聖夜航路
果てしなく広がる星の海を、橇が滑るように駆けてゆく。
枝分かれした角を戴く、獣の形をした八つのエネルギー体が金色の光を放ちながら、橇によく似た形態の恒星船を先導する。目指すは、冴え冴えとした闇の中に浮かぶ、かつての地球によく似た惑星だ。地球から脱出した人類が根を下ろした星々を目指して、橇は駆ける。
『──貴艦に告ぐ』
橇の真下に浮かぶ惑星からの通信が、怒りに震える音声を橇に届けた。コックピットに映し出された映像には、真っ赤な顔を歪め、こちらを睨みつける初老の男が映し出されている。肉の付いた身体を勲章や装飾で飾り立て、およそ実戦には向かない軍服で包んだ男は、惑星の大統領と名乗っていた。
『申し出は拒否する。……誰がその話を信じるというのだ。船の腹についた、その巨大な砲身をどう理解しろと?』
その憎悪に満ちた視線を、コックピットの中央、最も高い席に座る男が静かに受け止める。
「伝えた通り、この橇は誰も傷つけることはない。砲身は、“贈り物”を届けるためだけにある」
豊かな白い巻き毛の、赤いコートを着た男だった。落ち着きのある立ち姿ではあるが、まだ若い。
コックピットの乗組員たちが固唾をのんで、やり取りを見守っている。
「もう一度、聞く。“贈り物”は受け取らない、と?」
『そうだ。もし、その話が本当でも、我が星に滅びた星の記憶などいらん‼︎』
「──その星は」
男が静かに立ち上がる。艶のある巻き毛は男を柔和に見せてはいたが、鳶色の眼光は鋭く険しい。
「貴公の星か?」
『──っ』
「その星に住むのは」
言葉に詰まった大統領に、男は畳みかける。
「貴公だけか?」
『……貴様っ‼︎』
「そうでないなら、他の者の考えを聞かねばならない」
『三分以内に艦の進路を変更し、即刻この星域から立ち去れっ!』
大統領が唾を飛ばしながら叫び、通信は一方的に切られた。
「“艦”ではありません。“橇”です。あの大統領とやら、ずっと間違えていました」
赤いコートの男の隣に控えていた、長身の青年が悲しそうに頭を振った。首に付けた鈴が、シャンと楽し気に音を立てるが、鼻は泣いた後のように赤い。
「気にするな、ルドルフ。あまり頭を振ると、角が落ちるぞ」
ルドルフはつぶらな青い目を見開いて、額から生える枝分かれした角を押さえた。鈴も慌てたように音を立てる。押さえてから、はっと気づき、恨めし気に赤いコートの男を見やった。
「落ちませんっ! 四つ足の頃なら時期ですけれども……。この躰は造り物ですから。角は生え変わりませんってば!」
ルドルフだけが着用する灰褐色の制服の毛並みに、身体の動きに合わせた光が走る。
「で、いかがしますか? ノエル」
落ちないと言う割にそろそろと角から手を離したルドルフは、橇の主の指示を仰ぐ。
「“贈り物”を届けに来たという呼びかけは、惑星全体の電波に乗せています。大統領さんが属す政府組織以外からの応答は、現在ありません」
それぞれの席で持ち場を守る乗組員たちも、ノエルを見上げた。計器の放つ色とりどりの光が、生クリーム色の壁や床に反射する。
「──もう少し、待つ」
ノエルと呼ばれた、白い巻き毛で赤いコートをまとった若い男は、口の端を片方だけ持ち上げ、剣呑な笑みを浮かべた。
「三分は超えるかもしれないが」
「意地悪はよくありませんよ、ノエル。でも」
たしなめるルドルフの声は、明るかった。
「“贈り物”を待っている人がいるのなら、必ず届けなければいけませんからね!」
雪だるまに似た乗組員は落書きのような顔の笑みを深くし、色違いの制服と帽子をまとう背丈の低い者たちは座席の上で跳び上がった。人間ではない姿の乗組員たちは、それぞれのやり方で賛同の意を示す。
「惑星より、エネルギー反応。惑星砲、我が橇に照準を合わせました」
白熊の姿をした乗組員が、橇全体に警告を発する。
「障壁の展開準備。惑星からの攻撃に備えろ」
