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才能ゼロと言われた俺が、学校一の美少女を守るまで――点数はビリ。だけど、君を守る時だけ俺は最強だ。  作者: 妙原奇天


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第10話 約束の手

 夜の戦いから、まだ一週間も経っていないのに、学園はあっけないほど「いつも通り」を取り戻していた。

 朝のチャイム、先生の小言、教科書のページをめくる音。体育館から響くバスケのドリブル、廊下を走る生徒指導の声。

 けれど、誰もが少しだけ耳を澄ましている。

 薄い音にも振り向けるように。

 春斗も同じだった。窓の外をぼんやり眺めるふりをして、フェンスの影や屋根の縁に、黒い気配がないか探す。見つからない。見つからないけれど、心の中にはあの夜の裂け目だけが、細い線になって残っている。

 昼休み、芽衣が廊下で肩を小突いた。

「人の気配を探す顔、してる。恋を探す顔じゃないの、もったいない」

「顔に書いてあった?」

「三行半くらい。小さく字詰めで」

「読めるなよ」

 いつものやりとりが、心の緊張を半分にしてくれる。残り半分は消えない。消えなくていいのかもしれない。

 終礼のあと、教室の後ろ。雪乃がノートを胸に抱えて、少し迷ってから言った。

「放課後、少し話せる?」

 頷くだけで、胸の鼓動が一拍、速くなる。

     ◇

 屋上は、今日も風の機嫌がいい。

 夕方の光がフェンスの編み目を伸ばし、床の白いペンキに網目模様を落としていた。空はオレンジから紫に変わる途中。遠くで街の灯りが点きはじめ、薄い霧みたいな明るさで地面を染める。

