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才能ゼロと言われた俺が、学校一の美少女を守るまで――点数はビリ。だけど、君を守る時だけ俺は最強だ。  作者: 妙原奇天


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第17話 帰ってきた日常

 翌週。

 朝のチャイムは、いつも通りに軽い音で鳴った。窓をすべり降りる陽射しは白く、黒板の粉の匂いは相変わらずで、廊下の掲示板には文化祭の写真が貼られたまま。笑顔の誰かが焼きそばの麺を空へ投げている。あの夜の廃工場の音も、雨の広場のざわめきも、校舎の中には一欠片も落ちていないように見えた。

「おはよう、ゼロヒーロー!」

 教室の扉を開けた瞬間、芽衣が机に片膝をのせたポーズのまま、ど真ん中から声を放ってきた。

 春斗は反射で頭をかいた。髪の毛がふわっと立つ。

「やめろって、それ!」

「もうバレてるよ? 体育祭での“防御”とか、噂は見えない羽根が生えて、今日も元気に飛び回っているのだ」

「詩的に言うな。せめて、もうちょいマシな呼び名にしてくれよ」

「じゃあ、“盾男”!」

「ダサい! そっちのがダサい! 響きに砂が入ってる!」

 笑いが起きる。近くの席の男子が「盾男、今日の体育、サッカーだぞ。手使うなよ」なんて無茶を言い、女子の一人が「盾男くん、配膳のときお盆が似合いそう」とニコニコ足してくる。

 窓際の席の雪乃が、手の甲で口元を隠すみたいに笑っていて、春斗は一瞬だけ視線をそらした。見られると照れる。見ないと気になる。これが人間のめんどくささかもしれない。

 出席を取り終えた先生が、教卓の前で腕を組んだ。

「文化祭も終わったし、気持ち切り替えていこう。あと——安全第一。何かあったら必ず相談しろよ。『自分でどうにかする』はだいたいどうにもならないからな」

 教室の空気が、ほんの一瞬だけ真面目になる。

 春斗は胸の奥が少し熱くなった。大人の声って、こういう時だけ、不意打ちで心に届く。

(ちゃんと、大人も信じていいんだな)

 午前の授業は、板書の線が真っ直ぐで、眠気の曲線が緩やかな日だった。春斗のノートには、以前よりまっとうな字が並んでいく。芽衣は余白に変な四コマを描き、蓮は問題を解くスピードが相変わらず無駄に速く、雪乃は静かにペンを走らせながら、ときどき窓の外に視線を投げた。雲が伸びる方向を見ているのかもしれない。

 体育の時間、サッカーで春斗はゴール前に立った。ポジションは勝手に決まる。誰かが蹴ったボールが飛んでくるたび、春斗は体の角度をちょっとだけ変える。手は使わない。足と肩で“入口と出口”を決めるみたいに、ボールの勢いを逃がしてやる。