ノエルの指示に、雪だるまが枝のような手で、器用にパネルを操作する。
「了解。出力を調整。──ノエル、返事は来るかい?」
ノエルは、橇の下の惑星を見やり、答えた。
「ああ。“贈り物”を受け取るべき者が、この惑星にはいる」
「わかった」
雪だるまが、頷く。ノエルの横でも、ルドルフが大きな目を潤ませて一緒になって頷いていた。
ルドルフが立てる鈴の音に、白い巻き毛に隠れがちなノエルの表情が微かに和らいだ。そっと会話に耳をそばだてていた白熊が、惑星のエネルギー上昇の数値を認め、声を上げる。
「惑星砲、来ます!」
「橇の全方位に障壁を展開だ!」
雪だるまの操作で、橇が煌めく膜に包まれた。虹色のシャボン玉のように見える、橇の発する磁場を利用した障壁だ。
惑星から放たれたエネルギー砲が、流れ星のように降り注ぐ。しかし、その全てが、橇を覆う虹色の膜に触れ、瞬時に分解された。金や銀、赤や緑のさまざまな光の粒が、静かに停止を続ける橇の周囲の闇を明るく彩る。
「この程度なら百年でも耐えられるよ」
「あの大統領、茹でオクトパスみたいに真っ赤になってそう!」
「こら! 意地悪はいけないと、何度言ったらわかるのですか!」
高い声ではしゃぎたてる、色違いの帽子の乗組員たちを、ルドルフが叱った。映し出される橇の外の光景は、花火が次々と打ち上げられるように華やかだった。ルドルフは映像を見上げ、心配そうに眉を寄せる。
「姉さんたちは無事ですか?」
白熊が頷く。
「先導隊に損傷はありません。彼女たちは元気いっぱいです。八体揃って、後ろ脚で惑星に星屑をかけています」
「あー、もうっ! 揃いもそろって!」
「────」
ノエルは、頭と角を抱えるルドルフから、きらきらと輝くエネルギー砲の残滓に視線を移す。
あの日も、こんな光を見た。
──何年前、と言ったらいいのだろうか。幼かったノエルが、この橇の本来の主に会った日が、記憶の底から浮かび上がる。
地球から脱出する、最後の移民船が飛び立った日。その頃、地球の気温は氷点下を超えることはなく、空は厚い雲に覆われて陽の光が差すこともなくなっていた。
ノエルは、移民船に乗ることのできた誰かが、何かの理由で捨てた荷物を漁り、数本の携帯食料を手に入れた。地球に残るのは、移民船に乗る資金を持たない者、政府のシステムに生体登録がなされていない者など、社会に不要と切り捨てられた人間ばかりだった。
残るしかない側の一人だったノエルは、ぼろきれのような大人物の服の袖と裾を幾重にも折り、捨てられたこの惑星に這いつくばるようにして生きていた。
力もない腕ではあったが、奪えるなら奪った。そんな残された者の行動を予測してか、市民のいない都市でも警備システムが切られることはなかった。星間空港の警備用無人航空機は、遺棄された荷物からであっても、盗みを働いたノエルを見過ごすことはなかった。
雪に埋もれた廃墟の間を、手に入れた食料を片手に握りしめ、ノエルは走った。伸びっぱなしの栗色の真っ直ぐな髪が、時折り視界を遮る。背後から、宙を飛ぶ警備用無人機が迫る。微かな駆動音は、他に音もしない雪の積もる廃墟に、よく響いた。走るノエルの右に、左に、対人レーザー砲の照準を示す赤い光がちらつくが、路地の狭さが幸いし、機体は狙撃の決め手を欠いていた。
どこか身を隠せるところをと願って、崩れかけた壁の角を曲がったノエルが放り出されたのは、見晴らしの良い大通りだった。
さっと頭の芯が冷える。反対に、走り続けて早鐘のように鳴る心臓は、さらに破裂しそうな大きな音を立てた。慌てて周りを見渡すと、左側の通りの向こうに、形を保った大きな建物があるのが見えた。少し距離はあるが、路地の奥から近づいてくる空飛ぶ影を認めて、ノエルは走り出した。どこで落としたのか、すでに片手に食料がないことには、もう気づかなかった。
