第62話「夕焼けに刻む永遠の弾」
「ケイ……! どうしてここにっ!? 国会議事堂へ向かったはずでは――!」
声を震わせたシルファは、目を大きく見開いた。ここにいるはずのない夫の姿に、息さえ止まる。
ケイは、ゆっくりと彼女へ振り返った。戦場の空気をまといながらも、その瞳だけは驚くほど穏やかだった。
「ん? 向こうの戦いならもう終わった。国会議事堂の前にキョウがいてな。二人で片をつけたら、思ったより早く終わったんだ。」
「そうでしたか……あなたが無事でよかったです。」
「はは。当たり前だろ?俺は誰にも負けねぇよ。」
自信に満ちた口調。それだけで、シルファは自然と安心する。
「それより、シルファ……」
ケイは説明を切り上げ、再び前方――少し離れた位置で構えるトワへ視線を移す。背中越しに、シルファへと言葉を投げた。
「ここから先は俺がやる。……お前は俺が守るから。」
「っ……は、はい……!」
たった一言で胸の奥を掴まれたようになり、シルファは思わず頬を染め、かすかに息を漏らした。
彼女にとってその背中は、昔と変わらず――どんな絶望を前にしても明るく照らす太陽のような存在だった。
だが、そんな温度とは対照的に。
トワはケイが放つ“圧”に晒され、目の色を露骨に変えていた。
肌を刺すほどの威圧。息を飲む間もない、戦士としての本能が警鐘を鳴らしてしまうほどの力。
「このプレッシャー……茜坂ケイ。噂以上、か……」
「決着をつけようぜ。トワ。」
トワの喉が、ごくりと鳴った。そして先手を仕掛ける。
「ジャスティス最強の男だろうと、これは防げまい!!《セブンス・ノーツ》!!」
トワが叫んだ瞬間、空気が弾けた。
七つの色を帯びた小型爆弾が、ケイを中心に円陣のように並び、じりじりと火花を散らしながら回転を始める。
各爆弾は、高密度の異能を圧縮した“殺意の核”──通常なら、視界に入っただけで死を覚悟する代物。
だが。
ケイは歩みを止めない。
七色の爆弾たちが解き放たれようとする刹那、
ケイの周囲に“炎”がふわりと揺らめき始めた。
紅い炎が逆巻くでもなく、静かに沈むでもなく、
まるで“意志をもった生き物”のように収束し――
ケイの掌で、三叉の形を取っていく。
《八咫叉》──紅蓮の炎を纏った巨大なフォークが、再び顕現した。
蒼でも朱でもない、
“血と夕陽の境界”のような深い紅蓮の炎が、かすかな震えを伴って刃のラインを描く。
ケイが軽く手首を返した。
紅蓮の一閃。
バチッ。
爆発音ではない。
光が砕けたような小さな破裂音だけが、凍った空気に走る。
次の瞬間――
七つの爆弾は、すべて“跡形もなく消滅”していた。
「無駄だ。」
「くっ……またっ?!……そのフォークは一体っ?!」
トワの声は、途切れた悲鳴のようだった。
自分の異能が“存在しなかった”かのような、根源的な恐怖が背骨を氷のように冷たく這い上がる。
爆発は起きなかった。
破壊もなかった。
七色の光は、“生成された瞬間に、概念ごと否定された”。
ケイが静かに言う。
「神器……《八咫叉》は、“異能そのもの”を焼却する。お前の爆弾なんざ、火種にもならねぇ。」
「……はっ……?」
ケイはトワの動揺など眼中にない様子である。
紅蓮の炎が渦を巻き、三叉のフォークがさらに濃度を増していく。
トワが歯を食いしばる。
「そんなことあるはずがないっ!!《クワドラ・ブラスト》!!」
四方向に同時に爆弾が生成され、ケイを囲む。
さっきよりも大きく、不安定で、焦る心がそのまま形になったような歪な爆弾たち。
だが。
ケイがフォークをひと振りするたびに――
爆弾は、煙どころか影すら残さず霧散していく。
音もなく。
抵抗もなく。
まるで最初から“存在を許されていなかった”ように。
続けざまに八連爆破。
トワの切り札のひとつ。
しかし、ケイが一歩踏み込むだけで、
八つの爆弾はすべて、紅蓮に触れる前に“消えていた”。
「……ッ……ッ! 嘘だ……!?
