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才能ゼロと言われた俺が、学校一の美少女を守るまで――点数はビリ。だけど、君を守る時だけ俺は最強だ。  作者: 妙原奇天


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第13話 本拠への道

 放課後の空は、昼の色をたたんで鞄の底にしまったみたいに、少しだけ軽かった。

 校門の外、石畳の上に四つの影が並ぶ。春斗、雪乃、蓮、芽衣。

 蓮が広げた地図の紙は、使い込まれたノートのページみたいに角がやわらかい。街はずれの川沿いに赤い丸がついている。


「ここが廃工場。黒薔薇の本拠の可能性が高い。先生たちは外で待機。俺たちは中の様子を見て、危険と判断したらすぐ合図。無理はしない」


 蓮の声は、落ち着いていて、短い。短い言葉ほど、頭に入る。

 芽衣は軍手をパン、と両手で鳴らして、顔をきゅっと引き締めた。


「連絡は任せて。逃げ道は三本確認済み。どの道も“曲がり角に看板がないから迷うやつ”タイプなので、私が先頭で矢印になる」


「その自信、頼もしい」


「方向音痴の自覚があるからこそ、矢印になれるのだ」


 雪乃は胸元のペンダントに触れて、短く息を整えた。

 その手つきはお守りのそれで、でも同時に、決意のスイッチに触れているようでもある。


「終わらせよう」


 春斗は拳を握った。怖い。怖いけれど、逃げない。怖さと逃げは別だ。

 心の中の火は、小さいが確かだ。消えるたび、誰かが手で囲ってくれた火。今は自分の手でも囲える。


     ◇


 廃工場は、街の端で時を止めていた。

 鉄の骨組みが空に線を引き、壁はところどころ剥がれて、風が通るたびに鉄が泣く音を出す。床には古い油の匂い。錆びたシャッターは半分壊れ、口を開けたまま戻り方を忘れている。


「行くぞ」


 蓮の声は低く、波の前の砂みたいに落ち着いていた。

 四人は一列になって進む。芽衣が後ろを振り返り、校外で待機している先生たちへ、小さく手で合図。光の確認。連絡の準備。

 音を飲み込む靴底で床を踏む。息は短く。目は広く。


 建物の中は、広いのに狭い。柱が並ぶから視界は折れ曲がり、上には古いクレーン、横にはベルトコンベアの残骸。ところどころに残った注意書きだけが、昔ここに“いつも”があったことを示している。