積もる雪に、足を取られる。何を目的として建てられたのか、ノエルに気にする余裕など無かったが、通りに面した建物は塀を持たず、凍り付いた大きな窓が並ぶ開放的な造りだった。
「とびら……っ」
入り口も、凍り付いたガラスだった。駆け寄って、ノブに手をかけようとして、ノエルの手が空をかく。
「自動……ドア」
ドアノブのない閉ざされた扉に付着した氷に、赤い点が煌めいた。反射的に伏せると、一瞬前までノエルの頭があった空間をレーザーが貫いた。
「ドア……っ。割れ……」
一縷の望みをかけて視線を上げた先に、先ほどと変わらない氷の扉がそびえている。ノエルのすぐ後ろで、無人機の駆動音が大きく聞こえた。扉に影が映る。振り向けないまま、影から視線を外せないまま、ノエルは凍り付いた。
ふっ、と無人機の影が、扉から消える。駆動音は消えていない。凍り付いた扉の内側から、暖かい金色の光が放たれ、無人機の影を消したのだ。大きな四つ足の金色の影。ノエルの背後で、無人機がエラー音を発して、ノエルの足跡が残る雪の上に落ちた。
ゆっくりと扉が開き、中から金色の光が溢れ出す。汚れた雪が降る灰色の世界しか知らないノエルは、その眩しさに目を閉じて、そして意識を手放した。
────シャン。
と、何かの鳴る音がした。
軽やかな、楽し気な音が、ノエルの周りをせわしなく動き回る。闇に沈んでいたノエルの意識が、急速に光の中に引き上げられた。
目を開ける。色とりどりの光が煌めく空間で、ひときわ大きい青い一対の光が瞬いた。
「あ、起きましたね! クリス! 目を覚ましましたよ」
嬉しそうな若い男の声がした。青い光が、自分を覗きこむ瞳なのだと気づいて、ノエルは飛び起きた。体にかけられていた柔らかい布をはねのけて、ベッド代わりにされていた大きな机から飛び降りる。段差を駆け上がり、背の高い棚の影に走り込んだ。
「ああ、驚かないでください! わたしたちは子どもの味方ですよっ」
ノエルの体が強張る。そう言われても、角の生えた、金色に光る獣の言葉を信じることはできなかった。
棚の影から、周囲を見回す。凍り付いた扉の中の部屋なのだろう。薄暗くて果てのわからない空間に、同じような棚が等間隔に並んでいる。
「お腹も減っているのでしょう? ターキーとチキン、どちらにします? ケーキもありますよ」
シャンと、獣から音が鳴る。煌めく光が、棚に近づいてくる金色の影を映した。
ノエルの口が、焦りと恐怖で乾く。逃げ道を探さねば。絡れそうになる足を動かそうとして、驚いた。裸足だった足が、暖かい靴下で覆われている。見れば、服も体の大きさに合った、着心地の良い赤い防寒具に変わっていた。
「なに……」
『ノエル』
穏やかな、声がした。少しノイズが混ざった人工的な声。その声が、ノエルの名を呼んだ。
「名前……なんで……?」
『驚かせてしまって、すまないね。ルドルフは、少し慌てん坊なんだ』
「なんですって! 慌てん坊なのは、クリスでしょう⁉︎」
『ルドルフ。新しい軀を忘れているよ。それでは、ノエルにご馳走を用意できないんじゃないかな』
「え? あっ‼︎」
金色の影が慌てて去ってゆく気配がし、ノイズ混じりの笑い声が優しく響いた。
『ノエル。儂は君に危害は加えない。ルドルフもだ』
ノエルは答えなかった。信じることで全てを失くした者を、嫌と言うほど見てきたからだ。
『加えられないと言った方が、君は安心するかな?』
「…………」
『棚の影からで構わないから、儂の姿を見てごらん』
棚から出した頭を、その瞬間に撃ち抜かれる可能性もあったが、逃げ道が無かった。覚悟を決めて、棚から頭を出すことにする。狙われていても、急いで頭を隠せば助かるかもしれない。
そろそろと棚の脇から、部屋の中央に目をやったノエルは、隠れる事も忘れて、目を見開いた。
棚のない部屋の中央に、天井と床から伸びる大量の緑の管に繋がれた老人がいた。
