自分に正直に生きる主義ですので。」
それだけ言うと、さっさと歩き去る風樹。だが、その歩いていく方向は、男と氷斗が去った方向とは逆方向。
(どういうつもりかしら…単純にあいつを仕留めるつもりなら、真っ直ぐに後を追うはず…)
が、考えてみれば、今から追ったところで、あの男に追い付くのは容易ではない。あの男も、いつまでも血を垂らしながら歩いてはいないだろう。それに、もし仮に追い付いたとしても、そのすぐ近くには、おそらく氷斗がいる。人に銃を撃つことに躊躇いがないあの男のそばで戦うのは、決して正しい選択とは言えない。
(だとしたら…。今の彼に必要なのは…)
影葉の考えがまとまりかけたころには、風樹の姿は、その場から消えていた。
やっと書けました…。時間かかった〜(-.-;)。次も時間かかるかもですが、また読んでいただけると嬉しいですo(^-^)o