 雪乃はいつもより少しだけ前髪をまとめて、風に髪をなびかせていた。

 その立ち姿は、強く見えた。弱く見えなかった。けれど、強い人ほど、弱さを見られたくない時間があるのを、春斗は知りつつある。

「春斗くん、あの夜のこと……ありがとう。でも、まだ終わってない気がするの」

「ああ。俺もそう思ってた。黒薔薇はまだ動いてる。やつら、引き際がうまい」

「怖い。でも、今度は逃げたくない」

「大丈夫だ。今度は俺だけじゃなく、みんながいる。蓮も、芽衣も、先輩も、先生たちも」

 名前を並べると、それだけで背中の骨が一本、増える。

 雪乃は少しだけ口元をほどいて、ふっと笑った。

「そうだね。でもね、ひとつお願いがあるの」

「お願い?」

 雪乃はノートをしまうと、そっと片手を差し出した。指は細くて、だけど芯が通っている。

「怖い時、これを握っててほしい。そうすれば、私も前を向ける」

 春斗は、ためらった。ためらいは、恥ずかしさと、うれしさと、責任の三つ巴だ。

 それでも、握った。

 小さくて、あたたかい。

 その瞬間、胸の奥が、ふっと熱くなる。風が止まり、屋上の音がすっと遠ざかった気がした。

 板の手ざわりが、指先の内側へ移ってくる。言葉にできないが、わかる。あの“守りの力”が、小さく反応している。

「……やっぱり、これだ。俺の力は、誰かを守りたいって気持ちで動く」

「じゃあ、私は君の勇気のスイッチだね」

「言い方が恥ずかしいだろ、それ」

「スイッチ、押すよ?」

「やめろ、連打するな」

 二人で笑った。

 その笑いは、薄く張っていた緊張膜に指で穴を開けるみたいに、空気を通した。

 下校の鐘が鳴る。校門の外に向かう生徒たちの足音が、風に混じって列になって流れていく。

 中庭の向こうで、芽衣がこちらに気づいて、両手を振り回した。

「おーい! 屋上で何してんの! 恋バナかー!」

「う、うるさい!」

 反射で手を離すと、雪乃が小さく肩をすくめて笑った。

「ばれちゃった」

「何もばれてない。何も始まってない」

「始めたっていいよ」

「心臓に悪いことをさらっと言うな」

「言ってから照れてる君の方が悪い」

 悪くない。悪いのは口角だ。勝手に上がる。

     ◇

 その日の放課後は、約束の延長戦になった。

 昇降口の前、蓮が段差の影にスケッチのような図を描く。丸と線。いつものそれ。だが今日は、丸がひとつ増えていた。

「“手”。ふたりの手がつながった時、面が合う。なら、動きで再現できるはずだ。つなげなくても、つないだ時の角度を置け」

「置く、は得意」

「得意になったな」

 冷静の顔で、蓮はほんの少し口角を上げた。

 芽衣はメトロノームを持って、コツ、コツ、コツと三呼吸を刻む。雪乃は輪を最小限にして、春斗は板を薄くした。

 合わせる。離す。合わせる。また離す。

 指先が触れない距離でも、目の中に相手の位置を置けるようになる練習。

 うまくいかないときは、芽衣が大声で「はい青春やり直し!」と笑い、うまくいったときは、蓮が小さく「今の角度だ」とだけ言う。

 やり直しが多くても、今日はそれが苦にならない。屋上の約束が、背中の芯になっている。

「明日もやる。明後日もだ」

 練習の締めに、蓮が短く言った。

 その目は、屋上から見えた街の灯りみたいに、遠くを見ていた。

     ◇

 夜。

 窓の外で雷が光った。音は遅れてやってきて、夜の布団を軽く叩いた。

 学園の外れの森で、黒薔薇のボスが部下に告げる。

 背の高い影。立っているだけで空気の流れが変わる。火ではないのに暖かく、氷ではないのに冷たい、矛盾した温度をまとっている。

「次は“試し”だ。少年の力を、本気で引き出してもらおう」

 雷鳴がその声を半分かき消す。残った半分だけが、眠っている校舎へ届いた。

     ◇

 翌朝。

 曇り空。体育の時間、グラウンドの片隅で、春斗は蓮と走った。

 走るだけ。だけど、今日はいつもより意味がある。視界の端で雪乃の動きを拾い、芽衣の声を音としてではなく間として刻む。

 走り終えると、肺が焼けそうに熱い。熱いのに、嫌じゃない。

「春斗」

「うん」

「お前は、ビリじゃない。まあ、下から数えた方が速いが」

「速ければなんでもよくない?」

「よくはない。だが、遅いままではない」

 褒め言葉は短い方が効く。短いから、心に刺さって長く残る。

 芽衣が差し入れのアメを口に押し込んでくる。勝手に包み紙がむけている。

「甘いの詰めとこ。心にカロリー」

「そんな単位あったっけ」

「青春はなんでも単位になる」

 昼休み、雪乃がノートを開いて、前夜のことを簡単に書いていた。

 家族。鍵。記憶。

 わからないことは多い。多いから、書く。書くと、少しだけ手がかりになる。

「ねえ、春斗くん」

「ん」

「怖い時、手を握るって約束。今日も」

「今日も」

 それだけの会話で、午後の眠気が全部どこかへ行った。

     ◇

 夕方。

 「試し」は、突然やってくる。突然だけど、よく聞くと、前ぶれは小さい音で鳴っていたのかもしれない。

 図書室の前の広い廊下。文化祭の掲示がまだ一部残っている。

 芽衣が壁新聞の張り替えをし、雪乃が返却本の山を抱え、蓮が生徒会の書類を持って歩く。春斗は、荷物持ちだ。

 その時だった。非常口の上の緑のランプが、一瞬だけふっと暗くなった。

「今の、見た?」

「見た」

 蓮が書類を片腕に寄せ、視線だけで四人の位置を確認する。

 廊下の奥、影が糸の束みたいにほどけて、黒いコートが三つ現れた。前回より少ない。少ないのに、気配は濃い。

「試し、だよね」

 芽衣が言う。声は落ち着いている。

 先頭の男が一歩前に出た。目は笑っていない。口は笑っていない。体だけが、ゆっくり笑っているみたいに、余裕の間を保っている。

