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一 : 命を削りて尽くす忠-(8)踏み切れなかった真意

 奥へ下がった父の元に戻った利長だが、そこに居たのは海千山千の猛者を黙り込まらせる程の威厳に満ち溢れた大老筆頭ではなく、脇息に凭れる事で辛うじて座位を保つ余命間近の老人だった。体裁を(つくろ)うのに残された体力・気力を搾り取られ、憔悴(しょうすい)し切った父は搾り(かす)みたいである。傍らに控える右近も利家の身を案じている様子だった。

「……皆は、どうしておる?」

 肩で息をしながら訊ねる父。その痛々しい姿に胸を痛めながら利長は答える。

「夜も更けてきましたので、屋敷へ戻った者が七分、万一に備え大広間に詰める者が三分、といったところでしょうか」

 利家を慕う清正や家康に唯一対抗出来る存在と認める三成などが残っており、様子見していた者達はやる事も無いので帰った感じだ。

 その報告を受け父は「そうか……」と一言。暫く沈黙が続き「のぅ、孫四郎」と父が呼ぶ。

「有り(てい)に申せば、今こちらから伏見へ攻め寄せれば余程のヘマを犯さなければ十中八九勝てる。治部が申した通り、先々を見据えれば内府は確実に除くべきだ。奴は、豊臣家の大老筆頭の地位で満足するような男ではないからな。必ず、豊臣家へ牙を剥く」

 ゼェゼェと荒い息を吐きながら、父は自らの本心を語る。その言葉に利長は驚愕した。先日の評議や先程の大広間で話した内容と真逆である。

「では、何故(なにゆえ)……」

 その真意を質した利長に、利家は息を整えながら答える。

「内府を討つのは容易(たやす)い。問題は、その後だ」

 直後、父はゴホゴホと咳をする。右近は小姓に急いで白湯(さゆ)を持って来るよう指示を出す。慌てた様子で運ばれてきた白湯で喉を潤し(ひと)心地ついた父は、説明を続ける。

「奴は関東二百五十万石の太守、端的に言えば天正十八年の北条征伐を再び行うようなものだ。あの時の北条は小田原に将を一極集中し他の城は要衝以外を留守居に任せたが、そのような愚は犯すまい。精悍(せいかん)で知られる三河武士に信玄の薫陶を受けた旧武田家臣、関東の覇者に押し上げた旧北条家臣と駒も揃っている。前回の如く江戸を囲み降伏を待つやり方は通用せん。厳しい戦いになるのは必定だ」

 父の言葉に、利長は想像しただけで寒気がする。当主たる家康が討たれれば、徳川家臣は弔い合戦に躍起となろう。北条征伐は大軍の包囲に“小田原評定”と揶揄(やゆ)された空虚な議論ばかり続け具体的な方策を決められず、最終的には根負けする形で降伏したが、徳川は違う。西・北陸・奥羽の三方向から十万を超える大軍勢で侵攻しても徹底抗戦は確実で、いつ決着するか見通せない泥沼の争いになると考えただけで気が滅入(めい)る。

 白湯を一口含んでから、父はさらに続ける。

「徳川だけでない。伊達や最上、黒田など内府に味方する連中も倒さねばならぬ。そうなれば日ノ本は乱世に逆戻りだ。力ある者のみ生き残る時代になれば上様はどうなるか。かの三法師君の如く家を残せれば(おん)の字、最悪“自らの邪魔になる”と消されかねない」

 家康のみならず、秀吉に恨みを抱いたり家康を次の天下人と見込み接近した者達も討伐の対象となる。北条征伐は奥羽諸将も期間中に降伏したので北条家のみ倒せば済んだが、日ノ本各地各地に戦の火種が()かれればどうなるか。秀吉が築いた法と秩序による安寧(あんねい)は崩壊し、戦乱の世が復活する。

 父が触れた“三法師”とは、天正十年六月の本能寺の変で信長と嫡男・信忠が同日に死亡し、清州で開催された重臣達による会議を経て織田家の家督を継いだ信忠の嫡男である。しかし、この時三法師は僅か三歳。あくまで傀儡(かいらい)で、実権は秀吉が握った。それから秀吉が天下人となり主従は逆転するも、元服した秀信を粗略に扱わず織田家本貫の地である美濃・岐阜十三万石を与えている。

 ただ、秀信はまだ幸せな方だ。織田家の継承権を保持していた信長の三男・信孝(のぶたか)は自害に追い込まれ、次男・信雄(のぶお)(“のぶかつ”とも)は北条征伐で職務不遵守(じゅんしゅ)を理由に改易の憂き目に遭っている。秀頼も同じ道を辿る可能性は十二分にある。

「そして一番は……徳川追討で軸となるべき総大将が居らぬ事が、何より口惜しい」

 とても悔しそうな表情で父は脇息の肘置きを拳で何度も叩く。その瞳には涙が浮かぶ。

 その光景に、利長は口から出ようとした「父上が居らっしゃるではありませんか」という言葉を呑み込む。言えば、目を背けたい現実を直視しなければならぬと直感したからだ。

 その心中を知ってか知らずか、父は続ける。

「安芸中納言は“事(なか)れ”な性格で腰が据わらず、会津中納言は義の人なれど交友が薄く、備前中納言は若年で神輿とするには軽過ぎる。かと言って治部が手を挙げれば家中は割れる。儂にあと五年、いや三年の寿命が残されておれば……」

 唇を噛む父の瞳から、一(しずく)の涙が(こぼ)れる。体が震えているのも悔しさや無念さから来るものだろう。

 利長も、右近も、そして父も分かっていた。利家の命が、もう永くない、と。使命感と責務で辛うじて持ち(こた)えているだけで、本来なら第一線から退(しりぞ)き安らかな日々を送りながら余生を過ごすべきなのだ。それを許さない立場と状況が、利家の余命を削っている。その事実に、皆一様に黙り込む。ポン、ポンと力なく脇息の肘置きを叩く音だけが室内に響く。

 どれくらいの時間が過ぎたか。不意に叩くのを止めた父が「孫四郎」と呼ぶ。

「奴は勝ち目は薄いと分かっておる。しかし、自ら拳を振り上げた手前、下ろす機を失っている。こちらからそれとなく和睦したい旨を伝えてくれ。そうだな……越中守がよかろう」

「畏まりました」

 父の指示に(うやうや)しく利長は応じる。

 忠興は前田家の縁戚ながら忠興の父・幽斎は伏見の徳川屋敷へ駆け付け、二股をかけていた。そして、千世を嫡男・忠隆が娶らなければ確実に家康へ味方していた大の三成嫌いだ。(ゆえ)に、心情的には徳川寄りで、仲介役には最適だった。利長と忠興は茶の湯で千利休を師に持つ兄弟弟子の繋がりもある。

 立ち上がった利長へ「孫四郎」と父が呼ぶ。

「はい」

「……いや、何でもない」

 明らかに父は何かを言おうとしたが、寸時(すんじ)の間で引っ込めた。内容は気になるも、今は戦を避ける為に時間が惜しい。行動する事を優先し、一旦脇に置いておくことにした。

 その後、長岡忠興や中老の一人・堀尾吉晴が仲裁する形で交渉が進められ、二月二日に四大老五奉行と家康の間で誓紙を交換。一先(ひとま)ず武力衝突の事態は避けられた。


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