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三 : 凡愚な分別者の苦慮-(8)取引

 慶長五年九月十一日。利長は家康の求めに応じる形で、美濃へ向けて二万の軍勢を率いて金沢から再出陣した。

 西軍で北陸方面を任されていた大谷吉継は自らの謀策が嵌まり前田勢が金沢へ引き返し、その後も再出兵の兆しが見られない事から戸田勝成(かつしげ)や赤座直保(なおやす)など一部の大名と共に美濃へ転進。旗頭不在となった越前に前田勢の行く手を阻む程の勢力は居らず、無人の野を()くが如く楽々と進軍可能な見通しだ。

 しかし、その前に片付けなければならない事がある。

「丹羽を、如何(いかが)致そうか」

 小松を前に開催された軍議の席、冒頭利長が家臣達に投げ掛けた。

 先日の出兵では丹羽勢に散々手を焼かされた。特に撤退時は浅井畷で死闘を演じている。昨年前田征伐の話が浮上した折に家康から長重へ直々に先鋒を任された件も含め、丹羽家に恨みを抱いている者は多い。

 その思いを代弁するように、亥の一番に声を挙げたのは但馬守だ。

「奴等も先日の戦で数を減らしております! 小癪にも噛み付いてきた代償を払わせるべく、断固叩き潰すべきかと!」

 勇ましい但馬守の発言に「そうだそうだ!」と賛同の声が相次ぐ。多数の支持を得て気を大きくした但馬守はさらに勢いづく。

「九郎左殿! 貴殿もそう思わぬか!」

 但馬守から話を振られた連龍は先の戦で九名の将を喪っている。前田家中で一番損害を出した連龍の後押しを取り付け、軍議の流れを決定づけたい但馬守の思惑が見え隠れする。

 しかし――周囲の熱量に反し、常と変わらず法衣の上に鎧を(まと)う連龍は腕組みをしたまま口を真一文字に結んでいる。その態度に主戦論を唱える但馬守のみならず上座の利長も「おや?」と首を(かし)げる。僧形ながら中身は根っからの武人である連龍には珍しい。

 意見を求められた連龍は、細く長く息を吐いてから答える。

「……但馬守殿には申し訳ないが、拙者は反対だ」

 淡々とした口調で述べられた連龍の発言に、主戦論の面々は驚きの表情を浮かべる。場の空気が急速に冷めていくのを肌で感じながら、連龍は言葉を紡ぐ。

「仰る通り、丹羽家には遺恨(いこん)がある。然れど、(かたき)討ちをせんとさらなる同胞(どうほう)の死を招いては釈根灌枝(しゃくこんかんし)に等しい。先を急ぐ観点も合わせ、別の道を探るべきかと」

「別の道、とは……」

 唖然とする但馬守が訊ねると、連龍は即答する。

「降伏勧告。若しくは、和睦」

 連龍の口から明かされた衝撃の内容に、但馬守はカッとなり反論する。

「一体どうなされた九郎左殿!? そもそも前回の出征時は往路も復路も負けておらぬ相手に戦わずして交渉するなど(もっ)ての(ほか)!!」

「だが、丹羽を降さず進めば同じ(てつ)を踏む恐れがある。再度将兵を喪う愚行を犯すより遥かにマシではないか?」

 受け容れられないと拒絶する但馬守に、冷静な語り口で諭す連龍。二人の遣り取りを目の当たりにした主戦論者達の熱気も次第に(しぼ)んでいく。連龍の意見は尤もなれど武士の意地として浅井畷の借りを返したい者、北陸一と(うた)われる堅城を攻め味方の損害を増やすのはよろしくないと考える者、武辺者たる連龍が言うならそうかも知れないと考えを改める者など様々だ。

 話の流れが変わったのを機微に察した利長が、自らの考えを明かす。

「私も九郎左衛門の案に賛成だ」

 主君の発言に、右近や大膳・一孝・長徳などが大きく頷く。さらに利長は語る。

「我等は内府様の要請に応じるべく出陣した。美濃で決戦の機運が高まる中、逸早く馳せ参じる必要がある。その為には浅井畷の恨みを晴らす為に力攻めするより、こちらから歩み寄り和平を結んだ方が兵も損せず日数も短く済む。そう考えるが、如何(いかが)か?」

 家臣達にそう問い掛けると、主戦論に傾いていた者達も利長の方が筋道立っていると口を噤む。それでも但馬守は自分から言い出した手前、自論を引っ込める訳にもいかず抗弁の糸口を探していたが……それも直ぐに掻き消された。

