第83話「ドキドキの偶然はだいたい仕組まれている②」
カイトの存在は、いつの間にか潮風の向こうへ消えていた。
インディの絶叫、写真撮影、ポップコーン争奪戦。 気づけば二人は、笑って、歩いて、また次のアトラクションへ向かっている。
レインは最高に楽しそうだった。 テンションは常に上限突破。 「次ここ!」「あ、あれも!」「ヤヤ君それ絶対似合うから被りなさい!」と、忙しない。
ヤヤはというと、珍しく文句も言わず、むしろ少しだけ笑っていた。 それはまるで、静かな湖に落ちた小さな石が、ゆっくり波紋を広げていくみたいな笑顔だった。
――その瞬間。
「……え?まじっ?!」
声がした。
場所は、メディテレーニアンハーバー近く。 ちょうどカフェの前、行き交う人の流れが一瞬緩む場所だった。
高校の制服ではない。 私服姿の女子が二人。彼女達はヤヤのクラスメイトだった。
そのうち一人が、目を見開いたまま固まっている。
「ね、ねえ……今の……」
「……うん」
「ヤヤ、だよね?」
「どう見てもヤヤ」
視線の先。 そこには、レインと並んで歩くヤヤの姿。
距離、近い。 自然。 楽しそう。
――致命的。
「ちょ、ちょっと待って待って待って」
「無理無理無理無理」
「心の準備できてない」
「え、彼女?」
「いや、でも年上っぽくない?大学生?!」
「ていうか普通に超美人じゃない?」
会話は、完全にバグっていた。
そして次の瞬間。 スマホが、静かに、だが確実に掲げられる。
カシャ。
「……撮った」
「送る?」
「送るでしょ」
「これは送らないとダメなやつ」
この写真がこの後、計り知れないくらいの影響を与えることを二人は知らなかった。
***
都内のカフェは、午前の終わりの時間帯に入っていた。
エスプレッソマシンの低い唸りと、カップが置かれる乾いた音。
そのすべてが、きれいに調律されたBGMみたいに流れている。
ユウヒは窓際の席で、本を読んでいた。
長い睫毛が落とす影。
ページをめくる指はゆっくりで、余裕がある。
一見すると、感情というものをコーヒーの底に沈めてしまったような、静かな佇まいだった。
――スマホが震えるまでは。
ピロン。
クラス女子グループLINEに通知。
(……えっ?珍しい~……なんだろ?)
すぐに確認する。
そこに写っていたのはとある写真の画像――
ディズニーシー。
青空。
人混み。
そして。
ヤヤ。
と、隣で楽しそうに笑うレイン。
……はっ?
ユウヒの脳内で、何かがカチッと音を立てた。
続けて、メッセージが流れ込む。
【女子A】
《これみてっ!》
【女子A】
《ヤヤ君、ディズニーいる!!しかも女連れ!!》
【女子B】
《えっ?ちょっと待って、普通に距離近くない?!》
【女子B】
《誰??すごい美人……》
【女子C】
《彼女かな?!ショックなんだけど》
【女子C】
《ヤヤって年上好きなの……?》
【女子D】
《結局顔とおっぱいかよ!!》
【女子E】
《あちゃー。ユウヒ……大丈夫?元気出して。》
「ふ、ふぅん……レインちゃん、そういうことするんだ~」
ユウヒは、ゆっくりとスマホを見つめたまま、微笑んでいた。
その笑顔は、春の花みたいに柔らかくて、
同時に、冬の湖みたいに冷たかった。
指が、静かに動く。
――グループLINEに、返信。
《あのさぁ~》
《これって普通に犯罪じゃない?》
《未成年に手をだす女とか、アウトじゃん》
《ヤヤ君、ピンチだよね?》
《私が犯罪者から助けに行かなきゃでしょこれ》
《心配すぎるから今から探してくるね》
送信。
数秒後。
【女子E】
《wwww》
【女子A】
《やばw》
【女子F】
《ユウヒ強すぎ》
【女子C】
《救世主現れた》
――既読が、流れていく。
ユウヒはスマホを伏せ、そっとコーヒーを一口飲んだ。
……苦い。
やけに、苦い。
(……でも、おかしい)
頭の中で、思考がゆっくり回り始める。
(ヤヤ君が、自分からディズニー行こうって言う?)