 春斗は前に出た。視線の先、鉄板の床に細い線。踏めば鳴るタイプの罠。足を上げ、線をまたぎ、指で合図。雪乃、蓮、芽衣が静かに続く。


「匂い、変わった」


 芽衣が囁いた。

 油と鉄の匂いの中に、かすかに香りが混じる。人工の甘さ。消臭剤の匂い。誰かが最近ここにいた証拠だ。


「罠はある。見張りもいる。——いた」


 蓮の目線の先、黒いコートの影が二つ、柱の陰に立っていた。

 蓮が目で合図。静かに片づける。

 春斗は前へ出た。二歩。板を胸の前に薄く置く。


「通さない」


 ひとりが拳を振り上げる。

 拳は板の前で止まる。止まると体は崩れる。蓮が背後から素早く足を払った。雪乃の輪が足元へ滑り込み、薄い氷でかかとを噛む。芽衣は迷いなくタイラップで手首を縛った。

 音は最小限。息の音だけが四つ重なって、すぐに減る。


「ナイス」


 芽衣が小さく笑った。

 笑いは空気の緊張をほどく。ほどきすぎない程度に。


 さらに奥へ。

 鉄骨の陰に、古いドアが一つ。取っ手は生きているが、鍵穴に傷がある。外には誰もいない。

 春斗が耳を当てると、薄い壁の向こうで人の声が波のように重なった。


「鍵」「儀式」「夜」


 単語だけで、十分だ。

 蓮がノブを回す。動かない。


「任せて」


 雪乃がしゃがみ込み、ドアの隙間に薄い氷を差し込んだ。金属の音を立てず、形だけを写す。氷の鍵が生まれ、音もなく割れて、鍵穴の芯を切る。

 ドアは抵抗をやめ、静かに開いた。


 中は、崩れた機械の隙間を片づけて作った“部屋”だった。壁に布。床に塗料。中央には奇妙な装置。円形の台座に線が刻まれ、ペンダントの形に似た溝がある。

 雪乃の指がペンダントに触れ、力が入る。


「やっぱり、これを使うつもりだったんだ」


「壊す」


 蓮は台座の構造を一瞬で読み、手の届く範囲の固定具を目で探した。

 そのとき、背後の暗がりから乾いた音が響く。拍手。


「よく来たね」


 声は柔らかいが、柔らかいまま冷たい。

 黒薔薇のボスが姿を見せた。背は高い。目は静か。笑いは口の形だけ。

 彼の後ろに、影がいくつも揺れる。


「君たちは勇気がある。だが、無鉄砲だ」


「関係ない。ここで終わらせる」


 春斗は一歩、前へ。板を胸に置く。


「なら、試してみよう。君の“ゼロ”が、どこまで通用するか」


 合図はなかった。影が四方から飛び出す。

 春斗は本能で雪乃の前に立ち、両腕を広げた。

 腕に重みが乗るたび、足が床をつかむ。板の面に圧が当たり、ずるっと滑る。滑った先に蓮の肘が入り、相手の体勢を奪う。芽衣は壁際で素早く位置取り、指先のライトを三回、短く点滅。外の先生たちへ場所を伝える。