どうして……消える……!? 僕の爆弾が……ッ!異能を打ち消す情報なんて聞いていない!!」
震えが喉を締めつけ、息がうまく入らない。
ケイは薄く笑う。
「そりゃそうだろ。」
一歩、また一歩と近づくたび、空気が悲鳴をあげるように震えた。
紅蓮の《八咫叉》が、夕焼けを濁すほど赤く燃えた。
「俺が“本気”で戦った時、生き残った奴はいない。
だから記録なんて残らねぇのは当たり前だろ?」
トワの全身から血の気が引く。
“情報がなかった”のではない。
“伝える者が、誰一人残らなかった”だけ。
その事実に気づいた瞬間、足元から崩れ落ちそうになる。
ケイは《八咫叉》を構え直し、淡々と告げる。
「てめぇはここで死ぬ。そして日本の平和を取り戻してみせる。」
「こんな……認めない!!僕はぁぁっ!!」
トワは半狂乱のように叫び続ける。
「《メガトンクラウン!!》
《連鎖爆誕!!》
《アトミック・スフィア!!》」
だがケイの紅蓮の一振りで、
生まれた瞬間にすべて無音のまま霧散する。
その光景は、もはや戦闘ですらなかった。
“爆弾が生まれた瞬間に打ち消される儀式”。
トワの顔から、生気が完全に失われていく。
「こ、ここで終わるのか……?僕が10年かけて練った計画がっ!!全てがっ!!」
膝が震え、嗚咽が漏れる。
ケイは紅蓮の炎を揺らめかせながら、静かに告げた。
「……終わりにしよう。トワ。」
その声には感情がなかった。
ただ、絶対の死だけがあった。
ケイの言葉が落ちた直後だった。
トワの瞳の奥で、
何かが“ぶつり”と千切れた。
次の瞬間――
「うああああああああああああああああッ!!」
悲鳴とも咆哮ともつかない声が、官邸前の空気を裂いた。
トワの体表に、異様な“泡立ち”が走る。
皮膚が膨れ、ひび割れ、ただの爆弾生成ではない“内側からの圧力”が迸る。
ケイの目が細くなる。
「……暴走か。」
トワは爛れた息を吐きながら、呻くように言葉を吐き出した。
「あはっ!あははははははっ!!!もう……いい……!だったら!!だったらぁああ!!」
肉が裂けた。
そこから噴き出したのは血ではなく、
七色に瞬く“純粋な爆弾物質”。
それは臓器のように脈打ち、泡立ちながら増殖していく。
手足が崩れ溶け、人間としての肉体を失っていく。それはまさに“爆弾そのものに変わる”という禁忌の自己変質。
トワの声が溶ける肉の隙間から無理やり響く。
「僕の……ぜんぶ……全部だ!
