第一話「舞い戻る風、二つ」
作中に登場する固有名詞は、実在のものとは一切関係ありません。
腹の中にズシリと響く、力強く、野太い声。
胆の据わっていない者なら、その声を聞くだけで震え上がってしまいそうな、そんな声が、ここでは毎日当たり前のように響き渡っていた。
東部大陸首都、ヒートシティーに門を構えるジム、
「炎龍党」。
現役のトップファイターであり、ここの党首でもある日田炎護は今年で40を迎えたが、その肉体に、衰えは一切見受けられない。むしろ、以前よりも筋骨逞しくなったようにさえ見える。
身長2m近く。体重も、裕に100kg超。そんな日田炎護の大声が、今日もジムの中にビリビリと響き渡っていた。
「どうしたぁっ!その程度でへばってたら、試合じゃ5分ともたんぞっ!」
「は、はいっ!」
「三分後に腕立て伏せ開始だ。通常100、拳立て100、片手を左右50づつ。筋肉にしっかり意識を置いてやるように!」
「はいっ!」
「…なぁ。」
「ん?」
「今日の日田さん、随分と気合い入ってねーか?」
「そういや…そうかもな。なんかあったのか?」
「さぁ?でもなんか妙に張り切ってる気がすんだよな〜。」
「彼女でも出来たかな?」
「日田さんに限って、そんな浮ついた理由じゃねーと思うけど…。」
「だよなぁ…。」
「よーっし!腕立て伏せ始めるぞ!全員準備っ!」
「は、はいっ!」
「よしっ、午前のトレーニングは終了っ!」
「お疲れ様でしたっ!」
「格闘家は身体が資本!昼飯もしっかり食えよっ!」
「はいっ!」
解散の言葉と共に、選手や練習生は、それぞれ昼食のため、ジムを出ていく。全員の退出を確認して、炎護もジムを出ようとした、その瞬間、
「……む?」
不意に人の気配を感じ、炎護は立ち止まった。自分以外の連中は、皆、昼食に出ている。実際、さっきまで人の気配は感じなかった。が、今は確実に人の気配を感じる。まるで、人がいきなりそこに出現したかのような感じだ。
「………。」
不思議な感覚。が、炎護は落ち着いていた。こちらが気付かないうちにジムの中に入り込み、トレーニング中は気配を殺し、人がいなくなったのを見計らって現れる。そんな芸当をやりそうな人物には、約一名、心当たりがある。
「…今日は何の用だ?」
やれやれ、といった感じで、炎護が背後を振り返る。そこには誰の姿もない、が、
「ここはお前の遊び場じゃないんだぞ。」
炎護の視線は、ジムの天井に向けられていた。
「さっさと降りてこい、ライ。」
炎護の視線の先には、天井に設置された電灯。昼間ということで明かりはつけられていなかったのだが、そこに…
「……にゃぱ〜。」
一人の男が、器用にぶら下がっていた。
「まったく…、暇さえあればここに来てるな、お前は。」
「だって〜〜、ふ〜らふらしててもつまんにゃいんらも〜んだ。」
「真面目に己を鍛えようとは思わんのか、少しは。」
「ぜーぜん思いまてーん。ストイックなのは肌にあいまてーん。」
「…二十代後半になったというのに、その喋り方をなんとかしようという気にはならんのか、少しは。」
「それこそぜーぜんなりまてーん。にゅははははははは。」
「………。」
はぁ、と息をつき、眉間を押さえる炎護。こいつと話すのは、何年経っても疲れる。
一方、炎護の目の前でケラケラ笑っている男、月代誓雷は、そんな炎護の反応を楽しんでいるようであった。
いかにもテキトーに整えた感じの金髪に、すっかり着古した感じのGジャンにジーパン。体は小柄で、炎護と比べると、まさに大人と子供。年齢も十以上離れているが。
「で、さ、で、さ、もう帰って来たの来たの?」
「いや、まだだ。」
