第14話「黒蓮幇(Hei Lian Bang)」
夜のノクターンはいつもの低い温度で空気を保っていた。ネオンが窓を薄く赤く染め、カウンターには琥珀色のグラスがいくつか並ぶ。ヤヤはまだ胸の内に花の香りを残したまま、ドアを押して中へ入った。
「ただいま」
「おっ、帰ってきたな、ヤヤ。」
カイトは奥の席からタバコをくゆらせ、いつものように腰をのけ反して言った。黒いスーツが闇に溶け込む。
「遅かったわね?どこかで雨宿りしてたの?」
とレインがゆっくりと近づいてくる。
ヤヤは無意識に目を伏せ、髪の先を手で払った。その顔に、確かに薄い紅が差している。
「別に」
言葉を短く吐くヤヤに、レインの目がぴくりと反応した。彼女は不思議そうに首を傾げる。
「ヤヤ君、顔赤いけどどうしたの?」
レインの声はまっすぐで、慰めでもからかいでもなく、ただの観察だ。だがヤヤの胸は一気に速くなる。
「な、なんでもない!」
慌てて否定するヤヤの声が、カウンターの静けさを破る。グラスが軽くカランと鳴った。
カイトが含み笑いをし、薄く目を細めた。
「おっ!間違いねぇー!女だな!」
そのカイトの一言に、店の空気がふわりと揺れる。ヤヤは顔をさらに赤くして、抵抗の言葉をあげる。
「ち、違う!勘違いすんな!」
ヤヤはもう言葉にならないほど狼狽して、拳をぎゅっと握った。心臓の下で何かがふつふつと熱を帯びている気がした。
レインはそれを見て、目を大きく見開いた。驚きと、絶対に認めたくない混乱が入り交じった表情だ。口元が変に引きつる。
「ふ、ふぅん……で、でもさすがにそれはないんじゃない……?カイト。ヤ、ヤヤ君はそこら辺の女は眼中にないと思う!というか私以外の女に興味ないわよ!」
「さてどうだろうな……くっくっく。ヤヤもお年頃だねぇ~」
「ま、まぁ……一応念には念をその女を殺しにいこうかしら」
彼女は明るい笑みを浮かべながら物騒なことを言う。声は平然としているが、その言葉のトーンがどこか刃物のように冷たい。場の空気は一瞬、鋭くなる。レイン自身が自分の言葉に驚いているようでもある。ヤヤはその言葉にさらに顔を赤らめ、否定より先に戸惑いが口をついて出た。
「だから!ち、違うって……!」
そのとき、カイトが煙草の灰を軽く落としながら片眉を上げる。
「つれぇのう、お前ら。まあいい。お前が楽しそうなら俺も酒が美味くなるってもんだ」
そう言ってグラスを掲げる。カイトの言葉に、店内は一瞬だけ和やかな空気に包まれた。だがその和みを断ち切るように、ノクターンの入口の扉が静かに開いた。
「みんなもう集まったようだね」
入ってきたのは、いつものように冷ややかな微笑を浮かべたボスである天草キョウだった。店内の灯りが彼の輪郭を淡く掬い上げる。
「ボス。お帰りなさい!」
「お疲れ様です。新しい仕事ですか?」
レインが反応した後、カイトが呼び出した理由を尋ねる。
キョウはカウンターに歩み寄り、静かに座った。目はいつも通り──深く、何かを測るような光を湛えている。キョウはヤヤがいつもと違うことに気づき尋ねる。
「ん?ヤヤ。何かいいことでもあったのかい?ずいぶん嬉しそうじゃないか」
「……いや特に。大したことじゃない」
カイトが吹き出し、レインがムッとする中、ヤヤはそっぽをむきながら短く答える。
「ふっ……まぁいいとしよう。それより新たな仕事の話をする。それは黒蓮幇(Hei Lian Bang)に関することだ」
言葉は淡々としていたが、その内容は重かった。店内の空気が凍る。
「黒蓮幇……あの中国の組織ですか?」