東京なんて……ひと吹きで……消してやる……!」
七色の光が火花を散らし、
トワの身体は確実に爆弾のカウントダウンを刻んでいた。
ドクッ。
ドクッ。
ドクッ――。
地鳴りのような圧力が空間を押し潰す。
ケイの頬をかすかに風が裂き、
アスファルトが蜘蛛の巣状にひび割れていく。
トワの体の内側に“世界を焼き切る光”が渦巻いて、空間そのものがゆらぎ始めた。
「……さっきも言ったが俺はあらゆる異能を打ち消せる。」
「あはっ!!無駄だよぉぉ?!これはあらゆる事象に干渉されない自爆だからねぇぇ!!!みんな道連れだぁぁぁあああ!」
「なんだとっ?!」
ケイは《八咫叉》を強く握り直す。
紅蓮の炎が、刃の根元で濃く脈打った。
この時初めてケイは動揺を示す。
「くっ!どうする!!」
「あはっ!あははははははっ!!!!」
トワは狂ったように笑みを浮かべながら、破裂寸前の光を全身に巡らせた。
赤・青・黄・紫・緑――
目が焼き切れるほどの多色光が、まるで太陽のような輝度で膨れ上がる。
爆発の“ゼロ秒”が――
静かに、確実に、訪れようとしていた。
そんな中、シルファはケイの背にそっと近づいた。
胸の奥からせり上がる、焦りとも決意ともつかぬ熱――彼女はそれを押しとどめることなく、静かに口を開いた。
「ケイ……私たちも――切り札を使いましょ。」
ケイの肩がわずかに揺れる。
トワとの距離を測りながら、彼は短い沈黙を落とした。
風の音だけが、夕焼けの中でかすかに鳴る。
「……そうだな。」
低く、腹に響く声だった。
「奴を止めるには――あれしかない。」
ケイは翼の紅蓮の炎を不規則にノッキングしながらシルファの方へゆっくりと振り返る。
トワは不思議な行動をとるケイを見て、咄嗟に叫ぶ。
「何をしても無駄だぁぁぁぁ!!」
ただの異能の膨張ではない。
もっと本質的な“何か”が動き出そうとしている気配。
シルファは一歩近づき――ケイの胸に手を添えた。頬を赤らめながら静かに想いを伝える。
「ケイ……私はたとえ一度死んで、生まれ変わって……記憶を全部失っても……
それでもきっと、またあなたを好きになる。
何度でも。何千回でも……私の心は、永遠にあなたのものです!」
ケイはシルファの瞳をまっすぐに見つめ返す。
「シルファ……俺も同じだ。
この命が尽きても、生まれ変わって次の命が始まっても……俺は変わらない。
世界が全部変わっても、お前への想いだけは揺るがない。
ずっと、ずっとお前を愛してる!」
二人の誓いは、まるで運命そのものに刻まれるように静かに、強く響いた。
「あなたに……力を……」
シルファは背伸びし、そっと――彼の唇へ自分の唇を重ねた。
キスの瞬間、世界が震えた。
大気が爆ぜるような音が響く。
次いで――
紅蓮の火炎が、一瞬で蒼へ変わる。
蒼炎は獣のように渦巻き、ケイの全身を包んだ。
灼熱なのに、どこか澄みきった冷たさを孕んだ蒼。
「はっ……?」
トワが後ずさる。
明らかに桁が違う“圧”が、戦場そのものを塗り替えていた。
ケイの右手に蒼炎が形をとり始める。
それは――銃だった。
蒼い光を宿す、炎の銃。
その銃を握るケイの手に――シルファの手がそっと重なる。
互いの呼吸が重なり、鼓動が重なり、力が重なる。
そして二人の手から蒼炎がゆっくりと立ち上る。
トワの顔が蒼白になる。
「ま、待て……なんだそれは……!?!?
……何をした……!!」
ケイは何も答えなかった。
ただ、蒼く脈打つ炎をまとった銃口を、静かにトワの心臓へと向ける。
その瞳には――戦いの激情も憎悪も存在しない。
あるのはただ、「愛する者を守る」という一点に収束した、揺るぎない意志だけだった。
「行くぞ!シルファ!」
「はい!!ケイ!」
二人の声が、美しく重なる。
「「蒼婚焔弾ッ!!」」
――蒼炎が咆哮した。
夫婦の誓いそのものが具現化したような蒼い閃光が、世界を裂きながら飛び出す。
音より速く、光よりまっすぐに。
蒼の軌跡は揺らめき、まるで二つの魂が重なって放たれたかのように輝く。
そして――
その弾丸は迷わず、正確に。
トワの心臓へと突き刺さり、蒼炎の花を咲かせた。
それはまさに、
“夫婦が共に放った、永遠の誓いの弾丸”だった。