上半身は乾き切った枯れ枝のようだったが、頭部に豊かな白い巻毛が残っていることで、かろうじて人であることがわかる。下半身は、絡まる管に埋もれて見えない。時折り光が走る管のあちらこちらには、様々な色の液体が入った袋がぶら下がり、光を発していた。
背をツリーに預けた彼は、皺に埋もれた青い瞳でノエルを見つめていた。
『この通り、動けんのだよ。だから、よければ少し、話を聞いてはもらえんだろうか』
「……なんで、俺の名前を知ってる?」
老人の目が細められる。もう目以外は動かせないようだった。音声は、老人の足元で管に埋まるスピーカーから聞こえていた。
『儂は全ての子どもの誕生日を知っている。十二年前の聖夜に生まれた、ノエル。君のこともね』
「せいや……ってなに? 俺は自分が生まれた日なんて知らないよ」
『…………。そうか』
老人は、悲しそうに呟いた。
『あの、優しく美しい習わしは、忘れられてしまったのだね』
老人は語った。かつての地球で行われていた、聖夜の前日の習わしを。子どもたちが、どんなにその日を楽しみにしていたかを。その日が、どんなに美しく輝いていたかを。
ノエルは、棚の影から一歩踏み出した。枯れ木のような老人は本当に何もできそうになかったし、金色の獣も今はいない。何より、心が波立ってどうしようも仕方なかった。
「知らないよ、そんなもの……っ」
老人が埋まるツリーに近づく。柔らかく暖かい靴下が、固い床からノエルの足を守る。そんな感触さえ、腹立たしかった。
「誰かに物をあげる……?」
聖夜の前日に贈られるという、菓子や玩具。甘い食べ物や、生き残ることに必要のない道具を、ノエルは知らない。だから、ノエルが悲しかったのは━━
「自分より大事な誰かが、いる奴なんて馬鹿だ! 自分が死んじゃうのに、なんであげちゃうんだよ‼︎」
老人は。静かにノエルを見つめた。
「いなくなっちゃうなら……独りになるなら……。いらなかった!!」
受け取らなかったのにと、ノエルは泣きじゃくった。
『すまない』
老人が呟いた。
『信じてくれる人のいないこの星で、もう儂には、贈り物を届けることができなくなってしまったんだ』
「お待たせしました! 人の軀を着てきましたよ」
明るい声がして、部屋の奥から二本足の足音が駆け寄ってきた。
「前脚の使い方が難しくて、ついエネルギー体になってしまうんですよね。クリスの手助けのためと思って軀を造りましたけど、姉さんたちが断ったのがわかる気がしてきました……」
頭に複雑な形の角を生やした、青い目で赤い鼻の青年は、老人と声を上げて泣くノエルを目にして、固まった。
「クリスが、子どもを泣かせてる……」
『━━ルドルフ』
クリスがスピーカー越しに嘆息した。
「プレゼントを間違えたんですか⁉︎ 子どもが少なくなったとはいえ、リストはきちんと確認しないと!」
靴の音だろうか、カツンカツンとリズミカルな音を響かせて、ルドルフはノエルに駆け寄った。首に下げた、軽やかな鈴の音がずいぶん大きくなったと思った途端、ノエルは暖かいものに抱きしめられた。
「っ!」
「大丈夫ですよ。慌てん坊ですけれど、クリスはノエルの欲しいものを、ちゃんと知っていますからね」
ルドルフは小さな子どもをあやすように、抱きしめたノエルの頭を撫でた。
「欲しい……もの……」
『十二年待たせてしまったからね。君がずっと、一番に欲しかった物を贈ろう。━━ただ』
ノエルは、ルドルフの腕の中で体を強張らせた。
「……なに」
『儂にも贈り物をくれんだろうか?』
ノエルは、心が冷えるのを感じた。やはり信じてはいけなかったのだ。
「ああっ、安心してください! ノエル。角とか欲しがっている訳じゃないですから!」
安心できなかった。
険しい鳶色の目で睨みつけるノエルに、クリスは微笑んだ。皺に埋まれた目が少し細まる程度ではあったが。
『儂からの贈り物を、君が受け取ってくれることが、儂への贈り物になる』