「少年。確かめに来た。手を離しても、守れるかどうか」

 挑発は、火に油だ。油は燃えるけれど、火は選べる。

 春斗は雪乃の方を見ないで言った。

「守る。手をつないでても、つながってなくても」

「強がりは嫌いじゃない」

 先頭が手を上げた。指先に細い糸。糸は光らない。光らないけれど、見える。見るというより、感じる。

 ふわり、と糸が広がり、掲示物の角やドアノブや、床の白線に絡みついていく。

 踏めば足を取られる。避ければ隙が生まれる。いやらしい角度の罠だ。

「芽衣、音」

「はいよ」

 メトロノームではない。今度は手拍子。コツン、コツン、コツン。

 三呼吸。

 春斗は板を薄く置く。足の着地の前に半分だけ。全体ではなく、半分。

 雪乃の輪が、その半分の厚みに合わせて回転数を変える。輪は糸に触れる前に角度を変え、糸だけをすべらせる。

 糸は足を取れない。悔しそうに床の上で方向を変える。

 蓮がその糸の継ぎ目に足を置き、ほんの少し踏み込んで流れを止める。力ではなく、位置で止める。

 先頭が眉をわずかに動かした。次の手。

 今度は空気が重くなる。圧。

 春斗の胸が、わずかに押される。板を厚くしすぎない。薄く、でも確かに。

 圧が滑る。足が前へ出る。二歩目を置く。

 雪乃は輪を手元で一度だけ跳ね上げて、板の縁と輪の線を合わせた。面が生まれる。

 その面を、春斗は言葉で固定した。

「三呼吸。ここ。雪乃の左手、指二本分」

 言った瞬間、面の揺れが減る。

 先頭の男が、ふっと笑った。

「じゃあ、手をつながせてやらない」

 後方の二人が左右に散り、視界の端で飛び道具の準備をする。狙いは、手。

 握れない状況を作るのが、今日の“試し”。

 あえて、離す。

 春斗は雪乃と目を合わせた。

 頷く。離す。

 離した瞬間、心臓が空気を探す。でも、探すだけで、空になるわけじゃない。

「置ける」

 春斗は自分の足元に言い聞かせ、板を置いた。

 雪乃は輪をさらに小さくし、腕の動きではなく視線の角度で回す。

 芽衣の手拍子がリズムを刻む。

 蓮は、背中で二人を守るように斜め後ろに位置取り、相手の視線をこちらへ引きつける。

 飛び道具が、手を狙ってくる。速い。

 春斗は手ではなく、手の「間」を守った。

 板はそこに薄く、確かにある。

 飛び道具が板の前で角度を失い、床に刺さらずに弧を描いて転がる。

 先頭の男の目が少しだけ丸くなる。

 その瞬間、雪乃が前に出た。輪を線にほどき、相手の足の置き場をひとつ奪う。蓮がその空白へ滑り込み、肩の位置で進路を塞ぐ。

 芽衣は大きく手拍子を変えた。早い。遅い。また早い。リズムが崩れる。

 崩れれば、三呼吸が増える。

 増えた三呼吸を、春斗は板に変えた。

「そこ、止まって」

 短い言葉。

 板が一枚、二枚、重なる。重なりは厚みではなく、質。

 相手の肩が板に当たり、ずるりと滑った。

 先頭が冷たい笑みを消し、舌打ちを一度だけ。

 糸が切れ、圧が薄れ、廊下の空気が元に戻る。

「少年。手を離しても、守れたな」

「守ると決めてるから」

「なら、次は——繋いだ手を、離させる」

 言い置いて、三人は影へ戻った。

 姿が消えても、言葉は残る。約束の逆さまみたいな宣告。

 芽衣が大きく息を吐き、そのまま肩を回した。

「手を離させる、だってさ。離さない、でしょ」

「離さない」

 雪乃は、今度は自分から手を差し出した。

 握る。

 約束は、声で言う前に、手で置いた方が強い時がある。

     ◇

 夜。

 雷は鳴らなかった。静かな夜。静かな夜は、怖い夜だ。

 寮の部屋。先輩が窓辺でまた飴を並べている。今日の味はソーダだという。夜にソーダは元気が良すぎる。

「守るのは、うまくなったな」

「先輩、見てました?」

「風の話し相手は、校舎の全部を知っている」

「便利な友だちですね」

「便利な友だちは、だいたい不便な時に来ない」

 先輩の冗談に笑って、ベッドに座る。手の平を見る。さっきまでの手の温度が、まだそこに残っている。

 心配は消えない。消す必要もない。

 怖くても、逃げない。

 逃げないを、決めてから、動く。

 それだけで、眠れる。

     ◇

 朝。

 昇降口でいつもの顔ぶれがそろう。

 蓮が短く言う。

「今日からは、ふたりで一人前、じゃない。ふたりで二倍。そういう動きにする」

「倍、って響きがいい」

 芽衣が笑い、雪乃がうなずく。

 春斗は、手を差し出した。

 差し出した手に、雪乃の手が重なる。

 言葉はいらない。いらないけれど、言った方が強い時がある。

「もう一回、約束する」

「うん」

「怖い時、これを握る。負けそうでも、これを握る。離したくなっても、離さない」

「離させない」

 ふたりの声がそろった。

 それは宣言というより、準備の確認だった。

 教室へ向かう廊下で、クラスメイトたちがいつも通りの声を出す。

 「ノート貸して」「宿題どうした」「机運んで」「恋バナして」

 全部が、守るべき“いつも”だ。

 黒薔薇のボスが何を試してこようと、ここで守ることは変わらない。

 窓の外、空の青は昨日より濃い。

 春斗は胸の中に、板を一枚置いた。

 薄い。けれど、確かにある。

 手のひらには、もう一枚。

 約束の手。

 それがある限り、守りは広がる。

 負けない心は、繋いだ手の温度で、何度でも点く。

 今日も、決めてから、動く。

 アニメの次回予告みたいに、短くて強い言葉を、自分に向けて言う。

 ——離さない。

 その一言が、朝の光より先に、胸の奥で灯った。

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