 何度かナイス、が飛ぶ。褒められ慣れていない胃が、妙に忙しい。

 昼休み。購買のコッペパンを確保して教室へ戻ると、机の上に折り紙が置いてあった。白い鶴。首のところに小さくボールペンで「ゼロでも守れる」と書いてある。

「……いや、褒めてるのか、刺してるのか」

「刺してるふりして実は褒めてるやつだよ」

 芽衣が覗き込んで肩をすくめる。「敵はセンスが悪いね」

「敵と決めつけないでくれ。もしかしたら、字の汚い天使かもしれん」

「天使はそんな文言を書かない」

 笑いながら、春斗は鶴をそっとペン立てに挟んだ。

 雪乃が弁当箱を開けながら、こちらをちらっと見てから視線を落とす。その角度は、気のせいじゃないと思う。春斗は心の中で深呼吸して、いつもよりちょっと強気に言った。

「雪乃、放課後さ、屋上、行く?」

 芽衣の箸が止まる。蓮のシャーペンの音がわずかに止む。雪乃は少し驚いた顔をしてから、ふんわりうなずいた。

「うん。行こう」

 午後の授業は、抑えめに眠かった。先生の声が波で、ノートに書かれる字が舟で。舟はたまに転覆したが、雪乃の視線が前を指すたびに、舟も前へ戻った。

 掃除の時間、モップがけで廊下を滑っていたら、一年の男子が二人、壁の掲示物にいたずら描きをしているのが目に入った。吹き出しに変なことを書いて笑っている。

「やめとけ。あとでお前らが怒られるぞ」

 春斗が言うと、二人はびくっとして振り返った。

 一人が気まずそうにモップの先を見る。「先輩って、体育祭で…その、盾の…」

「盾男じゃない。人の名前を覚えろ」

「す、すみません!」

「悪いのはそっちだ。ほら、剥がすの手伝え」

 結局、三人で掲示物のセロテープを剥がし、紙を新しくして、木の枠を拭いた。少年らしい手の動きは不器用で、でも素直だった。

 終わってから、二人は小さな声で「ありがとうございました」と言って、走って行った。春斗はモップに顎をのせるみたいにもたれて、ほんのちょっとだけ嬉しかった。誰かに説教するの、性に合ってないはずなのに。合ってないけど、やってみると、案外いい。

 放課後。

 蓮がノートを閉じて、机の角で指をとんとん叩いた。

「お前、前より顔つき変わったな」

「そうか?」

「ああ。“俺にはできない”って顔じゃなくなった。できるかどうかは置いといて、“やる”顔になった」

「置いとくなよ」

「置く。置くから走れる時がある」

 蓮は立ち上がって、窓の外をひと目だけ見た。空は薄青で、風がカーテンのすそをひらひら揺らしている。

「黒薔薇は残ってる。夜じゃなく、昼に動くかもしれない。街は舞台が広い。——でも、今日は練習は無し。屋上、行ってこい」

「いや、お前、なんで知って…」

「芽衣の口は永遠に軽い」

「軽くない! 私は情報が人類を救うって知ってるだけ!」

「うるさいインフォメーション」

 そんなふうに笑って、蓮は教室を出た。後ろ姿は、いつもより少しだけ肩が緩い。

 芽衣は両手でピースを作り、「いってらっしゃい」と、もう完全に送り出す空気だった。

 屋上へ続く階段は、薄暗くて、でも嫌いじゃない。壁のペンキの白がところどころ古くて、足音がやさしく返ってくる。

 扉を押すと、空の匂いがどっと広がった。風が制服の袖を抜けて、髪を後ろに押す。フェンスの向こうで街が光って、遠くのビルの屋上に人の影が小さく動いている。

 雪乃はフェンスのそばに立っていた。いつも通りの制服。でも、指先に少しだけ力が入っているように見える。

「来た」

「来た」

 意味のないやりとりに意味が宿る瞬間、というのがある。春斗はフェンスに背中を預け、一度だけ空を見てから、雪乃の方へ顔を戻した。

「その……文化祭の夜も、広場の雨も。ありがとう。隣にいてくれて」

「ううん。こちらこそ。——生きててくれて、ありがとう」

 言う方も照れるし、聞く方も照れる種類の言葉だった。春斗は笑って、耳の裏が熱くなるのをごまかした。

「俺さ、怖いの苦手なんだよ。怖いから逃げて、逃げた先でまた怖くなる、って悪循環でさ。でも、最近わかった。怖いのは、なんとかして“置き場所”を決めれば、少しは動ける」

「置き場所?」

「胸の前。ここらへんに、薄い板がある感じにしてさ。怖さはそこへ置く。置いたら手が空く。空いた手で、前を押す」

「それって、春斗くんの守りと同じだね」

「うん。結局、同じなんだと思う。俺が使えるの、これしかないから。——でも、これが、好きになってきた」

 雪乃は、ふっと目を細めた。

「私も、好き。春斗くんの“置き方”。人を押しのけないで、でも、前に進ませる」

「言い方うまいな」

「だから、お願いがあるの」

 雪乃は胸元に手を当てた。ペンダントの銀が、夕方の光を細く返す。

「また怖くなったら、手、握って。……いや、怖くなくても握って。そしたら私、前を向ける」

「ああ」

 返事は自然に出た。手を出す。雪乃が出す。

 指が触れて、指が絡む。熱が来て、熱が板の向こう側まで届く。

 風が、さっきよりやさしい。夕陽のオレンジが、さっきより濃い。

「二人ってさ、息ぴったりだよねぇ」

 ドアががらりと開いて、芽衣の声が空に飛んだ。

 春斗は条件反射で手を離し、雪乃は一拍遅れて耳まで赤くなった。芽衣は両手をひらひらさせて、近づいてくる。

「邪魔するつもりは一ミリもなかったけど、邪魔できるチャンスは逃さない私の性格がね。で、屋上カップルは夕飯どうするんだい? 学食行く? それとも、商店街のコロッケ?」

