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一 : 命を削りて尽くす忠-(6)罰すべきか否か

 家康と婚姻を結んだ者達の聴取内容が順々に届けられたが、大方の予想通りだった。

 伊達政宗は『宗薫から持ち掛けられたので、そちらで申請されているものと思っていた』と弁明し、加藤清正は『(自らの母が秀吉の母・大政所と縁戚だった事から)豊家と徳川家の結び付きをより強固なものとすべく受け容れた』と抗弁し、福島正則に至っては『内府様から提案された縁談を断れる筈がなかろう!』と開き直る有様。ならば宗薫の方から言質を取ろうとするも『身共(みども)商人(あきんど)、お武家様の中の決まりなど存じ上げません』と(しら)を切られる。結局、家康の『御掟』違反を裏付ける確たる証言は得られなかった。

 一方、関東で『石田三成が家康を討とうとしている』との風説を耳にした榊原康政は、三千の兵を率いて西へ急行。近江国瀬田に到着した康政は一計を案じた。街道に関を設け、東から京へ入る人の流れを封鎖したのだ。瀬田は京の東の玄関口で、日頃から往来が激しい事もあってあっという間に人で(あふ)れ返った。三日後に関を取り払った康政は大量の人波と共に京へ雪崩れ込むと、下卒の者達に金を渡し『徳川勢は十万の軍勢で上洛したが、あまりに急だった為に兵糧が行き渡っておらぬ。通常の倍払うから餅でも饅頭でも食わせてくれ』と触れ回らせた。こうして“徳川の大軍が関東から駆け付けた”と装い、大坂方を牽制する材料となった。

「えぇい!! 何奴(どいつ)此奴(こいつ)(とぼ)けおってからに!!」

 忌々し気に吐き捨てる三成。先日と同じ顔触れが揃った場に、三成の怒号が虚しく響く。

 対照的に、腕組みをしたまま目を(つむ)る利家。代表者の利家が黙っているので他の大老・奉行・三中老に同席者達も発言を控えている。

 腹の虫が収まらない三成は利家の方を向き直言(ちょくげん)する。

「婚姻を結んだのは紛れもない事実!! 豊家の秩序を乱した罪は重く、今後の禍根を取り除く為に『御掟』違反を根拠に内府を討つべきです!!」

 強い口調で主張する三成に、ゆっくりと(まぶた)を上げる利家。それから全員を見回すと、(おもむろ)に口を(ひら)く。

「安芸中納言殿、どう思われる?」

 話を振られたのは毛利“権中納言”輝元。天文二十二年〈一五五三年〉生まれで四十七歳。中国地方の覇者で、独立大名の扱いを受ける毛利家の外交僧・安国寺(あんこくじ)恵瓊(えけい)の所領も合わせると豊臣家・徳川家に次ぐ三番手の版図を持つ実力者だ。

「加賀大納言様の判断に従います」

 神妙な面持ちで答える輝元。殊勝な態度に映るが、利家に判断を丸投げしたとも言える。

「会津中納言殿は?」

 次に指名したのは、上杉“権中納言”景勝。弘治(こうじ)元年〈一五五五年〉生まれで四十五歳。先代・謙信以来“義”の精神を重んじ、その信頼と実力を高く評価した秀吉から会津百二十万石の大封(たいほう)が与えられた。

「……加賀大納言様に一任致す」

 むっつりとした顔で端的に述べる景勝。元来(がんらい)寡黙な性格で決して機嫌が悪い訳ではない。

「備前中納言、お主はどうだ?」

 訊ねられビクッと肩を震わせたのは、宇喜多“権中納言”秀家。元亀三年〈一五七二年〉生まれで二十八歳。その器量を早くから着目した秀吉が一時猶子(ゆうし)にした程で、将来性を加味し若年ながら大老職へ抜擢された。(ちな)みに、秀家の正室・豪姫は秀吉の養女という形式ながら利家の四女で、婿(むこ)に当たる。

