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才能ゼロと言われた俺が、学校一の美少女を守るまで――点数はビリ。だけど、君を守る時だけ俺は最強だ。  作者: 妙原奇天


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第2話 守る時だけ強い?

 朝の教室は、思ったよりも騒がしいのに、自分の席の周りだけ空気が薄かった。

 昨日のことを誰も知らないはずなのに、廊下から入った瞬間にいくつかの視線が肌に刺さる。黒板の隅では、早起きの優等生が魔法式の確認をしている。窓際では、夜更かし組があくびを繰り返している。どこにでもある学園の朝。けれど、春斗の机の上だけ、ちょっとした異世界だった。


 ノートの端に、チョークで書いたらしい雑な文字が残っている。

 「ゼロくん」

 「無能」

 丁寧にハートが添えられているのが、逆に刺さる。愛くるしさで殴ってくるのはやめてほしい。


 春斗は、指でさっと拭って消した。粉が指につく。

 「大丈夫。大丈夫」

 昨日から口癖みたいになった言葉を、心の中で繰り返す。

 先生は、いつも通りだった。出席を取り、プリントを配り、黒板にきれいな字を書いていく。

 「成績が悪くても人間性は別。みんな、そこは忘れないように」

 何気ない調子で、けれど教室のどこかに向けた言葉が、春斗の耳に届いた。

 ありがとう先生。できれば、もう少し早く言ってほしかった。落書きされる前に。


 午前の授業は、案の定つらかった。

 「炎の基礎、ここはとても大事です。春斗くん、試してみようか」

 先生の声が穏やかなのが救いだ。

 春斗は立ち上がり、前に出た。

 掌に意識を集める。吸って、吐いて。昨日もやった深呼吸。

 何も起きない。

 笑いは起きない。昨日ほど派手に期待されていない分、沈黙の圧が濃い。

 「はい、いいよ。焦らなくていいから」

 先生はさらりと次に進めた。ありがたい。ありがたいのだが、胸のどこかに黒い石がひとつ入ったみたいで、重かった。


 昼休みになった。

 弁当は、母が最初の一週間分だけ気合いを入れて持たせてくれた冷凍ストックの最後のひとつ。弁当箱のふたを開けると、ちょっとだけ水気が抜けた卵焼きが、頑張れと言っているように見える。