 重要な軍議の真っ只中、草摺(くさずり)(こす)れる音が急速に近付いてくる。

「申し上げます! 丹羽家より使者が参られました!」

「今は軍議中ぞ! 待たせておけ!」

 気が立っている但馬守は苛立ちを隠さず(しりぞ)けるも、取次の者は「それが……」と困惑顔のまま恐る恐る告げる。

「端武者ならそうしたのですが……如何(いかん)せん相手が江口“三郎右衛門”でして……」

 その名を耳にした一同は驚愕する。確かに、粗略な扱いは出来ないし、軍議中と承知の上で報せる必要のある緊急の事案だ。

 対応を委ねられた利長は迷わず即答する。

「直ぐにお通しせよ。ここで会おう」

 利長の指示に取次の者は「はっ」と応え、(きびす)を返して駆け足で去って行く。家臣達の中には未だ信じ難いと戸惑う者がちらほら居た。

 それもその筈。相手の江口正吉は丹羽家の筆頭家老、前田家なら右近や連龍に匹敵する程の大物で、没落した丹羽家再興に大きく寄与した遣り手として知られる人物だった。


「これはこれは御一同お揃いで。軍議の最中とはいざ知らずお邪魔し、ご無礼致した」

 帷幕(いばく)の内に案内され開口一番にぬけぬけと非礼を詫びる正吉。その厚かましさに苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる者も多い。

 その肝の太さに感心していた利長は、ふと気付く。

「もしや、其方(そなた)一人で?」

「はい。下手に兵を連れては“攻めて来た”と誤解を招きます故。殿の為なら命を捨てれますが誤解で死ぬのは真っ(ぴら)御免です。それに、天下にその名を(とどろ)かせる前田家様が、単身で乗り込んできた敵の者を闇討ちするとは思えませんので」

 一々(しゃく)(さわ)る話し方をする正吉だが、その言い分は正しい。意図はどうであれ、敵へ話に行くのに手勢を連れていては戦でピリピリする将兵が“少数突貫”と勘違いし撃退する可能性がある。役目を果たす事に重きを置くなら単身敵中へ飛び込むのが一番安全だ。途中まで護衛を付けていても、だ。そして、敵陣に一人で乗り込んで来た者を謀殺するのは騙し(たぶら)かしが横行する戦国の世でも卑怯と批難され、相手の勇気に敬意を表し丁重に遇するのが礼儀だった。

 上座から、正吉を観察する利長。(よわい)は三十代半ばか四十を軽く超えた辺りか。中肉中背、弁が立つので小生意気な顔をしていると思いきや人懐っこさを感じさせる容貌(ようぼう)をしている。頭が切れる印象は強いが、戦を重ねてきた者特有の筋肉もしっかり付いていた。飄々(ひょうひょう)と人を小馬鹿にした話し振りに注目されがちだが、惑わされたり感情を乱されたりしては足元を(すく)われる。利長はそう捉えた。

「……如何(いかが)されましたか。(それがし)の顔に何か付いておりますか?」

 そう言い、手で自らの顔をペタペタと触る正吉。その仕草も見る人をイラッとさせるが、利長には可笑(おか)しく感じた。当人は術中に嵌める気は一切無く、恐らく素の反応らしい。

「いやなに、貴殿も色々と誤解されておられるのだな、と。つい見てしもうた」

 率直な感想を利長が述べると、「左様ですか」と鰾膠(にべ)もなく返す正吉。敵とは言え目上の者に何たる態度か! と拳を握る家臣の姿を目の端で捉えるも、利長には分かる。予想外の反応に当惑しているのだ。だからこそ冷静を装い平坦な声で即座に応えたのだろう。

 肚裡(とり)の探り合いも飽きたのか、正吉は居据まいを正し畏まった様子で言葉を発す。

「我が殿は、前田家へ降伏すると仰せです」

 言うなり正吉は深々と(こうべ)を垂れる。正吉の申し出で俄かにざわつく家臣達。つい先程までその事を話し合っていただけに、丹羽家側からの提案に意表を突かれた形だ。

 対する、利長。表情を変えず正吉を見据えながら静かに訊ねる。

何故(なにゆえ)、そのような判断になったのだ?」

 傷口に塩を揉み込むような厳しい指摘を口にする利長。敢えて問うたのは理由がある。

 往路は木場潟から船で撃ち掛けられ軽微な損害を、復路は浅井畷で大損害をそれぞれ出している。丹羽家への怒りや恨みは前田家中で今も(くすぶ)り続け、軍議の席でも主戦論が大勢を占めたのもこれが原因だった。その為「降伏します」「はい分かりました」では家中が納得しない。最初から降伏していれば傷付いたり命を落としたりしなかったと考えれば、前田家当主として追及するのは当然の務めだ。