「わ、私も、加賀大納言様の指図に従います」

 緊張しているのかアタフタしながら答える秀家。約四十も年上の義父に意見など述べられない、という姿勢が透けて見える。

 大老三人は利家の決定を受け容れると表明したが、内実は三者三様に問題を抱えていた。

 まず、輝元。長らく嫡子に恵まれなかった輝元は後継不在の状況を解消すべく天正十二年に親戚筋の秀元を養嗣子に迎えるも、文禄四年十月に待望の嫡子が誕生。秀元は継承権を放棄する代わりに別家を創設したが、その所領を巡って調整が難航していた。加えて、秀吉から重用され毛利家内部で存在感を高めていた恵瓊とそれを快く思わない吉川(きっかわ)広家の間で深刻な亀裂が生じており、重臣二人の対立が家中に悪影響を及ぼしていた。

 次に、景勝。去年本貫の地である越後から会津へ転封となったが、入領して程なく秀吉の体調が悪化。秀吉の薨去や代替わりに伴う手続き等で畿内に留まり続け、本国の治政は後回しにされていた。他にも隣接する大名達と摩擦が起きており、火種を抱えていた。

 最後に、秀家。彼が最も深刻である。有力国人を取り込む形で版図を拡げてきた宇喜多家は所領の大きさに対して直轄領が少ないところへ、二度の朝鮮出兵や天下普請などで出費が嵩み財政の建て直しが急務だった。秀吉に近侍(きんじ)し国許を長く離れる事の多かった秀家に代わり、主君の信任が厚かった重臣・長船(おさふね)綱直(つななお)や豪姫付で前田家から宇喜多家へ転籍した中村次郎兵衛(じろうべえ)などの面々が領内の検地を(おこな)ったり治水事業に着手し耕作地を増やそうとするなど改革に取り組んだ。ところが、今年に入り綱直が死去すると、改革に不満を抱いていた宇喜多詮家(あきいえ)や戸川達安(みちやす)など有力家臣達が後ろ盾を失った次郎兵衛を始末せんと画策。一月五日、次郎兵衛が居る宇喜多家の大坂屋敷を有力家臣達が襲撃するも、次郎兵衛は前田家屋敷へ避難。この蛮行に激怒した秀家は襲撃に加わった者達を処罰しようとしたが、家臣達は屋敷に立て籠もってしまった。自力での解決を断念した秀家は大谷吉継と徳川家家臣・榊原康政に調停を依頼。現在進行形で事態収束へ向け動いている次第である。

 以上の通り、三大老は婚姻を巡る騒動に対して消極的な姿勢を取らざるを得なかった。

 それから奉行衆や三中老達にも利家は考えを問うも、異口同音(いくどうおん)に一任すると回答した。あとは利家の判断を待つのみだが――。

 固唾を呑み状況を見守る参加者達の思惑とは裏腹に、利家はある人物の方へ顔を向ける。

「孫四郎。其方(そなた)はどう思う?」

 突然自らの名が呼ばれ、ビックリする利長。皆の視線を一身に浴び、顔の筋肉が強張る。

 あくまで陪席者として参加している意識の利長は、まさか意見を求められるとは考えもしなかった。しかし、聞かれた以上は自らの考えを述べる必要がある。

 今後の行方を左右しかねない重大な局面に、利長は息苦しさを覚える。ゆっくりと呼吸をし、胸の鼓動が落ち着いてから(おもむろ)に切り出す。

「私は……」

 そこで言葉を区切った利長は、決意を込めて続きを述べる。

「内府様の失念や他の者達の思い込み、内府様との立場差などを勘案すれば、安直に故意と決めつけ大老職の剥奪や討伐をすべきでないと存じます」

 厳罰に処すべきだと過激論を展開する三成とは正反対の慎重論を表明した利長。その主張を耳にした三成は暫し呆然としていたが、やがて顔を真っ赤に染め反発する。

「手(ぬる)い!! この一件を認めてしまえば太閤殿下が定めた『御掟』に基づく法の統治が根幹から揺らいでし――」

「佐吉」

 激しい論調で反駁(はんばく)する三成を(さえぎ)るように、声が掛かる。俗に“文治派”と呼ばれる面々や景勝の右腕で上杉家執政・直江兼続などが陪席しており、発言は控えるべきだが禁止されておらず、口を挟まれた事に対して咎める権利は三成にない。

