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才能ゼロと言われた俺が、学校一の美少女を守るまで――点数はビリ。だけど、君を守る時だけ俺は最強だ。  作者: 妙原奇天


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第11話 雪乃の過去

 黒板の文字がゆっくり泳いで、やがて波みたいにほどけた。

 春斗は自分のまぶたの裏に、白い粉のような光が降ってくるのを見ていた。雪に似てる。けれど冷たくない。静かな音もない。ただ、遠くから子どもの泣く声が聞こえている。森の匂い。湿った土。誰かが名前を呼ぶ。——振り向こうとして、首が動かない。代わりに目だけが上を向いた。木の枝の隙間から、粉みたいな光が落ちてくる。掌を出すと、光は形を保たず、空気に溶けた。


「……春斗、起きて」


 肩をつつかれて、夢はすっと切れた。

 黒板はちゃんと黒板で、先生の声はちゃんと先生だった。教室の窓からは白い雲が流れて、窓際のひまわりは今日もやる気がありそうに見えた。隣の席で雪乃がノートをめくっている。指の動きが端正で、紙の端がそろうたびに、教室の空気まで整う感じがした。


「ごめん」


「大丈夫。先生、今は教科書の朗読だから。……でも、口が半開きだった」


「それは許して」


 雪乃が笑いをこらえて、視線で前を指す。

 春斗は上体を起こして、黒板の文字を頭に押し込んだ。内容は半分も入らない。代わりに、さっきの夢の残りが、胸のあたりでうっすらと重なっていた。粉みたいな光。泣き声。森。

 終礼のチャイムが鳴る。クラスのざわめきが通路に流れ出す。雪乃がノートを閉じ、背筋を伸ばして、少しだけ迷うように口を開いた。


「放課後、少し散歩しない?」


「うん」


 それだけで、昼の眠気はどこかへ消えた。


     ◇


 校門を出て、角をいくつか曲がると、小さな公園がある。ブランコと古い鉄棒、丸いベンチ。木が多いから、夕方になると風の音がよく聞こえる。

 ベンチにすわると、空はオレンジと紫の間で揺れていた。風が葉を裏返し、小鳥の羽音が枝の中を走る。落ち葉が足元に触れて、かすかな音を立てる。


 雪乃は膝の上で両手を重ね、ゆっくり話しはじめた。


「ねえ。小さいころのことを話してもいい?」


「もちろん」


「……家が燃えたの。夜中、突然だった。目が覚めたら、部屋が明るいのに、明かりが一つもついてなくて。窓の外が赤かった。何が起きてるのか、わからなかった」


 言葉は静かだった。静かなのに、景色がはっきり浮かぶ。

 雪乃は少しだけ息をつぎ、目線をベンチの木目に落とす。


「煙が廊下から入ってきて、咳が止まらなくて。泣いたと思う。あまり覚えてないけど、泣き声はずっと耳に残ってる。その時、両親が部屋に来て、私の手を握って、これを渡したの」


 彼女の手のひらに、小さな銀色が乗った。

 いつも胸元で光っているペンダント。光は強くないけど、薄暮の中で迷子にならない種類の色だ。


「“これを守って”。それだけ言われた。どうして、って聞いても、答えが戻ってくる前に、天井が鳴って——」


 雪乃は目を閉じた。まつ毛が、薄く震える。

 春斗は、足の裏を地面にしっかりつけた。何も言葉が出ない時、足の裏だけが、いつもより頼りになる。


「気づいたら、外にいた。隣の人が毛布をかけてくれて、遠くからサイレンが近づいてきて。赤い光の中で、父と母の影を探した。見つからなかった。ペンダントは、ずっと手の中にあった。握りすぎて指に跡がついたくらい」