「にゃ〜んだぁ、ちゅまんないの〜。ライちゃんの情報網が確かなら、そろそろ着いてもいいはずなのにぬ〜ん。」
「ま、あいつのことだ。どこかに寄り道でもしてるんだろう。」
「も〜。五年ぶりなんだから、さっさと来ればいいのにぬ〜。」
「師匠〜!もうすぐ市街地に入りますよ〜っ!」
「…この数年間、何度も何度も何度も何度も言ってますけどね。」
「はい!」
「その、師匠、って呼び方は止めていただけませんか?」
「やめません!私にとって、師匠は間違いなく師匠ですから!」
「別に私は何も教えていませんけど。」
「いえ!師匠は私に数多くのことを教えてくださいました!大切な事は、言葉で教わるものではなく、見て教わるものであると!この五年間、ずっと師匠の鍛錬を見させて頂き、見よう見まねで鍛錬させて頂きました!おかげで、五年前とは見違える程に成長した自分がここにいます!」
「…はぁ。」
「だから!師匠は間違いなく師匠ですっ!」
「…それはそれとして、あなたももう二十代半ばなんですから、もう少し落ち着いた言動をしたほうがいいと思いますよ。」
「え〜〜〜〜〜?いいじゃないですか〜これが私の個性なんですから。月代さんなんか、あんな超個性的な喋り方してますし。」
「彼は別次元ですよ、確実に。」
「まあ、私も薄々、そうかな〜、なんて思ってましたけどね。」
そんなことを喋りながら、ヒートシティの街道を歩く二人の男女。
会話からして、格闘家の師匠と弟子、という関係のようだが、どうも、弟子の方が勝手に押しかけた、という感じのようだ。
師匠の方の男は、二十代の後半といった所だろうか。師匠と呼ばれている割には、まだかなり若い。端正な顔立ちに、女性並みに綺麗に伸ばした髪を後ろで束ね、体の線もスリム。一見しただけでは、とてもじゃないが格闘家には見えない。
女性の方は二十代半ばということだが、爛々をやる気に満ち溢れた瞳や足取り、喋り方、二十四時間鍛錬してますっ!と言わんばかりのジャージ姿が、十代の熱血少女的な雰囲気を強く醸し出している。
「それにしても、もう五年ですか。早いものですね。」
「ホントですね〜。師匠と共に山野に籠って、もう五年も経ったんですね。」
「よく、途中で帰らなかったですね。あんな非文明的な世界で。」
「なに言ってるんですか〜。電気もガスも水道もない、っていうから心配してましたけど、実際には、自家発電できるし、井戸水はあったし、ガスボンベだってあったじゃないですか。」
「まぁ、しっかり休養を取るためには、ある程度快適な生活空間は欠かせませんから。結構大変だったんですよ。あそこまで整備するの。」
「食材の買いだめが出来ないから、こまめに山を上り下りしなければならないのも何気に鍛錬になりますし。計算されつくしているのですねっ!さすがです!師匠っ!」
「…いや、それはただの偶然ですけどね。」
そんなことを話しながら、ヒートシティの市街地へと入った二人。
「五年ぶりに帰ってきましたが、随分と街並みも変わりましたね。」
「そうですか?そんなに変わった感じはしないんですが。」
「そうでしょうか?」
「あれじゃないですか?師匠、五年前に帰って来たときって、二、三日しか滞在しなかったじゃないですか。だから五年前の街並みは、ほとんど記憶に残ってないとか。」
「う〜ん…、そうかもしれないですね。…それにしても。」
「なんですか?」
「その二、三日の間に知り合った私に、よくついていこうと思いましたね、あなたも。」
「大切なのは、理屈よりもインスピレーションですからっ!」
「…世渡りの下手なタイプですね、確実に。」
他愛ない会話を交わしながら、市街地を進んでいく。微かに懐かしげな表情を浮かべながら歩く男。男にとっては五年ぶりの街であり、五年ぶりの故郷でもあった。