カイトの声に、何かの歯車が回り始めたような緊張が走る。
「そうだ。奴らが動きだした。情報網から、ここ数週間で我々の足跡を追っている痕跡が観測された。彼らの目的ははっきりしている。――我々『ジャスティス』の壊滅だ。『ジャスティス』は日本にとって最大の国家戦力であるため邪魔なのだろう」
レインの表情が強張る。ヤヤの拳が、ゆっくりと爪を立てるように握られた。
「そして単なる牽制で済む相手ではない。彼らは“対立”を選択した。こちらを消すために、手段を選ばないだろう」
キョウはカウンターの端に肘をつき、深く息を吐いた。
「更に悪い知らせだ」──キョウは紙を一枚取り出し、三人に差し出した。そこには断片的な情報がまとめられている。
「潜伏工作員が既に日本へ送り込まれている。コードネームは『Lùhuā(露花)』。年齢性別は不明。特殊任務班の精鋭らしい。戦闘能力が特に高く、情報によれば、アウトロートリガーの力を持つ者の一人であるそうだ」
「ヤヤ君と同じ神銃使い……」
そのキョウとレインの一言で、ヤヤの肩の筋肉がピクンと反応する。アウトロートリガー──七挺の神銃。あの名が出るだけで、場の温度が変わる。
「つまり、相手はただの工作員じゃない。とびっきり強力な異能を行使する者だ。接触して情報を引き出してから始末してほしい。これが今回の仕事内容だよ」
「今回はかなり厳しい戦いになりそうね……」
「そうだな」
レインとカイトがそんな反応をする中、キョウは表情は相変わらずいつも通り冷静そのものだった。
「Lùhuāの戦闘スタイルはどんな感じなんですか?」
この質問をしたのはレインだった。キョウは短く頷き答える。
「詳しくはわからない……だが一つだけ確実にわかることがある。それは植物を操る力を持っていることだ」
「中国……植物……花……」
ヤヤは誰にも聞こえない声で独り言を呟く。
(……そんなはずはない。偶然だ。あってたまるか……)
なんという偶然か──あるいは、運命か。黒蓮幇の潜伏工作員の記述が、自分がこの前に出会った少女の一部分と重なりだす。
「情報源の信頼度は?」
とヤヤが問うた。
「高い。向こうの影響力のあるルートからの確証だ」
キョウはそう答え、話の要点をまとめる
「要約してもう一度言うが奴らは『ジャスティス』を根絶やしにするために、アウトロートリガー使いの能力者を送り込んだ。ここからは守りを固めるか、先に動いて疑いのある者を炙り出すかだ」
キョウは三人を見回した。
「現段階での命令は“情報収集”と“内部の警戒強化”。だが、状況次第では攻撃に転ずる。全員、身を引き締めてくれ」
言葉を受けて、店内の空気はさらに締まった。カイトは煙草を深く吸い、灰を落とす。レインは黙ったまま短く唇を噛んだ。ヤヤは拳を握りしめ、目を細めた。
「それと、念のため言っておく。Lùhuāは潜伏任務に長けている。表の顔を上手く演じるだろう。警戒の目は徹底しろ。敵は、こちらの“油断”を最も好む」
キョウの最後の一言が、三人の胸に重く落ちた。
ノクターンの窓外では、表参道の街灯が静かに瞬いている。そこに見え隠れするネオンの群れは、今やただの風景ではない。暗い作戦の前兆のように、彼らの視界に入ってきた。
「了解だ」
カイトが最後に言い放つ。レインも小さく頷く。ヤヤは言葉は出さなかったが、内側で何かが決意を固めるのがわかった。
キョウはグラスに手を伸ばし、そっと琥珀色の酒を飲み干した。
「じゃあ、そろそろ次の仕事の準備を始めるとしよう」
──その声は、まるで静かな嵐の前触れのようだった。