 そのとき、気配がした。

 雪の気配。いや、雪の匂いがするわけじゃない。たぶん錯覚。でも、春斗はそう思った。


 雪乃が、弁当を持って近づいてきた。

 「一緒に食べてもいい?」

 教室の空気が、びくりと揺れた。

 箸の動きが止まる音が、いくつも重なる。黒板の前で談笑していたグループが、こっちをちらりと見た。

 「なんであの子が、ゼロと?」

 「信じらんない」

 小声は、小声であることをすぐ忘れる。小声同士が手をつないで、大声に近づく。

 春斗は焦った。

 「え、いや、その、席、狭いぞ。俺、食べるの遅いし」

 雪乃は気にしない。いつも通りの淡い表情で、春斗の真横の席に腰を下ろした。

 「昨日はありがとう」

 それだけ言って、弁当のふたを開ける。白いご飯の上に、小さな梅干しがひとつ。

 「いいんだよ、別に。俺、たまたま通りかかっただけだから」

 「たまたまでも、助けてくれたのは事実」

 雪乃は、器用に箸で梅干しを割り、半分を春斗の弁当に乗せた。

 「え、え? それは、君の……」

 「お裾分け」

 春斗の胸が、どくんと鳴った。

 遠くでまた誰かがざわついたが、耳がふわふわして聞こえない。

 口に入れた卵焼きが、いつもより甘い気がした。いや、たぶん気のせいだ。


 そこで、影が落ちた。

 整った顔立ちに鋭い目つき。制服の着こなしが、規則の範囲でぎりぎり洗練されている。

 生徒会役員の腕章。

 蓮だった。学年の首席。誰もが一度は名前を聞く相手。

 「君が——あの、ゼロか」

 言い方は、ひどく丁寧だった。丁寧さは、ときどき刃になる。

 雪乃が椅子から立ち上がる。

 「蓮、やめて」

 「やめる? 何をだい」

 蓮は目を細める。けれど、その細め方は獲物を眺める猫のそれではなかった。もっと別の、興味の光。

 「試してみてもいいかな」

 春斗は固まった。

 「な、何を?」

 「噂。昨日の、街の暴発。……いや、暴発と言うには整いすぎていた。君の手から出た光。偶然か、仕組みか。確かめたい」

 教室が一気に静かになる。誰もが呼吸を忘れたみたいだ。

 春斗は笑ってごまかすことにした。いつものやつだ。

 「俺、ゼロだし。試すまでもないよ。試すっていうか、試し切りはやめて」

 「切ったりしないよ」

 蓮は軽く片手を上げた。

 空気が微かに揺れる。机の角に置かれたチョークが、ころりと転がった。

 見えない線が床に走るみたいに、細く、速く。

 春斗の首筋に、温かい風が触れた。

 熱が頬をかすめる。

 怖い。

 体は、動かない。


 次の瞬間、炎の筋が蛇行して、雪乃の方へ流れた。

 「——っ!」

 春斗の体が跳ねた。

 考える前に、足が動いた。椅子が倒れる音が、やけに遠い。

 雪乃の前に、飛び出す。

 手が勝手に上がる。

 掌の前で、光がはじけた。


 ぱん、と乾いた音がした。

 炎が霧のようにほどけて、空中で散った。

 床に落ちたのは、温いだけの風。吹き抜けた紙切れが、くるりと宙返りして着地する。

 静寂。

 蓮は目を細めなおし、春斗と、雪乃と、教室とを順に見渡した。

 やがて、ゆっくりとうなずく。

 「なるほど。守る時だけ、動くか」

 春斗は息が荒い。心臓が落ち着くまで、数えられないほどの息を吐いた。

 雪乃が袖を引く。

 「大丈夫?」

 「大丈夫。たぶん。たぶんって便利な言葉だな」

 「それ、便利に頼りすぎると転ぶよ」

 「じゃあ、気をつける。たぶん」

 雪乃が、少しだけ笑った。

 教室の空気が、ほどける。噂はまた生まれるのだろうが、そのときはそのときだ。


 午後。授業の間、春斗は自分の手を何度も見た。

 守るときだけ、勝手に働く力。

 じゃあ、守らなくていいときは、どうなる。

 自分一人では、何もできないのか。

 そんな問いが、黒板の字よりくっきりと、頭に残った。


 放課後。

 教室の片づけが終わるころ、蓮がまた現れた。今度は、腕章は外している。

 「さっきは悪かった」

 素直すぎて逆に構える言葉に、春斗は肩をすくめる。

 「いや、まあ、派手にされたわけじゃないし」

 「派手にしようと思えばできた」

 「そういう宣言、あまりフォローにならないぞ」

 蓮は少しだけ笑った。笑うと、年相応に見える。

 「君の力、面白い。けれど、それだけじゃ勝てない」

 「勝てなくてもいい。守れれば、それでいい」

 口からするっと出た自分の言葉に、春斗はちょっと驚いた。

 蓮は短く息を吐いた。

 「変なやつだな」

 「よく言われる」

 「だからこそ、見込みがある」

 蓮は教室のドアを顎で示した。

 「少し、来いよ」


 連れていかれたのは、人気のない講堂の脇にある訓練場だった。

 石畳が広く続き、古い的や、傷だらけの木柱が立っている。空の上では、夕焼けが大きく広がって、屋根の影が長く伸びていた。

 「誰もいない時間を選んだ。ここなら多少の失敗は目立たない」

 「失敗って、前提なんだな」

 「前提だ」

 蓮は、木箱から古びた盾をひとつ取り出して、春斗に放った。

 「それを持て」

 「俺、守る側に専念する感じ?」

 「君の条件に合わせる。守る対象があるときだけ動くなら、まずは“対象”を用意する」

 蓮の言う対象は、つまり、盾。

 春斗は取っ手を握った。思ったより軽い。けれど、手の中で、じわりと重くなる。これは、言い訳の余地のない重さだ。

 「では、行く」

 蓮が指を鳴らす。

 小さな光が、いくつも空に生まれた。星の形をした光の粒。

 「痛くない程度の火種だ。全部、防げたら、次に進む」

 「ゲームのチュートリアルみたいなことを言うなよ」

 「わかりやすいだろう」

 「……まあ、それはそうだ」

 光の粒が、いっせいに飛んできた。

 春斗は盾を構えた。

 身体が、さっきと同じように、勝手に動く。

 正面のひとつ、二つ。上からのひとつ。

 盾に触れた瞬間、光は霧になって消える。

 呼吸と同じリズムで、足が前に出る。