 風が少し強くなる。落ち葉が舞い、空の色が紫に寄る。

 雪乃はペンダントを指先で包み、続けた。


「この中に“鍵”があるって言われた。けど、どう使うかは教えてもらえなかった。時間がなかったからかもしれないし、まだ私には早いと思ったのかもしれない。わからない。でも、誰かがずっと、これを狙ってる気配だけは、前からあった」


「黒薔薇」


「たぶん。最初に見たのは、中学の帰り道。遠くからこっちを見ている人たちがいて、目が合ったと思った瞬間いなくなる。夢みたいに。でも夢じゃない。怖かった。走って帰って、鍵を押しつけるみたいに握って。……そのうち、勘違いかもしれないって、思うようにもした。思わないと、学校に来られなくなりそうだったから」


 沈黙が落ちる。風の音だけが、二人の間の空気を少し冷やした。

 春斗は拳を握った。爪が掌に当たって、痛みが合図になる。


「道具なんかじゃない」


 自分でも驚くほど、声は鮮明だった。


「人は誰だって、自分の生き方を選べる。たとえ、誰かが“鍵”とか“役割”とか言ってきてもさ。人を名前で呼ばずに、モノの名前で呼ぶやつの言うことなんか、聞く必要ない」


 雪乃は少し驚いたように見上げて、目を細めた。

 夕陽が彼女の瞳に二本の線を引く。強い線だった。


「春斗くんって、時々すごくまっすぐなこと言うよね」


「そりゃ、まっすぐしか知らねぇから」


「まがれないの?」


「曲がると転ぶ。なら、まっすぐでいい」


 照れ隠しのように笑うと、雪乃も少しだけ頬をゆるめた。あたたかい沈黙。

 その沈黙をほどくみたいに、足音が近づいた。砂を蹴る軽い音と、真面目な靴音。


「見つけた!」


 芽衣が息を弾ませ、蓮は真剣な顔で立ち止まる。

 彼がこういう顔の時は、だいたい重要な話だ。


「二人とも、聞いてくれ。黒薔薇の拠点がわかった。郊外の廃工場だ。生徒会に寄せられた地域の防犯情報と、昨夜の巡回で見た車の動き、それに——」


「蓮、説明は後で。今は結論!」


 芽衣が手をぶんぶん振る。蓮は小さく咳払いして、短く言い直した。


「工場跡に、人の出入りがある。一定の時間に、同じ方向へ向かう車。しかもナンバーの汚し方が似ている。はっきりした証拠はないが、可能性は高い」


「先生たちには?」


「まだ言ってない。言えば止められる。止めるのが正しい可能性もある。けど、動くなら今夜がいい。あいつらの“試し”が続く前に」


 春斗は立ち上がった。足が地面を選ぶ感じが、今日だけ違っている。


「行こう。終わらせるチャンスだ」


 雪乃はペンダントを握りしめた。指の跡がまたつく。けれど、その跡はさっきより整っている。


「私も行く。これは、私の問題だから」


 蓮は頷き、芽衣は親指を立てた。夕陽が四人の影を長くする。影は一本にまとまって、ベンチを越え、公園の出口を越え、道に伸びる。

 風が枝を揺らし、灰色の雲が遅れてやって来る。空が一段暗くなった。


     ◇


 夜。

 寮の部屋は静かだった。廊下の向こうから、水道の音と、遠くの笑い声が小さく届く。窓の外には丸い月。ときどき雲がかかって、光が薄くなる。

 春斗は机に置いた靴を磨いた。光るほどに磨くのではなく、砂を落として、紐のほつれを確かめる。つま先を指で押して、固さを覚える。

 カーテンの端をめくって、外を見る。月のまわりを輪が囲んでいる。雲の薄い縁が光って、夜の空は机の上の地図みたいだった。


 机の引き出しに、飴がひとつ残っている。先輩がくだらない顔で「夜風用」と言って置いたやつだ。包装を破ると、薄いミントの匂いがする。

 舌にのせると、冷たさが喉の奥に触れ、昼の熱をほどよく落ち着かせる。