 周囲から刺すような視線を浴びているのを自覚しつつ、僅かに頭を上げた正吉が答える。

「加賀のみならず越前の北半分にも味方は()らず、文字通り“孤立無援”の状況がまず一点。彼我の戦力差を鑑みて勝機は皆無なのが二点。万策尽き、降参するに至った次第」

 丹羽家を代表する者として正吉は敗北にはっきり触れた。それでも敗者特有の悲愴感や(みじ)めさは一切漂わせず、堂々と振る舞う。

 正吉がどんなに深く謝ろうと泣いて詫びようと、負った傷が()える事も死者が(よみがえ)る事も無い。許しを乞う事で逆に怨恨(えんこん)悲憤(ひふん)(あお)る元になると分かっているからこそ、敗北を認めながら昂然(こうぜん)と対応している。その潔さに利長は感服していた。

 戦の勝敗は時の運。歴戦の猛者達はそれを分かっているからこそ、正吉の毅然(きぜん)たる姿勢に反発の声を挙げない。否、黙らされたと表現すべきか。その点、正吉の方が一枚上手だ。

「つきましては、前田中納言様に是非ともお願いしたき儀がございます」

 降伏は(おおむ)ね受け容れられたと解釈した正吉は、それまでと一変し(へりくだ)る。利長が無言である事を了承と解釈し、続ける。

「内府様へ我等が降伏した事を、前田中納言様の方から御口添え願えないでしょうか」

 そう言い、伏して願う正吉。

 戦に敗れた武家が真っ先に行うのは、御家の存続工作だ。勝者へ弁明の使者を送ったり戦後の裁定で自らへ不利に傾く書状等の証拠を処分したり、生き残りの為に奔走する。減封で済めば御の字、転封の上で大幅減封も已む無し、改易だけは何としても避けたい。どんな手を使ってでも家を残す、それが武家の使命であり最優先事項だ。

 利長は正吉の交渉術に内心唸った。二度も攻撃され少なからず損害を(こうむ)った前田家中には丹羽家への忿懣(ふんまん)が渦巻いている。先に神妙な態度を示して不服ながら降伏を認める空気を醸成(じょうせい)させ、次の図々しい申し出に噛み付く事を封じた。その展開に敵ながら天晴だと利長は思う。何か言いたげな顔をする家臣も居るが、武士の面目を(けが)す行為だと不本意ながら口を噤んでいる。

 家康へ長重に寛大な処分を周旋(しゅうせん)するのは利長も(やぶさ)かでない。が、正吉の掌の上で転がされているみたいで少々不愉快である。そこまで考えた利長は、はたと名案が(ひらめ)いた。

「承った。丹羽殿や江口殿の殊勝な心掛けに免じ、和睦と致そう。減刑の件もお任せあれ」

「ありがとうございます。前田中納言様の御厚意、我が殿に代わり感謝申し上げます」

 利長の言葉に正吉は叩頭(こうとう)する。

 降伏と和睦では意味合いが異なる。“降伏”は勝者と敗者ではっきり上下の差があるのに対し、“和睦”は両者が対等で接する。言わずもがな、扱いも変わる。正吉が利長へ最敬礼を見せるのも当然だった。

 ただ、現時点でも大きく配慮している利長はさらに踏み込む。

「証左は、そうだな……我等からは猿千代を出そう」

 サラリと告げた内容に、正吉だけでなく家臣達も目を剥いた。その反応に利長は“()()ったり”な気分になる。

 前田猿千代、文禄二年十一月二十五日生まれで八歳。利家の四男で母は側室・千代保(ちよぼ)。朝鮮の(えき)で名護屋に在陣していた折に侍女だった千代保へ手を付け身(ごも)った経緯から、正室・まつの逆鱗に触れないよう一門の前田長種(ながたね)の元に母子を(かくま)わせた。認知はしたものの父子が初めて対面したのは利家が亡くなる前年の慶長三年、しかも『(長種の居城である)越中・守山城を訪ねる』名目で極秘裏に行われた事から、如何(いか)にまつの目を恐れていたかが窺い知れる。

 端的に言えば幼い異母弟(いぼてい)を人質に出すと利長は提案したが、大事なのはその対象者だ。和睦を結ぶ際には約束を破らぬよう両家で人質を交換するのが(なら)わしで、普通は家臣やその家族が()てられる。但し、その意味合いが政治的に重大な案件では格がグンと上がり、重臣や主君の一族を差し出す。今回の場合は形式上同格ながらも降伏した丹羽家は相当な身分の者、勝者の前田家は軽輩(けいはい)と差を付けても充分なのに、利長は敢えて血を分けた弟を差し出すと言う。優位に立つ前田家側から大幅な譲歩を提案した事に皆が仰天するのも無理はなかった。

 その衝撃に正吉も暫く言葉を失っていたが、気を取り直すと背筋を伸ばし丁重に応じる。

「……畏まりました。我が方の証左につきましては、一旦持ち帰り改めて回答致します」

 絞り出すような声で正吉が言承(ことう)けすると、利長は了解したと大きく頷く。手短に辞去の挨拶を述べた正吉は足早に退()がって行った。その姿を利長は満足そうに眺めていた。