「誰がカップルだ! 言葉の暴力やめろ!」

「暴力じゃない。実況だよ」

 蓮も遅れて姿を見せ、「実況は要らない」といつものテンポで突っ込んだ。

 四人が並ぶ。フェンスの影が長く伸びて、その上にみんなの靴の先が重なる。

「黒薔薇、また来ると思う?」

 芽衣の問いは軽い声で出て、重い意味で落ちた。

「来るだろうな」

 蓮が空を見ないで答える。

「街で動く。夜でも昼でも。人の多い場所、人の流れが太いところ。だから、俺たちは先に置く。逃げ道、合図、役割」

「置いたら、行ける」

 春斗は言った。

「板みたいに。場所を決めれば、次の一歩がわかる」

「じゃ、私は商店街のコロッケを“置く”。夕飯の位置決め」

「そこかよ」

「重要だよ。腹が減っては、なんとかってやつ」

「戦は、だろ」

「青春も、だよ」

 くだらない会話で、真面目な覚悟の角が丸くなる。角は丸いほうが折れにくい。

 下校のチャイムが鳴った。屋上で聞くチャイムは、少しだけ遠くて、少しだけ美味しい。

 四人で階段を降りる。一段おりるたび、学校の匂いが濃くなる。壁の掲示板、教室の光、体育館の音。日常は設備が多い。守るべきものは意外と配線だらけで、一本抜けても全部は止まらない。そこが好きだ。

 昇降口を抜けると、夕暮れの街が待っていた。

 屋台から唐揚げの匂い、パン屋から甘い匂い。バス停の列、笑い声。子どもがランドセルを振り回して、母親に怒られている。信号が赤から青へ、青から点滅へ、そしてまた赤へ。

 春斗はふと思った。

 “守りたい”って気持ちは、戦いの中だけじゃない。こういう時間の中にいる自分ごと、全部を守ることなんだ。コロッケの湯気も、くだらない噂も、誰かの宿題の愚痴も、ぜんぶ。

「二人ってさ、息ぴったりだよねぇ、改めて」

 芽衣がまた言う。もう癖だ。

 雪乃は顔を赤くして、「ち、違うよ。たまたま」と早口。

 春斗は後ろから苦笑しながら、「まあ、否定はしないけどな」と、おそるおそる足してみた。

「うわ、言ったー!」

 芽衣がニヤリと笑い、蓮は前を向いたまま「録音完了」と小声で言った。

「消せ」

「青春の証拠は保存される運命」

「やめろ。公開すんな」

「限定公開」

「だめだ」

 商店街のコロッケ屋の前で、四人は列に並んだ。油の音が、戦いのあとに効く薬みたいに規則正しい。注文の声、紙袋のカサカサ、財布の中身の薄さ。

 コロッケを受け取って、紙袋の角で指を温めながら歩く。噛むと、中からじゃがいもの優しい甘さが出てきて、春斗は心の中で謎のガッツポーズを作った。生きてる、って味だ。

 信号待ちで立ち止まったとき、雪乃が小さく言った。

「あの時、ありがとう。生きててくれて」

 春斗は一瞬だけ空を見て、それから雪乃を見た。言葉は照れる。けど、逃げるとあとで後悔するタイプのやつだと知っている。

「お互いにな」

 言った。

 風が優しく吹き、夕焼けが四人を包んだ。

 信号が青に変わる。歩き出す足が、軽い。

 日常は、帰ってきていた。

 でもそれは「何もなかったこと」じゃない。「何かあっても、帰ってこられること」だ。

 そして、その帰り道を何度でも作るのが——今の、自分たちの仕事だ。

 春斗は紙袋を握り直し、心の中で薄い板を一枚、胸の前に置いた。

 折れない。

 帰ってくる。

 それから、守る。

 順番は、もう迷わない。

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