 雪乃は両手を上げ、輪を板の縁に沿わせて薄く重ねる。板と輪。ふたつの守りが合わさった瞬間、影の攻撃がぶつかり、白い火花のような光が散った。


「右、任せろ!」


 背中合わせに蓮。呼吸が合う。

 春斗の板が厚くなりすぎそうになると、雪乃の輪が速度を上げて薄くする。芽衣の手拍子が短く三つ。三呼吸。

 守りはただの守りじゃない。守るたび、相手の足場が少しずつ狭くなる。

 短い休憩の一瞬。春斗は雪乃を見る。

 雪乃は不安を飲み込んで、うなずく。


「まだいける」


「いける」


 目と目が交わる。呼吸が合う。それだけで、板の角度が半分勝手に定まる。

 ボスが肩をすくめた。


「子どもの意地は、時に大人より強い。だが、それでも終わりは来る」


 床が低くうなり、装置の線が赤く光り始めた。

 電源はどこから来ているのか。蓮が視線で配線を追い、うなずく。


「時間がない。中心の装置、止める」


「任せろ。俺が前を持つ」


 春斗はさらに前へ出た。板を面ではなく“道”として置く。

 ボスが指を鳴らす。影が一斉に位置を変え、今度は“手”を狙ってくる。

 離させる気だ。

 春斗は雪乃と目を合わせる。頷く。離す。

 離しても、置ける。

 板は“手”ではなく“手の間”を守る。輪は“体”ではなく“体の前にある次の空気”をなめらかにする。

 飛び道具が来る。

 春斗は呼吸を一つ飲み込み、薄く板を置いた。飛び道具は板の前で角度を失い、柱に当たらず、足元で転がる。蓮がその瞬間、相手の肘を刈り、小さな音で倒す。

 芽衣は合図。二短一長。外へ。

 装置の赤は強くなる。台座の溝が淡く光り、ペンダントの形が浮く。

 雪乃の表情がわずかに強張る。

 ——ここに、差し込む設計だ。

 ボスが歩み出る。

 彼の視線は、春斗ではなく雪乃の胸元へ落ちる。言葉はいらない、という顔。自分の望みは相手がもう知っている、という顔。

 春斗は一歩、詰めた。


「それ、渡さない。あなたの“正しい”は、うちの辞書に載ってない」


「辞書は書き換えられる」


「なら、うちのは貸さない」


 ボスの目が細くなる。

 装置の赤い線が、台座から床へ広がり、周囲の柱へ走っていく。古い工場の躯体が、古い心臓みたいに鈍く鼓動した。

 蓮が短く言った。


「台座の下。配線、切れる」


「時間稼ぐ」


 春斗は板を広げ、雪乃は輪を二重にし、芽衣は手拍子をさらに短く刻む。

 三呼吸が一呼吸になる。

 守りが攻めに変わる一瞬をつかむ。

 蓮が滑り込み、台座の縁に指をかけ、下の空間へ腕を伸ばした。

 そこへ、影が一つ、蓮の腕を狙って落ちてくる。

 春斗は板を斜めに置き、影の重さを受け流した。

 が、受け流し切れなかった残りが肩に当たる。痛み。膝が折れかける。

 雪乃の手が、迷わず春斗の肘を支えた。その瞬間、板の手ざわりが変わる。面に、わずかな弾力。

 蓮の指先が、ケーブルをつまむ音がした。ミシ、と細い悲鳴。

 赤い線が、ひゅ、と細くなる。

 ボスの目が、初めて動いた。

 次の瞬間、床下から反撃のように黒い煙が噴き上がる。視界が詰まる。咳が出る。

 芽衣がスイッチを入れ、携行ライトの白が煙を割る。光の筋が一本、逃げ道みたいに伸びた。


「一回下がる!」


 蓮の声。

 春斗は頷き、雪乃の背に板を合わせる。後退。足場は悪い。柱の影に身を落とす。

 煙の向こうから、ボスの声が飛んだ。


「逃げても同じだ。夜が来る。儀式は別の場所でもできる」


「それ、今、言う必要ある?」


 芽衣がむっとした声を出す。

 蓮は短く息を吐いた。


「挑発だ。乗るな。——外へ合図、継続」


 芽衣は指で点滅を続ける。二短一長、二短一長。

 煙はまだ残っている。だが、風がある。割れる。

 春斗は柱の角から装置を見た。赤い線は弱まっている。弱まっているが、消えてはいない。

 ボスは台座の前に立ち、こちらを見ずに、台座の縁を指でなぞっていた。触れただけなのに、線が少し濃くなる。

 ——やばい。

 このままでは、また光る。

 春斗は自分の胸の前に、板を一つ置いた。薄い板。言葉の板。


「——俺が、行く」


「行くな」


 蓮の声は即答だった。雪乃の指が袖をつまむ。芽衣が首を振る。

 それでも、行く。

 行く、と決める。

 決めてから動く。

 決めなければ、動けない。

 決めたら、動ける。

 春斗は雪乃の手を一度だけ握った。短く。温度だけもらう。温度は、板を薄くする。

 手を離し、一歩目を速く、二歩目を静かに。影の死角を選び、柱と柱の間で体を薄くする。

 ボスの視線は台座。こちらを見ていない。いや、見ているかもしれない。どちらでもいい。

 三歩目で、板を“床”として置く。板は滑る床の上にもう一枚の床を作る。足の裏が迷わない。

 四歩目で、台座の縁。五歩目で、台座の上。

 赤い線が、靴底の熱でわずかに揺れる。

 春斗は両手を広げ、台座の溝と自分の胸の間に板を置いた。

 板は薄い。薄いけれど、今はそれでいい。

 雪乃の輪が背中から追いかけてくる気配がする。輪は板の縁に合い、面になる。


「君のゼロは、ここで終わる」


 ボスがようやく顔を上げた。

 目が笑っていない。口も笑っていない。言葉だけが笑っている。

 彼の影が伸び、春斗の足元で絡もうとする。糸だ。前に見た、いやらしい角度の罠。

 春斗は息を短く三つ、刻んだ。

 板を“手の間”に置く。

 輪を“次の空気”に置く。

 影の糸が足首へ絡む前に、位置を半歩ずらす。