 思考は遅いのに、体が先に答えを出してくれる。

 これが、守る時だけ強い、というやつか。

 「やっぱり、有効だな」

 蓮の声が遠くで響いた。

 春斗はひとつ残らず受け止めて、ふう、と息を吐いた。

 汗が首筋を伝う。

 手のひらは、少しだけ熱い。嫌な熱ではない。冬の朝にコップを持ったときの、じんわりとした温度だ。

 「次」

 蓮が指を弾く。

 今度は、光の動きが曲がった。ジグザグに、不規則に。

 春斗は追いかける。

 足の裏で石畳の感触を拾い、腕で重さを受け止める。

 こんなふうに体が言うことを聞くのは、久しぶりだった。

 体育の授業でバスケットのドリブルが一瞬だけ続いたときの感覚に、似ている。

 全部は防げなかった。肩にひとつ、背中にひとつ、温い光が当たって、布越しにちくりとする。

「合格」

 蓮は短く言った。

「今のを合格にしてくれるの、甘くない?」

「甘いのは夕焼けだ。次は、甘くない」

「名言っぽいこと言えば何でも許されると思ってない?」

「思っていない」

 蓮は、今度は盾を指さした。

「それを置け」

「え、対象なし?」

「なしで、さっきと同じようにやってみろ」

春斗は盾を下ろした。

両手が、急に軽くなる。軽くなった分、心細さが増える。

光の粒が飛ぶ。

春斗は手を上げ——

何も起きなかった。

光は頬をかすめ、髪を揺らし、石畳に落ちて消えた。

「……あー」

春斗は、間の抜けた声を漏らした。

蓮はうなずく。

「やはり。守る対象が明確なときだけ、君の力は働く。君自身を守る意識では、起きない」

「俺、自分の扱いが雑なのかもな」

「冗談を言ってる余裕があるのは悪くないが、課題ははっきりした」

蓮は、石畳に落ちた光の跡を見つめた。

夕暮れの影が、春斗の足元を長くする。

「対象を定めること。守る範囲を自分で決めること。そこから始めよう」

「守る範囲……」

春斗は、自分の両手を見た。

昨日は、雪乃を前にした瞬間に体が動いた。

さっきは、盾を掲げたときに動いた。

どちらも、“守るもの”が見えたからだ。

見えないと、体は黙る。


「練習を続けるか?」

蓮の問いに、春斗はうなずいた。

「続ける。俺、強くなりたいわけじゃないけど、弱いままでいるのは、もっと嫌だ」

「いい心がけだ」

蓮が、ほんの少し口角を上げた。

その笑い方は、さっきより温かい。

訓練は、日が暮れるまで続いた。

最後に、蓮は言った。

「明日も時間を作る。無理はするな。だが、さぼるな」

「命令形は、ちょっと怖いぞ」

「頼む、でもいい」

「それなら、頑張る」

言葉にすると、胸の中の重さが、少しだけ形を変えた。

重い石は、まだそこにある。けれど、持ち上げ方を覚えた気がする。


 戻る途中、渡り廊下で雪乃に会った。

彼女は、風に髪を揺らしながら立っていた。

「訓練?」

「見てた?」

「音でわかる」

「音でわかるの、すごくない?」

「たぶん、慣れ」

雪乃は、視線を春斗の手に落とした。

「無理しないで。君は、守るときだけ強い。だから、守るものがないとき、自分を雑に扱いがち」

「さっき蓮にも、似たこと言われた」

「同じ結論にたどり着くの、少し安心する」

雪乃は、ふっと息をこぼした。

「昨日の、ありがとう。今日の、ありがとう。明日の、ありがとう」

「未来まで先払いされた」

「利子はつける」

「利子はやめて」

春斗は笑い、雪乃も少し笑った。

沈む夕日が、校舎の窓に長い光を落とす。

春斗は、窓に映った自分の姿をちらりと見た。

ゼロと呼ばれる顔。

でも、その肩に、見えない何かがひとつ乗っている気がした。

守りたいもの。

それが、今の自分の形をつくっている。


 寮に戻ると、ルームメイトの先輩がいた。

「お、帰ったか。今日、廊下で派手だったな」

「見てたの?」

「音でわかった」

さっきも聞いた台詞で、春斗は笑ってしまった。

先輩は、机の引き出しから包帯のような布を取り出して投げてきた。

「これ、手のひらの保護。練習しすぎると、皮がむけるから」

「そんな本気モードじゃないよ」

「本気は、気づいたら始まってるやつだ。あと、弁当の卵焼き、うまかったろ」

「……なんで知ってるの」

「顔でわかる」

先輩は鼻で笑った。

寮の部屋は、いつもより暖かかった。

窓の外には、今日も月。

昨日より、少しだけ小さく見える。距離が戻ったのかもしれない。

でも、春斗は窓の鍵をそっと確かめてから、ベッドに倒れ込んだ。

手のひらに包帯を巻く。少し、ぎこちない。

「守る範囲を、自分で決める」

つぶやいて、目を閉じる。

瞼の裏に、光の粒がまた生まれて、すぐに消えた。

眠りに落ちる直前、春斗は思い出した。

教室で、雪乃が半分くれた梅干しの味。

すっぱい。のに、やわらかい。

たぶんあれが、今日いちばんの魔法だった。


 夢を見た。

昨日と同じ崩れた塔。

雪乃が立っている。

今度は、背中の影が薄い。

春斗は、手を伸ばす。

届くかどうかは、わからない。

でも、前よりは、近い。

そう思えた。


 翌朝。

目覚ましより早く目が覚めた。

包帯を巻いた手を握って、開く。

指の一本一本に、昨日の温度が残っている。

廊下に出ると、まだ誰もいない。

窓から差す朝の光が薄くて、廊下の端に小さな影をつくっていた。

春斗は、その影をひょいとまたいだ。

誰に見せるわけでもない、小さな動作。

けれど、その一歩が、今日の自分を始める。

守るときだけ強い。

それでいい。

でもいつか、守ると決めるのを、もっと上手になりたい。

そう思いながら、春斗は教室へ向かった。

机の上に何か書かれていたら、今度は、もう少しうまく消せる気がした。

そして、昼になったら。

雪乃の弁当の梅干しは、きっと今日も、半分の大きさだ。

その半分を、守る。

それが、今のところの、春斗の戦い方だった。

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