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第11話「碧海財団」

薄暗いネオンに照らされた『ノクターン』のカウンター。

ウイスキーの琥珀色が静かに揺れる。

キョウが静かに一枚のファイルを差し出した。


「……次の仕事だ」


黒いバインダーには、青い波紋のようなロゴ――

碧海財団へきかいざいだん”。


「医療と教育を掲げる巨大財団だ。表向きは慈善事業。だが裏では、異能者の解剖と再構築実験を繰り返してる」


レインが眉をひそめる。


「異能者の……解剖?」


「人体実験だ」


キョウの声には一片の感情もない。


「しかも、実験対象のほとんどは“孤児”や“行方不明者”だ。莫大な裏金も流れてる。証拠は掴めないが、確実に黒だ」


ヤヤはファイルを開く。

中には、番号タグを付けられた少年少女たちの写真。

その肌には奇妙な文様――焼印のような紋様が刻まれていた。


「……これは」


「碧海財団・研究主任、橘ナオト。彼が元凶だ。人間を“素材”として扱う悪魔みたいな男だよ」


キョウは言葉を切り、グラスを置いた。


「この任務、正面突破は無理だ。潜入して、ナオトを抹殺。研究データはすべて消去するんだ。それが今回の依頼だ」


三人は立ち上がった。皆決意に満ちた表情をしている。どうやら覚悟が決まったようだ。


「ま、地獄行きの医者を燃やすのも悪くねぇ。レイン、ヤヤ。引き受けるぞ」


「ええ。私達三人なら無敵よ。さっさと仕事終わらせましょ」


「ああ。俺は報酬額さえ高ければどんな仕事でもやってやるさ」


--

次の日の夜、湾岸区の地下に隠された巨大研究施設。

白い壁、冷たい蛍光灯。無数の培養槽が並び、青い液体の中で人の形をした影が揺れていた。


レインが小声で呟く。


「……まるで墓場ね」


ヤヤは眉を寄せ、目を細めた。


「違う。まだ……生きてる」


彼の視線の先、ガラスの中で瞼がかすかに動いた。

その瞬間、アラームが鳴る。


「侵入者発見――」


白衣の警備員たちが銃を構え、一斉に発砲。

カイトが煙を吐き、瞬時に三人の姿を霞ませた。


「よし、透明化完了。やれ、ヤヤ!」


ヤヤは闇から闇へと滑り出す。

蜉蝣の銃を生み出し、闇弾をイメージする。銃口は漆黒の渦を宿したように震える。


「――無駄に命を奪う趣味はない」


弾が静かに、音もなく放たれる。黒い軌跡が空気を裂くのではなく、まるで夜の帳が一枚落ちるように空間を滑っていった。命中した瞬間、甲高い悲鳴も血しぶきも起きない。ただ、当たった者の瞳がゆっくりと遠くを見つめ、肩の力が抜けていく。まるでふいに深い眠りに落ちたかのように、銃を握る手が緩み、足取りがふらつき、その場に膝をついてしまう。


小さな表情の変化──安らかな夢に触れた者だけが浮かべる、奇妙な微笑がいくつも生まれる。闇弾は相手の意識だけを攫い、身体は危害を受けないまま沈黙する。周囲にいた警備員たちは、次々と硬直して床に崩れ落ち、静寂だけが残った。


レインが即座に傘を振りかぶり、眠った者たちを絡め取るように動線を封じる。カイトは煙を吐きながらそっと近寄り、倒れた男たちの息を確かめると、肩をすくめて薄く笑った。


「ヤヤの甘さに感謝するんだな。しばらくそこで寝てろ」


--

「この下が制御室みたいよ! データはそこね!」


レインの言葉にヤヤとカイトは頷き、急いで階段を下りる。


その先――

白衣を着た青年が待っていた。

端正な顔立ち。だが、笑みは歪んでいる。


「来たか。侵入者どもめ。」


橘ナオト。

手には銀の注射器。

体表には無数の縫合痕――まるで自分自身を実験台にしているようだった。


カイトは怒りに満ちた顔でナオトに尋ねる。


「なんでこんな非人道的なことをしやがる?」


それに対してナオトはやれやれといった表情で返事を返す。


「はぁ……やはり凡人の頭脳しか持たない君達では僕達がやろうとしていることはわからないみたいだね。君たちは誤解している。僕らは人間を殺しているんじゃない。進化させているんだ」


「進化だと?自分の都合で他人を壊すのを、進化とは言わねぇよ」


「人類の進化に多少の犠牲はつきものさ。僕らはね。人類の不老不死を目指してるのさ。そしてその可能性を秘めているのが能力の覚醒者なんだ。だからこそ彼らを解剖と再構築実験を繰り返している」