「何だ、紀ノ介」

 横槍が入った事に不満を露わにしながら三成は相手の方に顔を向ける。そこには白頭巾(ずきん)を被った者が座っていた。

 大谷“刑部少輔(ぎょうぶしょうゆう)”吉継、永禄八年〈一五六五年〉生まれの三十五歳。敵の多い三成には珍しく“友”と呼べる親しい間柄で、互いに“佐吉”“紀ノ介”と幼名で呼び合う仲だ。生前の秀吉が『紀ノ介に百万の兵を預けてみたい』と武才を高く評価され、政務能力でも優れていた事から豊臣家には珍しい文武両道の実力者だった。奉行に名を連ね豊臣家の中枢を支えていてもおかしくない吉継が無役なのは理由があった。

 この当時、業病(ごうびょう)として忌み嫌われていた“癩病(らいびょう)(ハンセン病)”に罹患(りかん)し、現在は皮膚が壊死(えし)(うみ)が垂れたり目が(ほとん)ど見えなくなるなど症状が進行しており、激務に耐えられる体ではなかったのだ。

 三成とは秀吉の小姓時代から親しい付き合いだったが、その仲を決定づける逸話がある。まだ症状が進行してない頃、秀吉が開いた茶会の席に参加していた吉継から膿が一滴茶碗の中に落ちてしまった。それを目撃した参加者達は病に感染するのを恐れ飲むフリをして茶碗を回していく中、三成はその茶を全て飲み干したのだ。この漢気溢れる対応に感動した吉継は終生三成の味方でいる事を決めたとされる。

 三成から発せられる怒気にも平然と受け流した吉継は、ゆったりと投げ掛ける。

「お主は算勘に長けておるが、生涯で間違えた事は一度たりとも無いのか?」

「いや……計算間違いや算盤(そろばん)の打ち違いなどは、あるが……」

 思いがけない吉継の質問に、三成の舌鋒も(にぶ)る。そこへ吉継はさらに畳み掛ける。

「それは、わざと間違えたのか? 若しくは、何らかの意図があって(あやま)ちを犯したのか?」

 吉継の指摘に、三成は返答に窮する。単純に自分の失態や注意不足で、好き好んで間違える筈がない。

 黙り込む三成へ、(さと)すように吉継は続ける。

「確かに、お主の言う通り内府様の『御掟』違反は許し(がた)い。()れど、それが故意か過失か断定する決定的な証拠が無い以上、先入観だけで厳罰に処するのは如何(いかが)なものか。今後、時の権力者が捏造や歪曲した見方で作為的に敵対する者の排除に用いる悪例になりかねぬ」

 筋道を立てて話す吉継に、三成は反論出来ない。吉継の主張が尤もで、悪用される前例になると言われれば三成も躊躇する。

 論は尽くされたと判断した利家が、満を持して自らの考えを明らかにする。

「儂も孫四郎や刑部殿と同意見だ。内府殿の行いは決して認められるものではないが、故意と裏付ける根拠が無いからには、軽々(けいけい)に厳罰を下す訳にもいくまい。相手が攻める兆候があるなら別だが、こちらから武力を(もっ)て討伐するなど論外である。太閤殿下が築かれた泰平を乱す事になりかねないからな」

 粛々と述べる利家に、異議を唱える者は居ない。唯一、三成だけが“口惜しい”と悔しさを全面に出した顔を浮かべている。

 これにて評議は終了したが、事態は思わぬ方向へ転がっていく事となる――。


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