「才能なんか、なくてもいい」


 鏡に映る自分に言った。

 言葉は、鏡の向こうの顔ではなく、胸の奥を固定するための合図だ。


「守る力ならある。負けない」


 拳を握る。握った拳を、いったん開いて、もう一度握る。硬さがちょうどよくなる。

 そのとき、窓の外でフクロウが鳴いた。夜のアナウンスみたいに、短く、正確に。

 春斗は笑って、ベッドの端に腰を下ろした。目はもう迷っていない。

 迷わない代わりに、決める。

 決めてから、動く。

 それしか得意じゃないけれど、それなら負けない。


     ◇


 出発は遅い時間だった。校舎の灯りが落ち、体育館の裏口が鍵で閉められ、門の鎖がかすかに鳴る頃。

 春斗、雪乃、蓮、芽衣の四人は、昇降口の影に集まった。誰も大きな声は出さない。合図は少なめ。足音は短く。

 蓮が道順を手のひらに指で描く。渡り廊下まで一緒。そこから二手に分かれ、裏門の塀の低いところまで回る。街灯の死角を選んで、学校の外の細い道へ出る。そこからは歩き。廃工場の手前で一度集合。合言葉は——


「“三呼吸”。それから“逃げるが勝ち”。忘れるな」


「忘れないよ」


 芽衣がポケットを叩く。中には小さなスピーカーと、救急セットと、チョコバー。なんでも出てくる。

 雪乃はペンダントの位置を、セーターの上からそっと確かめた。

 春斗は靴ひもを結び直し、拳を握る。深呼吸。ひとつ、ふたつ、みっつ。

 夜の道はひんやりして、街の灯りは思ったより少ない。だけど、人の家の窓の明かりがところどころにあって、誰かが笑っている気配もある。守りたいと思う“いつも通り”が、道ばたにいくつも灯っている。


 工場跡は、川沿いにあった。錆びた門、止まった時計。風が鉄骨を鳴らす音が、遠い波みたいに続く。

 敷地の外から見下ろすと、建物の影に、黒い点がいくつか動いていた。人の歩き方だ。一定の間隔で行き来している。

 蓮がしゃがみ、指先で土をなぞる。靴裏の跡が重なって、太い線になっている場所があった。そこは、よく使う通路だ。


「突っ込まない。様子を見る。——つもりでいて、状況によっては逃げる」


「逃げるが勝ち」


「うん。逃げるを“置く”」


 春斗はその言葉を胸に入れて、視線を動かした。

 黒い影が一人、建物の隅に寄って、何かを取り出す。細い筒。先日の夜に見たものと似ている。光を消すための、いやな道具。

 雪乃の指先が冷え、空気が薄く澄む。輪がひとつ、生まれて、すぐ消える。

 芽衣が息をのむ。蓮が首を振る。今じゃない。


 誰かの低い声が、風に乗って届いた。


「“試し”は終わりだ。次は——本番だ」


 その声を聞いた瞬間、春斗の胸の奥で、昼間の夢の残りがふっと反応した。粉みたいな光。泣き声。

 だけど、今の春斗には、もうひとつの合図がある。

 手の温度。約束の手。

 隣で雪乃が、見えないほどの小さな動きで、春斗の袖をつまんだ。

 それだけでいい。

 それだけで、迷いはきれいに消える。


「行こう」


 春斗は、声に出さずに言った。

 蓮が頷く。芽衣が親指を立てる。雪乃の輪が薄く回る。

 夜の工場跡に、四人の影が、音を立てずにほどけていく。

 負けない心は、繋いだ温度で、今日も点いたままだ。

 鍵の真実がどんな形でも、道具にされる未来だけは、ここで断ち切る。

 “本番”なら、こっちも本番だ。

 決めてから、動く。

 その練習を、もう何度も重ねてきた。今夜は、ただ、それをやるだけだ。

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