『!!』


「不老不死を目指す」という碧海財団の真の目的を知り、三人は言葉を失う。そんな三人を見てナオトはニヤリと笑みを浮かべ話を続ける。


「どうだい?魅力的だろ?不老不死だぞ?あらゆる生き物は老化し、いずれ死ぬ運命にある。だからこそ僕らはね、その死という恐怖から人々を解放したいのさ」


カイトとレインが黙ったままの中、ヤヤははっきりと言う。それはナオトにとって全く理解できないものだった。


「くだらねぇ……不老不死なんて俺は望まないね」


「……はっ?……お前死ぬのが怖くないのか?それとも頭の悪い劣等人種には自分がいつか死ぬとわからないというのか?バカな……」


ナオトは目を見開き、驚きのあまり一歩後退りする。それからカイトとレインもヤヤに続いてナオトに言う。


「俺も不老不死などごめんだ。誰もがお前らと同じだと思ってんじゃねーよ」


「私もよ。死ぬのが怖いわけじゃない。毎日頑張って何か生きた証を残せば必ず人の心の中で生き続けるって信じてるから」


迷いのないヤヤ、カイト、レインの表情を見て、ナオトは怒りを露にする。


「理解不能理解不能理解不能!!!わからないわからないわからない!!!死んだら全て終わりなんだぞ?!なぜその運命を回避できる可能性があるかもしれないのに手を伸ばさない?!……あー、そうか!!わかった!わかったぞ?!お前らは人間じゃない!!ただの猿だからわからないのか!?アハハハハっ!!!不愉快だぁぁ!」


ナオトは狂ったように笑いながら、銀の注射器を自らの首筋に突き立てた。


「――これで……完成だ……!!」


液体が血管を駆け抜け、全身が光に包まれる。

皮膚が波打ち、縫合痕が次々と再生していく。

次の瞬間、彼の瞳孔が開き、狂気と歓喜が入り混じった叫びが響いた。


「成功……成功だぁぁ!これで不老不死!!俺は神になったんだぁぁ!!」


彼の手がヤヤたちに向けられる。

伸ばされた指先が空気を震わせ、そこから黒い靄が滲み出た。

触れた金属が一瞬で錆び、崩れ落ちる。


「これは……!!」


床に触れた瞬間、金属の床が灰となって散る。

ヤヤ、カイト、レインの三人は反射的に距離を取った。


「おい、マジかよ……触れたら終わりじゃねぇか」


カイトが歯噛みし、煙のヴェールを展開する。

だがその中を、ナオトの影が異様な速度で迫ってくる。

レインの攻撃が掠めても、肉体は瞬時に再生していく。

血も出ない。痛みもない。


「な、なんでよ?!攻撃が効かない?!」


「無駄無駄無駄ぁぁ!俺はどんなダメージも一瞬で回復するぅぅ!!」


狂笑が響く。

それは人間の声ではなかった。


ヤヤは静かに息を吸い込み、カイトとレインを振り返った。


「……俺がやる」


二人が何か言おうとしたが、その瞳に宿る覚悟を見て言葉を飲み込む。

ヤヤの掌に、闇が集まり始める。

黒い炎のような粒子が収束し、蜉蝣の銃が形を取る。


「――イマジンバレット」


闇弾が生まれる。

それは殺すための弾ではない。

終わらせるための弾だ。


「くだらん。そんな玩具で――!」


ナオトが跳ぶ。

床が砕け、白衣の裾が闇を裂く。


ヤヤは迷わず引き金を引いた。


――沈黙。


弾丸は光ではなく、影のように走る。

そして、ナオトの胸を貫いた瞬間――


彼の足元に、黒い穴が開いた。

まるで宇宙そのものが口を開けたような、無音の闇。


「な、なんだこれは……っ!? 身体が……沈む!? やめろぉぉ!!」


ナオトは必死に手を伸ばす。

だが触れた壁は砂のように崩れ、闇がそれを飲み込む。

その姿はもはや人間ではなかった。


ヤヤはその光景を見つめ、儚げに呟いた。


「たしかに人はいつか死ぬ。だが――永遠に生きることができないからこそ、皆、誰かを愛し、その一瞬一瞬を精一杯生きるんじゃないのか?俺はそれこそが人生だと思うよ」


「いやだ……死にたくない……死にたくない……! 俺は神だ!不老不死なんだ!やめろぉぉぉ!!」


叫びは闇に吸い込まれ、完全に消えた。


静寂。


蛍光灯がちらつき、遠くで水の滴る音が響く。

レインが息を吐いた。


「……死んだの?」


ヤヤは銃を下ろし、首を横にふる。


「死んじゃいない。ナオトは――宇宙にとばした。

あの闇の中は、星も空気もない。でも時間だけは流れ続ける。永遠に、な」


カイトが目を細めて煙を吐く。


「……不老不死ってのは、確かに叶ったわけだが……」


レインは哀しげに微笑んだ。


「でも、宇宙の中で永遠に一人きり……。私だったら耐えられないかな」


「俺もだ」


三人はしばし黙ったまま、静かな光の下で立ち尽くす。

冷たい白い部屋の中に、わずかな温もりが残っていた。

カイトが軽く笑い、背を向けた。


「さ、帰るか。データを消して報酬もらわねぇとな」


レインが肩をすくめて歩き出す。


「まったく……地獄の医者退治、割に合わないわね」


ヤヤは最後にもう一度、黒く沈んだ床を見下ろした。

そこにはもう何も残っていない。


「……永遠の闇の中で罪を償いやがれ」


そう呟いて、闇の銃を消した。

三人は静かに背を向け、地上への階段を上がっていった。


外の夜風が、かすかに髪を揺らしていた。


――湾岸区、深夜零時。

『碧海財団』研究施設、壊滅。


ただ、青白い光だけが、廃墟の中に残り続けていた。

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