 正吉が前田陣から発ったと報せられた途端、但馬守が噛み付いた。

「殿! たかが丹羽風情(ふぜい)に譲り過ぎではありませぬか!?」

 但馬守の抗議は尤もで、主戦論を唱えていた者達を中心に利長の対応に眉を(ひそ)める。これではどちらが勝ったか分からないと顔にはっきり書かれていた。

 しかし、利長の深慮遠謀を理解していた者も居た。

「いえ、寧ろ英断にございます」

 肯定的な発言をしたのは、右近。その真意を計りかねる者が多い中、右近は解説する。

「先達ての出兵で苦杯(くはい)()めさせられた丹羽家へ最大限の誠意を示した事で、これから進む越前筋の諸大名は今回の対応を見て『あの丹羽が(ゆる)されるなら!』と積極的に帰服を申し出ることでしょう」

「……つまり、猿千代様を差し出した事で()らぬ戦をせずに済む、と?」

 半信半疑気味に述べた但馬守へ「はい」と右近が応える。

「それだけではない」

 横から口を挟んだのは、連龍。

「和睦となれば詳細を詰める必要がある。両家で協議している間、我が軍は先へ進めぬ」

 連龍の指摘に但馬守が「あっ!」とが叫ぶ。他の者達も何かに勘付いた様子で、吃驚(きっきょう)の表情を浮かべている。

 真の狙いを皆分かったのを確かめ、利長がゆったりと切り出す。

「左様。遣り取りを交わしている分だけ、刻を稼げる。日が()びれば延びる程、中央の争いに巻き込まれる可能性は低くなる」

 家康の要請で美濃へ向かう利長だが、本音を言えば近々(きんきん)に行われるであろう東西両軍の激突に参戦するのは回避したい。戦に加われば大なり小なり損害は出るし金も掛かる。それで勝てたならまだしも、負けたらどうなるか。前田家は“公儀に逆らった賊軍”として処罰の対象になってしまう。北陸で西軍方の勢力と交戦しただけなら“家康に人質を取られ、已む無く従った”と言い訳が立つが、天下分け目の大戦おおいくさに参加すれば弁解の余地は無い。兄の方針に反発した利政へ家督替えの延命策も通用せず、改易は確実だ。それでは初志貫徹してきた利長の“御家存続”の努力は水泡(すいほう)に帰す。

 最悪の事態を回避する方法は(ただ)一つ。あれこれ理由を付けて進軍を遅らせる。家康から問題視されない程度にあらゆる手を尽くして日延べに全力を注ぐ。(はた)から見れば(みにく)い足掻きに映るだろうが、体裁(ていさい)など知ったことか。生き残った者こそ勝者なのだ。

「右近と九郎左の申す通りだ」

 自らの考えを代弁してくれた忠臣の発言を是認(ぜにん)する利長。

「大膳、喜三郎(きさぶろう)

 利長から呼ばれた二人が「はっ」と応える。

 岡島“喜三郎”一吉(かずよし)、永禄二年生まれで四十二歳。利家が府中城主の頃に仕えた本座者だ。利長の引き立てで家老に抜擢された大膳はまだ利家に付き従った者達の信を得ておらず、一吉を付ける事で補完する形を()った。

「先方との折衝(せっしょう)を任せる。猿千代を金沢から呼び寄せるのにある程度日数が掛かる故、急がずとも構わぬ。双方で納得のいく合意を目指してくれ」

「承知致しました」

 主君の命を謹んで受ける両名。大膳に交渉を任せておけばきっと大丈夫だろう。

 この後、前田家から大膳・岡島一吉、丹羽家から長重の叔父で家老の丹羽秀重(ひでしげ)・丹羽家旧臣で越前国内一万石の大名・上田重安(しげやす)の四名で和睦に向けた詰めの協議が進められた。結果、九月十八日に前田家から利長の異母弟・猿千代を、丹羽家から長秀の六男で長重の弟・長紹がそれぞれ人質を交換する事で合意に至った。

 余談ながら……見知らぬ小松城へ送られた猿千代に対し、不安を和らげようと長重自ら梨を剥いて食べさせた。この事がとても良い想い出だったらしく、晩年まで梨を食べる際には周囲にこの時の事を嬉しそうに語ったとする逸話が残されている。

 後顧の憂いを解消させた前田勢は進軍を再開。国境を越え越前を南下する前田勢の元に、急使が飛び込んできた。

 去る九月十五日、美濃・関ヶ原の地で天下分け目の戦が開戦。半日に及ぶ激闘の末、家康率いる東軍が勝利を収めた――!!


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