(ない! 絶対ない!)
(レインちゃんも……あの人、強気だけど)
(真正面から誘うタイプじゃない……もっと……こう……策略派)
――そこで。
一つの顔が、脳裏に浮かぶ。
競馬新聞。
タバコ。
パチンコ。
ニヤけた顔。
(……カイト君)
(あいつだ)
(100%あいつだ)
ユウヒの目が、すっと細くなる。
「……なるほどね~協力者はカイト君かぁ」
声は、甘い。
でも中身は、完全に氷点下だった。
そしてユウヒはすっと立ち上がり、カフェを出る。
スマホを取り出し、
迷いなく、通話ボタンを押す。
***
コンビニ前。
自動ドアの開閉音と、深夜アニメの宣伝ボイスが混ざる場所。
カイトは、壁にもたれながら煙草を吸っていた。
「ふぅ……」
今日の勝利を噛みしめながら、紫煙を吐く。
「いや~……俺、いい仕事したよなぁ……」
その瞬間。
――ブルルルル。
ポケットが震えた。
画面を見る。
《ユウヒ》
「……げっ」
思わず、変な声が出た。
「いやいや……まさか……な」
指先が、一瞬止まる。
(絶対バレてない!大丈夫……)
(お、俺は完璧だった)
(はず)
ゴクリと唾を飲み込み、通話に出る。
「……も、もしもし?」
『あ、カイト君?』
声は、いつも通り。
明るくて、優しい。
――だからこそ、怖い。
「お、おう。どうした?」
『ねぇ』
「ん?」
『ヤヤ君とレインちゃん、今日どこにいるか知ってる?』
「……え?」
一拍、遅れる。
「な、なんで?」
『ディズニーでデートしてる写真、回ってきたんだけど』
「……っ!!」
カイトの背中に、冷や汗が噴き出す。
「で、デートってほどじゃないだろ……」
『へぇ~』
声が、ワントーン下がる。
『じゃあ、なんであんなに距離近いの?』
「いや、それは角度とか……」
『なんで二人きりなの?』
「たまたま……?」
『なんで“たまたま”ディズニー?』
「……偶然?」
『なんで“偶然”が重なるの?』
「…………」
詰んだ。
完全に、詰んだ。
「い、いやな?聞いてくれユウヒ」
『うん』
「これはな、事故で」
『事故?』
「そう、不可抗力で」
『……ふぅん』
沈黙。
風の音だけが、妙に大きく聞こえる。
『ねぇ、カイト君』
「な、なんだよ……」
『正直に言って』
「……」
『仕組んだよね?』
「……」
『ね?』
「…………はい」
白状。
一瞬だった。
『やっぱり』
声は、静か。
あまりにも静か。
それが一番、恐ろしい。
「い、いや!でもな!」
カイトは慌てて弁解する。
「レインに頼まれただけで!」
「俺はただの仲介役で!」
「むしろ被害者で!」
『ふーん』
『じゃあ聞くけど』
「お、おう……」
『何かレインちゃんとの取引で了承したよね?』
「……な、なんで知ってんの?」
『女の勘』
カイトの膝が、少し震えた。
『ねぇ……私がヤヤ君のことが好きなの、もう気づいてるでしょ?』
「……はい」
『それを知ってて勝手に』
『レインちゃんと二人きりで……
夢の国に放り込んだ人って誰かな?』
「……俺です」
『うん。正解』
にこっ。
電話越しでも分かる、
満面の笑顔。
でもその裏で、何かが壊れている。
『大丈夫だよ。怒ってない』
「ほ、ほんとか?!」
『うん。全然。
でもちょっとだけ……あとで……お話しするだけ』
「……お、お話?」
『うん。ゆっくり……逃げないでね?』
「……はい」
通話終了。
ツー……ツー……。
カイトは、スマホを見つめたまま、立ち尽くした。
「……俺、生きて帰れるかな」
煙草が、地面に落ちた。
パチ、と小さな音を立てて消える。
その頃――
ディズニーシーでは、
何も知らないヤヤとレインが、
ポップコーンを分け合って笑っていた。
それは嵐の前の、
最高に平和な午前の終わりだった。