「……よくわからない」
「よくわかりません」
ホゥホゥホゥ、とクリスは笑った。
『ノエル。君に、儂の一番大事な仲間である家族を贈ろうと思う』
びくり、とノエルの体が震えてた。ルドルフが、力を入れないように、でもますますしっかりと小さな体を抱きしめる。
『悲しいことだが、死んでゆくこの星から出ることのできる橇も贈ろう』
いまはどちらも地下で眠っているがね、とクリスは付け加えた。
『だが、この贈り物も受け取ることは、儂ができなかった最後の仕事を継ぐことになる』
「仕事……?」
『この星に残された“贈り物”を、旅立った人たちへ届けて欲しい』
「贈り物?」
『“本”さ』
部屋の灯りが、一斉に点いた。ノエルたちのいる中央の円形の床を中心に、周囲に棚が階段状に並ぶ空間が現れる。棚は書架で、さまざまな国の古い本、新しい本が整頓され並べられていた。
『移民船は、国毎に出立しただろう。いくつかの国はある程度データにして持ち出せたようだが、ほとんどの本が地球に残されている』
「…………まずは、生きなければいけませんから」
ルドルフが悲しげに頭を振った。
『この本たちを、新しい惑星で生きることになった者たちへ届けて欲しいのだよ』
「…………」
ノエルは、しばらく言葉を失った。
橇がどんなものか知らないが、すぐに追いかけて、はいどうぞと渡せるのだろうか。そして、持ち出せなかったとはいえ、捨てていったものを渡して、相手は喜ぶのだろうか。
逡巡するノエルを見て、クリスは笑みを深めた。
『やはり、君に頼みたいし、頼むべきだな。順番に答えよう』
考えていたことを言い当てられ、鳶色の瞳の涙が止まった。
『本には、人が歩んだ足跡が刻まれている。それを厭う者もいるだろう。受け取ることで争いが生まれるかもしれん』
だか、もうそれは儂らにはどうすることもできん、とクリスの青い目が天井を見上げる。
『受け取った者の心が良くあるよう、祈るしかないのだよ』
「……無責任だ」
『ほんとうにな』
「二つ目の質問には、橇を先導する私が答えますよ!」
すぐ横から、ルドルフが覗き込んだ。
「聖夜の前日、つまり今日なんですけど。橇は、二十四日の時間軸ならどこまででも滑ることができます」
『これからの未来ならどこでもな』
「ですから、移民船が新しい惑星に着いて、文明が贈り物を受け取るちょうどいい二十四日に行けるんです」
ルドルフの瞳が、真っ直ぐにノエルを見つめた。
「前日ですけど、私たちは”聖夜航路”と呼んでいます」
『聖夜航路から外れなければ、橇は永遠に滑り続ける。人ではない儂らは、老いることもない。━━だが』
クリスは、自分の腕に目をやった。枯れ木のように痩せ細り、変色している腕だった。
『贈り物を届けられなくなって航路から外れた時、妖精である儂でもこうなってしまった』
ノエル、とクリスは呼んだ。
『人である君が、聖夜航路でどんな影響を受けるかは、正直わからない』
姿かたちが変化することもあるかもしれない、という。
「でも、とりあえず、もっと太った方がいいです! 腕も足も棒キャンディーみたいじゃないですか……」
聖夜の料理ならなんでも供給できますからね、とルドルフが意気込む。
『どうだろうか、ノエル』
クリスが問いかける。ノエルは答えず、尋ねた。
「あんたは……どうなる?」
『儂かい?』
クリスが驚いて、目を見開いた。
「…………」
ルドルフが俯いて、鼻を啜った。
『おやおや。なんてことだろう!』
クリスは高らかに笑った。ノエルとルドルフには、泣いているように聞こえた。
『さすが、クリスマスイブだ。……こんな優しい子に出会えるとは』
乾涸びた頰を伝った雫が、白い髭に吸い込まれる。
『儂は……儂の魂は、橇の機関部で燃え続ける炭になるのだよ。信じてくれる人がいなくても、ノエル、君が手綱を取る橇が滑り続けられるように』