「今回は何日か滞在するんですか?」
「いえ、目的を果たしたらすぐに戻りますよ。」
「え〜。せっかくなんですから、しばらく留まればいいのに…。」
「いいんですよ?あなたはここに留まってても。」
「もう…そういう意地の悪いこと言うんですから。私は、師匠について行く、って決めたんですから!師匠が戻るなら私もついて行きます!それが弟子というものです!」
「じゃあ、そうしてください。ところで、あなたは挨拶してこないんですか?」
「え?」
「五年ぶりなんでしょ?百花の代表さんや仲間達と、話したいこともあるんじゃないんですか?」
「…それは、まぁ…。でも私、代表さん以外には何も言わずに出て行っちゃったし。なんかみんなに怒られそうで嫌だなぁ…。」
「ふう…そういうとこ、まだまだ子供ですね。」
「…。」
「この五年で成長したんでしょ?だったら、しっかり胸を張って行きなさい。行ってきます、の挨拶一つもまともに出来ないような、そんな弟子を持った覚えはありませんよ。」
「…はいっ!わかりました師匠!しっかり挨拶してきます!」
「では、後で炎龍党のジムに来てください。おそらく、私のほうが時間がかかるでしょうからね。」
「はいっ!では後ほど!」
そう言って、女は道を駆けて行く。やる気と気合に満ち溢れた後ろ姿を見送りながら、男はクスリと微笑んだ。
「ほんと、いつまでたっても若いですね。それが彼女の長所であり、短所でもあるわけですが…。」
そんな師匠風を吹かせたような自分の言葉に、思わず苦笑がこぼれる。そして、
「私も、約束を果たしてきませんとね。」
男も、目的の場所へと歩き出した。
「……。」
「ん?どしたん?」
炎護の表情がピクリと動いたのを、目ざとく見つけた誓雷。ジムの中には、昼食を終えた選手や練習生達がちらほらと戻り始めて来ていた。
「…来るな。」
「ほへ?」
「まったく…、もうすぐ午後のトレーニングが始まる時間だというのに。間の悪いやつだ。」
「ね、ね、ねねねねねねねねねねねねね。何々何々何が来るの?」
「…わかっているくせに茶化すな。」
「えぺ。やっぱり〜?まあ、ライちゃんもわざとらしいかな〜、とは思ったんだけどね〜。」
「…五年ぶりだな。」
「うひゅ〜♪。」
知らず知らずのうちに、二人の表情が高揚していっているのがわかる。別に、何時に来ると決まっていたわけではない。が、二人は、その到着を確信しているようだった。
それきり無言のまま、ジムの玄関前へと出て来た二人。お互いに何を喋るでもなく、ただ前を見つめている。何人かの練習生が、不思議そうな顔をしながらその脇を通り抜けていった。
「五年か…。」
しばらくして、不意にポツリと言葉がもれた。それは、自分の身に刻まれた時間の経過であり、そして、
「ふふ…さらに立派になったみたいですね。炎龍党。」
相手の身に刻まれた時間でもあった。
「全く…。随分と待たされたぞ。」
「そうですね。今や、お互いに四十と三十ですから。」
「そうだな…いつの間にか、俺もお前もそんな歳か。」
「…約束、果たしに来ましたよ。」
「ああ…。」
ゆっくりと返事をする炎護。その視線は変わらず前を向いているが、その視界の中に、いつの間にか、一人の男が現れていた。
五年前、約束を交わし、街を離れた男。
「待っていたぞ。樹風風樹…。」
連載物、第三作目、始めさせていただきましたo(^-^)o。今回は、私の連載一作目、「WIND」の、五年後が舞台です。主役、30になってます。まだ第二話以降はぼんやりとしか考えていませんが(^.^;)、楽しみに読んでいただけると嬉しいですo(^-^)o。