 ずれる。

 ずれた先に、蓮の手が来た。手が、台座の下のケーブルをもう一本、引き抜く。

 赤い線が、ぱ、と消える。

 工場全体の空気が、一秒だけ真空になったみたいに、音をなくした。

 次の瞬間、鉄骨が低く鳴り、床が少しだけ沈む。


「今!」


 蓮の声。

 芽衣が合図を最大にして、扉の方へ走る。外の足音。先生たちが近い。

 ボスの目が、初めて冷たさの形を変えた。

 彼は春斗を見て、短く言った。


「——鍵は、君の中だ」


 その言葉と同時に、背後から影が一つ、真横へ走った。雪乃の肩を狙う。

 春斗の体は、考えるより先に動いた。

 板を雪乃と自分の間に広げ、輪と合わせる。

 影は板に当たり、滑って、柱へ消えた。

 雪乃の息が胸の近くで震え、すぐに落ち着く。

 彼女は春斗の袖をつまみ、短く言った。


「——大丈夫」


「大丈夫」


 言葉は薄い板。薄いけれど、確かだ。

 外の靴音がついに近づき、笛の音が鋭く空気を切った。

 ボスは一度だけ肩をすくめ、台座に背を向ける。


「場所を変える。夜は長い」


 影が彼の周りに集まり、煙のように薄くなっていく。

 追うか。追わないか。

 蓮の目が春斗を見て、すぐに左右を示した。優先順位。

 守る。

 装置を壊す。

 人を出す。

 追うのは、そのあと。


 春斗はうなずき、雪乃と芽衣に目で合図した。

 雪乃は輪を台座の溝に滑らせ、細工の線を氷で塞ぐ。蓮は下に潜り、残りの固定を切る。芽衣は出口へ先生たちを手招きし、合図をやめる。

 台座は、もう光らない。

 光らない代わりに、何も持たない黒い円だけが残った。

 黒い円は、やけに静かだ。

 静かすぎて、逆に音が聞こえる気がした。粉みたいな光の降る、あの夢の音。

 春斗は拳を握り、深く息を吸って吐いた。


 ——鍵は、君の中だ。

 あの言葉が、さっきの赤い線より長く、胸の中で光っている。

 ペンダントを守ってきた雪乃。鍵を求める黒薔薇。

 じゃあ、自分は。

 自分の“ゼロ”は。

 ゼロって、空白なのか。

 空白なら、何かを置けるはずだ。


「撤収する。ここはもう使わせない。先生たちにも引き継ぐ」


 蓮の声で、思考が一度戻る。

 先生の姿が見え、笛の合図がもう一度短く鳴る。

 芽衣がほっと肩を落として、それでも笑う。


「やった。初めて“逃げるが勝ち”が勝ちっぽく聞こえる」


「逃げるは守るの妹だ」


「何その急に名言」


「今、思いついた」


 雪乃はペンダントを握って、静かにうなずいた。

 春斗を見る。その目は迷っていない。


「この鍵が私の手の中にあるように、春斗くんの鍵は——」


「俺の中」


「うん。だから、無理に引っ張り出そうとしなくていい。守っていれば、いつか“開ける時”が来る」


「開ける時、ね」


 踏みしめた床が、微かに鳴った。

 工場の外へ出ると、夕方はもう夜に触れていた。川の向こうで街の灯りがともり、風に乗って人の食器の音が届く。

 先生が短く労い、現場の保全を確認し、警察への連絡に走る。

 四人は邪魔にならない場所へ下がり、息を整えた。体のどこかが震えている。緊張がほどけると、震えはいつもあとから来る。


「春斗」


 蓮が呼ぶ。


「今夜は勝ち。だが、次はもっと深い。ボスは“場所を変える”と言った。つまり、もう一度、別の顔で来る」


「別の顔?」


「別の“夜”。別の“儀式”。鍵は物じゃない。——人と、人の間」


 蓮の目が、春斗と雪乃の間を一度だけ見た。

 芽衣がぽん、と手を打つ。


「つまり、青春が鍵」


「要約が勢い任せだ」


「勢いは青春の利点」


 笑いが出る。疲れの中でも、笑いは出る。

 春斗は空を見上げた。雲が切れて、一番星が早めに出ている。

 遠くで電車の音。近くで川の匂い。

 守るべき“いつも”が、ここにもある。


「終わってない。でも、進んだ」


「うん」


 雪乃の返事は短くて、柔らかかった。

 ペンダントが小さく当たり、銀の音が鳴る。

 春斗は胸の中に、板を一枚置いた。

 薄い板。薄いけれど、今の自分には、それが一番強い。

 次に置く板は、きっと今夜のあとで、また薄くなる。薄くなるぶん、広くなる。

 考えながら、ふと口が動く。


「なあ。俺のゼロって、けっこう便利かもな」


「自分で言う?」


「“何者でもない”って、何者にでも置けるってことだろ。だったら、守る場所を増やせる」


「うるさいけど、好きな理屈」


 芽衣が笑って、蓮がわずかに口角を上げる。

 先生に呼ばれ、簡単な事情聴取を受け、帰路につくころには、夜の濃度が増していた。

 校門の前で立ち止まり、四人で短く手を合わせる。手のひらは温かい。温かさは、板を薄くする。


「明日、また練習」


「うん」


「うん」


「了解」


 別れたあと、春斗は一人で空を見た。

 あの夢の粉みたいな光は、今は降っていない。降っていなくても、たぶん、あれは悪いものじゃない。

 泣き声も、今は聞こえない。

 代わりに、胸の奥で、誰かの声が短く言った気がした。


 ——行け。


 春斗はうなずいた。

 決めてから、動く。

 次の“本番”がどんな顔をしていても、約束の手と、薄い板と、三呼吸で、迎えにいく。

 そして、今度こそ——


 ここから先は、退けない。

 はっきりと、そう決めた。

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