ノエルの涙の幕が張った目に、ツリーの光が映り、滲んで広がった。
━━あれから、何度目の二十四日を迎えただろう。
乗組員たちとは当初、何度も衝突した。クリスが全てを言い含めてはいたが、冷凍睡眠から目覚めた彼らの衝撃は、やはり大きかった。
雪だるまとは取っ組み合いの喧嘩をし、顔のパーツを全部むしり取ってやった。代わりに、雪だるまの手で引っ掻かれたノエルの顔は、リボンのような赤い線が何本も付いた。
白熊とはしょっちゅう口論をした。理路整然と正論を畳み掛けてくる白熊に、ノエルは唇を噛むしかなかったけれど。
ルドルフはいつもおろおろと間に入り、最初に泣き出していた。
だが、幾度も二十四日を迎え、背も伸び成長したノエルの栗色の髪が、白い巻毛に変化した今、橇は一つの家族になっていた。
家族であり仲間である彼らと、橇を滑らせ、贈り物の本を、移民船が辿り着いた星々に届けた。
地球で書かれた本は感謝を持って受け取られることもあったが、為政者は過去の歩みを突き付けられることを本能的に恐れるのだとノエルは学んだ。
「贈答砲、準備完了! 座標が確定すれば射てるよー!」
小さな体とはいえ着々と準備を進めていく小人たちの声に、ノエルの意識は今日の二十四日に戻ってくる。
「返信、まだぁ⁉︎」
「惑星からの返信、まだ捉えらませ──あっ! 来た‼︎」
「映像はっ? 音声だけだぁ!」
「全体で共有しろ」
「はぁい‼︎」
ノエルの指示で、通信の音声が橇全体で流される。
『──こちらは、セントラル・ライブラリー』
ノイズの混じった音声が、コックピットにも響いた。深く落ち着いた、おそらく老齢の女性の声だ。
『“贈り物”を受け取ります』
乗組員がお互いの顔を見る。
『繰り返します。“贈り物”を受け取ります』
通信はそこで途切れた。
「惑星の地下からだよっ」
「座標は取れた。橇をもう少し惑星に近づければ、途中ステルスをかけて確実にライブラリーに届けられる」
雪だるまが、器用にウインクをした。白熊も頷く。
「この程度の惑星砲なら、障壁で耐えられます。……━━待ってください! 惑星のエネルギー反応が増大!」
乗組員たちが、一斉に計器に向き直った。
「特大のが来そうだよっ!」
「あの大統領、業を煮やしたみたいだな」
「障壁は耐えられるか?」
数値を見た白熊が、鼻に皺を寄せた。
「出力を最大にしても、耐えられる……ぎりぎりのところですね。撃てば、あちらもしばらく動けないでしょうが、こちらもすぐに次の障壁は展開できません」
短いが、永く感じられる沈黙が降りた。
「ノエル」
隣りに立つルドルフが、ノエルの顔を覗き込む。見上げてばかりいた優しい瞳も、もうほとんど同じ高さになった。
「━━行きますか?」
「ああ」
ノエルは頷いて、乗組員を見渡す。
「障壁を解除し、橇を手動操縦に切り替える。惑星砲を避けて、惑星に接近。贈答砲を、発射する!」
乗組員たちの背筋が伸びる。ルドルフが微笑う。
コックピットに士気が満ちる中、ノエルは赤い手袋にはめた右手で眼下の惑星を指した。
「俺たちは “贈り物”を届けに、ここに来た。行くぞ! 全速全身!!」
『メリークリスマス‼︎』
すべての乗組員が上げた鬨の声が、一つとなった。
橇を先導するエネルギー体の蹄が、宇宙空間を力強く蹴る。橇が勢いよく滑った後の軌道が、輝く光の帯となって闇を切り裂いた。
「手動操縦桿、用意」
「惑星砲の弾道を測定」
「全乗組員は耐衝撃準備」
乗組員たちの声が飛び交い、ノエルの前に、先導するエネルギー体と橇を繋ぐ金色の手綱台がせり上がる。赤い手袋をはめた手で手綱を握る。
ノエルの左手に、ルドルフが右手を重ねた。
「準備が出来たら、感覚を同期して先頭に出ます」
「頼む」
「久しぶりですからね。姉さんたちに怒られないよう、頑張りましょう」
「……そうだな」
勇壮で美しい、ルドルフの八頭の姉たちの後ろ蹴りを思い出し、ノエルの体は無意識に少し震えた。ルドルフの手が、大丈夫というように手袋を叩く。
「弾道の計算結果が出ました!」
「惑星砲、発射まであとわずか!」
ノエル、と皆が振り向いた。
「障壁を解除。俺が操る」
その瞬間、ノエルの左側でルドルフの軀が倒れた。エネルギー体となったルドルフが、ノエルの左手から右手に抜け、その間に視覚や聴覚を主とした体の感覚を攫っていく。右手から手綱へ、手綱を伝って、金色の獣の姿となったルドルフは、星の海を駆ける先導隊の先頭へ躍り出た。
背後で、姉たちの歓声ともブーイングともつかぬ、かしましい声がする。その声を、ルドルフに感覚を同期させたノエルも聞いた。
赤い鼻を、まっすぐセントラル・ライブラリーに向けたルドルフが、宙を蹴って駆け出した。八頭の姉たちも、軌道を同期して駆け出す。
ノエルの視覚がルドルフの目を通して、惑星に光る点を捉えた。
「惑星砲、発射!!」
聴覚がコックピットの音声を拾う。あっという間に膨れ上がったエネルギーが、橇を目指して放たれた。
橇の軌道上にぴたりと重なっているせいで、正面からは白い球体に見える。圧縮されたエネルギーがぐんぐん近づいてきた。コックピットに残る、ノエルの体に力が入る。
“ノエル”
同期した意識の中で、ルドルフが囁いた。
“大丈夫。聖夜には、奇跡しか起こりませんから”
“それは”
ふっ、とノエルの口から笑みが漏れた。
“俺の腕がまだまだってこと?”
四肢に一層の力を漲らせて、ルドルフは駆ける。
“それはそうですよ。あと百年くらいは、ノエルなんて子鹿です!”
近づく白い圧縮エネルギーに目を戻す。先程と異なり、遠くまでよく視えた。九頭の蹄が生み出す光が、宇宙空間の潮目を露わにする。途切れず流れる光の筋を認め、ノエルはルドルフの鼻先をかえた。
瞬間、惑星砲が先導隊と橇の脇を掠め、黒い海の彼方へと走り去った。
「贈答砲、発射準備!」
コックピットの体で叫ぶ。
「りぉおおかい!」
興奮冷めやらぬ小人たちも叫ぶ。
「座標照準、合っているよ」
溶けているのか泣いているのか、雪だるまがせっせと目元を拭う。
「惑星砲、沈黙。今です、ノエル!」
いつも理知的な白熊が、珍しく咆哮を上げる。
「発射!!」
宇宙空間には音も匂いもないが、皆クラッカーの破裂音とあの火薬臭さを感じた。紙テープと紙吹雪に見送られて、小人たちが包んだ贈り物がライブラリーを目指して、宙に飛び出した。ある程度惑星に近づいたところでステルス装置が作動し、宙に溶けるようにして消えた。
「ノエル」
背に添えられた手の感触で、身体感覚がノエルの中に戻ってくる。手を離すと、自動操縦に切り替わった橇が、金色の光を放つ手綱を格納する。
「おつかれさまでした。今日も、贈り物を届けられましたよ」
二本足の軀に戻ったルドルフが、傍らで微笑んだ。
「大統領さんから通信が入ってるけどー?」
「不要でしょう。不必要な消耗は避けるべきです」
「ああ」
贈った本をどうするのか、ノエルには関与できない。クリスの言っていたことを、最近やっと理解できるようになった。ノエルは、眼下の惑星に祈ることしかできない。
「━━良き方へ」
隣りでルドルフが、それぞれの持ち場で乗組員たちが、同じことを願う。
この惑星で、ノエルが出来ることはここまでだった。
「聖夜航路へ。次の惑星に向かう」
「メリークリスマス!!」
仲間である家族の声が揃った。
惑星を背に滑り出した橇に向けて、惑星の地下から通信が贈られた。
『この惑星へ本を届けてくれて、ありがとう。子どもたちは過去を知り、未来を選ぶでしょう。“贈り物”をありがとう、サンタクロース』
すでに聖夜航路へ入った橇に、その声が届いたかはわからない。
星が雪のように輝く闇夜の宇宙に、聞こえないはずの鈴の音が響き、橇は金色の光の欠片を残して消えた。
次の星の聖夜に、“贈り物”を届けるために。
おしまい




